「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年09月30日

伊佐山紫文75

 現代日本では「詩」は死滅したという話があって、まあ、それはその通りだと思うのだけれど、それじゃあ、現代以前の日本に「詩」が生き生きと息づいていたのかと言えば、それもまた疑問だと思う。
 そもとも日本語にとって「詩」とはなんだ。
 韻文という意味でとらえるなら俳句や短歌も「詩」だろうから、死滅どころか、結社だのカルセンだのでますます盛ん、ご同慶の至りである。
 息子の通う小学校でも俳人とやらのご指導のもと、全校生徒が俳句を詠んでいる。
 死滅どころか、日本は詩の咲き誇る国だと言わざるを得ない。
 いやいや、それでも、俳句や短歌とは違う「詩」というものがあるような気がする。
 あっていいような気がする。
 あるべきだという気がする。
 あくまでも、そういう気がするという話だけれど。
 と言うか、そういう気がするという、「その気」が実は大事なんであって、この「その気」が日本の近代詩を産んだと言っても過言ではない。
「その気」、つまり日本近代の精神は『徳川時代の鎖国によって日本が世界から取り残された』という明治維新のセントラル・ドグマから出発する。
 遅れた日本がいかにして西洋に追いつくか。
 それは科学技術だけの話ではない。
 文化の面でも西洋に追いつかなければならない。
 たとえば日本にはないAという文化が西洋にあるとすれば、それは日本の遅れなのだから、早急に同じものを作らなければならない。
 それがたとえ、西洋のAに見劣りするaであったとしても、ないよりはマシだ。
 日本にある幼稚なzも、西洋のZに近づけるべく改良していかなければならない。
 場合によっては西洋のものに置き換えなければならない。
 明治時代、こういう運動が文化の各分野で澎湃としてわき上がる。
 すなわち、あっていいような気がする、あるべきだという気がする、なければ作ろう、の運動を日本国全体で繰り広げたというわけだ。
 その先鞭を付けたのが演劇で、当時は演劇改良運動などと呼ばれ、歌舞伎の近代化、つまりは舞台の西洋化を目指した。
 音楽も西洋音楽がスタンダードとされた。
 小説も言文一致が目標とされ、名作なのか駄作なのかよく分からないものが量産された。
 それまで詩と言えば漢詩だったのが、明治になると新体詩なるものが生まれ、これが「短歌」に対する形で「長詩」と呼ばれるうち、ただの「詩」になった。
 現代日本の詩は、翻訳も含め、すべてこの新体詩に源流を持つ。
 ただし、と改めて但し書きをつけるまでもなく、あらゆるジャンルでそうなのだろうが、新体詩に名作は少なく、ほとんどがゴミである。
 考えてみれば当たり前で、最初に新体詩を試みたのは詩人でも何でもない、ただの語学者にすぎないのだから。
 もちろん、その中から島崎藤村という素晴らしい詩人が出たのだから、新体詩運動も無意味ではなかったのだろう。
 新体詩運動がなければ島崎藤村は出なかったし、現代日本の詩そのものが成立していない。
 だとすれば、もし現代日本で詩が死滅しているとするなら、その死の種は、新体詩の中にすでに胚胎されていたのではなかったか。
 比べるに、たとえばリルケの『ドゥイノの悲歌』から神を除いたら何が残るだろう。
 ただの「言葉、言葉、言葉」(ハムレット)であって詩ではない何か。
 ポエジーの源泉が失われてしまうだろう。
 西洋の詩にあり、新体詩になかったもの。
 それは神である。
 詩は神と共にあり、神へと至る、あるいは遠ざかる道なのである。
 西洋の詩人は意識するとしないとに関わらず、あるいはその存在を肯定すると否定するとに関わらず、皆、神と共にある。
 すなわち詩は、信仰の告白であり、あるいは信仰の否定である。
 ポエジーは神との関係性によって生み出されるのだ。
 よって、神と共にない詩はポエジーを失い、詩たり得ず、滅ぶほかはない。
 これが現代日本で詩が死滅した根本原因だと、私は思っている。
 
 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
10/21土曜ムラマツリサイタルホール新大阪にて、15時開演(14時半開場)
クラシック音楽劇「恋の名残 新説 曽根崎心中」を公演します。
入場おひとり5500円(前売り5000円)
問い合わせは、夙川座0798558297
shukugawaza@gmail.com


