「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2020年01月30日

伊佐山紫文513

『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
E.フッサール著 細谷恒夫・木田元訳 中公文庫
 学生時代から何度読み通そうと思ったことか。
 超難解な上、500ページを超す大著である。
 今回、少しずつ、少しずつ、嘗めるように、数年をかけて読み通した。
 簡単に要約できるようなものではないから、内容についてはおく。
 一瞬、あれ! と思ったのは、哲学者の作品には珍しく、音楽への言及があること。
 28ページにベートーヴェン「第九」に触れて、フッサールはこう言う。
「今日では、我々はこの賛歌を思い起こすにしても、痛ましい思いをともなわないわけにはいかない。あの賛歌とわれわれの現在の状況との対照ほど大きいものが、ほかに考えられるであろうか」
 フッサールがこう書き付けたとき、ヨーロッパにはナチの暴風が吹き荒れ、自身の余命も数年を切っていた。
2020年01月30日

伊佐山紫文512

息子が、どうしてもやりたいネットゲームがあるというので、オンラインで買ってやった。
 それがもう、ハタで見てもわかる高精細高画質で、しかも高機能らしく、息子が何をやったからこうなったのか、サッパリ分からん。
「やっぱり、スイッチは子供向けだな。まるで違う」
 などと言いながら、キーボードをぶったたいている。
 しかしまあ、これはアメリカのゲームだが、ゲーム制作者というのはこの世の終わりが大好きだね。
 平々凡々な、それでいて心躍るような明るい未来を想像できんのか。
 そりゃまあそうで、そういう平凡な未来を夢見るのは女性の仕事で、ゲーム制作者のほとんどが男性である現状からして、ゲームの世界が弱肉強食、酒池肉林となるのは当然だろう。
 ゲーム世界を作ろうと言うような、テストステロン溢れる脳に突き動かされた野郎ども(実際はひ弱なオタクたち)が作った世界に、これからテストステロンまみれになる脳が反応して、こうなっているというわけか。
「宿題は?」
「学校で休み時間にやった」
「なんで学校でやる?」
「学校にはゲームねぇし」
 さいですか。
 返す言葉がありませんわ。
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2020年01月27日

伊佐山紫文512

「義務教育って、なんで親の義務なん?」
 と風呂で息子が聞いてきた。
「そりゃ、義務にしなかったら、親は子供を学校になんかやらなかったからだよ」
「なんで?」
「子供は労働力だから、それを取られるのを嫌がったわけさ。明治の初めには、義務教育や徴兵制に反対する一揆も起きた」
「なんでそこまでして、教育をしようと思ったの?」
「将来、兵士になったとき、読み書きが出来なきゃ困るだろ」
「でも、今は戦争しないよね、それでも教育はいるの?」
「いるよ。ちゃんとしたサラリーマンになるために。一日八時間、きちんと椅子に座っていられるような人間になるために」
「それだけ!」
「それだけ。だけど、これからは状況が変わるかも知れん」
「どゆこと?」
「サラリーマンって職業がなくなってしまうかも知れん。仕事を全部、AIがやってしまって」
「それはないでしょ、人の表情を読んで交渉とか……」
「そういうのを全部、ビッグデータとアルゴリズムでAIがやってしまう。顔認証システムと認知心理学、行動経済学を組み合わせれば難なく出来る。そうなると、交渉なんか無意味になる。八百屋の店頭での駆け引きみたいなものは、もうやらない。すべて最初から、AI同志で、決まってることが決まったように進む」
「けど、芸術とかは?」
「そりゃ、いくらAIでもベートーヴェンは無理だろうけど、ビッグデータとアルゴリズムがあれば、そこらのシンガーソングライターくらいにはなれる。一般人が楽しむにはそれで充分だろ」
「僕らはどうすれば良いんだよ」
「お前は大丈夫だよ。ゲームを一日中やっていられる」
「それ、大人の言うことか? 全然安心できんぞ」
「大丈夫、俺の言うことだから、間違いない」
「ますます信用できん」
「じゃあ、どうする?」
「とりあえず、学校の勉強する」
「よし!」
2020年01月24日

