「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2018年11月30日

伊佐山紫文233

 夙川座の音楽劇で使う曲はその都度場面にふさわしいのを選んで、歌詞も芝居に合わせて創作してきたのだが、今回は少し趣向を変えた。
 主要な登場人物が音楽家なので、基本的にその人の作品やゆかりの曲を使うことにして、歌詞は創作ではなく、原詩に近い「訳詞」とした。
「訳詩」ではなく「訳詞」なのは、「詩」の内容やリズムより、それにつけた音楽の方を重視した「歌詞」であるということ。
 つまり、詩であるよりも、まずは歌いやすい歌詞であることを第一に考えたということだ。
 たとえば、昨日、急遽作ることになったクララ・シューマンの歌(Der Mond kommt still gegangen)も、歌詞としては、

昇りゆく月 まとう金色
眠りゆく大地を照らしながら

そよ風の中 澄みゆく心
それぞれの愛が心満たす

谷間の家 その窓には明かりが
なのに私はまだ闇の中

 と付けたのだが、訳詩としてはかなり物足りない。
 ガイベルのリズムを生かしきれていない。
 ドイツ語と日本語、シラブル言語とモーラ言語の違いと言うのではない、もっと生身の、民族固有の詩情の相違を生かしきったものになっていない。
 それはもう、ドイツ語の詩を、ドイツの作曲家が作曲し、それを日本人が日本語で歌えるように作詞するのだから、幾重にも屈折した事情の上での当然のことなのだと割り切るしかない。
 それでも、未練として、あえて、あえて、日本の詩情を生かした訳詩を試みよう。

月は静かに昇り来る(エマーヌエル・ガイベル)
 輝く金色身にまとい
 月は静かに昇り来る
 大地は深々おのがじし
 暗き眠りを貪りぬ

 風はその身を磨きゆき
 曇らぬ鏡真心ぞ
 眠りに落つる幾千の
 心を包めその愛で

 谷間の家のその窓に
 灯りのともるこの夜に
 我一人いま闇の中
 一人見つむる暗き闇
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6/02日曜日、大阪のクレオ中央にて音楽劇「クララ・シューマン 天才の嫁はん」
劇中で歌います。
夙川座いさやまの訳

クララ・シューマン「月が静かに昇りゆく」歌詞(エマーヌエル・ガイベル詩 伊佐山訳詞)

昇りゆく月 まとう金色
眠りゆく大地を照らしながら

そよ風の中 澄みゆく心
それぞれの愛が心満たす

谷間の家 その窓には明かりが
なのに私はまだ闇の中
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来年6/02日曜日、大阪のクレオ中央にて、14時開演。
音楽劇「クララ・シューマン 天才の嫁はん」

劇中で歌います。
夙川座いさやまの訳

シューマン「碧い目の少女」歌詞(エマーヌエル・ガイベル詩 伊佐山訳詞)

碧い目みんなを虜にしてる
心惑わせる 
男の心をわしづかみにして
つれない笑みで
つれない笑みで

碧い目みんなを虜にしてる
すべて 戯れの笑顔にコロリと男は
コロリと欺され破滅
コロリと欺され破滅

碧い目みんなを虜にしてる
誰? 今日の獲物はたちまちに落ちて
夜昼なく眺めていたくなる

碧い目みんなを虜にしてる
虜にしてる
碧い目みんなを虜にしてる
虜にしてる
虜にしてる
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来年6/02日曜日、大阪のクレオ中央にて、14時開演。

音楽劇「クララ・シューマン 天才の嫁はん」

劇中にうたいます。夙川座いさやまの訳

ブラームス「子守歌」歌詞(詩:1.アーヒム・フォン・ヨアヒム 2.ゲオルク・シェーラー 訳詞伊佐山)
1.
バラの刺繍 お布団にさあ
お目々を閉じて おやすみなさい
夜が明けて 陽が昇れば
お前たちを また起こすよ

