「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年09月20日

勝井粧子さん!

当道友楽会三代目家元菊武厚詞の長女。6歳より箏を、10歳より三味線を始める。東京藝術大学音楽学部邦楽科箏曲生田流専攻卒業。在学中、常英賞受賞。
2015年坂東玉三郎主演・演出「アマテラス」に出演。
2015年「大阪平成中村座」、2017年「壽初春大歌舞伎」「花形歌舞伎」歌舞伎の黒御簾にて演奏。
現在、当道友楽会、邦楽あんさんぶるグループ ふぁるべ、森の会、みやこ風韻、和楽器集団 東に所属する。


お鈴姉さんと少しだけ絡むかもしれません。
第2部冒頭に地唄を10分間ほど披露してくれる勝井粧子さんをご紹介しました!

遊女仲間のような形で、衣装も着て、演奏となります。
どうぞ宜しくお願い致します。


10/21土曜ムラマツリサイタルホール新大阪(ソーラ新大阪21ビル)にて。
15時開演(14時半開場)

入場料お一人様5500円(前売り5000円)

お申し込みは、夙川座0798-55-8297

shukugawaza@gmail.com

チケットぴあ Pコード337310
(セブンイレブン、サークルKサンクスにて)

また、外国人モニター募集しております。
詳細はお電話で。
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2017年09月20日

伊佐山紫文64

 久しぶりに西宮北口まで出ようかと自転車を走らせていたら携帯が鳴り、浅川社長から、
「シュークリームもらったから取りに来ない?」
 それで、苦楽園口まで10キロの道のりを行くことに。
 まずは171号線をひたすら走り、夙川まで。
 考えてみれば、西宮には20年近く住んだ。
 おそらく、生涯でいちばん長く住んだ土地になると思う。
 西宮と言っても、私が住んでいたのは、夙川のような中心地じゃない。
 田近野という東の外れで、少し歩けば宝塚市、というより、集合住宅の建物の半分ずつが西宮と宝塚に別れていた。
 階段ごとにゴミ出しの日が違う。
 直近の仁川駅前の公衆電話から家に電話するにも市外局番、市議会選挙には「田近野も西宮だ!」とか言う標語が踊るほどの僻地だった。
 冗談でも何でもなく、建物のこっちに住む子は西宮の小学校で、あっちに住む子は宝塚の小学校に通っていた。
 西宮の小学校はすぐそこで問題なかったが、宝塚となると数キロ先で、冬の朝など、集団登校する子供たちを見ながら、大変だなぁ、と思ったものだ。
 それが他人事ではなくなったのが、息子が生まれてから。
 保育園が見つからない。
 見学に行った私立の保育園はどこも素晴らしかった。
 先生たちが熱心で、感動した。
 もう、すぐにもそこに入れたいと思った。
 けれど、もちろん、すべて落ちた。
 理由は分からない。
 書類にはいろいろ数字が並んでいたけれど、とにかく、近くの私立の幼稚園は全て落ちた。
 これは市役所の決めること。
 仕方ない。
 で、数キロ先の、市立の保育園になった。
 これが、遠い。
 仁川沿いの道を自転車で登っていき、一度谷を降りて、もう一度登る。
 毎朝、ギャー泣きする息子を自転車に詰め込み、仁川の左岸を登っていく。
 大雨の朝など、なんでこんなことを、と思いながら、雨具を着せ、自転車に積み込み、雨に打たれながら仁川の岸をひたすら自転車をこぐ。
 その日の夕方、迎えに行くと、先生が、保育園での様子を楽しく話してくれた。
「ブロックを入れる箱のカギを、こうやって、箱の中に入れたんですよ。ニチャ~って笑いながら」
 ああ、雨の中でも、頑張って預けてよかった。
 と、しみじみ思ったものだ。
 結局、この保育園には2年間預けて、伊丹に越してからは私立の幼稚園に入れた。
 と、まあ、浅川社長からシュークリームを受け取り、帰途、西宮の街を通り抜けながら、様々なことを思い出したってわけさ。
 ここは紛れもなく、お前が生まれ、数年間を共に過ごした街なんだって。
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2017年09月20日

伊佐山紫文63

 夕暮れ

 秋の日の苦い別れに
 面影は切なく
 少年の胸を焼く

 その腕にそのひざと
 想い出を抱いて
 秋の夕空を見上げた日

 空に映る
 星の影が
 涙でにじんだ

 どこにも行きたくない
 ここにもいたくない
 甘い矛盾を胸に抱え
 少年はその日
 恋に落ちた
  
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2017年09月19日

伊佐山紫文62

 息子が4歳の頃、ヤマハ音楽教室のCMを観て、
「これ、行きたい!」
 その前にヴァイオリンを習わそうとしたのだけれど、言葉が全く出ていない状況ではムリだと判断したことがある。
 4歳になり、少し言葉も出始め、それで「行きたい」である。
 早速体験教室に行き、それで、
「行きたい」
 となったので、もうその週からやりはじめた。
 最初のうちは「楽しい!」と行くのを楽しみにしていたし、エレクトーンも両手で弾いて、もしかして神童? などとぬか喜びしたりした。
 そのうちだんだんと他の、特に女の子たちとの差がついてきて、小学校に上がる頃には完全に落ちこぼれた。
 それでも少し練習した鍵盤を捨ててしまうのはもったいないので、ヤマハの個人のピアノ教室に通うことにしてもう四年目なのに、まだバイエル……
 7歳の頃、先生が業を煮やし、
「80曲あるのよ! こんな、1年に1曲みたいなペースでどうするの!」
「87になるまでやります」
「……」
 計算だけは出来るんです。
 で、今でもまだバイエル。
 私がピアノを始めたのは35歳で、CDと入門書による独学、もちろんモノにはなっていない。
 その数年前に阪神淡路大震災を体験し、思想的にも揺らいでいた時期だった。
 それでなんでピアノなのかは今になってもよく分からんが、これがもう、30過ぎて始めて、何かモノになるものではないことはひと月でわかった。
 すぐに弾かなくなった。
 それでもチェルニーくらいまでは弾いたぞ。
「僕、作曲の方が得意なんだよね」
 などと、息子は、得体の知れないメロディーを弾いたり、有りモノの歌をコピーしたりしているが、まあ、モノにはなるまい。
 ただ、私よりも美しく繊細な音を出すことだけは確かで、もっと練習すればいいのに、とは思う。
 今はただ、秋に出るという新作のゲームソフトのことで気もそぞろ。
 自分で様々な情報を集めてきては、
「▲△が○●らしくてね、だから確かめてみたいなぁって思うんだ」
 と、意味不明の専門用語を並べ立てて売り込んでくる。
「だったら、今日からいち日10分、ちゃんとピアノ弾けよ」
 さっそく、バイエルを弾き始めたはずが、あれ? なんだこりゃ?
「なにやってんの?」
「思いついたからね」
 バイエル弾きながら思いついたもんに変奏してちゃ練習にならんでしょ。
 まあいいよ、87までピアノ弾いて下さい。
 ボケ防止になるわ。