伊佐山紫文511

『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』
ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社
 書店で平積みになっているベストセラーは人生論か何かの愚本だと決めつけているあなた、最近はそうでもなくなってきていることを、この本で確かめてください。
 同じく平積みになっているピンカー『21世紀の啓蒙』には及ばないが、この世界の現状を深く掘り下げた名著だと思う。
 ピンカーは元々言語学者・心理学者であり白衣の実験現場にも通じているのに対し、ハラリは純粋の歴史学者であり、それ故の限界がある。
 その弱点が集中的に現れているのが「バイオテクノロジー」についての予測である。
 たとえば「不老不死」が、金さえ出せば可能、みたいな記述がある。
 確かに、ハラリは具体的な言及は避けているが、細胞分裂の回数を制限している「テロメア」と呼ばれる遺伝子を操作すれば、永遠に分裂を繰り返す体細胞を作ることも可能だろう(自然界にもそれはある。悪性新生物、いわゆるガンだ)。
 ただし、何兆とある細胞全ての遺伝子を組み換える必要があるし、そもそも脳や心臓は分裂していないから、それ固有の約120年という寿命がある。
 心臓は人工心臓と入れ替えるとしても、脳の機能を電脳に移し替えるとしたら、量子コンピュータが実現したとしても莫大な敷地と電力が必要になる。
 私は大学院まで生物学を学んだから、そういう細かいことが気になってしまうが、普通に読めば、人類が直面する課題に真摯に向き合った名著であり、得るところは大だろう。
 一例を挙げよう。
 自動車の自動運転が話題になっているが、ここにハラリは古典的な倫理学の問題を見いだす。
 自動運転中、目の前に飛び出してきた子供二人を避け、反対車線に突っ込んで衝突事故を起こして死ぬかどうか。
 ここで、この運転プログラムを作るのに使われるのがどの哲学であるかによって、結論が違ってくる。
 利己主義なら避けずに子供をはねるだろう。
 功利主義なら二人の命を助けるため運転者一人を犠牲にするだろう。
 と、そのようにプログラムするだろう。
 ハラリ自身がどう考えているか、是非手に取ってお読みください。
2020年01月24日

伊佐山紫文510

『ウトヤ島、7月22日』平成30年2018年ノルウェー
監督:エリック・ポッペ 脚本:シヴ・ラジェンドラム・エリアセン
 ノルウェーで起きたテロを銃撃が続いたのと同じ72分、ワンカットで描く。
 まるで『カメラを止めるな!』の世界、と言ってもいられない。
 実話だし。
 遙かによく出来てるし。
 との前提で言うのだけれど、こういう映画、犯人の思うつぼだと思うんだよね。
 この映画によって、局所的テロの局所的恐怖が拡散し、テロの世界的恐怖に生まれ変わったわけだから。
 犯人にとっては願ったり叶ったり、ではないのか、という思いを捨てきれない。
 それでも見る価値はもちろんある。
★★★★★
2020年01月22日