2.
天使たちの 羽の中で
クリスマスの木 見せてくれるよ
楽し時は 早過ぎゆき
まぶた閉じて 楽しき夢 
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来年6/02 大阪のクレオ中央にて、
音楽劇「クララ・シューマン 天才の嫁はん」

入場料3000円(前売り券)
お問い合わせ・ご予約は、夙川座0798-55-8297
shukugawaza@gmail.com

夙川座いさやまの訳

シューマン「献呈」歌詞(フリードリヒ・リュッケルト詩 伊佐山訳詞)

魂と心 幸せと苦悩
貴方はこの世界 舞い上がるこの空
地の底 溜息を埋むるところよ

安らぎ 心地よさ
天からの恋人
見つめるまなざしは 高みへと今
われを高めゆく われはわれを超え

魂と心 幸せと苦悩
貴方はこの世界 舞い上がるこの空
天使の魂
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2018年11月30日

2019 06/02日曜日 音楽劇

お問い合わせ、ご予約は、0798-55-8297
shukugawaza@gmail.com

夙川座いさやまの訳で劇中うたいます。

クララ・シューマン「二人の愛」歌詞(ハインリッヒ・ハイネ詩 伊佐山訳詞)

何も言わず 愛を分かち合ったの
憎しみと愛に 消ゆるこの命

別れ行くも 夢に交わすこの愛
気づかぬうちに 消えたこの命
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2018年11月30日

伊佐山紫文232

 浅川座長(社長)と神戸方面へと営業に行き、はからずも旧交を温めることになった。
 経験者にはおわかりだろうが、一つの事業を立ち上げるというのは想像以上に大変なもので、それが複数の事業主体との共同作業となったら、通常の何倍もの負担が現場にはかかる。
 その現場を共に支えてきた知人との再会である。
 お互い、
「変わらないね~」
 と言いあいながら、バブル前後の戦場のような現場を語り合った。
 ブラックなんてもんじゃなかったね、と。
 私は早々に現場を離れて傍観者的立場になったが、彼女はずっと最前線で、最終的には上層部の愚かな経営判断を身を挺して止めようとした。
「ここでアナタが玉砕したら、私らのこれまでの努力が無になってしまう。どうか残って」
 との皆の懇願を入れて、不本意ながら組織に残った。
 まさに女傑である。
 それからの来し方を聞けば、やはり常に最前線の現場にいて、そして結果を出している。
 それでいて、笑い声、笑顔、すべて30年前と変わらない。
 私も思わず当時に戻り、お互い20代の若造のように軽口を叩き合った。
 共に過酷な時を過ごした知人が今もあの頃と変わらず活躍しているのを見ると、こちらまで元気をもらえる。
 時間にして数分の会話だったけれど、来年へ向けた前向きな再会となった。 
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夙川座いさやまの訳で劇中に歌います。

クララ・シューマン「愛の魔法」の歌詞(エマーヌエル・ガイベル詩 伊佐山訳詞)

小夜泣き鳥のよう バラの中に
愛の歌響き 緑燃ゆる

香り満つ花も 歌に酔いて
梢吹く風も 息を潜め

せせらぎの歌も 今はやみて
鹿もまどろみぬ 見るは夢か

明るい光も 太陽から
全ては金色 輝き出す
全ては金色 輝き出す

ひとり道行けば 聞こえて来る
全てはあの日の 木霊なのか
木霊なのか 
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2018年11月23日

