「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年01月26日

伊佐山紫文281

昨日は『クララ・シューマン 天才のヨメはん』のチラシの撮影で、午前中、神戸の御影公会堂につめていた。
 チラシの撮影に、私など、本来、いてもいなくてもいいのだが、まあ、賑やかしのギャラリーの一人として。
 で、カメラマン、ヘアメイク、衣装さん、それぞれがテキパキと立ち働いているのを眺めながら、うらやましいな、と心底思った。
 子供の頃から、道具を使う仕事にあこがれていた。
 のこぎりやカンナを大事にする大工さんや、彫刻刀を研ぐ彫刻家、レンズを磨くカメラマン……
 いろんなものに憧れた。
 で、行き着いたのが、使う道具と言えばパソコンだけのライターである。
 楽譜に歌詞を書き込むのに使う鉛筆にこだわろうと思ったこともあるけれど、別に普通のシャープペンシルで十分だと分かって、普通にそこにあるものを使うようになった。
 生来、ものに対するこだわりがないのだと思う。
 子供の頃はいざ知らず、大人になってから何かのコレクションなどしたこともない。
 もちろん、家の中は本やCDで溢れかえってはいるけれど、これはコレクションとはとうていいえない雑多な駄本・駄CDの山である。
 これも、そんな生活と関係していると思うが、私はメモをとらない。
 だから、メモをきちんととって整理できている人がうらやましくて仕方ない。
 あんなきれいで整理できているメモがとれれば、この乱れた生活がどれほど秩序だったものになるかと思う。
 私が見た最もすばらしいメモ、というか手帳は映画人のものである。
 私は一本の映画の制作に始めから終わりまで関わったことはないけれど、断片的には多くの現場を観てきた。
 超大作、と言われた映画の現場にもいたし、後になって考えれば無謀としか言いようのない幻の映画のシナリオを何本も書いた。
 そんな映画の打ち合わせの時に垣間見る映画人のメモの緻密さにはいつも圧倒された。
 舞台と違い、映画はロケーションが命である。
 特に低予算の場合。
 まずはロケハンがあり、ロケハンを元にシナリオが作られていく。
『ローマの休日』が良い例で、これは観光名所を巡る一日の物語だから、まず季節を気にしなくていい。
 一日だから、時の流れを映像で表現する必要がない。
 撮影日数も最小で、キャスト・スタッフの拘束時間も短くてすむ。
 このように、シナリオそのものが、予算に合わせて作られているのだ。
 邦画でよく、物語のクライマックスが一年後だったりするのも同様の理由で、桜の季節に始まって桜で終われば、オープニングとラストを同じ日に撮影することもできる。
 予算と日数が限られている以上、すべてを効率よく、コンパクトにまとめなければならない。
 映画を仕上げるには、緻密な計画と、それを共有するメモが必須となる。
 自分にもし何かがあったとき、私のメモをほかの誰かがきちんと読めて、計画を進めていかなければならないからだ。
 そもそも字がド下手な私にはとてもとても。
 ところが逆に、道具を駆使する人に言わせれば、
「伊佐山さんはいいですね、頭の中だけで仕事が出来て」
 イヤイヤイヤ、もう限界です。
 そろそろなんとかしないと。
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2019年01月14日