 
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2017年09月18日

伊佐山紫文61

 秋

 桜の葉が色づき初め
 透かし観た空に
 少年が目を細めれば
 もうそれは確固とした
 秋

 風の中をひとり
 自らの生をもてあましつつ
 ほんの少し前の想い出を
 舐めるように慈しんだ
 秋

 心の出会いがあり
 体の別れがあり
 淡い恋と
 極彩色の愛とが混ざり合った
 秋

 それは
 夏の終わりでも
 冬の始まりでもない
 少年が小さな大人ではないように
 それはもう確固とした
 秋
 
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2017年09月18日

伊佐山紫文60

 夙川座公演『神戸事件始末 瀧善三郎の最期』、無事、大成功のうちに終演することができました。
 出演して下さった歌手や俳優やコーラスの皆さま、スタッフの皆さま、コープこうべ生活文化センターの皆さま、そして雨の中、会場まで足を運んで頂いたお客様、本当にありがとうございました。
 終演後、何人もの見知らぬ方に「応援してますよ」と声をかけていただき、本当に、やってよかったと思いました。
 いまは何とも言えぬ満足感と、安堵に包まれ、しばらく何もする気になれません。

 実は今回の『神戸事件始末』は、夙川座を株式会社にして初めてのBtoB事業だった。
 BtoBとは事業者同士の取引のことで、今回の公演は、作品をお買い上げ頂いたコープこうべさんと(株)夙川座とのあいだで契約した事業だったのである。
 コープこうべさんという一大組織と対等に契約を交わし、履行したわけで、これは私たちの会社にとって大きな一歩だった。
 なにより、今回、コープこうべさんのチラシを使って、数十万の家庭に「夙川座」の存在を知らせる機会を得た。
 夙川座はコープこうべさんにお買い上げ頂くようなイベントを作っているのだと、大々的に宣伝してもらったようなものだ。
 これからも今回の関係を大切にしていきたい、と思う。
 それにしても……
 成功して良かったぁ~
 何より運が良かった。
 もし台風がもう少し早く来ていたら、あるいは今日(17日)が公演の当日だったら、確実に中止だった。
 その場合の金銭的な負担や何やらのことを考えると、気が遠くなる。
 つくづく、イベントはこの時期に企画しない方が良いと思った。
 私は昔から雨男で、とくに新作の初演の日は天気が荒れるというのが定説になっていた。
『フィガロの決戦!』の初演の日(日本劇作家大会in豊岡)は大雨・洪水・雷の三大警報が豊岡に出たし。
『日本レクイエム』の初演の日は近畿地方を台風が直撃、妻と子は家から出ることが出来なかった。
 夙川座を作ってからは割と天気に恵まれてきたものの、そのしわ寄せがドーンと来て、台風で中止、なんてことが有り得るんじゃないかと、公演が終わるまで気が気じゃなかった。
 雨男など、非合理というか、不合理というか、まったく科学的ではない思い込みだが、人間なんてそんなもんだし、そもそも物語というものは不合理で非合理な部分を含まないとつまらないものになる。
 桃太郎が桃から生まれなかったら?
 かぐや姫が月に帰らなかったら?
 合理的な物語がいかにつまらないか、想像してみればすぐにわかる。
 今回の『神戸事件始末』だって、稗田阿礼が明治元年の西宮に現れるはずがないし、その後に起きる妻や母の出会いも不合理である。
 そもそも瀧善三郎がどういう人物だったか、実はよく分かっていないのだが、分かっていないから分かっていないと突き放しては物語が成立しない。
 むしろ、切腹の前夜、友人や、妻や、母親と次々に再会するという、不合理で非合理な状況の中で物語は成立し、瀧の人間性も立体的に浮き上がってくる。
 実は瀧の家族に切腹の事実が知らされたのは、すべてが終わってからである。
 今回の舞台のような状況はもともと史実ではなく、不合理で非合理であり、あり得ない。
 あり得ないからつまらないかと言えば、それは観客に判断して頂くほかはないが、とにかく、事実であることと、物語の面白さは別次元にあることだけは事実である。
 だから、理系の大学院まで行った私が雨男を信じても不合理でも非合理でもない。
 なにしろ私は今、物語を作っているのだから。  
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2017年09月17日

