「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年10月20日

伊佐山紫文96

 50肩がひどい。
 肩こりは若い頃からあって、筋トレの後にストレッチをしっかりしなければ、疲労が積み重なって、ある日、突然、来る。
 来てからが長い。
 腰痛も同じ。
 無理な筋トレのあと、突然来て、ずっと居座る。
 この繰り返し。
 眼精疲労も同じかな。
 大丈夫かと思ってDVDを見続けると、突然、来る。
 で、居座る。
 そりゃもう、生物学的にはリタイアしているような年齢だから、色々来るんでしょうよ。
 ただ、気持ちは30年前と同じだから、30年前の20代前半と同じように動こうとする。
 それで、気持ちと身体とのギャップが出る。
 身体イメージと現実とのギャップ。
 まあ、典型的な初老ですわ。
 それでも思うのは、若い頃の仕事は空振りばかりだったのに、今はけっこうな的中率で的に当たっている。
 同じようなことを言いながら営業していても、である。
 これこそ年の功というものかと思う。
 出会う人がほとんど年下だから、とりあえず話だけは聞いてくれるようになった。
 その積み重ねで人間関係が出来ていく。
 出来てきた人間関係の上に仕事を重ねていく。
 と言っても、まだまだ収益を上げるほどではないけれども、先方からのオファーも来るようになってきた。
 ひとつひとつ、大事に育てて行きたい、と思う。
 思うけれど、やはり、身体がついていかない。
 疲れが残って、溜まる。
 大阪と神戸とを行き来しながら、若い頃はこんなじゃなかったよな、と溜息をつく。
 いや、若い頃も疲れていた、かな。
 会社からはあれもこれもと要求され、こちらからも、あれもこれもと提案し、まるで自分で自分の首を絞めるかのように仕事をしていた。
 肩こりと、腰痛と、胃痛を抱えながら締め切りに追われ、それでも同時に次の企画のアイデアを絞り出しつつ、打ち合わせと取材に奔走する日々。
 あれ?
 今とそう変わらんなぁ。
 いや、決定的に違うのは、すべて自分で決めていると言うこと。
 会社が決めたからする、のではなく、自分で決めて、自分でやっている。
 だから、疲労の質が違う、と思う。
 年齢的なものではなく、質的に違う。
 と、思いたい。
 とりあえず、仕事しなきゃ。
 21日は本番だし。
 
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2017年10月20日

伊佐山紫文95

 明日は『恋の名残 新説・曽根崎心中』の公演である。
 再演ではあるが、台詞も増えており、ラストも前回とは異なる。
 絶対に楽しめる一編なので、是非会場まで足をお運び下さい。
 今回使った楽曲はプッチーニ。
 なかでもアリア「私のお父さん」は三回、歌詞を替えて使っている。
 このアリアを知ったのは中学時代で、その頃、大分のテレビでは、天気予報のBGMとして、声なしに編曲されたものが流れていた。
 私が高2、16歳のころからバックの映像が日田の三隈川になった。
 いかにも清流といった趣の三隈川に架かる橋を、地元の男女高校生が楽しそうに亀山公園へと渡っていく。
 実はこの高校生たちは皆、当時の私の科学部の友人である。
 いかにも偶然に映り込んだようでいて、実際には何度も撮り直した、という。
 部室にしていた化学室に飛び込んで来るなり、映った連中は上気した声でそのことを話すのだった。
 ついさっき「君たち……」と声をかけられ、何度も何度も橋を渡った、と。
 そして、いついつから放送される、と。
 で、その日が来て、私もテレビにかぶりついた。
 天気予報が始まり、三隈川が映り、一瞬!
 本当に一瞬!
 誰が映っているのか分からないほど遠く、小さく、短い。
 それでも楽しそうな感じは伝わってくる。
 青空の下にさやぐ三隈川と楽しそうな男女高校生と「私のお父さん」。
 映像と音楽がマッチした、実に良い天気予報だった。
 そして、なぜかあの時ふと思った。
 この曲に歌詞を付けたい、と。
 まさかそれから40年も後に、本当に歌詞を付けて、芝居も作って上演しようとは!
 当時の将来設計はと言えば、まず愛媛大学に入って淡水の魚類学を学び、京都大学の大学院で博士号をとり、どこかの大学にポストを得て、のんびりと研究生活をしながらちょっと笑えるエッセイでも書いて暮らす、というもので、漠然とはしているがそれなりに筋は通っていた。
 ところが大学に入り、残って研究を続けることの経済的難しさや、ポストが無いという絶対的事情がわかってくるにつれ、こんな将来などあり得ないことをハッキリとクリアに悟った。
 悟ったとて、もう引き返すことなど出来るわけもない。
「二八(にはち、16歳)に帰るすべもなし」(北の都)と来ラァ!
 で、紆余曲折、と言うか、ほとんど何一つ思い通りに行かぬまま、こうやってエッセイだけは、一文にもならぬながら書いている。
 もう一つ、好きなように芝居も書いている。
 今回も、原作にはない「お鈴」という遊女のキャラを入れて、社会的歴史的背景をクッキリと語らせた。
 プッチーニだけに、『蝶々夫人』の「スズキ」から「鈴」を頂きました。
 そうそう、2幕の冒頭には地唄も入ります。
 これがもう、とにかく酔えます。
 ラストも前回とは異なるものにした。
 コテコテの人情モノ。
 ちょっと吉本っぽい?
 いえ、松竹です!(キリッ)
 松竹衣装さんから、歌舞伎の『曽根崎心中』で使う本物のお初と徳兵衛の衣装を借りてきましたからね。
 先日着付けに行って来ましたが、本物はすごい、の一言。
 本物の衣装を着けての、谷さん、森井さんの熱唱となります。
 これも見所・聞き所です。
 
