2017年07月26日
伊佐山紫文2
大分県日田市に小鹿田(おんた)と呼ばれる陶芸の里がある。
地元では単に皿山と言われる。
小野地区にある皿山は今回の水害でも大きな被害を受け、専用の支援金受け付け口座も開かれたらしい。
一日も早い復旧を、と決まり文句では済まない思いが、実はこの小鹿田、と言うより皿山にはある。
もう引退されたが、小鹿田・皿山のかつての重鎮、坂本茂木(しげき)さんと私の父とは大の親友で、幼い頃の夏休みには泊まりがけで遊びに行くのが常だった。
こうして、茂木氏の息子であり、今の重鎮である工(たくみ)氏とは、一緒に庭を転げ回る仲になった。
工氏が一子相伝の伝統に反発して一時期家を出たとき、そのころ「家制度」への批判を強めていた若い私は、応援しながらも、実は、何か釈然としない思いを抱いていた。
日本の近代文学を読みながら、家と個人、伝統と自由と言った、近代日本の割り切れない葛藤を感じつつ、私自身、割り切れない思いだったからだろう。
その後、工氏は小鹿田に帰り、訪ねていった私たち夫婦の前で、今の創(そう)氏となる男の子を膝に抱き「もう安心バイ」と笑っていた。
それから何年も経って、茂木氏と飲むことがあり、小鹿田焼きの「土」の話題になった。
小鹿田焼きは陶器である。
磁器は石を焼くのに対し、陶器は粘土、つまり「土」を焼いて作る。
土の性質が焼き物の出来を大きく左右する。
詳細はおそらく業務機密に当たるだろうから、ここでは言えないが、事実のみを淡々と書く。
阪神大震災の時、私も西宮で被災し、食器棚はメチャクチャになった。
その中で、茂木氏の食器は一つも割れなかった。
対照的に、工氏のものは半数以上が割れてしまったのである。
この差は、それぞれの皿を手に取ってみれば直感的に分かる。
工氏の皿は、茂木氏のものに比べ、圧倒的に軽い。
そもそも、作られた時期が違う。
茂木氏の皿は氏が若かった頃、震災当時から起算して二十年以上前の作である。
工氏のものは、同様に起算して数年前のもの。
軽さが即、もろさにつながるとは断言できないが、そこには何か、歴然とした違いがあることは確かである。
それはおそらく「土」の違い。
どっしりとした安定感より、手に取ったときの軽快さが消費者に好まれ、それが「土」の選択と処理にも反映された結果、焼き物が脆くなったのではないか。
そもそも焼き物に使う「土」は、山から切り出して唐臼で砕き、水に浸して純化し、乾燥させ、という複雑なプロセスを経て出来上がる、それ自身が一つの作品である。
一人の陶工の背後には「土」作りのプロセスを支える女たちや家族がいるのである。
酒を酌み交わしながら、話は柳宗悦が評価した古小鹿田にまで及び、その復活のためには「土」作りから始めなければならぬ、という茂木氏の表情は一瞬曇った。
今回流された小鹿田の有名な唐臼は、使用不能になっても、一時的なものだろう。
ただ、「土」はそうはいかない。
私が最も心配しているのは小鹿田・皿山の「土」である。
単なる陶器の原材料としての土ではなく、プロセスの結果としての「土」である。
「土」の無事をこそ祈りたい。
地元では単に皿山と言われる。
小野地区にある皿山は今回の水害でも大きな被害を受け、専用の支援金受け付け口座も開かれたらしい。
一日も早い復旧を、と決まり文句では済まない思いが、実はこの小鹿田、と言うより皿山にはある。
もう引退されたが、小鹿田・皿山のかつての重鎮、坂本茂木(しげき)さんと私の父とは大の親友で、幼い頃の夏休みには泊まりがけで遊びに行くのが常だった。
こうして、茂木氏の息子であり、今の重鎮である工(たくみ)氏とは、一緒に庭を転げ回る仲になった。
工氏が一子相伝の伝統に反発して一時期家を出たとき、そのころ「家制度」への批判を強めていた若い私は、応援しながらも、実は、何か釈然としない思いを抱いていた。
日本の近代文学を読みながら、家と個人、伝統と自由と言った、近代日本の割り切れない葛藤を感じつつ、私自身、割り切れない思いだったからだろう。
その後、工氏は小鹿田に帰り、訪ねていった私たち夫婦の前で、今の創(そう)氏となる男の子を膝に抱き「もう安心バイ」と笑っていた。
それから何年も経って、茂木氏と飲むことがあり、小鹿田焼きの「土」の話題になった。
小鹿田焼きは陶器である。
磁器は石を焼くのに対し、陶器は粘土、つまり「土」を焼いて作る。
土の性質が焼き物の出来を大きく左右する。
詳細はおそらく業務機密に当たるだろうから、ここでは言えないが、事実のみを淡々と書く。
阪神大震災の時、私も西宮で被災し、食器棚はメチャクチャになった。
その中で、茂木氏の食器は一つも割れなかった。
対照的に、工氏のものは半数以上が割れてしまったのである。
この差は、それぞれの皿を手に取ってみれば直感的に分かる。
工氏の皿は、茂木氏のものに比べ、圧倒的に軽い。
そもそも、作られた時期が違う。
茂木氏の皿は氏が若かった頃、震災当時から起算して二十年以上前の作である。
工氏のものは、同様に起算して数年前のもの。
軽さが即、もろさにつながるとは断言できないが、そこには何か、歴然とした違いがあることは確かである。
それはおそらく「土」の違い。
どっしりとした安定感より、手に取ったときの軽快さが消費者に好まれ、それが「土」の選択と処理にも反映された結果、焼き物が脆くなったのではないか。
そもそも焼き物に使う「土」は、山から切り出して唐臼で砕き、水に浸して純化し、乾燥させ、という複雑なプロセスを経て出来上がる、それ自身が一つの作品である。
一人の陶工の背後には「土」作りのプロセスを支える女たちや家族がいるのである。
酒を酌み交わしながら、話は柳宗悦が評価した古小鹿田にまで及び、その復活のためには「土」作りから始めなければならぬ、という茂木氏の表情は一瞬曇った。
今回流された小鹿田の有名な唐臼は、使用不能になっても、一時的なものだろう。
ただ、「土」はそうはいかない。
私が最も心配しているのは小鹿田・皿山の「土」である。
単なる陶器の原材料としての土ではなく、プロセスの結果としての「土」である。
「土」の無事をこそ祈りたい。
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