伊佐山紫文280

『ふたりのヨシコ 李香蘭と男装の麗人』でお世話になった安田バレエスクールの発表会を観てきた。
 構成といい、技量といい、もちろん、発表会であることがわかった上で、それでも素晴らしい舞台だった。
 この地上に重力があることを忘れさせるリフトや滞空時間、華やかな衣装……
 どれ一つとっても夙川座には無いもので、安田先生と以前に話していて盛り上がった、作曲家と組んでのオリジナルバレエ、斉明女帝を主人公とするバレエ『甲山物語』という構想もあながち夢ではないと思った。
 もちろん、夙川座や安田バレエスクールが根城とする西宮の象徴「甲山」の伝説をもとにした物語である。
 作品なんてのは本当にちょっとした思いつきから出てくるもので、不思議とその思いつきは大地、この地面、地元に根ざしている。
 昨日、ここで言及した、
『二人の鬼 日田どん物語』
 もそうで、なんであれを思いついたのか、今もって謎である。
 危篤の母に息子を会わせに帰り、会わせた翌日に母が亡くなり、葬儀を済ませた翌日にパトリア日田の舞台監督に就任したばかりの畏友樋口と数十年ぶりに再会した。
 そこでオリジナルミュージカルの原作を依頼された。
 ミュージカルなど、私としては初めてのことで、『雨に唄えば』や『サウンドオブミュージック』など、名作DVDを観て見て観まくり、宝塚の脚本も取り寄せて、おまけにシナリオスクールにまで通った。
 それで、およそ二年かけ、
『永遠なれ日田県! 日田養育館物語』
 が出来上がった。
 樋口も「ここまでやるとは思わなかった」との出来映えで、成功は疑いないと思われた。
 ただ、私は挫折だらけの人生を歩んできていたので、前祝いの飲み会で、樋口に、
「もうひとつ、大きなどんでん返しがあるような気がする」
「何があるんだよ」
「わからん。ただ、俺の予感は当たるからなぁ」
「心配するなよ、大丈夫」
 で、私の予感は大当たりした。
 当時の市長は県の役人上がりの、組合推しの左翼である。
 だからもう、ヒトラーやスターリンと同じ、法令無視のやりたい放題、当然、市民からの批判も高まる。
 それでもここは日本だから、批判する連中を収容所に送って皆殺しにするわけにはいかない。
 だから八つ当たりする。
 待機児童ゼロという公約が達成されないのを野党に追及され、キレッキレになっているところで「日田養育館」のミュージカル案を見せられた。
 日本初の社会福祉施設と言われる「日田養育館」は明治の初期に設立され、多くの孤児の命を救い、明治皇后からも「美しい仕事」と評価されている。
 たった今、市長が待機児童のことで追求されているというのに、明治の社会福祉施設のミュージカルとは何事か!
 というわけで、激怒!
 まあ、気持ちはわからんでもないが、左翼らしい独裁ぶりである。
 私の二年間は白紙に戻った。
 もちろん、黙って水に流すような私ではない。
 いちおう公募という形をとっているので、広報には証拠が残ってる。
 だから、一般競争入札での結果を市長が覆したと言うことになり、これは当時話題になっていた「天の声」に当たる。
 しかも、これは大きな声では言えないが、このときの契約書は私が作っていた。
 長ったらしい契約書は面倒でしょ、などと当時の課長を言い含めて、私に有利な契約書を、私自身が市役所のパソコンを使って作っていたのである。
 私が感じていた悪い予感が的中したときのための自衛である。
 で、予感は当たった。
 元々の契約書では、市が、市の都合での契約解除は一方的に有効とされていたのが、私の契約書では、すべて法令によるとなっている。
 とすれば民法が適用されるわけで、こちらも損害賠償を請求できる。
 だから裁判を起こせばこちらの言い分が通る可能性が高いというわけだ。
 デルにさえ勝った私である。
 訴状を用意し、やる気満々でいた。
 ところが、以前のようなアツさがない。
 闘争心が沸いてこない。
 浮き立つような血の騒ぎ、熱のこもった血のたぎりがない。
 むしろ、そんなことはやめろよ、と、もう一人の自分が言う。
 争いじゃなく、もっと今の気持ちを作品にしようよ、と。
 で、パソコンに向かい、一気に二時間ばかりで書き上げたのが、
『二人の鬼 日田どん物語』
 である。
 本番が無理なら、中間発表でやればいいだろう、と。
 私の個人的な経験をベースにした母子の愛着と死による解放をテーマに、まったく個人的な「私戯曲」のつもりで書いたのだが、樋口演出では見事に権力批判の舞台になっていた。
 やりやがったな、と思ったが、我々表現者には、しょせん、こんなことしかできない。
 思えば、デルの裁判と「二人の鬼」との間には、息子の誕生という大事件が挟まっている。
 単身脳から父親脳へと移りゆく過渡期だったのだ。
 あれから十年近い年月が流れ、今では闘争心は全く失せ、作品と子供の成長のことしか頭にない好々爺になってしまった。
 父親脳に支配された父親になるとはそういうことなのかも。
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2019年01月13日