セブンイレブン、サークルKサンクスで購入できます。ぴあPコードはP337310

Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月29日

伊佐山紫文74

 学生の頃に寝酒を覚え、以来ずっと、毎日欠かすことなく飲んでいる。
 基本はワイン。
 それから失敗した甘酒。
 歯を磨いてからは焼酎。
 ちゃんぽんもいいところで、これで量が増せばアル中一直線である。
 私の両親は二人ともアル中だったので、その因子を持っていることは確実、そう思うと不安で不安で……酒の量がますます増える。
 とにかく、酒が飲める人は、常にアル中リスクに晒されていると思った方が良い。
 アル中という終着駅に向かって、各駅で行くか、特急で行くか。
 節制していてもアル中行きの電車に乗っているという事実に違いはない。
 各駅で行くうちに寿命が来て死ぬか、寿命より遙か手前で終着駅についてしまうか。
 それだけの差である。
 とはいえ、この差はとてつもなく大きい。
 私と同じ55歳くらいの時、父はすでに夕食は食べていなかったような気がする。
 食べ物は酒の味を濁すとか、もっともらしいことを言って、ひたすら酒を、酒だけを飲んでいた。
 バブルの最後の最後に喫茶店の土地を売り逃げてお金に余裕が出来てからは、朝から夜まで連続飲酒状態になり、チビリチビリと何かを口に入れながら日本酒を浴びるように飲んだ。
 母と二人で、基本、一日二升の日本酒を飲んでいた。
 人が来たりすると酒量は増え、これに一升、または洋酒がボトル単位で消えた。
 で、そのまま70歳になり、酒を抜くと手が震え始めた。
 コップを持っていられない。
 酒の入ったコップをテーブルに置いたまま口を近づけて飲み、震えが治まってから、やっと手に取る。
 絵に描いたようなアル中である。
 記憶障害も出始めて、認知症と区別がつかない状態になった。
 後の診断では「ウェルニッケ=コルサコフ症候群」という、アル中に付随する脳萎縮が原因とされたが、私たちは、勝手に「アル中(アルチュ)ハイマー」と名付けていた。
 数年後、そのアル中ハイマーが極まり、暴発した。
 自宅と同じ敷地の伯母たちの家に上がり込み、うずくまり、丸くなって、カウントダウンならぬ、カウントアップを始めた。
 おそらく、前日の人工衛星打ち上げのロケット発射のつもりである。
 それでも、
「いーち、にーい、さーん……」
 から始めるものだから、いつまで経っても発射できない。
「じゅうは~ち、じゅうは~ち、じゅうは~ち……」
 延々と続く「じゅうは~ち」に伯母は業を煮やし、
「次は19じゃろが!」
 いやいや、それ、19でも、何の問題の解決にもなってないし。
 これでもう、家では解決不能だと判断して、アル中病院に入院させた。
 かつてタモリが働いていたホテル「雅叙園」を改装した病院である。
 遙かに戸山を望み、真下には三隈川が流れ、日田市街を見下ろして聳える。
 晴れた日の、窓からの眺めが最高に美しい病院である。
 父はこの病院で転んで骨折し、転院した整形外科で肺炎になり、あっけなく逝った。
 やっと76になったばかりだった。
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月28日

伊佐山紫文73

 我が家に手の平サイズのAIロボット「COZMO」が来た。
 半年くらい前から、息子が「欲しい欲しい欲しい欲しい」と言ってウルサイので、年内はもう回転寿司に行かないことを条件にアマゾンで注文した。
 なぜか、公式の発売日の前日に届き、学校から帰ってきてそれを見つけた息子は飛び上がらんばかりに喜び、家に呼んだ友達3人もそっちのけ、ひとりでひたすら設定。
 まずはネットからスマホへ専用アプリをダウンロードして、こんどはスマホとロボット本体の接続。
 私にもよく分からんことをサクサクこなし、お風呂では、
「▲△が●○なのに、□■が出来るようになった」
 と、嬉しそうに報告してくれる。
 もちろん、なんのことやら、さっぱりわからん。
 こんな、いまだにガラケーも使いこなしていない私にも、ハイテクの最先端を走っていた時代があった。
 高校ではマイコン(マイクロ・コンピューターの略です)クラブに属し、ディスプレイのない機械にひたすらプログラムを打ち込んでいた。
 これがもう、画面のないパソコンでミスなく打ち込むのは至難の業で、しかも演算できるのは十数行、いったい当時何をやろうとしていたのか、今となっては謎でしかない。
 ただ事実としては、クラブのみんな、生徒だけでなく教員までもが機械に飽きてしまい、すぐに円周率暗記クラブと化してしまった。
 この、マイコンと称する何にも使えない機械、1台50万したという。
 クラブに2台、あったかな。
 こういう、今で言うパソコンのような機械じゃない、関数電卓というのもあって、これは高校の宿題を解くのにガンガン利用した。
 大学に入ってすぐ、それこそ手の平サイズのBASICマシンを買ったが、使いこなす前にアップルⅡに移行した。
 キーボードのブラインドタッチが出来るようになったのは、このマシンで、タイピングゲームをやり倒したからである。
 卒論を書くとき、NECの98マシンに乗り換えて、ワープロソフトを使うようになった。
 この卒論は、当時私のいた学部では初めてのワープロ原稿となった。
 ところが、今となっては信じられないことに、ワープロ原稿は認められないと教授会で決まり、原稿用紙に書き直した。
 当時のプリンターの機種によってはドット数の関係からまともな漢字が印刷出来ないこともあり、その辺りが問題になったのではないかと思う。
 ハイテクも最先端過ぎるとこういうことも起きる。
 大学院を中退し、それから不動産鑑定士、土地家屋調査士、司法書士のそれぞれの先生の事務所で補助者をしたときも、ワープロを打てるのは私だけだった。
 雑誌記者やコピーライター、編集者、フリーになってからもしばらくは、まだまだワープロ原稿は珍しかったと思う。
 考えてみれば、最初の本を上梓したとき、その出版社での初めてのデータ入稿と言われたような。
 あのころはマスコミ業界のハイテク最先端にいたと思う。
 インターネット時代になり、平成12年(2000年)ごろには自分の公式HP(サイト)を自分で作って自分で管理するようになった。
 ブログももちろんやった。
 親が倒れてそれどころじゃなくなり、閉鎖するまでの5年間、多いときで日に2万閲覧があったこともある。
 いわゆる「パワーブロガー」である。
 いい気になって、本にしたら売れるぜ、と思って上梓したが、世の中そんなに甘くなかった。
 で、子供が出来て、その日その日の家事・育児に追われる日々が10年近く続き、ハイテク最先端などどこへやら、気がつけばこの世はスマホだのSNSだのの溢れる異世界と化していた。
 しかも息子は、2歳でインターネットを覚え、最近では自分で情報を獲ってきて、
「○●って、お父さんは▲△だと思ってるでしょ、実は■□でしたぁ」
 などと。
 いいよ、もう。
 ハイテク最先端はお前に任す。
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月27日