伊佐山紫文59

 母は戦前の朝鮮半島に生まれ、家庭の事情で敗戦前に内地に引き上げて来ていた。
 賢い家系で、きょうだいはみな優秀だったが、その中でもズバ抜けていた母を内地の親戚が跡取りに望んだのだった。
 けれど、その計画も敗戦と植民地の放棄で潰え、母の肩には、引き上げて来た家族がどっしりと、のしかかることになる。
 海軍軍医学校に通っていた弟も、軍隊の消滅で行き場を失い、望めば他の医大で学業を続けることも出来たのに、敗戦に力尽きて戻って来た。
 朝鮮で医師をしていた父親は引き上げと戦後の混乱の中、惚けたようになって日田よりさらに田舎に引っ込み、当てにならない。
 母は長女ではなかったが、ひとつ上の長女は幼い頃の脳膜炎が元で知恵遅れになり、実質的な家庭責任は次女である母が負うことになった。
 中学(今の高校)を出て、そのころ日田にあった短大に進んで教員免許を取り、家族を支え続けた。
 男だったら間違いなく東大に行ったと言われた母である。
 ホントに惜しい、との声を、日田ではずいぶん聞いた。
 学業のことは分からないが、絵が上手かったのはわかる。
 特にデッサン力は異常である。
 日田の誇る抽象画家・宇治山哲平からも「ミケランジェロ並」と絶賛された、そのデッサン力は、たとえば大分の特産である竹籠を、その竹ひごの位置や本数を全く違うことなく写し取るほどで、初めてスケッチブックを見たとき、ゾッとして鳥肌が出た。
 けれど、油絵の画家としてはシロウトだった。
 筆遣いが単調で、色に深みが無く、光をつかめていない。
 デッサンならば恐ろしいほどの名作だが、絵の具を載せたとたん、凡庸なものになる。
 これは当たり前で、若い頃になんの美術教育も受けていないのだから。
 それで立派な絵が描けるほど油絵は甘くない。
 そのことは母も分かっていて、それでも市美展の油彩部門で大賞を取るという夢捨てがたく、100号の大作を次々と独学で量産した。
 独学というのが味噌で、母のようなギフテッド(天才児)は人間関係を構築するのが苦手、特に師弟関係を結べないのである。
 誰の弟子でもないシロウトが展覧会で賞を取ろうと思えば、号数の大きい、迫力のある作品を描くしかない。
 と、母は思い込んでいた。
 これらの大作を時系列で観ると、ある時点から、精神の変調の兆しが見て取れる。
 年次を経るごと、次第におかしくなる。
 どんどん妙になる。
 具体的な人物などを描いても色使いが異常で、しかも消失点がない。
 見ていて落ち着かなくなってくる。
 その原因が何なのか、私には謎だったが、母がガンの手術で入院したとき、台所の引き出しに統合失調症の薬を見つけ、思わず溜息が出た。
 社会的不適応、統合失調症、そしてアルコール依存症。
 適切なケアを受けられなかったギフテッド(天才児)の、典型的な転落人生である。
 ギフテッド(天才児)は、勉強が出来るからといって放っておいていい存在ではない。
 今流行りの「発達障害」のようなもので、その子にあった適切なケアが必要なのである。
 母も、もし若くして家庭の経済を担わされず、経済的な余裕があったなら、間違いなく京大に進んでいただろう。
 戦後の一時期、京大はアファーマティブ・アクションで女子学生を推薦で受け入れていたから。
 男なら東大、という噂の立つような女子を学校が推薦しないわけがない。
 実は、私の知人には、戦後のアファーマティブ・アクションで京大に入った女性が何人かいる。
 もっとも、彼女等のその後の人生が幸福だったかと言えば、そうも言えないのが残念で仕方ないのだが、母よりはずっとマシなのは京大卒という肩書きがあったからだと思う。
 ギフテッドに必要なのは周囲の理解と親の経済力、しかしこればかりは当人が望んで得られるものではない。
 要するに運が良ければ逸脱しない、と。
 運が良ければノーベル賞、そうでなければ失調症か依存症。
 ギフテッドを巡るこの状況は、今の日本でも全く変わってはいない。
 さて、母は硬膜下血腫での手術後、認知症が一時悪化して、私のことを歳の離れた弟だと思い込み、
「私たちゃ、エライ歳の離れちょるち、思わんかい。父ちゃん母ちゃん頑張ったつね」
 と、いたずらっぽく穏やかに笑うのだった。
 私も合わせて笑った。
 これが10年ぶりに訪れた、親子の静かな談笑の時間だった。
 病院から帰り、一人になると、なぜか泣けてきた。
 それから少し回復し、私のことを息子だと認識できるようになると、退院したら日田のホールを借りて自分の絵をところ狭しと飾り、ダンスパーティをしながらオークションをするのだと、夢の計画を楽しそうに語るのだった。
 もちろん、そんな計画が実現するはずもない。
 そもそも母の企画に誰が来るというのだ。
 若い頃から、何かイベントを企画し、宣伝し、それでも人が集まらず、招待したのに来ない人々への悪態をつきながら浴びるように酒を飲む。
 教員を辞めて小料理屋を始め、失敗し、父の喫茶店を拡張し、それでも思ったほどの売り上げはなく、他人の不義理を恨みながら浴びるように酒を飲む。
 この次こそ、この次こそと失敗を重ね、借金を重ね、父の言う「事業病」の母は呆けてなお健在だった。
 ああ、ギフテッドの末路。
 私は穏やかに肯き返していたが。
 9年前、母が肺炎になったと聞き、まだ生後二ヶ月の息子を連れて日田に帰った。
 待望の初孫との初対面である。
 肺炎で意識は混濁していたが、息子を見せると、抱こうとして両腕を上げた。
 それだけで力尽き、両腕は肘からベッドに力無く落ちて、初孫を抱くことはかなわなかった。
「かわいいやろ」と聞くと、
 顎が頷いた。
 その二日後、帰らぬ人となった。

 
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2017年09月14日

伊佐山紫文

『神戸事件始末 瀧善三郎の最期』の本公演が迫ってきた。
 もう明後日である。
 昨日はゲネでなんとかやれるような感触を得た。
 コープこうべさんにお買い上げ頂いてから半年、本当に色々なことがあった。
 本当に長い半年だった。
 生活文化センター35周年の記念企画として、冠に恥じない舞台にしたい。
 と言っても、具体的に出来ることは私にはもうなくて、ただ祈るばかりである。
 実際、肩書きの「演出」とは名ばかり、演技指導の渡部先生が稽古を付けるのを横で見ているだけ。
 もちろん、こんな私でも、若い頃は普通に「演出」もやった。
 けれど老眼が進み、手元の台本と演技とを両方一緒に見ていられなくなって、演出は諦めた。
 もう台本の方に特化する、と。
 その台本もシンプルなもの、背景や衣装の指定もない。
 指定したってそれを現実に用意できるとは限らないし。
 つまり「言葉」に特化します、と。
 そもそも「言葉」と「映像」では使う脳の部位が違う。
 素晴らしい脚本を書くシナリオライターが、必ずしも素晴らしい映画監督になれるわけではないのは、結局、使う脳の部位が違うからで、だからこそ脚本も手がけて名作を作る監督は巨匠と呼ばれ、尊敬を集めることになる。
 いや、両方なんて私には無理ムリ無理。
 そりゃ若い頃は映画も撮りたかったよ。
 早い時期にデジタルカメラも買ったし、有名なプロデューサーから個人的なオファーを受けて舞い上がったこともある。
「一緒にやろうよ、映画なんて簡単なものだから。カメラこっち、目線こっち、でつなげればいいんだから。舞台よりよっぽど簡単だよ。(イサヤマの)原作は物語がしっかりしてるし、これは成功するよ。なあ、やろうよ」
 けれど、けっこう有名なそのプロデューサーと、これまたそれなりに有名な別のプロデューサーと飲む機会があり、そのときの借金自慢の話を聞いて、完全に諦めた。
「で、お前、今、借金いくらくらい?」と、それなりに有名なプロデューサー。
「知らねえよ」と、けっこう有名なプロデューサー。
「知らないってことはねえだろ、自分の借金なんだし」
「自分のじゃねえよ。会社の借金だよ」
「返すのはお前だろ」
「借金も、もう1億を越えてきたら、返す気もなくなってくるんだよな」
「1億!」
「今じゃ、もっと増えてると思うけど」
「いや、たった1億かよ、オレはもっと……」
 ここでたまらず、私が半畳を入れた。
「どこの銀行がそんなに貸してくれるんですか?」
 二人口を揃えて、
「銀行じゃねえよ!」
「じゃあ、どこが?」と私。
「そもそも、銀行がなんで「シャシン(映画)」なんかに金出すんだ。全部、知り合いからの借金だよ。会社員や公務員の友達から、ボーナスのたびに10万とか、毎回百人くらいから借りて、そんなのが何十年も積もり積もって、億って話だよ」
「たまにヒットしたって、借金返すより、次の作品につぎ込んじゃうしな」
「そうそう、友達からの借金は後回しになっちゃうんだよな」
 ここでまた半畳。
「友達、なくしませんか?」
「金のことで友達じゃなくなるやつは、最初から友達じゃねえんだよ」
 見事と言うほかない。
 見事と言うほかないが、私が知っていた角川映画の世界とのギャップに仰天して、ちょっと恐ろしくなって距離を置くようになり、そのうち訃報が届いた。
 葬儀はテレビや映画でよく見る有名人も多数いて、また「友達」だと思われるサラリーマン風の会葬者も百人以上、まさに故人の遺徳を偲ばせるものだった。
 しかも愛人の子供と本妻の子供の談笑風景まで!
 億の借金を作りながら愛人って……
 つくづく「シャシン(映画)」には関われんと思った。
 それでも、このプロデューサーと組んでいたら、と、ふと思うことがある。
 案外、撮った映画が大ヒットして、大金持ちになってたかも。
 芦屋の六麓荘の豪邸に住み、朝からシャトーブリアンを貪り、食後は10頭くらいいる犬と戯れ、昼はシャンパン、軽く昼寝して、夜は新地で豪遊……
 スミマセン、妄想はこのくらいにして、明後日の公演の成功を静かに祈ります。