伊佐山紫文278

『カメラを止めるな!』を再度見た。
 妻と。
 妻は、前半のくだらないゾンビシーンで腹を抱えて笑う私を怪訝な目で見るのだが仕方ない。
 そういう映画なのだから。
 で、見終わった後、なぜか、9年前に日田でやった音楽劇、
『二人の鬼 日田どん物語』
 を見たくなった。
 年末にテレビ台を整理していてそのDVDが出てきたというのもあったし。
 で、酔った勢いもあって、セットして見た。
 正直言って、これまでの生涯、それほど多くの舞台を見てきたわけではない。
 金もないし。
 だからこれは押さえに押さえた評価になる。
 それでも、恥を忍んで言えば、
「傑作である」
『島ひきおに』以上の傑作である。
 はっきり言って、そこらのテレビドラマや映画にはない人間性の真実がきちんと描かれている。
 しかも笑いがあり、涙があり、魂の浄化のある娯楽としてきちんと成立している。
 ラストでの観客の忍び泣きにもらい泣きしてしまった。
 これはもう、10年に一度の奇跡の舞台と言っていい。
 こんな舞台の脚本を書ける奴って、いったい誰だ?
 あ、俺か。
 こんな素晴らしい舞台美術と演出ができる奴って、いったい誰だ?
 あ、樋口か。
 見終わって、なんで世間はこの二人に毎年舞台を作らせようと思わない、と、憤りさえ覚えた。
 おそらく『カメラを止めるな!』のスタッフたちも同じような憤りを抱えて生きてきたんだろうと思う。
 これだけのことが出来るスタッフやキャストがずっと無名でいたのだから。
 それでも今回、こんな大ヒットを飛ばしたんだから素晴らしい。
 おめでとう。
 あやかりたいもんです。
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2019年01月13日

伊佐山紫文278

舞台演劇『島ひきおに』のDVDが届いた。
 私が脚本を担当した舞台を地元日田のケーブルテレビが放送したものである。
 出来映えから言えば、素晴らしい。
 毎回公演を映像化している立場から見ても、あの条件でこの仕上がりは素晴らしいとしか言いようがない。
 映像に酔い、観ながらの深酒で、宿酔だ。
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2019年01月10日

伊佐山紫文277

『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』平成30年2018年アメリカ
監督:ジェイク・カスダン
脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ、スコット・ローゼンバーグ、ジェフ・ピンクナー
「ジュマンジ」というゲームに吸い込まれた高校生四人の脱出劇。
 それぞれの能力を生かして、励まし合い、助け合い、一つの目的に向かって突き進む。
 もちろんハッピーエンド。
 とにかく脚本がすばらしい。
 と思って確認したら、とんでもない大物たちが名を連ねてる。
 そりゃおもしろくないはずがない。
 逆に作家性はなくなったけど、みんなでわいわい騒ぎながら見るのにはそんなもの不要。
 家族でどうぞ。
★★★★★
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2019年01月10日

伊佐山紫文276

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』平成29年2017年アメリカ
監督:クレイグ・ギレスピー 脚本:スティーブン・ロジャース
 1994年リレハンメル冬季五輪の出場を巡って、元夫らにライバルを襲撃させたとされたトーニャ・ハーディング事件。
 現在の当人たちのインタビュー映像も交えて抱腹絶倒の再現劇が出来上がった。
 トーニャを含め、主要な登場人物すべてがどうしようもない愚物。
 しかも愚物が愚物なりに努力しようとするものだから、ボタンを掛け違い、すれ違い、事態は誰も望んでいなかった「ナンシー・ケリガン襲撃事件」へとなだれ込む。
 誰が悪いというものでもないところが悲しい、なんてものじゃない。
 とにかく暴力はあかんって。
 それと、確かに面白く見せてもらったけど、女子初の三回転アクセルは伊藤みどりさんだし。
 嘘ついちゃいかん。
 それで★一つ減点。
 ★★★★☆
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2019年01月10日