伊佐山紫文509

トランプが桁違いの植林計画をブチ挙げたのに対し、また例のグレた女子高生が文句を言っていたので、
「何一つ、具体的な数字がない。造林が温室効果ガス削減に意味がないとか、何の根拠で言ってるんだ」
 などと文句を言うと、
「どのくらい吸収するの?」
 と、トランプ嫌いの息子からのツッコミ。
 ここで具体的な数字を出せなかったら、こちらもまたグレた女子高生と同じになってしまう。
 言葉に詰まっていると、
「例えば杉の木一本で、一年間に」
 などと、具体的な数字で聞いてくる。
 直感的に、
「3キロぐらいかな」
 と答えると、
「それは凄いな」
 などと、きっと良くも分からず、頷いていた。
 この3キロという数字は、決してデタラメじゃなく、学生の頃にブナの木で計算したものに基づいている。
 調べてみると、実は杉の方がきちんと計算されていて、林野庁によると年間3.8キロ。
 ただ、杉は手間のかかる人工林となるので、総合的に考えたら照葉樹林の極相となるブナの方が良いと思う。
「どこに植えるんだよ」
 と、トランプ嫌いの息子がさらに言う。
「何を植えるかはともかく、アメリカ中に、だよ。北アメリカは、コロンブスが到達する前に、ネイティブアメリカンが自然破壊し尽くしていた。今の砂漠ももとは森林だったんだ。大型哺乳類は刈り尽くし、森も焼いた。まあ、南米には、アマゾンの熱帯雨林が残っているが」
「アマゾンも熱帯雨林が減ってるって言われるよね」
「逆、増えてる」
「ええぇ!」
「耕作放棄された土地がまた熱帯雨林にものすごい勢いで飲み込まれてる」
「耕作放棄って?」
「だれだって、都会に住みたいだろ。いつまでも未開の生活をしてるわけにはいかんのだよ」
「そっか」
「農地ってのは、二酸化炭素吸収から言えば砂漠と同じようなもんだから、これは良いことだとは思うがね。なんにせよ、この地上に自然なんてものはない。全部、ホモ・サピエンスが数十万年にわたって破壊してきたその遺物でしかない。そういう視野に立って物事を考えられる時代になっているんだよ。産業革命からこっちのことばかり議論してたんじゃ話にならんと思うんだがね」
 とにかくグレた女子高生は駄目だ。
 あれは気候変動の言葉で「生き方」を語っているに過ぎない。
 だから、相手が「生き方」を変えることでしか納得しない。
「生き方」を問うている相手に、植林という「技術」を持ち出しても無駄なのである。
 なぜなら、それは「生き方」を変えるわけではないから。
 今の「生き方」を維持しつつ二酸化炭素だけを取り除く「技術」など、欺瞞であり、目くらましでしかない。
 欺されないよ、わたしゃ、となるだけである。
 具体的な数字などもっと不要、全ては「生き方」を変えたくない大人の屁理屈である。
 だが、どうだろう、資源だの公害だの、これまで人類の生存を脅かすとされてきた問題の数々は「生き方」を変えることで解決したのだろうか。
「技術」の進歩、技術革新によって解決されてきたのではなかったか。
 基本的な認識のゆがみに加え、「生き方」論のもっと大きい弊害がある。
 それは人々の間にもたらす深刻な「分断」である。
「生き方」論は必ず「敵」を作る。
 敵味方に分断された社会では、事実より「味方の論理」が優先される。
 事実で説得されることはない人間の特徴がここでも発揮され、「味方」はドンドン先鋭化し、カルトとなる。
 ま、いつか見た光景だよ。
2020年01月20日

伊佐山紫文507

『ホテル・エルロワイヤル』平成30年2018年アメリカ
監督・脚本:ドリュー・ゴダード
 何の関係もない、けれど、それぞれに一癖も二癖もある連中が、それぞれの事情で、それぞれの勘違いで交りあい、ホテルの事態はドンドン悪化していく。
 ケネディ暗殺の頃の、ヒッピーだのベトナム戦争だのを背景にした、当時の音楽が実に効果的に使われていて、陰惨な話が陰惨にならない。
 ドタバタでありながら「信仰」を考えさせる良作に仕上がっている。
 なんで日本では劇場未公開なのか。
★★★★★
2020年01月20日

伊佐山紫文506

『21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩 上下』
スティーブン・ピンカー著 橘明美+坂田雪子=訳
News picks×草思社
 前著『暴力の人類史』よりは薄いが、これもまた充分に大著。
 しかも中身が濃い。
 けれど読んでいて楽しい。
 この世がドンドン奈落の底に落ちていくと言った、エセ予言者のおどろおどろしい駄本と違い、この世が良くなってきていることをきちんとデータで示してくれているからだ。
 それにしても、この著者スティーブン・ピンカーは決して訳者に恵まれていたわけではない。
 NHKブックスの、どれとは言わないが、あれは酷かったし、別のアレは少しはマシだったが、それでも基本的な間違いがあった。
 この著者の邦訳を読むときには、必ず原書をそばに置いて、気になった箇所を確認しなければならなかった。
 しかも、邦訳が出るのが遅いから、待ちきれず原書で買って読むことになる。
 ところが、である。
 この本『21世紀の啓蒙』は原書からわずか一年での邦訳である。
 原書を半分も読まないうちに日本語で読むことが出来た。
 しかも、素晴らしい訳である。
 大抵の本では無駄としか思えない「訳者あとがき」がないのもスッキリしている(ただ、これほどの訳を短時間で成し遂げた訳者たちの肉声を聞いてみたくもあるが……)。
 子供を育てているお父さんお母さん、是非、ゆっくりゆっくりでも読んで欲しい。
 どうやら、私たちは、子供たちによりよい世界を手渡せそうですよ。
2020年01月20日