  
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2017年09月13日

伊佐山紫文57

 テレビの健康番組で、睡眠不足、というか、その番組的には「睡眠負債」のことをやっていて、息子が観たいと言うから途中まで一緒に観た。
 まあ、しっかり寝ましょうね、という普通の結論。
 睡眠が足りてないとガンになったり認知症になったりイライラしたりするんだと。
「認知症って何?」って聞くから、仕方なく、こんな感じだと。
「おお、ユキコさん、朝ご飯まだかな、え、まだ食うとらんがな、もう食うたって? そんな嘘言うたらあかんで。はぁ、なんでそんな1時間前に食べたとか、そんな嘘つくん? 年寄りを虐めたらあかんて、それ虐待言うんやで、はよ朝ご飯……」
「もういい」
 で、翌朝、ポケットティッシュをズボンから出し忘れた息子のせいで、洗濯物全体がティッシュまみれになるという大惨事が起き
「なんで出し忘れるんだよ!」と激怒すると、
「お父さん、キミ、睡眠が足りてないんじゃないの?」
 ……まあ、確かにね。
 でも、それも、お母さんとお前とをしっかり職場や学校に送り出すために、ひとり早起きしてるからですよ。
 ちゃんと圧力鍋でご飯を炊いて、おかずを整え、味噌汁もいりこで出汁をとって作り、自家製のヨーグルトやなんやも出して、その前にお母さんのお弁当ってことになると朝5時起きになるんだよ。
 とか言ってたら、大雨・洪水警報が出て、自宅待機。
 まあ、仕方ない。
 妻を送り出し、息子は午前中は電子機器は禁止、公文をやらせていたら、
「公文が終わったら、何をするの?」
「そりゃ、もし全部終わったら、その時点で電子機器禁止解除かな」
「おぉっ! やるぞっ!」
 で、見たことのない猛烈な速度で公文をやり出して、いつもなら一日かけてやるような課題が、十分も経たず見る見る減って半分にまで!
 ところがここで大雨・洪水警報が解除、登校することに。
「最悪だぁ」とか言いながら出て行った。
 息子の電子関連以外の関心は今、健康や食生活にあって、これでは回りの子供たちと話題が合わないだろうと不安になるが、当人は至って平気で、親しい友人以外のクラスメートの名前を憶えていなくても平気の平左、付き合いがないからいい、と開き直っている。
 昨夜の「睡眠負債」番組も「ノートをご用意下さい」と言われれば半ばパニクって裏紙と鉛筆を準備し、真剣に視聴して自分の睡眠の質を検討している。
 まだ小4の9歳児にして、まるで自身の健康を気遣う中年の健康オタクである。
 1年前には大親友と言っていた友達も、向こうは普通の男の子らしく野球やサッカーにのめり込み、すっかり疎遠になって、クラスも違うし、もう口もきかないんだと。
 で、こっちは健康やグルメにはまる、と。
 もう4年生になったんだし、子供用じゃない、本当の包丁の使い方を教えろ、と。
 少し前は、将来はレストランのオーナーになると言っていた。
「お父さんの料理のスキルがあれば、流行ると思うんだよね」
「で、お前は何をするの」
「メニューを考えたり」
「どんなメニューを?」
「やっぱりキーワードは『健康』だと思うんだよね」
 お父さんもそう思う。
 こんどの大阪万博が実現したら、そのテーマは「健康」になるらしいし。
 でもね、普通に健康な男の子は健康のことなんか考えないもんだと思うぞ。
 健康のことを考えるより前に、スポーツに打ち込んで健康になるものじゃないか?
 なんでこんなことになったのかな。
 まあ、私もスポーツは大嫌いだったし、NHK「きょうの健康」を毎日観てるような子だったし、仕方ないか。
  
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2017年09月12日

伊佐山紫文56

 もうずっと、何十年も、冬期の脚の肌荒れに悩まされてきた。
 夏が終わるくらいからポツポツと腿に発疹が出始め、それが繋がり、冬にはあちこちがズル剥けになる。
 いっぽうで息子の肌荒れもひどく、皮膚科にはずっと通っていて、これは遺伝か? と諦めかけていた。
 アトピーかも知れぬとパッチテストも受けさせたし、よく分からぬままにドクターショッピング状態になり、近所に新しく皮膚科が出来ればそこにも連れて行った。
 で、はじめて「お風呂の温度は40度までにして下さい」と言われ、ハタと気づいた。
 私も息子も体を洗いすぎなのではないか?
 息子を不潔にしてはいけないと思い、赤ちゃんの頃から入浴時には石けんで丁寧に洗っていたし、私自身ももちろんである。
 もしかしたらこれが原因かもしれないと思い至り、体を洗うのを止めてみた。
 息子も自分で洗うようにさせ、もちろん全く洗えていないから、洗わないのと同じである。
 洗剤を使うのは腕と脚のつけ根だけで、最初は少し抵抗があったが、慣れてくればむしろ楽である。
 全身を洗うのは日曜だけ、石けんの使用量はもちろん少なくて済む。
 こうして半年以上が過ぎ、私も息子も、肌荒れは完治した。
 秋口から出始める発疹も、今年は全く出ていない。
 間違いなく、私や息子の肌荒れは、洗いすぎが原因だった。
 考えてみれば、人間の皮膚は、常在菌が皮脂を分解して作った有機酸によって守られている。
 その酸を弱アルカリ性の石けんで毎日洗い落としていれば、それは当然皮膚の防御機能の毀損をもたらすだろう。
 そもそも皮脂を石けんで落とすこと自体、常在菌のエサを奪うのと同じである。
 エサがなければ常在菌も生きていけない。
 常在菌が減れば、有機酸も減る。
 減った有機酸を石けんが洗い流す。
 皮膚の防御機能はいっそう毀損していく。
 こうして肌が荒れる。
 荒れた肌を不潔にしてはいけないと、さらに洗う。
 洗えば洗うほど、皮脂や有機酸や常在菌は減っていく。
 こうしてもっと肌が荒れていく。
 この悪循環が冬の間、ずっと続くというわけだ。
 まったく「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と『論語』にも言うではないか。
 もっとも、この言葉のもとの意味は、普通に知られているよりも辛辣で、物事ではなく弟子の性格を比較したもの。
「出しゃばりはオクテよりタチが悪い」
 と言った感じ。
 とはいえ、まさに、
「洗いすぎは不潔よりタチが悪い」
 のは事実のようだ。
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2017年09月12日