伊佐山紫文231

 生物学をベースにした最新の科学、たとえば進化心理学や行動経済学についての一般書を読みあさっている。
 なんで、ということはない。
 息子の質問が相当に専門性を帯びてきたから、きちんと最新の情報を伝えられるように用意しているというだけの話。
 本棚も息子の前に公開している。
「カンブリア紀の大爆発って何?」
 と聞いてくれば、生物進化の概説をしながら、グールドの、
『ワンダフルライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』
 を本棚から出して、
「これを読めば分かる。ただし、今では否定されてる考え方も書かれてるから、最新の学説はネットで調べたら」
 という具合。
「韓国と北朝鮮って同じ民族だよね。けど、宇宙から観たら、全然違うっていうけど、それって何?」
 と聞いてくれば、ああ、あれのことだな、と、アセモグル&ロビンソンの
『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上』
 を出して、137ページの写真(「韓国の光と北朝鮮の闇」)を示す。
 もちろん、まだまだ一般書を読むような力は無いから、そのうち読んだら、というレベルの話ではあるけれど。
 そんな息子が昨日は、お風呂で、人類にとって最もラジカルな問いを発した。
「意識って何?」
 これはもう、最難関で、一言で答えられるようなものではない。
 それは息子にも分かっているらしく、デカルト的に問いを還元してくる。
「動物にも意識ってあるの?」
 答えを逡巡していると、さらに還元し、
「カラスって賢いらしいじゃん、だったらカラスって意識はあるのかな」
 デネットやサールやハンフリーなど、いわゆる心の哲学を総動員して、
「意識に近いものをもつ動物は確かにいるけれど、意識について意識できる、こういう意識を持つのは人間だけだと思う」
「それはなんで」
「人間だけが言語を持っているからね。言語の最大の特徴は反省できるってこと。反省って言っても、悪いことをしましたって反省じゃないよ。自分の意識についてきちんと考えることが出来るってこと。これは言語がないと出来ない」
「言語かぁ。カラスは言語を持ってないの?」
「人間の言語を言語とするなら、その意味での言語は持ってないだろう」
「もしカラスが言語を持ったら、戦争になるだろうね」
「どうして?」
「地球上に二つの意識は相容れないでしょ」
 いや、そんなことは……
 と言いかけて、確かにね、と思った。
 ネアンデルタール人を滅ぼしたのは間違いなく我々だし、チンパンジーやボノボやゴリラなど、近縁のサルたちを絶滅に追いやりつつあるのも意識を持った我々ホモ・サピエンスである。
 おそらくネアンデルタール人の時もそうだったろう、人類は戦うことなく、近縁の種を滅ぼしながら繁栄している。
 意識を持つということがニッチ(生態学的地位)の一つなら、確かに地球上に二つの意識は相容れまい。
 そういうことを、子供は直感的に掴むのかな。
 すぐに答えの出ない問いを次々と発するようになった息子を前に、旧世代はモゴモゴと口ごもるしかないのだろうか。
 せめて旧世代の叡智を集めた本棚を作るしかないな。
 
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2018年11月23日

伊佐山紫文230

『京都メロウ 金魚のこいびと』平成30年2018年日本
監督:土山久美子 脚本:寒竹泉美
 今年鑑賞百本目、京都のイオン桂川で観てきました。
 主演は門谷正理さん。
 そう!
 コープこうべ版『神戸事件始末 瀧善三郎の最期』で高山役をお願いした役者さんです。
 話はと言うと、主人公が飼っている金魚が女の子になって、二人で京都の名所を巡り、最後には金魚は元の姿に戻る。
 バレると元の姿に戻るんです。
 ちゃんと心に残る映画でした。
 で、あえて不満を言うと、演出がすべてにおいて上品。
 金魚が川に落ちたんなら、もうすこし一生懸命探そうよ。
 鴨川にボッシャーンって飛び込んで、這いつくばって潜ろうよ。
 5分は探し続けて欲しい。
 で、やっと見つかって濡れ鼠のまま部屋に持ち帰り……
 ここからは私が作ったならって話
 実はこれ、別の金魚。
 最初の金魚と同じように、また、いやもっと可愛い(金魚つながりで二階堂ふみが好ましい)女の子が現れ……
 ……蛇足でしたね。
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2018年11月23日