伊佐山紫文506

お題「望」
壁に貼る我が子の描きしドラえもん 未来を望み空に浮かびぬ
望み来し未来は遙か過ぎ去りて 今日という日をこの手にぞ見る
その手には遙かな望み握りしめ 屹立しけり二十歳の我は
神代より開けし道のその果ての 望みを歌えくすし言の葉
伝えこし春の景色の光して 心に望むこの世の平和
2020年01月20日

伊佐山紫文505

『移動都市/モータル・エンジン』平成30年2018年アメリカ
監督:クリスチャン・リバース
脚本:ピーター・ジャクソン、フィリッパ・ボウエン、フラン・ウォルシュ
 巨大都市が移動する!
 小さな都市を狩る!
 発想も凄いし、映像はなお凄い。
 でも、基本的なプロットは親子の復讐劇にまつわるボーイミーツガール。
★★★★☆
2020年01月20日

伊佐山紫文504

「百人一首」が一段落したので、風呂で息子と「論語」を読んでいる。
 と言っても、名言を抜き出したものの読み下し文だけれど。
 読んでいて色々と思うところがあるようで、
「『君子』って誰? そんな人いるの?」
「いたとしたら、こんなやろうな、レベルの話やろうな」
「へぇ」
 孔子に関心が出てきたようなので、諸星大二郎の『孔子暗黒伝』を読ませてみた。
「こんなモン、小学生に読ませるもんじゃねえだろ! グログログロ」
「まあ、そうかもな。これが『少年ジャンプ』に連載されたとき……」
「『少年ジャンプ』! 駄目だろ!」
「当時としても駄目だったな。お父さんたちは熱狂的に受け入れたけど」
 朝は漢詩を読んでいる。
 今朝はなぜか、たどたどしい。
「こっちを読んでるからだよ!」
「お前、原文を読んでるのか?」
「そうだよ、そろそろ当然だろ」
 ああ、論語ではないが、まさに、
「後生畏るべし」
2020年01月16日

伊佐山紫文503

何年か前、伊丹市の防犯カメラシステム「ミマモルメ」が本格稼働に入るとき、市内各所で住民説明会が開かれた。
 案内が来ていたので、興味本位ではあるが、近所の公民館で参加してきた。
 伊丹には名ばかりではあるが国際空港がある。
 当然「ミマモルメ」もテロ対策の一環として位置づけられるのだろうと思っていた。
 ところが、説明に「テロ」の「テ」の字も出てこない。
 最後に私が「テロ」との関連を質問すると、市の職員の方が、
「防犯こそ、最大のテロ対策だと思っています」
 いや、それは違う。
 と思ったが、黙っていた。
 テロ対策と防犯は全く違う。
 一般的な犯罪者にとって最悪で、もっとも避けなければならないのは、警察に捕まることである。
 だから防犯カメラに写らないようにする。
 防犯カメラの「防犯」たるゆえんである。
 それではテロリストにとって最悪なのは何だろうか。
 テロの失敗はもちろんのこと、それよりも最悪なのは、実行したは良いが、何の注目も集めないことである。
 テロの最大の目的は自らの信仰や信条が世の中に広まることにある。
 何の注目も集めなければ、何のためのテロかわからない。
 世に露出することが目的なのだから、警察など恐れないし、だからカメラに写ることもためらわない。
 と言うか、むしろ大々的に写して欲しいと思っていることだろう。
 思い出すのは、昭和53年(1978年)3月の成田空港占拠事件である。
 新左翼(過激派)の一派である第四インターナショナルのメンバーが管制塔を占拠し、管制機材をハンマーでぶち壊す様はテレビでも放映された。
 これにより、開港が3ヶ月遅れた。
 この当事者に近い方に面白い話を聞いたことがある。
 ハンマーでぶち壊すより、床板を剥がして、そこにみんなで小便をすれば、もっと開港を遅らせることが出来たのだと。
 じゃあ、なんで、そうしなかったのか。
「テレビに映るだろ」
 格好悪い、と。
 そりゃ、立ちション姿より、ハンマーを振り上げた姿の方を映して欲しいだろう。
 巨悪に鉄槌を下している感じもするし。
 これがテロリストの心情であり、この心情の前では防犯カメラなど何の役にも立たない。
 そもそも捕まることを恐れていないのだ。
 捕まることよりも、話題にならないこと、あるいは格好悪いことが問題なのだ。
 こういう話を公民館の説明会の場ですると、私自身がテロリストと付き合いがあるのではないかと疑われるかも知れないので黙っていた。
 ちなみに、空港を占拠したテロリストたちは、今、還暦を過ぎてなお、空港への損害賠償を支払い続けているという。
 それもまた彼らにとっては武勇伝の勲章なのだ。
 テロ対策と防犯は全く違う。
 テロリストは普通の犯罪者ではないのである。
 防犯カメラも、テロ対策であれば、設置場所など、防犯とは違った運用が求められてくるだろう。