伊佐山紫文275

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』平成29年2017年アメリカ
監督:クレイグ・ギレスピー 脚本:スティーブン・ロジャース
 1994年リレハンメル冬季五輪の出場を巡って、元夫らにライバルを襲撃させたとされたトーニャ・ハーディング事件。
 現在の当人たちのインタビュー映像も交えて抱腹絶倒の再現劇が出来上がった。
 トーニャを含め、主要な登場人物すべてがどうしようもない愚物。
 しかも愚物が愚物なりに努力しようとするものだから、ボタンを掛け違い、すれ違い、事態は誰も望んでいなかった「ナンシー・ケリガン襲撃事件」へとなだれ込む。
 誰が悪いというものでもないところが悲しい、なんてものじゃない。
 とにかく暴力はあかんって。
 それと、確かに面白く見せてもらったけど、女子初の三回転アクセルは伊藤みどりさんだし。
 嘘ついちゃいかん。
 それで★一つ減点。
 ★★★★☆
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2019年01月10日

伊佐山紫文274

昨日はもう、大忙しだった。
 正月中に使い果たした常備菜を作り直さなければならないし。
 まずは出汁。
 昆布と節と椎茸と。
 これがないと、息子の大好物のだし巻き卵が作れない。
 で、この出汁をベースにした、スープのベース。
 タマネギ、エノキタケ、シメジ、昆布を出汁で煮て、ミキサーにかける。
 日常的には、これを出汁でのばして味噌汁やラーメンのスープにする。
 それから、ジンジャーエールの素。
 ショウガをミキサーにかけ、砂糖を加えて一煮立ち。
 炭酸水とレモンと焼酎で夕食の乾杯ドリンクになる。
 昨夜仕込んだ納豆が出来上がったから、こんどはヨーグルト。
 納豆は秘伝豆という大豆を煮て、市販の納豆と混ぜてヨーグルトメーカーで発酵させる。
 最初は家族が「臭い、臭い」と言っていたが、最近は慣れたみたいだ。
 ヨーグルトはサツマイモで作る。
 サツマイモを水煮して、米麹を加えて発酵させ、まずはサツマイモの甘酒を造る。
 これにヨーグルトを加えて乳酸発酵させる。
 旨いし、大腸フローラに効きまくりの飲む点滴である。
 今日は塩麹と液体味噌を作る。
 塩麹の上澄みをとったあとの麹に豆乳と塩を加えてミキサーにかけ、発酵。
 何にでも使える万能調味料になる。
 日頃手抜きをするために、大忙しの日がたまにありますわ。
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2019年01月10日

伊佐山紫文273

 西宮北口を舞台に撮影される映画『にしきたショパン』のオーディションの審査員を務めることになりました。
https://www.facebook.com/pg/にしきたショパン映画化への道-1943011596017293/posts/
 25年くらいぶりの映画の仕事です。
『カメラを止めるな!』という心洗われる「映画の映画」を見た日にこのような仕事が決まり、心ときめかせています。
 実は25年くらい前は、主にシナリオを書いていました。
 小説は書けども書けども売れず、これからは「映像」だ、と腹をくくって。
 こちらも経験不足で阿保だったのと、様々な状況、人間模様、そして金銭の問題から、どれも撮影にすら入れなかったのですが、ホン(シナリオ)がそこにあることの重要さを学びました。
 それでも、いちばん勉強になったのは、情報管理の重要性です。
 当時、シナリオを書いてはテレビ局に送りまくっていました。
 新人賞みたいな七面倒くさいことやってれんわ、みたいな感じで、面白かった番組のプロデューサー宛に直接送りつける。
 今考えても無謀だし、危険だ。
 妻にはできあがった作品を読んでもらい、直すべきところは直し、送りつけてひたすら朗報を待った。
 で、ある夜の夕食の席で、妻が、
「キミのシナリオ、テレビになったんやね。お昼休みのテレビでやっとったで」
 ハァ?
 聞いてませんが?
 で、翌日、それを観てみた。
 やられた!
 アイデアの根本をパクられた!
 それでも、完パクではないから、偶然ですと言われれば何の反証もできない。
 やられた、と悔しい思いもしつつ、逆に、自分の作品が通用することがわかって、ある種の自信にはなった。
 その後、シナリオスクールにも通ったのだが、そこでのインチキのからくりを見抜いてしまい、身の危険さえ感じて、もう「映像」の世界に深く失望して脚本からも遠ざかった。
 お呼びがかかったのは「舞台」からだった。
 いろいろお約束のすったもんだはあったものの、パトリア日田での、
『二人の鬼 ひたどん物語』
 の脚本を担当した。
 これが好評で、次の仕事、日本劇作家大会での、
『フィガロの決戦!』
 の上演につながった。
 で、浅川座長と夙川座を結座して今日に至る。
 今回、夙川座の仕事が評価されて、再び映画の世界に関わることになりました。
 私の得意技はその人に当てて書く「当て書き」なのですが、今回は逆、ほかの先生の書かれたシナリオに合う人を選ばなければなりません。
 身を引き締めてがんばります。
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2019年01月10日