秋の新大阪で音楽劇

10/21土曜ムラマツリサイタルホール新大阪にて。
15時開演(14時半開場)
クラシック音楽劇「恋の名残 新説 曽根崎心中」

約1時間半のお楽しみです。

プッチーニのオペラアリアに新たに作詞し、脚本を創作して、歌と芝居で物語を表現する音楽劇です。

今、外国人モニターの方を募集中。
お問い合わせは、夙川座0798558297
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月27日

伊佐山紫文72

 関西に出て色々な職につき、ライターになってからは様々な仕事を受けてきたものだから、変なところに妙な知り合いがいたりする。
 で、そのような変で妙なつながりを利用して仕事を進めたり。
 こういう「つながり」を、きっと世間では「人脈」というのだろうが、私の場合、孤立した知り合いがあちこちにいるだけなので、「山脈」の比喩としての「人脈」とは言いがたい。
 たとえば、チラシのデザインを誰かに頼む。
 値段的にあの人はムリでも、この人なら大丈夫、とか色々考えて。
 こうして、ずっと以前の知り合いに仕事を振ることもある。
 データはPDFでもらって、印刷はラクスルで。
 みたいな感じ。
 夙川座をやり始める前の人間関係で回していく。
 こんなことを繰り返しても、なんの新しい繋がりも出来ない。
 だから、その意味でも人脈とは呼べない。
 というのがここ数年だったのが、だんだん状況が変わってきた。
 面白い偶然というか、新しい出会いや、つながりが出来てきた。
 先日も、衣装の打ち合わせで心斎橋に出て、和楽器奏者の勝井粧子さんと着付けの「うめ子屋」さんの入ったビルを探していると、いきなり、
「イサヤマさん!」
 と声をかけられ、そっちを見れば、『神戸事件始末』の記事を書いてくれた「山陽新聞」の窪田さん。
 ちょうど、その記事の載った新聞をうめ子屋さんに届けに来たところだったとか。
「岡山公演、実現させましょう」と誓い合って分かれた。
 その後、勝井さんと、上手く行った舞台は色々良い偶然が重なるね、などと話しつつ、うめ子屋さんへ。
 で、着付けが終わるまで外に出て心斎橋をぶらつき、本当にここは外国人の街になったんだなぁと実感。
 大丸の南館はほとんど外国人向けの免税店になってるし……
 着付けが終わった勝井さんの和装はもう、最高の出来で、今から10月21日(土)の『恋の名残 新説・曽根崎心中』(於新大阪ムラマツリサイタルホール)が楽しみ。
 勝井粧子さんには二幕の冒頭で三味線を演奏して頂きます。
 舞台に和楽器を乗せるのは初めての試みで、皆さん、楽しみにして下さいね。
 それで、うめ子さん、勝井さんと話して、やっぱりこれからはインバウンドやね、と盛り上がった。
 とにかくコンテンツはある。
 夙川座は和物の歌芝居、勝井さんは和楽器、うめ子屋さんは着物。
 それぞれに外国人ウケするだろうコンテンツは持っている。
 これらをどうつなげ、生かしていくか。
 ここからが本当の「人脈」の世界なのだろう、と思っている。
 もちろん、作品の質が良くなければ「人脈」も何もあったものではないわけで、それは心して創り上げながら、もっと広い「世界」へと人脈を広げていこう。
 