伊佐山紫文229

『京都メロウ 金魚のこいびと』平成30年2018年日本
監督:土山久美子 脚本:寒竹泉美
 今年鑑賞百本目、京都のイオン桂川で観てきました。
 主演は門谷正理さん。
 そう!
 コープこうべ版『神戸事件始末 瀧善三郎の最期』で高山役をお願いした役者さんです。
 話はと言うと、主人公が飼っている金魚が女の子になって、二人で京都の名所を巡り、最後には金魚は元の姿に戻る。
 バレると元の姿に戻るんです。
 ちゃんと心に残る映画でした。
 で、あえて不満を言うと、演出がすべてにおいて上品。
 金魚が川に落ちたんなら、もうすこし一生懸命探そうよ。
 鴨川にボッシャーンって飛び込んで、這いつくばって潜ろうよ。
 5分は探し続けて欲しい。
 で、やっと見つかって濡れ鼠のまま部屋に持ち帰り……
 ここからは私が作ったならって話
 実はこれ、別の金魚。
 最初の金魚と同じように、また、いやもっと可愛い(金魚つながりで二階堂ふみが好ましい)女の子が現れ……
 ……蛇足でしたね。
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2018年11月23日

伊佐山紫文228

『名詩名訳ものがたり 異郷の調べ』
亀井俊介、沓掛良彦著
岩波書店
 明治・大正篇と昭和・平成篇の二部構成になっている。
 もう、圧倒的に明治・大正篇が面白い。
  明治・大正篇には、まるで語学と文学が切り離される瞬間に居合わせたような、独特の緊張感が漂っている。
 日本の近代詩は翻訳に始まるから、まさに、日本近代詩の出生の現場と言ってもいいだろう。
 それが昭和・平成篇では、幸せな離婚を遂げた後の、学者と文学者の仕事のどちらを選ぶかって話になりがちで、正直、どっちだってかまわない。
 そのことは昭和・平成篇を担当した沓掛氏にもよく分かっているのだろう。
 随所で言葉が上滑りになっている。
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2018年11月23日

伊佐山紫文227

『貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』
 カビール・セガール著 小坂恵理訳
 ハヤカワ・ノンフィクション文庫 
 実務家による「貨幣」の世界史。
 と言うか、生命の本質の中に貨幣の発生を読み解くという、壮大で、一瞬、ホンマかいなと思うが、債権債務関係の話からは急に説得力が増していく。
 まるでニーチェの『道徳の起源』を思わせるし、カール・ポランニーの経済人類学にも近いものを感じるけれど、どちらにも言及はない。
 それより、この人、実務家らしく、新しい見方とか、独自の理論とか、そんなのは一切提示せず、とにかく、膨大な事実を恐ろしい手際の良さで捌いていく。
 J・P・モルガンに勤めつつ、しかもジャズのベーシスト、グラミー賞作品のプロデュースまでやりながら、これだけの大著を上梓するって、いったい、アメリカって国はどんだけデカイんだよ。
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2018年11月23日

伊佐山紫文226

『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 上下』
 ダニエル・カールマン著
 村井章子訳 友野典男解説 
 ハヤカワ・ノンフィクション文庫
 経済学の前提する、常に合理的な判断をし続ける経済人(ホモ・エコノミクス)など、現実にはいない。
 現実の人間の意思決定には癖がある。
 たとえば、欲しいッと思うのは一瞬で、この意思決定を行うのがファスト(システム1)。
 いやいや、と熟考を始めるのがスロー(システム2)。
 ここから派生する二項対立的な概念で、人間の意思決定の癖を暴き出していく。
 著者は心理学者なのに、人間のビヘイビア(行動)を基礎にした行動経済学の基礎を作ったとしてノーベル経済学賞を受けている。
 人生観が変わるほどの、名著中の名著。 
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2018年11月19日