伊佐山紫文272

『カメラを止めるな!』平成30年2018年日本
監督・脚本:上田慎一郎
 昨年(平成30年)の邦画で最も話題になった一本だろう。
 ゾンビ映画かと思って見始めたら、見事にだまされた。
 映画についてのメタ映画です。
 非常に爽やかな一本ですので、ぜひ皆さんも騙されて、少しだけいい気分になってください。
★★★★★
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2019年01月10日

伊佐山紫文271

 4日は「クララ・シューマン 天才のヨメはん」の初稽古でした。
 皆さん脚本をしっかりと読んでこられているのがわかる読み合わせで、爆笑のうちに終えることができました。
 ありがとうございます。
 昨日は夙川座支援者の方の葬儀でした。
 故人の希望により、浅川座長ともう一人で、私の歌詞の歌で送らせていただきました。
 その後はラーメン屋で昼食、ライブハウスで挨拶、サイゼリヤでささやかな新年会をいたしました。
 三人でプロシュートの生ハムつまみにワイン飲んで全部で千円って、どんな価格設定なんだよ。
 もうこれから迷ったらサイゼリヤでいいかなと思った新年でした。
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2019年01月10日

伊佐山紫文270

また仕事。

モーツァルトの子守歌(作詞:ゴッター 作曲:フリース)

夜は静かに お前を包み
羊や鳥と 同じ眠りに
明るい月は 窓から照らし
お前を守る 
夜は静かに お前を

音は消え果て 静かなおうち
子ネズミたちも 騒ぐのをやめ
かそけき声の 有るか無きかぞ
お前を思う
夜は静かに お前を

楽し夢見ん 幸いの子よ
おもちゃに埋もれ おやつも食べて
明日は朝から 光の中に
お前は生きる
夜は静かに お前を
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2019年01月10日

伊佐山紫文269

 私の冬休みの思い出と言えば、小学校低学年であれば凧揚げや駒回しであり、それ以後はフナ釣りやルアー釣りで、基本的にアウトドアである。
 そんな私から見れば、息子のゲーム熱は異常としか言いようがない。
 何をやってるのかは知らないが、パソコン、スマホ、ゲーム機をとっかえひっかえ、常に何かをいじっている。
 時折、
「なんでだよ! おかしいだろ!」
 とか声を発するので、何か勝負事をやってるんだなとは思う。
 おそらく高濃度テストステロン被爆児なので、顔の横幅が広く、負けず嫌いで、闘争心が旺盛である。
 だから常に何かと戦っている。
 戦うのはいい。
 この世は不条理に充ち満ちているから。
 それでも、一つの不条理をただせば、次には二つの不条理が生まれ出る。
 その繰り返しで、完全な世の中などあり得ない。
 お父さんはもうお前が生まれる何年も前に、不条理との戦いはあきらめて、不条理と遊ぶことにした。
 不条理を歌にする、芝居にする。
 それで人が泣き、笑い、少しでもその人の人生が浄化されればそれで良いじゃないか、と。
 そんな歌や芝居を書くためには、まあ、勉強ですわ。
 漱石の生きた年齢はとっくに超え、もちろんシェイクスピアも超え、マーラーも超え、才能とかそういうのに頼れないことがわかってくれば、あとは勉強しかありまへん。
 問題は、何をどう勉強したら人を感動させるのかが皆目わかっていないってことで、そこから勉強しないとあかんってことですわ。
 とりあえず、今年はカントの三批判を読み返すことから始めます。
 なんや、息子は、パソコンいじりながら笑てますけど。
 戦いにも楽しいことがあるんでしょうな。
 まあ、ええ正月ですわ。   
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2019年01月10日