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横浜防犯カメラセンター
https://www.yokohama-trinity.com/

2020年01月12日

伊佐山紫文502

先日、東京に帰る浅川座長に、
「今日(1月10日)は戎で、明日は残り福なんで、家族で西宮戎でも行ってくるわ」
「あそこ、大きなブリがおいてあって、そこにお金を貼り付けるのよね」
「それはブリじゃなく、マグロ!」
 で、行ってきました、西宮のえべっさん。
 最初の子が流産して、その子が帰ってくるなら三年後かな、などと、古事記と戎信仰の起こりをこき混ぜて、勝手に西宮のえべっさんに子授けをお祈りしてたのが十数年前。
 見事、三年後に息子を授かった。
 で、子育てに奔走しつつ、西宮から伊丹に引っ越し、今回、初めて息子を連れてえべっさんにお参りした。
 福男選びの正門にはテレビで見覚えがあるらしく、
「ここがスタートだよね」
 などと。
 ちなみに息子の名前は生まれた年の福男さんから一文字をもらっている。
 とにかく人、人、人。
 ラッシュアワーの電車の中。
 それを押されるようにして正殿に向かい、お参り。
 さて、おみくじだ。
 初めて挨拶に来た息子がおみくじを引くと、
「『大福』が出ました~」
 との一声。
 皆様、
「おめでとうございま~す」
 のご唱和。
「大吉よりも、上です。最高です」
 見れば紙の色もうっすらピンクで、いかにもお目出度い感じがする。
「じゃ、私も」
 と母親が引くと、これも見事に、
「凶」
 子供が「大福」で、母親が「凶」とはこれいかに。
 で、私も引くと、
「半吉」
 何のネタにもならん。
 まあ、そんなこんなで、帰りにタコ焼き食って帰ってきました。
2020年01月10日

伊佐山紫文501





伊丹には「ミマモルメ」とかいう防犯ネットシステムがあって、昨日はそれを通じて暴風警報による小学校の「休校」のお知らせメールが届いた。
 この「ミマモルメ」は元々防犯カメラの運用システムで始まったのだが、今では学校も利用して広範な連絡網になっている。
 実は伊丹は防犯カメラ大国である。
 大阪市(人口270万)全体で防犯カメラが5000台と言っていた時代、伊丹市(同20万)は1000台を設置した。
 これには民間のものは含まれていない。
 伊丹では何か悪いことをしても、必ずどこかのカメラに写る。
 と言われていたのだが……
 先日、近所の関西スーパーに買い物に行き、駐輪場に自転車を止めて買い物中、急な呼び出しがあった。
 そのまま大阪に出て、ちょっとした仕事の後、例のごとく飲みに行って、飲酒運転はあかんからと自転車は駐輪場に置いて帰った。
 翌日、関西スーパーに行って自転車を探すと、泊めた場所にはない。
 サービスコーナーに行って尋ねても、自転車の移動は基本、やらない、と。
 警備の人に自転車を泊めた位置を告げると、
「ああ、そこは!」
 なんと、
「防犯カメラに映らない場所ですわ。こっち側に泊めといたら、バッチリ映ったはずや」
「カメラに死角があるんですか」
「そうなんですわ。全部はなかなか無理で」
 自慢ではないが、盗まれた私の自転車の価値は高い。
 自転車としてではなく、金属として。
 ただのママチャリに見えるが、バブル時代に買った総アルミ製の高級車なのである。
 専門家から、アルミとして相当の価値があると言われたことがある。
 だからこそ資源泥棒に狙われたのだろう。
 街を巡回する資源泥棒のトラックにガシャリと載せられて、それで終わり。
 こいつらは防犯カメラの死角など知り尽くしているだろうから、完全犯罪である。
 やれやれ。
 それ以来、街の防犯カメラの位置を確認するようになった。
 新しい自転車は、当然、防犯カメラの真下に泊めている。

