「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
9/16土曜 15時開演(14時半開場)
JR住吉駅が最寄りのコープこうべ生活文化センターホールにて。
クラシック音楽劇「神戸事件始末 瀧善三郎の最期」
お一人様3240円(前売り2700円)

問い合わせ、お申し込みは、夙川座まで
0798-55-8297
shukugawaza@gmail.com



写真は、瀧善三郎さんが西洋列強の前で切腹した時の図
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年08月05日

伊佐山紫文12

 もう7、8年前、知人の娘さん(あの時小学校二年生だったか)と、妖怪と幽霊の違いについて議論したことがある。
 そこにいた私以外の大人たちは「何をバカバカしいことを、そんな真剣に」という態度だったのだが、私と娘さんとは本気で真面目に話し合っていたのである。
 結局、娘さんが言いたかったのは、妖怪はヒト以外の、動物学によって認識さるべき生き物であるのに対し、幽霊はヒトのなれの果てである、と。
 妖怪は身体を持った物理的存在であるのに対し、幽霊は身体を亡くした精神的存在である、と。
 自分一人でたどり着いた、この結論を、娘さんは拙い語彙で一生懸命伝えようとするのだが、おそらく私以外の大人は、その時まで、誰一人まともに聞いてはくれなかったのだろう。
 バス停まで送っていき、バスに乗り込む、その別れ際、娘さんは泣き出した。
 また会いたい、また会おうね、と。
 結局、まだ会えてはいないのだけれど、利発な子供はどこでもそれなりに不幸なのだなと、今どうしているのかなとは思っている。
 で、神戸大丸で開かれている、
『追悼水木しげる ゲゲゲの人生展』
 に行ってきた。
 水木しげる先生と言えば『ゲゲゲの鬼太郎』などが代表作に挙げられるのだろうが、私にとっては何と言っても、種々の妖怪図鑑だった。
 版を重ねているからいつのものかは分からないが、父親の買ってきた大人の妖怪図鑑は何度も何度も、数え切れないほどページを開いた。
 昆虫図鑑や魚類図鑑と同じくらい。
 私にとっても妖怪は、まさに動物学によって認識さるべき何かだった。
 ちなみに水木しげる先生のペンネーム「水木」は、神戸の「水木通」に由来する。
 ここで若い頃「水木荘」を営んでいたことから。
 こういうことも、神戸の人はもっと大事にして欲しいなぁ。

 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年08月05日

伊佐山紫文11

 母親の大腸ガンが見つかったのが15年前、私が40になった年だった。
 その前から両親揃って入退院を繰り返しており、私はおおむね35歳くらいから、母親が亡くなる45歳までは遠距離介護に追われていた。
 なにしろどちらかが施設に入ったかと思えばどちらかが入院、そのたびに帰郷してハンコをつかねばならず、退院して施設に入るにはまたハンコ、週に何度も西宮と日田の往復である。
 仕事も何もあったもんじゃない。
 幸い、母親の年金があったので、経済的には破綻せずに済んだ。
 もしこれが、母親が先に逝き、父親が残されていたら大変だった。
 父親は将来必ず訪れるであろう明るい社会主義社会を信じていたから、現在の自民党政権に奉仕するような年金など払っておらず、無年金だった。
 母親は将来にどんな展望を持っていたかは知らないが「アンタたちの世話にはならん」が口癖で、そのくせ日に数箱のタバコを吸い、かならずウイスキーのボトルを空にして、大腸ガンと肺ガンを併発した。
 こんな二人に、どんな明るい老後が待っているのか。
 というより、こんな二人が親としてまともな子育てが出来ようとは思えない。
 それでも関西に住む息子は毎週のように帰って来てたし「あの二人は幸せな最期じゃったバイ」というのが周囲の見方だという。
 ま、だったら良いか、と思う。
 で、母が亡くなる直前、私は45歳(妻は45歳11ヵ月、超のつく高齢出産)で息子を授かって、この10年、子育てに追われてきた。
 3歳になっても一言も喋らぬ息子をつれて病院を巡り、やれ手術だ、失敗だ、やり直しだと振り回され、仕事も何もあったもんじゃない。
 世には、人生の意味を見失う「フォーティーズ・クライシス(中年の危機)」なんてものがあるらしいが、目の前の問題を片付けるのに精一杯で、人生も何もあったもんじゃないというのが、この20年だった。
 さて、両親の介護も終わり、子育ても一段落した今、あらためて「人生」なんてものを考えなければならない時期なのかもしれない。
 思えば、10数年前、それぞれ倒れて別々の病院に入院していた両親を、知人が引き会わせてくれたことがある。
 両親共に認知症がひどく、主治医も「どんなケミストリーが起きるか、想像も出来ない」と難色を示していたけれど、これが最後になるかも知れないと、知人が押し切った。
 母親の病室で、二人きりで一時間ほど過ごし、静かに別れたという。
 まるでその日の夕食で会えるかのように。
 そしてこれが二人で会う最後になった。
 人生なんてそんなものかも知れないし、だからこそ「一期一会」なんて言葉があるのだろう。
 だから、とりあえず今、出来る仕事をやり続けよう。
 人生、目の前の仕事が出来るということ以上の幸福はそうないのだから。 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
プロフィール
notebook
notebook
学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2017年08>
S M T W T F S
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
カテゴリ
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人