伊佐山紫文268

今年の初仕事

80日間世界一周(ビクター・ヤング作曲)

あなたを探して 世界の街角 歩むの今
時には雨降り 体も心も 凍えてただ
それでもあなたを 求めて 求めて 求めてゆく
世界の街角 ただ あなたを求めて

あなたを探して 世界の街角 歩むの今
イギリス フランス 田舎も都会も 歩むのただ
ひたすらあなたを 探して 探して 探してゆく
世界の街角 ただ あなたを求めて

あなたを探して 世界の街角 歩むの今
春夏 秋冬 晴れの日 風の日 休みもせず
ひたすらあなたの 姿を 姿を 姿だけを
世界の街角 ただ あなたを求めて

出会えたあなたと 世界の街角 歩むの今
二人でイギリス 二人でフランス 二人だけで
この世の幸い 二人で 二人で 味わうのよ
世界の街角 ただ あなたと二人で
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2019年01月10日

伊佐山紫文267

 年末に香川の高松へ旅行した。
 前に訪れたのは、三冊目の本を出した頃で、講演というか、学習会の講師で行ったのが最後だから、もう20年以上も前のことである。
 関西から四国は、近いようで、なかなか足は向かないものだ。
 思えば、初めて高松に行ったのは学生の頃、学会での発表だった。
 学会と言っても、四国だけの集まりで、まあ、学芸会みたいなものだった。
 それでも学会デビューだった私は、それなりに緊張し、それなりにがんばった。
 それはそれなりに評価され、夜の飲み会では私を囲む輪ができた。
「遺伝」と「環境」を巡って、今思えば幼稚な議論が積み重なり、何の結論も出ないまま、高松の夜は更けていったのだった。
 今回は子連れである。
 香川名物・鶏の骨付きモモを食べたいという妻の思いつきで、急遽決まった。
 決めていた居酒屋はホテルから歩いて数分、予約はしていなかったものの、なんとか潜り込むことができた。
 で、その骨付きモモ、若鶏と親鳥とがあるのだが、両方頼んで食べ比べれば、やはり、親鳥が圧倒的に旨い。
 ただし、堅い。
 子供には若鶏をやって、親は親鳥をつまみに地酒。
 その後、妻と子供をホテルに帰して、一人で高松の夜をそぞろ歩き。
 風俗の客引きなどはないが、それなりにいかがわしい通りを抜けて、長年の念願、というほどではないが、訪れてみたいと思っていた、宮脇書店の本店に至る。
「本なら何でもそろう」
 がスローガンの巨大書店チェーンの本店である。
 かつては私の本も、もちろん扱ってくれていた。
 想像していたとおりの店内を歩き、岩波書店のコーナーでは、もう大阪の書店でも見なくなったようなシリーズがゴソッと残っているのを発見。
 買いはしないが、二三冊手に取ってみる。
 再販制度に入っていない岩波ならではの醍醐味である(書店にとっては最悪だろう)。
 結局、珍しい文庫本を一冊買い、また街をそぞろ歩いてホテルに戻った。
 翌日、栗林公園(「くりばやし」ではなく「りつりん」)を散策して、妻がかねてから決めてあったらしいうどん屋に行くが、大行列であきらめる。
 高松駅前の、いかにもしょぼいうどん屋で食べるが、これも結構いけた。
 それでもやっぱり、うどんは家のがいちばんという、妻の結論。
 そりゃ、北海道の小麦で打った麺を、伊吹島のいりこでとった出汁に本醸造の超特級醤油で食べてりゃ、そうなるでしょ。
 うちのうどん、店で出したら、一杯、千円はとらないと。
 かけうどん一杯160円じゃ、出せません。
 食べてすぐに船に乗り、師走の神戸を通り過ぎて帰ってきた。
 四時間半の船の中、スマホでゲームをやり続けた息子は見事な赤目ちゃんになり、しばらくはゲームなしで、昨日は寝正月、今日は冬休みの宿題をやっている。
 宿題が終わったら5分だけゲームができるとて、まれに見る勢いで漢字に取り組んでいる。
 まあ、そんな正月ですわ。
   