PR:監視カメラ https://www.trinity4e.com/
2020年01月07日

伊佐山紫文500

話題になってる逆転広告のパクリ。
上から読んで、次に下から読み直してください。

大丈夫、全部うまくいく。
などと言っていたのはだれだ。
もう駄目だ。
2020年01月07日

伊佐山紫文499

アメリカとイランはおそらく戦争にはならない。
 と言うか、もう国家間の戦争など起きない。
 戦争など「あの世」あってのことで、「この世」しかない世界にあって、人はなぜ、何のために死ぬのか。
 死ねと言えるのか。
「この世」など、「あの世」で過ごす永遠の時間に比べれば一瞬のもの、だから戦争で英雄的に死んでこい、と。
 キリスト教は言うまでもなく、それを取り込んだ靖国神社、あるいはイスラムのジハードなど、とにかく、戦争は「この世」の否定、そして永遠の「魂」の絶対的な肯定抜きには始まらない。
 ここで「魂」を「名誉」と読み替えても良い。
 そんなものが紙切れ一枚の価値もない「この世」だけの世界にあって、いったい、どうやって戦争を起こすのか。
 死んでこい、と言えるのか。
 アメリカは表向きは世俗国家だし、イランも革命前は世俗ペルシャだった。
 しかもシェールガスで中東への石油依存を脱したアメリカは、イスラエルの存在以外、イランと争う理由がない。
 イランも同様で、核兵器を持ったところで、イスラエルを消滅させることは不可能だと分かっている。
 だから戦争は起きない。
 と、理性は言う。
 アメリカとイラン、双方が理性的にふるまうことを望むが、それが難しそうだから困るんだが。
2020年01月07日

伊佐山紫文498

幕末から明治期にかけての不平等条約について、息子が聞いてくる。
 どうやら、ゴーン逃亡劇とからめての報道に刺激されたらしい。
「まずは、刑法と民法に分けて考えなきゃ。江戸時代の刑法だと、敵討ちは合法だった。だから、もし、イギリス人に親を殺された人が、そのイギリス人を私的に斬り殺すのは、なんの罪でもない。むしろ賞賛された」
「へぇ」
「どう? 何の証拠も裁判もなしに、勝手な決めつけや思い込みで殺されたら」
「それは、嫌だ」
「そんな国で商売できる?」
「出来ない」
「刑法的な「信用」、つまり「人権」を保障できない国とはまともに付き合えないってことだ」
「そりゃそうだ」
「次は、民法で考えよう。この土地を担保にお金を借りました。返せませんでした。だったら、この土地をもらいましょう。これが民法。でも、江戸時代は違った。相手が大名なら、返せなくても、その商人を追放すればチャラになった。どう、こんな国と商売できる?」
「出来ない」
「だろ。でも、どっちが正しいかってことじゃない。資本主義が世界を席巻していく中で、お金を中心とした「信用」というルールが出来上がっていった。要は、資本主義の「信用」ってルールに従うかどうかってこと。従わなければ植民地になった。それが嫌なら「信用」に基づいたルールを作れってこと」
「へぇ」
「ネイティブアメリカン、いわゆるインディアンはそれが理解できなかった。土地を所有するって観念がなかったから。だから、酋長がサインをすれば全ての土地が白人のものになって、自分たちは立ち退かなきゃならないなんて、信じられなかった」
「そうなんだ」
「だから立ち向かう。戦争する。でも白人からすれば、「信用」を理解できない野蛮そのものでしかない」
「確かに」
「日本人はそこを理解していた。自分たちの考えでやっても無駄なんだと。世界の趨勢に従うしかないんだってね。でも、日本人はお人好しだから、あまりにもその「信用」を信用しすぎた。それが第二次世界大戦の発端にもなったし、今回のゴーン逃亡劇にも繋がった。信用もほどほどってことだ。ところで、冬休みの宿題は? 昨日やってしまうって約束だったよね」
「出来てないよ。信用もほどほどってことでしょ」
 やれやれ。
2020年01月07日

