オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年01月14日

伊佐山紫文280

『ふたりのヨシコ 李香蘭と男装の麗人』でお世話になった安田バレエスクールの発表会を観てきた。
 構成といい、技量といい、もちろん、発表会であることがわかった上で、それでも素晴らしい舞台だった。
 この地上に重力があることを忘れさせるリフトや滞空時間、華やかな衣装……
 どれ一つとっても夙川座には無いもので、安田先生と以前に話していて盛り上がった、作曲家と組んでのオリジナルバレエ、斉明女帝を主人公とするバレエ『甲山物語』という構想もあながち夢ではないと思った。
 もちろん、夙川座や安田バレエスクールが根城とする西宮の象徴「甲山」の伝説をもとにした物語である。
 作品なんてのは本当にちょっとした思いつきから出てくるもので、不思議とその思いつきは大地、この地面、地元に根ざしている。
 昨日、ここで言及した、
『二人の鬼 日田どん物語』
 もそうで、なんであれを思いついたのか、今もって謎である。
 危篤の母に息子を会わせに帰り、会わせた翌日に母が亡くなり、葬儀を済ませた翌日にパトリア日田の舞台監督に就任したばかりの畏友樋口と数十年ぶりに再会した。
 そこでオリジナルミュージカルの原作を依頼された。
 ミュージカルなど、私としては初めてのことで、『雨に唄えば』や『サウンドオブミュージック』など、名作DVDを観て見て観まくり、宝塚の脚本も取り寄せて、おまけにシナリオスクールにまで通った。
 それで、およそ二年かけ、
『永遠なれ日田県! 日田養育館物語』
 が出来上がった。
 樋口も「ここまでやるとは思わなかった」との出来映えで、成功は疑いないと思われた。
 ただ、私は挫折だらけの人生を歩んできていたので、前祝いの飲み会で、樋口に、
「もうひとつ、大きなどんでん返しがあるような気がする」
「何があるんだよ」
「わからん。ただ、俺の予感は当たるからなぁ」
「心配するなよ、大丈夫」
 で、私の予感は大当たりした。
 当時の市長は県の役人上がりの、組合推しの左翼である。
 だからもう、ヒトラーやスターリンと同じ、法令無視のやりたい放題、当然、市民からの批判も高まる。
 それでもここは日本だから、批判する連中を収容所に送って皆殺しにするわけにはいかない。
 だから八つ当たりする。
 待機児童ゼロという公約が達成されないのを野党に追及され、キレッキレになっているところで「日田養育館」のミュージカル案を見せられた。
 日本初の社会福祉施設と言われる「日田養育館」は明治の初期に設立され、多くの孤児の命を救い、明治皇后からも「美しい仕事」と評価されている。
 たった今、市長が待機児童のことで追求されているというのに、明治の社会福祉施設のミュージカルとは何事か!
 というわけで、激怒!
 まあ、気持ちはわからんでもないが、左翼らしい独裁ぶりである。
 私の二年間は白紙に戻った。
 もちろん、黙って水に流すような私ではない。
 いちおう公募という形をとっているので、広報には証拠が残ってる。
 だから、一般競争入札での結果を市長が覆したと言うことになり、これは当時話題になっていた「天の声」に当たる。
 しかも、これは大きな声では言えないが、このときの契約書は私が作っていた。
 長ったらしい契約書は面倒でしょ、などと当時の課長を言い含めて、私に有利な契約書を、私自身が市役所のパソコンを使って作っていたのである。
 私が感じていた悪い予感が的中したときのための自衛である。
 で、予感は当たった。
 元々の契約書では、市が、市の都合での契約解除は一方的に有効とされていたのが、私の契約書では、すべて法令によるとなっている。
 とすれば民法が適用されるわけで、こちらも損害賠償を請求できる。
 だから裁判を起こせばこちらの言い分が通る可能性が高いというわけだ。
 デルにさえ勝った私である。
 訴状を用意し、やる気満々でいた。
 ところが、以前のようなアツさがない。
 闘争心が沸いてこない。
 浮き立つような血の騒ぎ、熱のこもった血のたぎりがない。
 むしろ、そんなことはやめろよ、と、もう一人の自分が言う。
 争いじゃなく、もっと今の気持ちを作品にしようよ、と。
 で、パソコンに向かい、一気に二時間ばかりで書き上げたのが、
『二人の鬼 日田どん物語』
 である。
 本番が無理なら、中間発表でやればいいだろう、と。
 私の個人的な経験をベースにした母子の愛着と死による解放をテーマに、まったく個人的な「私戯曲」のつもりで書いたのだが、樋口演出では見事に権力批判の舞台になっていた。
 やりやがったな、と思ったが、我々表現者には、しょせん、こんなことしかできない。
 思えば、デルの裁判と「二人の鬼」との間には、息子の誕生という大事件が挟まっている。
 単身脳から父親脳へと移りゆく過渡期だったのだ。
 あれから十年近い年月が流れ、今では闘争心は全く失せ、作品と子供の成長のことしか頭にない好々爺になってしまった。
 父親脳に支配された父親になるとはそういうことなのかも。

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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