オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年08月17日

伊佐山紫文27

 お盆の8月15日、日田の豆田では、町内を流れる城内川で精霊流しが行われる。
 うちでは蓮根畑からとってきた蓮根の葉にお供え物を積み、仏壇の火を移したロウソクを立てて、お鈴(りん)や平鐘を打ち鳴らしながら静々と川に向かい、そっと水面に浮かべる。
 まるで西方浄土に向かう魂のように、ロウソクの火は西へ揺れながら流れていく。
 昔は賑やかで、上流からお鈴の音がしてくると、今か今か、と出る時期を家族で思案し合ったものだった。
「もうそろそろバイ」
「いやあんまり早いと追い出すごつある」
「遅すぎると寂しかろ」
 と言った具合で、結局はお鈴の音の賑やかななか、精霊流しの群れに入って行く。
 城内川の川幅は数メートルしかないのだが、多くのロウソクの火を映した水面は華やかで、浴衣を着た娘さんたちの乱れ打つお鈴の音も賑やかに、豆田のお盆の夜は更けていく。
 あれはもはや夢の景色か。
 10数年前には、精霊流しをするのはうちだけになってしまっていた。
 そのころは、このままでは豆田の精霊流しが絶えてしまう、と妙な危機感を持ってお盆には必ず帰省していた。
 そのうちパラパラと復活する家も増えてきて、今では数件が流しているという。
 今年も私は帰省せず、精霊流しをやったかどうかは知らない。
 さだまさし(というかグレープ)の「精霊流し」が流行ったとき、曲のイメージと長崎の爆竹炸裂の精霊流しの実際とが懸け離れすぎという批判を聞いたものだが、私たちにとっての精霊流しはあの歌の通り、粛々と静々と行われるものだった。
 当時、父親の営む喫茶店にも「精霊流し」のシングル盤があり、クラシックやジャズしか聴かないはずの父がなぜ、といぶかしんだこともある。
 まさか、シングル盤の回転数を間違えて再生し、バリトン歌手の歌として聴いていたのではないとは思うが。
 その父も11年前に他界して、精霊として送られる側になった。
 6月の、ホタルの出始める時期に亡くなったため、友人や父を慕うファンらは「蛍忌」として命日に集まり、墓を掃除して酒を酌み交わしているそうだ。
 今もやっているかどうかは知らない。
 父も生きていれば87歳。
 みんな年をとった。
 父の葬儀の時に詠んだ歌を張り付けておく。

 古里の木犀匂う川野辺に 君も還りぬ精霊となりて
 
 これはもちろん、戦前の朝鮮の詩人金素月の「母さん姉さん」を下敷きにしている。
 試訳を張り付ける(もともと陰陽五行説の韻を踏んでおり、正確な訳は不可能)。

 母さん姉さん川辺に住もう
 庭にはキラキラ輝く砂が
 裏ではサラサラ木擦れの音が
 母さん姉さん川辺に住もう

 もう何十年も前、韓国ソウルの南山に登ったとき、公園のスピーカーから金素月のこの歌が大音量で響き渡り、私は落涙を堪えて立ち尽くした。
 それは、幼くして父親を亡くし、母さん姉さんたちとつましく川辺に暮らした幼い父のことが思い起こされたからだった。
 金素月も父と同じ、若くして認められ、そして破滅した。
 父は破滅も出来ぬまま、川辺の家で母親を看取り、同じ家で姉たちに送られた。
 金素月の絶唱はスミ・ジョー(曺秀美)の美声で聴くことが出来る。
https://www.youtube.com/watch?v=N4DhXg_1bpU&feature=related
 

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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