伊佐山紫文225

 浅川座長が昨夜の同郷の集まりで、『クララ・シューマン 天才のヨメはん』のチケットを6枚も売ったという。
 チケットもまだ出来ていないのに、お金だけ受け取ったと。
 さすが、としか言いようがない。
 私が同郷の人にそんなに売れるかと考えたとき、それは無理。
 日頃から何の関係も作っていないし。
 考えたら、昔、何十年も前、新聞やテレビに出ていた頃、同郷だとか、同窓だとかって人からの問い合わせが何度もあった。
 全部、無視した。
 編集者あがりだった私は、そういう問い合わせには答えるなと訓練されていたから。
 年に何億稼ぐ流行作家であっても、その財産を本人に任せていたら、一年ですべてなくしてしまう。
 同郷だの同窓だのを名乗る連中に食いつぶされてしまうから。
 そういう連中から作家を守るのも編集者の仕事なのである。
 その癖で、自分自身、売れてもいないのに、同郷・同窓生を避けていた。
 同郷で、関西では知らぬ者のない大会社の役員の方から、異業種交流会へのお誘いがあったのも袖にした。
 その人が、当時の与党代議士の後援会長だから気色悪い、と。
 そのくせ、極左政党の泡沫候補の応援に写真まで貸していたのだから、とんだバカとしか言いようがない。
 最近になって、浅川座長の果敢なる行動の結果、関西在住の日田出身の方々との交流も復活してきたけれど、なにせ私自身に金がなく、同窓会・同郷会の会費を払う余裕がないもので、関係の維持は難しい。
 それでも毎回来てくれる同窓・同郷の方々もいて、本当にありがたいと感謝しています。
 先日の『島ひきおに』の集客で日田の豆田を歩いたときも、本当に暖かい応援の声を頂きました。
「今日かい! そりゃ無理バイ、もっと早う言うてくれたら、ゼッタイ行ったつに」
 社交辞令にしても嬉しいものです。
 これからは関西と日田とで二眼レフ体制の仕事を模索していきましょう。
 なにしろ血縁と地縁は選べない。
 だから利用する。
 悪用ではなく、楽しみを分かち合うために。
 分かち合う楽しいお芝居を書きますから。
 歌も。
『クララ・シューマン 天才のヨメはん』
 よろしくお願いします。
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2018年11月18日

伊佐山紫文219

 シューマンの物語を書きながら、ロマン派の「ロマン」について考えていた。
 ヨーロッパの「ロマン」は古代ローマ帝国の首都「ローマ」にその淵源を発し、日本語の「ロマンティック」や「ロマンがある」の「ロマン」とは少し意味が違う。
 ローマ帝国の言語は言うまでもなくラテン語で、ラテン語で描かれたものやギリシャ語の作品は「古典」とされ、ヨーロッパでは揺るぎない地位を占めている。
 これに対し、中世にラテン語が崩れて口語と化した「ロマンス語」で書かれた作品は「ロマンス」と呼ばれ、大衆文学的な位置づけとなっている。
 近代になり、合理主義や啓蒙主義の運動が起こると、その反動として、中世的な、世俗的で形式張らず、個人的な感性を前面に出した「ロマンティック」な文学作品が書かれるようになる。
 音楽のロマン主義もその流れで捉えるべきで、シューマンが俗謡を交響曲に多く取り入れているのも、ロマンティック運動の一環として当然であろう。
 ただ、近代の普遍的理性に対置するに個人的感性を置くならば、どうやって人々は感動を分かち合えるのだろう。
 1+1=2はアナタとワタシで共有できる。
 理性は普遍だからである。
 だが、ロマン主義の言うワタシの感性と、アナタの感性は別物である。
 だから、ワタシとアナタとで、感動するものが違って当然。
 それでは、人々が感動を分かち合うためには、何が必要なのか。
 いや、そもそも、なぜ、ワタシとアナタとで、感動を分かち合うことが出来なくなったのか。
 ここでルソーならば「自然に帰れ」と(実際には言っていないが、その著作の内容から推して)言うだろうし、グリム兄弟ならば民衆の中に息づく「童話」の中にかつての感動の共同体を探すだろう。
 また、革命的ロマン主義たる共産主義は「原始共産制」なるものをでっち上げ、物質の共有による感性の共同体(コミュニティ)の創造を目指すだろう。
 日本でも島崎藤村はそうそうにロマン主義(『若菜集』)を捨てて自然主義(『破戒』)に移行するが、その芽は日本浪漫派として大輪の花を咲かせることになる。
 結局のところ、ロマン主義は過去にあっただろう、感動のコミュニティ(共同体)の探求へと向かうわけで、これはどう考えても無理がある。
 ロマン主義の政治的末裔がナチであったり、共産主義であったり、極端な国粋主義であったりするのも当然である。
 感性で理性を押さえつけるのは、理性で感性を押さえつけるのと同様、無理なのである。
 無理を通せば悲劇が起こる。
 そのことにシューマンは、同時代の音楽家の誰よりも気づいていた。
 ただ、気づいたとて、何が出来る?
 気づいたこと、そのことこそ天才の証しだろうが、その天才の証しをいったい誰が理解するというのか。
 シューマン自身が言うように、
「おそらく天才を理解できるのは天才のみであろう」(『音楽と音楽家』)
 可哀想なシューマン。
 一人の天才を襲った悲劇を、お笑いたっぷり、コッテコテの関西弁でお届けする
『クララ・シューマン 天才のヨメはん』
 乞うご期待。
  