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2019年01月10日

伊佐山紫文266

 皆様明けましておめでとうございます。
 今年の仕事で決まっているのは、
 夙川座6月2日(日)公演『クララ・シューマン 天才のヨメはん』
 のみです。
 それと、今日から、大分県日田市のケーブルテレビKCVで、夙川座が脚本と歌詞を担当した、
 舞台演劇『島ひきおに』
 が放送されます。
 主要キャストがすべて知的障害者という、なんとも画期的な舞台です。
 どうか、福祉的な視点ではなく、純粋な娯楽としてお楽しみください。
 夙川座とパトリア日田の演出家、そして地元のテレビ、このような黄金の三角関係を、これからは関西や他の土地でも作っていけたらと思っています。
 皆様、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
 
 
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2019年01月10日

伊佐山紫文265

 年末から色々なことが起こり、当初考えていた計画というか目論見が次々と破綻して、何というか、やはり世の中甘くないなと実感している。
 いやいや、これまで世の中が甘かったことなど一度もないし、人生の計画や目論見がその通りになったこともほとんどない。
 何か考えては、常に壁にぶち当たり、砕け散り、あきらめて、迂回路を探す。
 そんなことの繰り返し。
 それでも何とか生きてこられたのは、何よりも妻、そして皆様のおかげです。
 思えば、父親のアル中が認知症へと悪化し始めたのが平成12年、ちょうど西暦2000年頃で、それ以後、母もおかしくなり、言い訳ではないが、まとまった仕事をするような環境ではなくなった。
 父に続いて母が亡くなり、遠距離介護の幕が閉じた平成20年(2008年)には息子が生まれ、これ以後は怒濤の子育てで、これ以後も、言い訳ではないが、きちんとした仕事をする環境ではなかった。
 あれから10年、子供もそれなりに育ち、そろそろしっかりとした仕事を始めようと思ったときには、もう、早期退職と言ってもいい歳になっている。

 少年老い易く学成り難し
 一寸の光陰軽んずべからず
 いまださめず池塘春草の夢
 階前の梧葉すでに秋声
 
 朱子の詩だとされてきたが、近年の研究によれば別人の作らしい。
 日本の禅僧が読んだ少年愛のエロ歌という解釈もある。
 それでも、人生の「秋声」を聞きながら新たな「春草の夢」を思うこの詩を、私は毎年、正月に書き初めする。
 今年の「春草の夢」はなんだろう。
 とりあえず、書き続ける、かな。
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2019年01月07日