 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
遊女役で出演してくださる地唄の勝井粧子さんの着付けリハが済みました。
ピッタリです。さすが、着物が板についています。


クラシック音楽劇「恋の名残 新説 曽根崎心中」

10/21土曜ムラマツリサイタルホール新大阪
15時開演(14時半開場)

入場料5500円(前売り5000円)座友会4500円

お問い合わせは、夙川座
0798-55-8297
shukugawaza@gmail.com

外国人モニターも募集中です。

Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月26日

伊佐山紫文71

 お風呂で、息子が、
「お父さん、幾つなん?」
 と聞くから、
「幾つやと思う?」
「45くらいかなぁ」
「ちゃうで、あと少ししたら55や」
「え、やったら、お母さんと同じ歳やん! え? お父さんとお母さん、同じ歳やったん?」
 あのさ、それも、絶対、お母さんに言うたらあかんで。
 とまあ、私は、昔から若く見られる。
 20数年前のポーランドでは酒を売ってもらえなかった。
 鼻でせせら笑われて。
 地のウオッカ飲みたかったのにナァ。
 めったに飲む機会はないのに。
 普通、ポーランドのウオッカと言えば「ズブロッカ」。
 香草をつけ込んだウオッカで、香りに少しくせがあり、好みは分かれるだろう。
 その地のウオッカだから、きっと香草も地のモノで、どんなものか飲んでみたかったのに、ハナから相手にされず、売ってくれなかった。
 また、こんなこともあった。
 地方の仕事で遅くなり、ホテルもとれず、仕方なく深夜映画、もちろんアダルト映画で一夜を過ごそうとしたのに、窓口で、
「未成年はダメですよ」
 と断られた。
 この時は、もう中退していた大学院の学生証を出して入れて貰ったけど。
 これも若い頃、道端で、
「ボクボク、アンケートしない?」
 もう、30近かったのに。
 で、フェイスシートの「既婚者」にマークすると、
「まあ、御主人」
 に、いきなり昇格した。
 これで子供がいようものなら、きっと「お父さん」になっていたことだろう。
 そんなこんながあり、関西には、若く見られる男にとって格好の決めゼリフがあることに気づいた。
 それは、
「アホやから」
 なぜなのかはわからんが、
「お若いですねぇ」
 と言われたときには、
「アホやから」
 と言えば丸く収まる。
 息子にも、
「アホやから」
 と言ったら、
「うん」
 と納得していた。
 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月25日

伊佐山紫文70

 コープさんの宅配に登録した。
 営業に来た若者の感じが良く、そのあとに説明に来た上司も口が上手いので、ついつい、こちらもコープさんと仕事をしたばかりなんで、と口を滑らせ、結局、契約まで。
 けれど、何か腑に落ちないものがあって、ちょっとカマをかけてみた。
 そうしたら、
「私たち、コープさんと契約した配送業者なので……」
 なるほど!
 と、思った。
 コープさんに、こんな営業上手な人はそうそういない、と思っていたから。
 とにかく手際が良い。
 新規手続きから、口座登録まで、一気に済ます。
 これまでだったら、どこかで滞って、
「あとは店舗でお願いします」
 となるところ。
 こっちも面倒だから、それまでになっていた。
 そんなことが数度あったんじゃないか。
 そうか、コープさん、根幹事業の宅配までアウトソーシング(外部委託)なのか……
 考えてみれば、私が関わったコープさんの雑誌『ライフステーション』(現ステーション)もアウトソーシングの走りだったのかも知れない。
 ただ、あまりにも「走り」すぎた。
 何せ、相手は資本主義の権化のような角川書店である。
 話が全く噛み合わないことが毎回起こる。
 そのたびに編集長が東京から飛んでくる。
 で、夜、関西で唯一の角川編集社員である私は、編集長の酒の相手をしながら説教される。
 でもね、こうなった原因は、お互いの企業体質の違いなんですよ、とは言えない。
 雑誌の編集とは言え、取引である以上、齟齬を正当化するに、絶対に社風の違いを理由にしてはいけない。
 意思疎通を図れなかった私の責任なのである。
 ただ、それでも、徐々に、お互いにこれはミスマッチなのではないかと思い始めた。
 あるとき、コープさんとの合同編集会議にやってきた編集長が、事業部までタクシーで乗り付けたのに、
「オレ、もう嫌だ、病気だってことにして、欠席させてくれ」
 と、そのまま東京に帰ってしまった。
 小学館で長いこと学年雑誌の編集長を務め、角川では数々の雑誌を創刊してきた名物編集長が音を上げてしまったのだ。
 どちらが悪いというのではない、と思う。
 単なるミスマッチである。
 その後、角川書店は去り、色々あって今に至るのだが、その経過は良く知らないので書けない。
 なんにせよ、自分たちだけでやってても良くないし、アウトソーシングも時には失敗する。
 難しい時代になったもんだとは思う。
 それでも、宅配の登録がスーッと30分で出来る時代になったのはすごいと思う。
 これまで20数年間、やろうとして、どこかで滞って、ずっと出来なかったことなのだから。
   