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ロベルト・シューマンのOp.2を聴いてみた。
来年6/02のお昼間大阪で音楽劇「クララ・シューマン 天才の嫁はん」するので、お勉強しています。
12の小曲からなる作品で、仮面舞踏会を音楽で表したんだそうな。

音楽劇のお問い合わせ・ご予約は夙川座
0798-55-8297

shukugawaza@gmail.com

フェイスブックの個人メッセージでも大丈夫です。
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2018年11月15日

伊佐山紫文218

 ほとんどの支払いを現金でしていた頃の名残で、小銭入れを後ろポケットに入れている。
 で、今年の正月、最初の買い物が財布だと縁起が良いというので、小銭入れを買い換えた。
 高級車のハンドルに使用するのと同じ革を使った、それなりに良いものである。
 その御利益があったのか、おかげさまで久しぶりにギャラを頂くことになった。
 ところが、そのギャラを頂いた帰りの新幹線の中で、この小銭入れをなくしてしまった。
 高級な革が滑りやすく、またユニクロのジーパンの後ろポケットが浅いものだから、長時間座っていると滑り落ちてしまうのだ。
 気にはしていたのだが……
 これはJRに問い合わせて、東京から戻って来た。
 で、もう後ろポケットに入れるのを止めりゃあいいものを、性懲りもなく、また落としてしまった。
 どこで落としたかは察しがついているので、問い合わせると、今回もすぐに戻って来た。
 全く、日本って国は。
 心が洗われます。
 私もまた、心洗われる物語を書こうと思いました。 
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2018年11月13日

シューマン

シューマンについて
ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残した。 とくにピアノ曲と歌曲において評価が高い。
これはWikipediaから。

性格は大真面目だったらしい。
大真面目ゆえにお酒に溺れたり、薬に頼ったりして、性病の症状に苦しみ、破滅へ向かってしまったのかな。

今では芸術として尊敬されている作曲家達も、当時のことを調べると、「人格に優れて、品行方正」などという作曲家はほとんど聞かない。

作曲家というのは、身体の中の音楽をどうにかして出さずにいられない人のことをいうのかもしれない。
その他のことはグズグズ。

来年6/02日曜日大阪市にて、マチネ一回のみの公演。
クラシック音楽劇「クララ・シューマン 天才の嫁はん」致します。

入場料3000円(前売り券)

お問い合わせ・ご予約は夙川座
0798-55-8297
shukugawaza@gmail.com
facebookのメッセージにて。

お待ちしております。
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2018年11月12日

来年の公演のお知らせ

ロベルト・アレクサンダー・シューマン

ドイツ・ロマン派を代表する作曲家。

今日はフルネームを知ったところで、おやすみなさい。

来年6/02日曜日大阪市にて、マチネ一回のみの公演。
クラシック音楽劇「クララ・シューマン 天才の嫁はん」致します。

入場料3000円(前売り券)

お問い合わせ・ご予約は夙川座
0798-55-8297
shukugawaza@gmail.com
facebookのメッセージにて。

お待ちしております。

写真は今回の主役、嫁のクララさんとのピアノ作品集
この中からどれかクララが弾いてくれます。
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プロフィール
notebook
notebook
学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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