伊佐山紫文264

 御用納めの今日、今年を振り返ってみよう。
 夙川座主催公演は『ふたりのヨシコ 李香蘭と男装の麗人』だけだったが、他団体との共催(「侍祭(さむらいまつり)」での『平和の新地』)や企画協力(大阪音楽大学「大人の会」)、また脚本を提供したイベント(舞台演劇『島ひきおに』)が故郷・日田で開かれるなど、仕事の幅は広がったと思う。
 もちろん、利益というにはほど遠い仕事内容でしかないし、こちらの思惑が空回りした年でもあった。
 そんななか、ひとつ、はっきりしたことがある。
 それは、夙川座は日本語の会社だということである。
 日本語で作品を提供し、日本語の妙味を味わってもらう。
 特に関西では、関西弁での上演にこだわって。
 もちろん、ここに、東京への対抗意識とか、そんなのはみじんもない。
 そもそも浅川座長(社長)は北海道出身だし、私は九州男児である。
 日本の北と南からやってきたよそ者二人が、自由な気風の関西で、それを良いことに好き放題やってるというのが実態である。
 そんなよそ者の目から見れば、関西人の歌手が、関西人の観客相手に、慣れない標準語で芝居するのは絶対におかしい。
 それは、日本人が、日本人相手に、イタリア語のオペラを演じるのとはわけがちがう。
 オペラの場合は、オリジナルが外語なんだから仕方ない。
 なのに、これから作るオリジナルで、関西人が演じ、関西で上演するものを、標準語でやる意味があるのか。
 日田でやった芝居『しまひき鬼』の脚本も、本来なら日田弁で書くべきだったとは思うけれど、原作の縛りがあるのでしかたなかった。
 もちろん、私は九州男児だから、関西弁のネイティブが作品を検討すれば、いろいろと気色の悪い部分もあるとは思う。
 それはそれで、指摘のある都度直し、上演の時点ではまともな関西弁になるよう心がけている。
 次回公演『クララ・シューマン 天才のヨメはん』も、基本、関西弁で、関西の観客の笑いを取りに行くつもりだ。
 脚本を読んだ演者から、すでに「コッテコテですね」とのお言葉もいただいている。
 目指すはクラシック界の吉本新喜劇。
 いや、別に松竹新喜劇でもかまわない。
 それか、関西の企業が貸し切ったタカラヅカ(普段の舞台とは別物)でもいい。
 と、書いていて、関西の笑劇の分厚さに圧倒される。
 圧倒されつつも、その一角を占めるべく、来年も蟷螂の斧よろしく、無謀な戦いを挑もう、と。
 手にする武器はクラシック音楽。
 そんな気持ちで。
 誰に向かって言ってるのかわからんが、神様でも仏様でもいいし、皆様でもいい、とにかく来年も、感謝の心で仕事します。
 今年は良い仕事をさせていただきました。
 来年もまた良い仕事をさせてください。
 どうか、よろしくお願いいたします。
  
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2019年01月07日

伊佐山紫文263

『羊と鋼の森』平成30年2018年日本
監督:橋本光二郎 脚本:金子ありさ
 青年ピアノ調律師の話。
 なんてことはない話だけれど、ピアニストを目指すことにした女の子の台詞が突き刺さった。
「ピアノで食べていくんじゃない。ピアノを食べて生きるのよ」
 確かに才能なんてのはそんなものかもしれない。
 『文学で食べていくんじゃない。文学を食べて生きるんだ』
 とか、半分開き直りで。
 実際、才能が重荷でしかない人生もあるからね。
 ……
 新しいパソコンで原稿を作ってみた。
 ワープロは同じだけど、学習環境が違うから、やりづらい部分もある。
 8年も使い続けたパソコンとソフトだもんな。
 これからまだまだ引っ越しは続くよ。
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2019年01月07日

伊佐山紫文262

 新しいパソコンから初投稿。

 しんとせし心の痛み
(平成二十九年、水害にて鉄橋の流されし花月川の半世紀前の光景)
 
 秋の長雨に
 そぞろしも心遠く
 眺めやる景色
 うたてしや幼き日
 浮かびては消え
 消えては浮かび
 あるかなきかの
 しんとせし痛み

 あれはいつの幼き日ぞ
 川原には風光り
 春の陽は水面にさざめき
 若き日の母は濁りなき笑顔もて
 土手の上に手を振る若き父を
 大声に呼ばんとするにはあらずや
 父の手には甘き洋菓子ありて
 それを我にくれんとて
 大声もて腕を振るにはあらずや
 澄みわたる青空のもと

 そはあまりにもさいわいにすぎ
 心に封じぬ
 ひとたびそを放たば
 そは奔流として我が今を流し去るべし

 幼き我はそを心の底に沈め
 かつてありし景色とて
 時折こころに浮かべ
 舐めんがごとく味わいぬ

 いつしか父は去り母も逝き
 かの景色は永遠の幻となり
 我今しんとせし痛みを
 心に解き放ちぬ
 
 風光る川原
 水面にさざめく春の陽
 濁りなき笑顔の母
 そして洋菓子もて土手を駆け下る父

 しんとせし心の痛みを
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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