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
10/21土曜15時開演(14時半開場)
ムラマツリサイタルホール新大阪にて。
クラシック音楽劇「恋の名残 新説 曽根崎心中」を致します。

構成、作詞、脚本、演出は伊佐山紫文(夙川座)

出演者…お初 森井美貴
徳兵衛 谷浩一郎、お鈴 陰山裕美子
九平次 砂田麗央
稗田阿礼 浅川文恵

ピアニスト 白藤望
地唄 勝井粧子

演技指導 渡部洋

入場料は、お一人様5500円(前売り5000円)
座友会会員4500円

お問い合わせは、夙川座0798-55-8297
shukugawaza@gmail.com

チケットぴあ Pコード337310
(セブンイレブン、サークルKサンクスの店舗で購入出来ます)

写真は、初登場の地唄の勝井粧子さん
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月24日

伊佐山紫文69

 息子が2歳の頃、言葉も出ていないのに反抗期になり、保育園から連れ帰るのに苦労したことがある。
 とにかく逃げる。
 捕まらない。
「いい加減にしなさい!」
 それで、近づいてくるかと思えば、また逃げ、
「いい加減にしなさい!」
 いつまで続くかと思われた魔の2歳だったが、意外と軽く、短期間で終了した。
 と言うより、その頃、パソコンで動画を観ることを覚え、早く家に帰りたくなったのだろう、と思う。
 思い起こせば、この頃の息子は、やっぱり異常だった。
 パズルは年長さんが解くような難しいヤツをスイスイ解き、側では、もう言葉の出た親友が「わからへん」と泣いていた。
 汽車の走る木製の線路も、息子の作るものはきちんと最後が繋がり、閉じる。
 親友のはどうしても閉じない。
 先生は簡単な丸い線路を作って説明するのだが、それでも親友は出来ない。
「出来へん」と泣く。
 今思えば、出来ないのがあたりまえ。
 教えたって、出来ないものは出来ない。
 発達には段階があり、それで言えば息子のほうが異常だったのだ。
 伊丹に越してきてから幼稚園に入り、3歳児健診の時に、言葉が出ていないことを問題視された。
 54センチの頭囲も異常で、CTを撮れ、と。
 保育士さんに至っては、もう、最初から自閉症児だと決めつけてかかる。
 それはないと思ったから私は一人で色々調べ、おそらく理系のギフテッド(天才児)だろうと当たりを付け、そのようなものとして育ててきた。
 このタイプの子の常として、きっと次の反抗期で親の言うことなど聞かなくなるだろうから、それまでに基礎学力とピアノくらいはモノにさせてあげようと思っていた。
 なのに、おそらく、もう来た。
 反抗期。
「お父さんとは、広島に一緒に行った頃から、仲悪くなったよね」
 などと言う。
 仲悪くなったのではなく、お前が一方的にお父さんを疎むようになったの。
 母親の言うことは、しばらく前から、すでに聞かないし。
 これが反抗期ってやつですか。
 反抗期についいて、心理学者は「自我」だの「性」だのを持ち出して説明しようとするのだろうが、私はもっとシンプルな生物現象だと思っている。
 ライオンの雄が成長するとプライド(群)を離れ、一頭で放浪の旅に出るように、原始の人間もまた、性的に成熟すると群れを出ていたのだろう。
 そして自分の群れを作るなり、他の群れに参加するなりしていたのだろう。
 でなければ、遺伝子プールがシャッフルされず、悪い因子が蓄積してしまう。
 反抗期とは、遺伝子の命令なのだ。
 早くこの群れを出て行け、と。
 居心地悪いだろ、と。
 それでも、人間はすぐ出て行くわけにはいかない。
 人間はライオンとは違い、かなりの大人になるまで親の庇護のもとにいなければならない。
 まだしばらくはこの群れ(家族)の中にいなければならない。
 この居心地の悪い群れの中で。
 で、とりあえず反抗する。
 こんなもんじゃないかな。
 でも、息子の場合、早すぎる気がする。
 まあ、これまでもずっと規格外でやってきたし、仕方なく付き合っていくしかない。
 それにしてもこんなに早いとは。
 ピアノも基礎学力もまだまだなのに。 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月24日

伊佐山紫文68

金魚よ

その身を弓なりにして
明らかに目は光を失い
お前は逝った
金魚よ

三度の冬と
四度の夏を越したのに
この秋の朝
お前は逝った
金魚よ

妖しく艶めかしくヒレを振るでもなく
ただ紅色の地味なフナに過ぎぬ
それなのに無慈悲な鳩につつかれ
お前は逝った
金魚よ

我が子が始めて飼った生き物
始めてその小さな手でエサを与えた生き物
我が子に始めて墓を作らすべく
お前は逝った
金魚よ
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月23日

