「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
10/21土曜ムラマツリサイタルホール新大阪にて、15時開演(14時半開場)
クラシック音楽劇「恋の名残 新説 曽根崎心中」を公演します。
入場おひとり5500円(前売り5000円)
問い合わせは、夙川座0798558297
shukugawaza@gmail.com


セブンイレブン、サークルKサンクスで購入できます。ぴあPコードはP337310

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2017年09月29日

伊佐山紫文74

 学生の頃に寝酒を覚え、以来ずっと、毎日欠かすことなく飲んでいる。
 基本はワイン。
 それから失敗した甘酒。
 歯を磨いてからは焼酎。
 ちゃんぽんもいいところで、これで量が増せばアル中一直線である。
 私の両親は二人ともアル中だったので、その因子を持っていることは確実、そう思うと不安で不安で……酒の量がますます増える。
 とにかく、酒が飲める人は、常にアル中リスクに晒されていると思った方が良い。
 アル中という終着駅に向かって、各駅で行くか、特急で行くか。
 節制していてもアル中行きの電車に乗っているという事実に違いはない。
 各駅で行くうちに寿命が来て死ぬか、寿命より遙か手前で終着駅についてしまうか。
 それだけの差である。
 とはいえ、この差はとてつもなく大きい。
 私と同じ55歳くらいの時、父はすでに夕食は食べていなかったような気がする。
 食べ物は酒の味を濁すとか、もっともらしいことを言って、ひたすら酒を、酒だけを飲んでいた。
 バブルの最後の最後に喫茶店の土地を売り逃げてお金に余裕が出来てからは、朝から夜まで連続飲酒状態になり、チビリチビリと何かを口に入れながら日本酒を浴びるように飲んだ。
 母と二人で、基本、一日二升の日本酒を飲んでいた。
 人が来たりすると酒量は増え、これに一升、または洋酒がボトル単位で消えた。
 で、そのまま70歳になり、酒を抜くと手が震え始めた。
 コップを持っていられない。
 酒の入ったコップをテーブルに置いたまま口を近づけて飲み、震えが治まってから、やっと手に取る。
 絵に描いたようなアル中である。
 記憶障害も出始めて、認知症と区別がつかない状態になった。
 後の診断では「ウェルニッケ=コルサコフ症候群」という、アル中に付随する脳萎縮が原因とされたが、私たちは、勝手に「アル中(アルチュ)ハイマー」と名付けていた。
 数年後、そのアル中ハイマーが極まり、暴発した。
 自宅と同じ敷地の伯母たちの家に上がり込み、うずくまり、丸くなって、カウントダウンならぬ、カウントアップを始めた。
 おそらく、前日の人工衛星打ち上げのロケット発射のつもりである。
 それでも、
「いーち、にーい、さーん……」
 から始めるものだから、いつまで経っても発射できない。
「じゅうは~ち、じゅうは~ち、じゅうは~ち……」
 延々と続く「じゅうは~ち」に伯母は業を煮やし、
「次は19じゃろが!」
 いやいや、それ、19でも、何の問題の解決にもなってないし。
 これでもう、家では解決不能だと判断して、アル中病院に入院させた。
 かつてタモリが働いていたホテル「雅叙園」を改装した病院である。
 遙かに戸山を望み、真下には三隈川が流れ、日田市街を見下ろして聳える。
 晴れた日の、窓からの眺めが最高に美しい病院である。
 父はこの病院で転んで骨折し、転院した整形外科で肺炎になり、あっけなく逝った。
 やっと76になったばかりだった。
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2017年09>
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