「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年08月28日

伊佐山紫文41

 コープこうべのチラシに「夙川座公演音楽劇」として「神戸事件始末 瀧善三郎の最期」が載っている。
 感慨無量と言えば言いすぎだろうが、何か懐かしいものを感じてしまうのは事実だからしょうがない。
 思えば、かつて私も編集者・ライターとして関わった雑誌『ライフステーション』(灘神戸生協(現コープこうべ)と角川書店が合同で出版していた、現『ステーション』)の特集記事も同じようにチラシに載っていた。
 私の企画、環境問題やゴミ問題も同じようにチラシに載せて貰っていた。
 当時は「当たり前でしょ」くらいにしか思っていなかったが、今思えばありえないくらい贅沢な話だ。
 これだけの枠を代理店を通して買うといくらになるか。
 贅沢な時代だった。
 贅沢だが、雑な時代でもあった。
 私が角川を辞めつつも、角川のある役員の顧問的な役割でライターになり、環境問題の記事を書いていた頃の話である。
 角川が『ジパング』という情報雑誌を鳴り物入りで出し、これを東京から全国に広げて行くという。
 その発刊パーティを企画するその場で、私は言った。
「これはマズイです。『ジパング』は絶対に○○が登録しています。訴えられます」
 まあ、ここまで露骨な表現ではないが、それなりの警告を発した。
 もちろん27歳の、どこの馬の骨とも分からぬ若造の意見が通るわけなどない。
 それに私も、もうとっくに社員は辞めている。
 何が起ころうが知ったこっちゃない。
 パーティーも滞りなく行われ、発刊の準備は粛々と進んだ。
 で、ある日、と言うか、ある夜、その角川の役員から電話がかかってきた。
「すぐ来い、いや、来てくれ」と。
 新神戸のホテルまでタクシーで駆けつけると、最上階のバーで、いつもならヘベレケに酔っている時間なのに、シラフでコーヒーなぞ飲んでいる。
 私の顔を見ると、その役員はウイスキーを注文した。
「大変なことになった。お前の言うとおり、○○が登録していた。もう訴訟も用意しているらしい」
「だから言ったでしょう!」
「もう言うな。お前はいつもそうだ。そうやって人を追い込む。お前が正しいのは分かったから、今後のことを考えよう」
「わかりました。とにかく『ジパング』は使えないことになったわけだから、別の名前を考えないと……」
「それを登録するには半年かかると言われたんだ。間に合わないだろ」
「だったら、登録できないような、本当にありふれた名前にするとか……」
「登録できない?」
「たとえばSONYのウォークマン、あれは登録できないんですよ。あまりにもありふれた名前だから」
「そうなのか? ウォークマンが登録できない」
「そうです。だから『ウォーカー』なんて名前なら……」
「『ウォーカー』! それ良い、それ貰おう。『ウォーカー』か……それは良い。『ジパング』よりよっぽど良いぞ。おい、イサヤマ、とりあえず飲め、おーい、オールドパー、ボトルで持ってこい!」
 これが、今、全国を席巻している情報雑誌『ウォーカー』命名の瞬間である。
 もちろん、角川からは一銭も貰っていない。
 ただし当時の『ライフステーション』には、好き放題、環境問題、ゴミ問題の記事を書かせて貰ったが。
 まあ、贅沢で好い加減な、良い時代だった。
 
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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