伊佐山紫文67

 カーテンを閉じてDVDを観ていたら、なんだかベランダが騒がしい。
 子供の声なのか、テレビの音なのかはっきりしない。
 物音ともちがう、もっとリズミカルで有機的な音。
 サッシが半開きになって、すきま風が通り抜ける音だろうか。
 で、サッシを確認したら、ちゃんと閉まっている。
 おかしいなぁ、と、カーテンとサッシを開けてみたら、バタバタッと鳩が飛び立った。
 鳩の鳴き声だったのか!
 なんで? と、鳩のいたあたりを見ると、ベランダで飼っている金魚が半死半生で水槽に浮いている。
 鱗も所々剥がれ、体のバランスを崩し、苦しそうに泳ぐでもなく、浮かんでいる。
 鳩にやられた?
 鳩って、魚を食うのか?
 それとも水場として使われて、巻き添えになったのか?
 すぐに水道水をくみ置きしてベランダに置き、水槽と水温が同じになった頃、金魚を移した。
 水道水なら無菌だから、剥がれた鱗から細菌やウイルスに感染することもないだろう。
 なんとか回復して欲しい。
 それにしても、3年半も飼った金魚が、やられるときは、あっけなくやられるものなんだ。
 それも、猫とかじゃなく、鳩に。
 金魚は、息子が小学校に入学したとき、2匹、買ってきた。
 白っぽいのを「銀ちゃん」、赤っぽいのを「金ちゃん」と名付けた。
 ところが、この金ちゃん、銀ちゃんを虐める。
 徹底的に虐める。
 インテリアに入れたお地蔵さんや鳥居の角に追い詰め、つつく。
 エサも独り占めする。
 だんだん体長の差も出始め、これは2匹で飼うのはムリかと思い始めた頃、ある朝、銀ちゃんは体を弓なりに硬直させて水槽に浮かんでいた。
 金ちゃんにイビリ抜かれて、ストレスと飢餓とで死んだのだろう。
 可哀想なことをした。
 生き残った金ちゃんは二年目の冬に鱗が黒変して痩せてきた。
 これは日光が必要かと、ベランダに出した。
 黒変はあっと言う間になくなって、丸々と太ってきたが、氷が張るような寒さの朝、氷の中で動かなくなっていた。
 文字通り、凍り付いていた。
 死んだのかと思い、埋めようとしたが、氷から剥がれないので、解けてからにしようと放っておいた。
 なんと、昼頃には解けた水の中を泳いでいた。
 ああ、埋めなくてよかったぁ。
 そんなこんなで、色々あった金ちゃん、やっぱりダメだった。
 今朝見ると、銀ちゃんと同じ、体を弓なりにして浮かんでいる。
 さようなら金ちゃん。
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月23日

伊佐山紫文66

 息子が生まれたとき、妻は45歳11か月だった。
 もちろん、超高齢出産である。
 産科の病棟で隣のベッドだった妊婦さん(二人目出産)のお母さんと同い年だったほど。
 つまりウチの子は妻の孫のような年齢の実子だということだ。
 それが最近、息子も9歳も過ぎると色々わかってくるらしく、言うことに妙なトゲがある。
 サントリーのセサミンの無料モニターに応募してひと月飲んだのだが、その後で、同じセサミンのテレビCM(「間に合いました」とかっていうやつ)を感慨深げに眺め、
「お母さん、間に合わなかったのかなぁ」
 いやいや、それ、お母さんの前では絶対言っちゃいかんから。
 幼稚園の頃は、若くてピチピチ、キャーキャーした他のお母さんたちとの差に戸惑い、しかも語彙がまだ少なくて正確に思うことを表現出来ず、
「お母さん、おばあちゃん?」
 う~ん、「お祖母ちゃん」なら明確に否定できるんだが、「お婆ちゃん」は微妙だぞ。
 最近では、
「お母さん、子供の頃、牛乳って飲んだ?」
「飲んだよ」
「だから、杖をつかなくてすんでるんだ」
「……」
 あるいは、髪を染めてるのか聞いてきたり。
「その頭、本当は白いの?」
 みたいに。
 なぜか、私には年齢のことは聞いてこない。
 妻と同年齢なのに。
 他のお父さんと同年代だと思われてるのかと思っていたら、最近、本音が炸裂した。
 公文の英語をやっていて、
「is」を、何度指摘しても、
「ゥイズ」と発音してしまう。
「違う、イズ」
「ゥイズ」
「イズ」
「ゥイズ」
「違う、イズ」
 などとしつこく繰り返していたら、ついにキレた。
「ジジイ! 黙れ! ジジイ!」
「あ、ジジイって、言った? じゃもう、呆けよう……ユ、ユ、ユキコさん、飯はまだかな、朝飯や、朝飯、まだ食うとらんがな」
「それ、もういいから」
「じゃ、イズ」
「イズ」
「言えたやん」
 ……こいつ、本音ではジジイと思ってんだな。
 普通は言わないだけで。
 よく分かったよ。  
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月21日