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2017年10月20日

伊佐山紫文94

 息子の小4時代が半分を過ぎた。
 小4というのは色んな意味で節目になるようで、自分を振り返ってみても、この時期には大きな変化があったと思う。
 まずは、その後の人生に決定的な影響を与えた、様々な作品に出会った。
 漫画では『男おいどん』をはじめとする松本零士作品。
 今の息子を観ていても、なぜ10歳の子供があんな大人な漫画にはまったのか、全く理解できない。
 同じマガジンでの後継作品『ワダチ』だって、そんなに明るい話じゃない。
 のに、完璧にハマった。
 テレビでは『人造人間キカイダー』に完璧にハマった。
 暗い、暗い、くら~~~~い話なのに、もう抜けられないのじゃないかと言うくらい、ハマった。
 で、思うに、これらの作品の主人公たちは、どれも完璧ではない。
 何かが欠けている。
『男おいどん』や『ワダチ』では容姿の美しさに欠けており、もちろん財力にも欠け、学歴もない。
『キカイダー』には完全な良心回路が欠けている。
 これらはみな劣等コンプレックスのカタマリである。
 で、振り返ってみれば、私自身、この頃から劣等感に苛まれるようになっていた。
 ウチの家は他とは違う。
 みたいな。
 そして身体能力も他の子には一切かなわない。
 なぜみんなはあんなに出来るのだろう。
 みたいな。
 とにかく出来ないづくしで、このままだと自分はどうなってしまうのだろう、と、そんな劣等感に苛まれていた。
 発達心理学で言うところの社会化なんだろうとは思う。
 家族関係から友人関係へと人間関係がシフトしていく中で、他の子との比較が始まる。
 あの子はこれが出来るのに、なぜ自分は出来ないんだろう。
 みたいな。
 そこに劣等コンプレックスの主人公の物語がシンクロして、共感する。
 単純な構図と言えば構図だが、それでも不思議なのは、なぜ私が10歳の時にこのような名作群が現れたのか、そのシンクロである。
 まさにユングのシンクロニシシティとしか言いようがない。
 息子も小4で、まあ、スクスクと育っているとは思うが、『男おいどん』や『キカイダー』が現れる気配もない。
 脳天気にネットの動画を眺めて、ケタケタわらっているだけだ。
 ただ、友人関係は替わり始め、幼稚園時代からの友人は遊びに来なくなった。
 テンニエス風に言えば、ゲマインシャフト(与えられた関係)からゲゼルシャフト(選んだ関係)への移行は確実に始まっている。
 あと半年しかない小4時代、この間に何が起きるのか、しっかり見守っていきたい。
  
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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