伊佐山紫文55

 流行歌(はやりうた) 

 天高く
 風の澄みわたるこの季節
 いつもあの歌を思い出す
 愛を歌う流行歌

 それは消えた愛を嘆く歌
 陳腐なメロディにのった
 ありふれた言葉の
 安っぽい流行歌

 それでもあのとき
 一面に広がる緑の高原を走り
 青い風に髪をなびかせて心中に聴いた
 消えた愛を嘆く歌

 少年はあの歌で心の何を埋めようとしたのか
 高原の湖のほとりを風のなか空へと泳ぎながら……
 風が澄めば今でもふと心中に流れる
 とっくに忘れ去られた流行歌

   
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2017年09月12日

伊佐山紫文54

 息子が突然、
「化学調味料って体に悪いの?」
 これが20年前なら、
「悪いよ。とりすぎると中華料理症候群っていって云々」
 などと、あることないこと、ナイコトないこと吹き込んだのだろうが、今はもうそんな世界から脱却したから、
「そんなことないよ。大丈夫」
 で、二の矢が来た。
「だったら、なんでうちは使わないの?」
「理由はないけど……」
「理由はないんだ」
「まあ、化学調味料を使うとみんな同じ味になるのがいやかな」
「一度、使ってみようよ」
「やだよ。そっちの方が美味しいってなって、化学調味料がないといやだ、なんてなったらやだ」
「中毒になるってこと?」
「なるかも知れないってこと」
「ふうん」
 普通に食べるインスタントラーメンやレトルトカレー、それからカレールーにもたっぷり化学調味料は入っているから、完全に拒絶しているわけではないのだけれど、なんとなく抵抗がある。
 基本的な調味料、醤油や味噌は無添加のものを使っているし、加工食品を買うときにも「アミノ酸など」の表記があると避ける。
 だから豆板醤は味の素のものを使うことになる。
 豆板醤は輸入物以外、たいてい「アミノ酸など」が入っているのに、不思議なことに味の素だけは化学調味料を使っていないのである。
 この豆板醤で作った四川風のラー油はあらゆる料理に重宝する。
 生姜、ニンニクをフードプロセッサーを使ってみじん切りにし、ゴマ油で豆板醤と炒めて作る。
 ラーメンにも合うし、特に麻婆豆腐には欠かせない。
 麻婆豆腐を作っても息子にはまだまだ激辛は無理だから、大人の分だけこの自家製のラー油をあとで足すことになる。
 作り方は簡単、うちの手抜き料理のひとつ。
 生姜とニンニクは刻んで米油、そこに豚ミンチと味噌を加え、パラパラになるまで炒める。
 ここに刻んだネギやニラを入れてすこし炒め、出汁を張る。
 出汁は熱湯に煮干し粉を振り入れた簡便なもので。
 豆腐を投入し、沸騰したら片栗粉でとろみを付け、ゴマ油をさっとひと振り。
 これで出来上がり。
 辛みは自家製ラー油と挽き立ての山椒で。
 もちろん、化学調味料は使わない。
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2017年09月10日

伊佐山紫文53

 息子に持たせた夏休みの課題が帰って来た。
 ほとんど私が作ったものだが。
 まあ、子供の宿題なんてのは親に出されたものだと考えなきゃいけないからね。
 とはいえ、夏休みの課題には苦い想い出がある。
 読書感想画というヤツで、なんでこんなのをみんなに描かせるのか意味が分からない。
 小学生ならば、こんなのは親が描くに決まってるのに。
 あれは小学校4年生の夏だったか、母親が妙に、と言うか、普通に入れ込んで、ほとんど彼女一人で書き上げた。
『ファーブル昆虫記』のスカラベ(フンコロガシ)の章。
 私の母親と言えば、日田の誇る抽象画家・宇治山哲平氏が「貴女に匹敵するのはミケランジェロくらいだ」と絶賛したデッサン力の持ち主である。
 おそらく映像サヴァンに近いギフテッド(天才児)だと思う。
 それが本気で描いたのである。
 恐ろしいくらいのスカラベの絵が出来上がった。
 で、あるとき、私の美術の時間に、教室にゾロゾロと先生方が入って来た。
 そして私の絵を覗き込み、口々に何やら話し込むのである。
 たしか、運動会の絵を描いていた。
「イサヤマ君は、人間の絵は得意じゃないのかな?」
「は、はあ」
 みたいな感じ。
 あとで聞けば、その日、読書感想画の審査会が私の通う小学校で行われていたらしく、私の絵を観た審査員たちが、天才少年現る! みたいな感じになり、しかもその少年が今、絵を描いている、見に行こう、みたいな盛り上がりでやってきたらしい。
 で、凡庸な、というか下手くそな絵を見て、一同ガッカリしたってわけ。
 それでも市の金賞か何か、とったと思う。
 母は大喜びだったが、なんともはや。
 これ以後、しばらく、私には、絵の天才少年というレッテルが貼られた。
 あれは何年生だったのだろう、父兄会で自分の描いた絵を説明することがあり、私は全くふざけて、
「形而上学的焦燥感の限界的表現です」
 と、その当時ハマっていたマンガの台詞を言ったのだが、全くウケず、教室は静まりかえり、おずおずと手を挙げた誰かのお母さんが、
「それはクジラですか?」
 と聞いてきた。
 天才の見解を求めてきたのだ。
 それに答えて、幼い私が、
「いえ、ナマズです」
「ナマズですかぁ」
「はい、これがヒゲです」
 もう、意味が分からない。
 まあ、なんとも意味不明な少年時代を過ごしてきたものだと思う。
 