伊佐山紫文65

 昨日(19日)、先日の公演『神戸事件始末 瀧善三郎の最期』でお世話になった各所をお礼参りしてきた。
 そのどこでも盛況を言祝んで頂き、ありがたかった。
 もう済んでしまったイベントについてのお礼など、今の若い人たちは無駄足と思うかも知れないが、やっぱりこういうことは大事で、人間関係、つまりは仕事の基本だと思う。
 とにかく会うこと。
 会って、ナマの人間力をぶつけ合うこと。
 たとえ事後報告のお礼参りであっても、これは仕事の基本だと思う。
 あれは28年前(なんでこんなに正確な年数を記載できるのかと言えば、昨日(19日)コープこうべの店頭で「ステーション29年記念」なんてのを見て、私が関わったのは創刊1年のリニューアルからだから28年前だなあ、などと感慨にふけったから)、私にとって衝撃的な出会いがあった。
 角川書店のI編集長との出会いである。
 I編集長は小学館の学年雑誌の編集長を長く務め、長年の部下曰く「東大卒でない」故にはじかれ、角川に移った。
 小学館時代の編集者としての業績は『おばけのQたろう』『ドラえもん』の連載開始、『ウルトラマン』の講談社からの移籍など数知れず、角川に移ってからは『ザ・テレビジョン』『ウオーカー』の創刊など、常人では考えられない量と質の仕事をした。
 天才は質と量をかねるという、まさにその見本だった。
 ただ、酒量も多く、酒癖も悪く、夜中に呼び出されたり、絡まれたり、当時は嫌な思いばかりだと感じていたが、それよりも得たものの方がはるかに多かった。
「電話で済ますな、とにかく会いに行け」
 というのが口癖で、いつもハッパをかけられた。
 若い私は半信半疑だったが、それでも、どうでもいい、ちょっとした打ち合わせでも常に会いに行き、人間関係を作ろうと試みた。
 それが、本当に、会ってみないと分からないもので、素晴らしいデザインをするデザイナーが会ってみればロクデナシだったり、ロクデナシだと思っていたライターが人格者だったり、本当に、会ってみないと分からないと実感した。
 あれから四半世紀が過ぎ、インターネットの時代になり、仕事も電話どころかメールで済ます時代になった。
 私自身メールのやりとりだけで3冊の本を出してしまった。
 もう、まず会って打ち合わせ、などと言う時代はとっくに過ぎた。
 それはもう、私自身が実感している。
 でなければ、メールだけで本など出さない。
「電話で女が口説けるか? まず会え」
 とI編集長は言ったが、メールで女が落ちる時代になったんですよ、アナタ。
 それでも、と、私は今でも思う。
 人間が人間と仕事をする以上、会うことは基本だ、と。
 会って、仕事をし、お礼参りをし、人間関係を固めていく。
 その中で新しい仕事を造っていく。
 実は昨日(19日)、お礼参りの中で、まだ口約束ではあるが、新しい仕事をもらえそうな気配を得た。
 もし実現するなら、今年55歳になる私の、今後の後半生を代表することになるような大きな仕事である。
 やっぱりいつの時代でも、会いに行くことは仕事の基本だと思う。
 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月20日

勝井粧子さん!

当道友楽会三代目家元菊武厚詞の長女。6歳より箏を、10歳より三味線を始める。東京藝術大学音楽学部邦楽科箏曲生田流専攻卒業。在学中、常英賞受賞。
2015年坂東玉三郎主演・演出「アマテラス」に出演。
2015年「大阪平成中村座」、2017年「壽初春大歌舞伎」「花形歌舞伎」歌舞伎の黒御簾にて演奏。
現在、当道友楽会、邦楽あんさんぶるグループ ふぁるべ、森の会、みやこ風韻、和楽器集団 東に所属する。


お鈴姉さんと少しだけ絡むかもしれません。
第2部冒頭に地唄を10分間ほど披露してくれる勝井粧子さんをご紹介しました!

遊女仲間のような形で、衣装も着て、演奏となります。
どうぞ宜しくお願い致します。


10/21土曜ムラマツリサイタルホール新大阪(ソーラ新大阪21ビル)にて。
15時開演(14時半開場)

入場料お一人様5500円(前売り5000円)

お申し込みは、夙川座0798-55-8297

shukugawaza@gmail.com

チケットぴあ Pコード337310
(セブンイレブン、サークルKサンクスにて)

また、外国人モニター募集しております。
詳細はお電話で。
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月20日