伊佐山紫文497

石山寺にお参りしてきました。
 妻が年末に家族でどこか一泊旅行したいとて、いちばん安いホテルを探した結果、滋賀の石山のホテルに決まったのでした。
「石山寺が物書きの聖地ってことで選んでくれたん?」
「何それ?」
「え? そしたら、紫式部が源氏物語の着想を石山寺で得たって話は?」
「知らんよ、そんなん」
「ボクのペンネームの紫文は、源氏物語の別名『紫文』からとってるんやで」
「そうやったん」
「本居宣長が『紫文要領』の冒頭で石山寺のことを書いてて、とにかく、物書きなら一度は参拝しとかんとあかんお寺やったんや。これまで機会がなかっただけで、ずっと気にはなっとったんや」
「よかったな、アンタ、やっと呼ばれたんやで」
「そうやな。もう迷いなく、自分の道を行ったら良いって、呼んでくれたんや」
 と言うわけで、行ってきました、石山寺。
 その名の起こりとなった溶岩の異様も眺め、紫式部像も拝み、遙かな昔に思いをはせました。
 年末だったためか人も少なく、静寂の中、苔むした岩や霧に煙る琵琶湖、瀬田川も森の向こうに望み、ゆったりとした時の流れに身を任せる。
 はずが……
「ねえ、早くホテルに行こうよ、地図のとこ全部回るなんて嫌だよ」
 などと愚図る息子に負けて、早々に退散することに。
 夜も近江牛に舌鼓を打つはずが、
「コンビニで買ってきたもので良いよ。もうホテルを出たくない」
 に負けて、コンビニ食で乾杯。
 まあ、家族連れだと聖地巡礼もほどほどですわ。
2020年01月07日

伊佐山紫文496

今年もまあ、色々あった。
 と言っても、全て平穏で、何の事件も起きなかった。
 息子も来年は中学生、恐れていたドロップアウトも起きず、呑気にゲームなどやっている。
 比べるのもなんだが、私が小六の頃、世の中も、私自身も、とても呑気ではいられる状況ではなかった。
 日本赤軍は爆弾事件を起こすし、田中金脈は暴かれるし、『宇宙戦艦ヤマト』は放送されるし、父親は喫茶店を開いて上手くいってるんだかいないんだか、なにか、ピリピリとした雰囲気があった。
 ような気がする。
 あるいは、すべて、思春期に入りかけた子供の心理によるものだろうか。
 あるいは、私自身の発達に問題があったのか。
 あの頃、なんとも言えぬ、緊張の中に生きていた。
 友人はいるにはいたが、皆、なにかしらの問題を抱えていた。
 と言うより、その友人そのものが誰かの問題そのものだった。
 私はマンガと釣りに明け暮れ、滅び行くこの世の行く末に怯えていた。
 公害は人類を滅ぼすだろうし、でなければノストラダムスの大予言で恐怖の大王が降臨するだろうし、異常気象は頻発するし、奇形魚は釣れるし、カラスノエンドウは片方しか実をつけないし、この世の終わりの兆候はいくらでもあった。
 世の人々がなぜ呑気に生きていられるのか、不思議で仕方なかった。
 大人たちよ、私たちの未来を奪うな!
 まあ、言ってみれば、グレたあの子、みたいなもん。
 ああいう終末的世界観を抱いたまま、今世紀までよく生き延びたもんですわ。
 あの頃の自分に言ってやりたい。
 大丈夫、この世はそう簡単に滅びはしない。
 むしろドンドン良くなってるから、安心しろ、と。
 我が子にそう言える大人になれるよう、来年も努力します。
 皆様もまた良いお年を。
プロフィール
notebook
notebook
学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2020年01>
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