 
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2017年09月10日

伊佐山紫文52

 この間出演したラジオの録音CDを聞いて、なんてひどい声だと少し落ち込んだ。
 夏の間、昼食後、氷を入れたトマトジュースを飲み、その氷をかじった、そのせいで声帯が痛んでいたのだろう。
 ガラガラ声で、聞くに堪えん。
 一緒に聞いた妻はそんなことはないと言うが。
 なんにせよ、これから人前で喋ることも増えるかもしれないし、節制せんとあかんな。
 25年くらい前、まだバリバリの若手で、やり手で、フリーのライターとして売り出し中の頃は、週に何度も講演をやり、対談をやり、インタビューもやり、なんだかんだと声を使っていた。
 それでよく喉を痛めた。
 全く声が出なくなったこともあった。
 今思えば、あれはストレスが原因かもしれない。
 とにかく仕事を断ったら終わりだと、来る仕事は全部うけた。
 その一方で、日銭稼ぎではない、本当の仕事もやりたいと思っていた。
 日々焦れて、結局、すべての仕事を断り、やりたい仕事に専念した。
 バカバカしい話だが、ずっと構想していた、女性解放思想史、文学史、法制度史を総合した日本近代思想史にマジで取り組んだ。
 2年間、本の虫になり、その後、ひと月足らずで書き上げた。
 これは勁草書房から上梓され、実はこれをひっさげて論壇に殴り込みをかけるはずだった。
 ところがそこで起きたのが阪神淡路大震災である。
 大学の非常勤講師の話も吹っ飛び、数年間のブランクの後、仕事がむこうからやってくるはずもない。
 営業しようにも妙な箔がついてしまっていて、いまさら使いっ走りに使ってくれるところもない。
 途方に暮れていたとき、知人を通じてやってきたのが舞台の仕事。
 声楽グループとリュート、それに一人芝居を組み合わせたもので、今思えば夙川座の原点のような仕事である。
 会場も夙川の教会だった。
 舞台の仕事はその5年くらい前に脚本と演出をやったことがあるくらいで、自信があるわけではなかったけれど、とりあえず本気で取り組んだ。
 けれど、これが、出足で失敗した。
 テーマが、今流行りの「不倫」。
 女声の猛反発で上演不可能となった。
 代わりに与謝野晶子の歌と物語を組み合わせた「祇園一夜」という作品を作り、これは新聞にも取り上げられ、大盛況で幕を下ろした。
 新聞に出たくらいで会場が大入り満員になる、良い時代と言えば良い時代だった。
 今、もはやマスコミの力も消え失せ、さりとてネットもSNSもまだまだ力無く、いったい人を集めるのにどのような手段が有効かと、模索の日々が続いている。
 結局、声をからして呼びかけ続けるしかないのかな、と。
 節制しなきゃ。

 
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2017年09月08日

伊佐山紫文50

 フルタイムで働いている妻から電話で「今日も残業」と知らされ、
「え~勘弁してよ」と漏らすと、9歳の息子がすかさず、
「お母さん、不倫したの?」
 い、いや、そうじゃないけど……
 9歳にもなればいろいろ分かってくるんだな、と思う。
 いやいや、気をつけなければ。
 子供は敏感なもので、私も父母のただならぬ関係には気づいていた。
 父は再婚で、前の妻との間に二人の子供がいた。
 今風というか、少し古い言い方かもしれないが、いわゆる略奪婚である。
 これは田舎町である日田ではけっこうな話題になった、らしい。
 そのことは二人の死後、あちこちで聞かされた。
 死後、というのが味噌で、生きている間は一度も聞かされたことはない。
 雰囲気だけ、ビリビリと。
 父の再婚のことも、決定的に知ったのは、認知症になり、後見人を定めるために戸籍を確かめてからである。
 それなのに、それを知る前に、同じような設定の、ステップファミリーを描いた処女小説を上梓していたのだから、無意識というものの恐ろしさよ。
 父は17で詩壇にデビューし、18で結婚、子供を得た。
 まだ高校生である。
 戦後の混乱期とはいえ、これだけでも破格、ムチャクチャである。
 それからすぐ大学へ進み、中退し、さらに子を作り、そして破局、再婚。
 これが田舎町で話題にならぬわけがない。
 そのような両親のもとに生まれ、そのような街で育ったのが私である。
 ただならぬ雰囲気は生まれた時から感じていたし、実際、ただならぬ事件は何度も起きた。
 詳細は省くが、とにかく普通の家庭ではなかった。
 今でも夕暮れ時、家々に灯るあかりを見ると、少年の頃の切なさが甦る。
 なぜ自分の家にはこんな懐かしいあかりが灯らないのだろう、と。
 父は戦後からずっと共産主義を奉じ、ソ連(ロシア)を崇め、共産党の活動家として、家を顧みることなく、党の活動に打ち込んでいた。
 無職者に生活保護申請させてその金から党の機関誌代を払わせる、今で言えば貧困ビジネスの一種で、その日田での理論的指導者を気取っていた。
 もちろん、自分の懐には一円も入らない。
 それでも上から「何部拡大」と言われれば甲斐甲斐しく努力を重ねる。
 基本的にお人好しなのである。
 それでもやっていることはヤクザと同じだから、シマが重なれば衝突もあったのだろう。
 脳を病んで入院した後も「130人のヤクザが病院を取り囲んでいる」という妄想に取り憑かれ、見舞いに来た私の耳元でそれをしつこく囁き「気をつけて帰れ」と付け加えるのだった。
 家の郵便受けには得体の知れない新左翼の機関紙が溢れ「闘争」だの「革命」だの「赤色テロルの嵐」だの「何人粛清」だののオドロオドロしい見出しがこぼれていた。
 そのような機関誌は父の属していた左派系の文学者の組織「新日本文学会」の名簿から送りつけられてきたもので、共産党員だった父は読まず、陽に焼けるままほったらかしにされているのだった。
 共産党と新左翼との差異など子供に分かろうはずもなく、とにかくこの世は地獄であり、滅びの道を突き進んでいて、その破局を止めることができるのはただ「革命」のみであると、それだけはしっかりと理解した。
 そして共産党と新左翼の差と言えば、その「革命」への手段が違うだけで、いざとなればみな団結して戦って勝利するのだと。
 で、その時、「革命」の側についていなければ殺される。
 絶対に殺される、と。
 恐ろし~
 だから早く「革命」の側についとけ!
 子供の理解などそんなものなのだが、その理解がその後の人生をガッツリと方向付けてしまったのだから、まさに恐ろし~
 もちろん私は父ほどお人好しではなかったから、すぐに目は覚めたが。
 それにしてもテレビで毎日毎日「不倫、不倫」うるさいんだよ。
 ただの残業が「不倫」に化けるんだぞ!
 少しは子供の教育ってことを考えて番組を作れ。
     
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2017年09月07日

伊佐山紫文51

 しんとせし心の痛み(平成二十九年、水害にて鉄橋の流されし花月川の半世紀前の光景)
 
 秋の長雨に
 そぞろしも心遠く
 眺めやる景色
 うたてしや幼き日
 浮かびては消え
 消えては浮かび
 あるかなきかの
 しんとせし痛み

 あれはいつの幼き日ぞ
 川原には風光り
 春の陽は水面にさざめき
 若き日の母は濁りなき笑顔もて
 土手の上に手を振る若き父を
 大声に呼ばんとするにはあらずや
 父の手には甘き洋菓子ありて
 それを我にくれんとて
 大声もて腕を振るにはあらずや
 澄みわたる青空のもと

 そはあまりにもさいわいにすぎ
 心に封じぬ
 ひとたびそを放たば
 そは奔流として我が今を流し去るべし

 幼き我はそを心の底に沈め
 かつてありし景色とて
 時折こころに浮かべ
 舐めんがごとく味わいぬ

 いつしか父は去り母も逝き
 かの景色は永遠の幻となり
 我今しんとせし痛みを
 心に解き放ちぬ
 
 風光る川原
 水面にさざめく春の陽
 濁りなき笑顔の母
 そして洋菓子もて土手を駆け下る父

 しんとせし心の痛みを
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2017年09月07日

Monitoring


 

ABOUT SHUKUGAWA-ZA

We, Shukugawaza create many classical music dramas,all besed 
on the Jpanese classical story. 

 For example'Taketori story' ,'Heike story'and 'Genji story´.

Especialy, `Sonezaki Shinju´, a love story that was written at 350 years ago.

We came to life again this drama  in the modern classical music.

Our singers are very popular in Japan.

Although our dramas paformed in Japanese, we are sure that you will enjoy our 
paformance. 

We hope that you enjoy our drama and your mind can be refreshed.


ABOUT OUR PLAY 

Chikamatsu Monzaemon is said to be Shakespeare of Orient, and created many plays.
 
Among them, a popular work is "Sonezaki Shinju" .
 
 In Japan over 350 years ago from now, there was a young lady working in a harsh
 environment as a prostitute.

Her name was Hatsu.
 
She fell in love with her familiar customer seriously.

His name was Tokubei.
 
 And lovers who despaired at their fotune died together.
 
A prostitute who found hope in deciding herself to death with a loved one 
rather than continuing unreasonable and unwilling lives.
 
Beyond right and wrong, it sounded to the hearts of those people as one of
 the subjective way of life.

In Japan, choosing death together is called "shinju", and the incident which became
 a model of this story was actually Osaka.
 
There is a shrine comforting these two people in Osaka city of Japan, it is said
 that love comes true if you refer.

Tsuyuten shrine is still called Ohatsu tenjin in Osaka.
 
We will show you this story in a music drama.

WHEN: 21th Oct. 2017 (SAT.)

WHAT TIME: Start 15:00 (Opening 14:30)

WHERE :MURAMATSU RECITAL HALL( in SHINOSAKA)
ADDRESS: SORA SHINOSAKA 21 BLD.
NISHIMIYAHARA 2-1-3, YODOGAWAKU,OSAKA-CITY

ORGANAIZER: SHUKUGAWAZA TEL:0798-55-8297




ABOUT
BOOKING METHOD AND PAYMENT,QUESTIONNAIRE REQUEST


We would like people of foreign tourists to watch this music play.
 
We would like foreign guests to watch this music play as a monitor and respond
 to the questionnaire.
 
We hope to make a better system by referring to the result.
 
Foreign guests as monitors, entrance fee of 1500 Japanese Yen per person.

 A souvenir is attached to the admission ticket.
 
Please make a reservation to the Japanese of the introducer.

On the day, at Muramatsu recital hall, please pay with cash at reception.

At that time, please let us know the name of the introducer.
 
We will hand out a questionnaire form at the reception desk.

Please fill in the questionnaire after finishing watchingand submit it
 to the reception after the show.


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【演奏会のお知らせ♪9件】
おひさしぶりです。不器用ゆえ目が回りそうな毎日ですが、充実した日々を送れることに感謝感謝です。やはり秋はコンクール伴奏ラッシュに加え演奏会もいっぱいです!ということで、とりあえず一般公開のコンサートで確定しているものをご案内させていただきます。(チラシが全然揃ってなくてごめんなさい・・追々載せていきます)ご予約は随時承っております。

★9月16日(土)15:00〜
会場:コープこうべ生活文化センター
出演:谷村悟史(T) 栢本淑子(S) 門谷正理() 野口麻衣(S) 浅川文恵(S) 白藤望(Pf)
料金:前売2700円
曲目:シューベルト/白鳥の歌 他

★9月26日(火)19:30〜&21:30〜
会場:ピア・ジュリアン
出演:三浦裕梨香(Vn) 白藤望(Pf)
料金:2100円+お飲み物
曲目:サン=サーンス/ヴァイオリンソナタ第1番、ロマンス、モーツァルト/ロンド、ブラームス/スケルツォ、ショパン/エチュードop.25-1.12

★10月18日(水)12:15〜
会場:けいはんなプラザ
出演:加茂夏来(Vn) 白藤望(Pf)
料金:無料
曲目:フォーレ:ヴァイオリンソナタ第1番

★10月21日(土)15:00〜
会場:ムラマツリサイタルホール新大阪
出演:森井美貴(S) 谷浩一郎(T) 陰山裕美子(S) 砂田麗央(Br) 浅川文恵(S) 白藤望(Pf)
料金:前売5000円
曲目:プッチーニ/蝶々夫人 トゥーランドット 他

★10月29日(日)14:00〜
会場:レ・ヌーヴォレ
出演:加茂夏来(Vn) 白藤望(Pf)
料金:前売2500円
曲目:モーツァルト/ロンド、モーツァルト/ヴァイオリンソナタk.304、ヴィターリ/シャコンヌ、ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏、フォーレ/ヴァイオリンソナタ第1番、サプライズ

★11月11日(土)14:00〜
会場:兵庫県立美術館 アトリエ
出演:農頭奈緒(Vn) 白藤望(Pf)
料金:無料
曲目:ショーソン/詩曲、ベートーヴェン/ヴァイオリンソナタ第4番、サン=サーンス/序奏とロンド・カプリチオーソ 他?

★11月12日(日)14:00〜?
会場:東横イン 姫路駅新幹線南口
出演:農頭奈緒(Vn) 白藤望(Pf)
料金:1000円(軽食付き?)
曲目:未定(クラシック)

★12月23日(土)19:00〜&20:00〜
会場:ホテル北野プラザ六甲荘 宴会場
出演:今田聡美(Fl) 深江亮太(Fl) 白藤望(Pf)
料金:?円(クリスマスディナー付)
曲目:未定(クリスマスソング、クラシック他)

★1月17日(水)20:00〜&21:30〜
会場:サロン・ドゥ・アヴェンヌ
出演:加茂夏来(Vn) 片岡あづさ(Vc) 白藤望(Pf)
料金:4000円(1ドリンク1プレート付)
曲目:アレンスキー/ピアノ三重奏曲第1番、ヘンデル=ハルヴォルセン/パッサカリア、ヴィターリ/シャコンヌ、ブルッフ/コル・ニドライ

長文読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
沢山の方々に聴いていただけると幸いです!
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2017年09月05日

伊佐山紫文49

 昨日、ラジオ関西の「三上公也の情報アサイチ」に出演してきた。
 出来は心許ない。
 どうしても『神戸事件始末 瀧善三郎の最期』の紹介に熱くなりすぎて、来年の企画「六甲山」を説明する時間がとれなかった。
 それでも浅川社長歌唱の「さらば神戸」と「日田の児(こ)」を流せたのは収穫だった。
 実は、ラジオ出演は嫌いではないが、私のラジオには恥ずべき過去、忌まわしい、消し去りたい黒歴史事件がある。
 その黒歴史事件を境に、私は「マスコミ・ドロップアウト」した。
 あれは今を去ること20年以上、忘れもしない阪神淡路大震災のちょうど一年前、私はNHKラジオの討論番組に出演した。
 伊丹を発ち羽田空港からタクシーで直接NHKに乗り付けて、打ち合わせも何もなく、出演者が誰なのかも知ることなく、いきなり生で討論である。
 こういうライブ感溢れる番組も嫌いじゃないが、メンツをもっと厳選して欲しかった。
 いるのかいないのか分からない弁護士、超・上から目線の解説委員、そして誰かの代役で、まだ30台前半、エッジの効きまくった私である。
 ひな壇には他に数人いたはずだが、全く憶えていない。
 まず司会が悪かった、と思う。
 討論のテーマについて無知すぎ、ディテールについては全て私が解説することになった。
 そこに上から目線の解説委員が、シロウトのくせに生意気な茶々を入れてくる。
 専門家として呼ばれた弁護士は黙ったまま。
 当たり前だ。
 弁護士ではあっても、この問題についてはシロウトなのだから。
 これより何年か前、この弁護士がその問題について聞きたいと言って連絡を取ってきたことがあり、上京した折にレクチャーした。
 この問題でちょっとマスコミに出るようになったとはいえ、だからといって私を差し置いて発言するわけにはいかなかったのだ。
 私がそもそも番組に出たのは、その年に上梓すべき本の宣伝が出来ると思ったからで、解説に追われて宣伝も出来ない上に、何にもわかってない解説委員に絡まれて、さすがの私もだんだん苛ついてきた。
 解説委員も次第に不機嫌になり、言葉が荒くなってくる。
 私は苛つくと感情的になるのではなく、理詰めが激しくなる。
 この時も手加減一切なし状態になった。
 理論で押さえ、知識でやり込め、ここぞとばかりにとどめを刺しに振りかぶるっ!
「お前、このやろうっ!」
 と解説委員がキレて叫んで、時間切れ、放送終わり。
 明らかな放送事故である。
 放送を終えた直後、それまでまったく挨拶もしていなかった見知らぬ若い女性が寄ってきて、NHKの玄関でタクシーに乗るまでずっとエスコートしてくる。
 私の機嫌を損ねないようにか、見え透いたおべんちゃらばかり言いながら。
 これはおそらく、私が番組外で他の出演者と事故るのを怖れてのNHKの措置で、まるで狂犬扱いで不快だったが、ここでキレて事故を起こしては本物の狂犬に他ならぬ。
 大人しくタクシーに乗り込み、ホテルまで一直線。
 放送を聞いていた知人に電話してみると「感じ悪かった。もうお前と知り合いだと思われたくない」。
 温厚な解説委員を冷酷な私が追い詰め、ついにキレさせたように聞こえたらしい。
 今思えば、私は完全に、老獪な解説委員の策に落ちていたのだった。
 それまで出演したラジオはおおむね好評だったので、NHKの全国放送への出演が決まってからというもの、私は知人という知人に放送時間を知らせていた。
 当然、その知人という知人にはマスコミ関係も含まれる。
 結果、この放送事故はちょっとした語りぐさとなり、以来、テレビもラジオも出演依頼は一切、来なくなった。
 まあ、温厚な解説委員を怒らせてキレるまで追い込むような、いつ事故を起こすか分からん残虐非道で冷酷無比な狂犬、しかも代わりはなんぼでもいるのだから、当然と言えば当然である。
 畏るべし老獪な解説委員、気に食わぬ新進の評論家の潰し方など自家薬籠中のもの、お茶の子さいさいなのであろう。
 なのに「マスコミ・ドロップアウト」などと、格好の良いことを言って気取る甘さは救いようがない。
 依頼が絶えたらそれはただ「干された」のであって、自らの意思での「ドロップアウト」ではないのだよ。
 まったく。
 で、さて、もうそろそろ、テレビやラジオに復帰しても、いいかな?
「いいとも!」
 と、言って欲しいなぁ。
 今度は大人しく真面目に仕事するよ。
 老獪というような歳になったし、色々と、もう大丈夫だと思うからさ。
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2017年09月04日

伊佐山紫文48

 私の記憶では、日田の秋は大原八幡の放生会に始まる。
 参道には露店が並び、たこ焼きやトウモロコシの焼ける匂いが漂い、妖しげな演し物の小屋が建ったりする。
 おそらくは仏教の殺生戒に由来する、金魚すくいや鯉釣りの露店も多く出て、幼い私も楽しんだものだった。
 神仏習合の見本みたいな祭だった。
 もう15年も前になる秋、母がガンになって、入院その他の手続きのために帰ったとき、大原八幡に参った。
 裏から自転車で昇り、大晦日以外ではほとんど来たことのない本殿の前に立つと「あれ?」と思った。
 関西で様々な寺社を見てきた目には、なんともつましい本殿だった。
 高校まで、いや、大学に通ってからも、帰省していれば、大晦日の夜には必ず通っていた大原八幡である。
 初詣の参拝客の中を泳ぐようにしてたどり着いた本殿はいかにも雄壮できらびやかで、我が日田の誇りだった。
 あの大原神社が、これか?
 少しガッカリして、それでも境内をうろつき回った。
 大江匡房(おおえのまさふさ、ごうのそつ)の筆になる額が目に入ったのはこの時が初めてだったのではないか。
 百人一首では前中納言匡房として知られ、
「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり とやまの霞 立たずもあらなむ」
 の歌がとられている。
 この匡房と白拍子の間に生まれた子を主人公とした戯曲を、数年後、書いた。
 これは上演されることはなかったが、戯曲集には入れた。
 相撲の神様として知られる日田どん・大蔵永李(おおくらながすえ)との宿命の対決を描いたもので、仏教的な無常観をベースに『梁塵秘抄』の歌をちりばめた、夙川座では絶対に上演不可能な、素晴らしく豪華なミュージカルである。
 それはさて、私がいた頃はまだ天領祭は行われておらず、大原八幡の放生会が終わると日田の秋は一気に深まり、初雪と霜の冬が訪れるのだった。
 地球温暖化など信じてはいないけれど、昔は大晦日の参道が凍り、足を滑らせて転ぶ人を必ず見たものだ。
 そのわきを裸足で走る拳法の少年たち。
 早起き会のおじさんおばさん。
 笑みを交わす日田の人々。
 15年前、誰もいない大原八幡の境内を経巡り、私は大晦日の大群衆を幻視した。
 母はガンになった。
 父も認知症である。
 この日田との繋がりも、やがて切れてしまう。
 静かで清涼な境内に、ひとり深呼吸しながら、まだ子供のなかった私は、やがて訪れるであろう寂寞の日々を思った。
 ちなみに戦前の海軍の重巡洋艦「三隈」は、その名を日田の三隈川に由来し、艦内神社はこの大原八幡を遷座したものである。
 第二次大戦の緒戦で活躍したが、ミッドウエー海戦で沈んだ。
 
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プロフィール
notebook
notebook
学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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