伊佐山紫文64

 久しぶりに西宮北口まで出ようかと自転車を走らせていたら携帯が鳴り、浅川社長から、
「シュークリームもらったから取りに来ない?」
 それで、苦楽園口まで10キロの道のりを行くことに。
 まずは171号線をひたすら走り、夙川まで。
 考えてみれば、西宮には20年近く住んだ。
 おそらく、生涯でいちばん長く住んだ土地になると思う。
 西宮と言っても、私が住んでいたのは、夙川のような中心地じゃない。
 田近野という東の外れで、少し歩けば宝塚市、というより、集合住宅の建物の半分ずつが西宮と宝塚に別れていた。
 階段ごとにゴミ出しの日が違う。
 直近の仁川駅前の公衆電話から家に電話するにも市外局番、市議会選挙には「田近野も西宮だ!」とか言う標語が踊るほどの僻地だった。
 冗談でも何でもなく、建物のこっちに住む子は西宮の小学校で、あっちに住む子は宝塚の小学校に通っていた。
 西宮の小学校はすぐそこで問題なかったが、宝塚となると数キロ先で、冬の朝など、集団登校する子供たちを見ながら、大変だなぁ、と思ったものだ。
 それが他人事ではなくなったのが、息子が生まれてから。
 保育園が見つからない。
 見学に行った私立の保育園はどこも素晴らしかった。
 先生たちが熱心で、感動した。
 もう、すぐにもそこに入れたいと思った。
 けれど、もちろん、すべて落ちた。
 理由は分からない。
 書類にはいろいろ数字が並んでいたけれど、とにかく、近くの私立の幼稚園は全て落ちた。
 これは市役所の決めること。
 仕方ない。
 で、数キロ先の、市立の保育園になった。
 これが、遠い。
 仁川沿いの道を自転車で登っていき、一度谷を降りて、もう一度登る。
 毎朝、ギャー泣きする息子を自転車に詰め込み、仁川の左岸を登っていく。
 大雨の朝など、なんでこんなことを、と思いながら、雨具を着せ、自転車に積み込み、雨に打たれながら仁川の岸をひたすら自転車をこぐ。
 その日の夕方、迎えに行くと、先生が、保育園での様子を楽しく話してくれた。
「ブロックを入れる箱のカギを、こうやって、箱の中に入れたんですよ。ニチャ~って笑いながら」
 ああ、雨の中でも、頑張って預けてよかった。
 と、しみじみ思ったものだ。
 結局、この保育園には2年間預けて、伊丹に越してからは私立の幼稚園に入れた。
 と、まあ、浅川社長からシュークリームを受け取り、帰途、西宮の街を通り抜けながら、様々なことを思い出したってわけさ。
 ここは紛れもなく、お前が生まれ、数年間を共に過ごした街なんだって。
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月20日

伊佐山紫文63

 夕暮れ

 秋の日の苦い別れに
 面影は切なく
 少年の胸を焼く

 その腕にそのひざと
 想い出を抱いて
 秋の夕空を見上げた日

 空に映る
 星の影が
 涙でにじんだ

 どこにも行きたくない
 ここにもいたくない
 甘い矛盾を胸に抱え
 少年はその日
 恋に落ちた
  
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月19日

伊佐山紫文62

 息子が4歳の頃、ヤマハ音楽教室のCMを観て、
「これ、行きたい!」
 その前にヴァイオリンを習わそうとしたのだけれど、言葉が全く出ていない状況ではムリだと判断したことがある。
 4歳になり、少し言葉も出始め、それで「行きたい」である。
 早速体験教室に行き、それで、
「行きたい」
 となったので、もうその週からやりはじめた。
 最初のうちは「楽しい!」と行くのを楽しみにしていたし、エレクトーンも両手で弾いて、もしかして神童? などとぬか喜びしたりした。
 そのうちだんだんと他の、特に女の子たちとの差がついてきて、小学校に上がる頃には完全に落ちこぼれた。
 それでも少し練習した鍵盤を捨ててしまうのはもったいないので、ヤマハの個人のピアノ教室に通うことにしてもう四年目なのに、まだバイエル……
 7歳の頃、先生が業を煮やし、
「80曲あるのよ! こんな、1年に1曲みたいなペースでどうするの!」
「87になるまでやります」
「……」
 計算だけは出来るんです。
 で、今でもまだバイエル。
 私がピアノを始めたのは35歳で、CDと入門書による独学、もちろんモノにはなっていない。
 その数年前に阪神淡路大震災を体験し、思想的にも揺らいでいた時期だった。
 それでなんでピアノなのかは今になってもよく分からんが、これがもう、30過ぎて始めて、何かモノになるものではないことはひと月でわかった。
 すぐに弾かなくなった。
 それでもチェルニーくらいまでは弾いたぞ。
「僕、作曲の方が得意なんだよね」
 などと、息子は、得体の知れないメロディーを弾いたり、有りモノの歌をコピーしたりしているが、まあ、モノにはなるまい。
 ただ、私よりも美しく繊細な音を出すことだけは確かで、もっと練習すればいいのに、とは思う。
 今はただ、秋に出るという新作のゲームソフトのことで気もそぞろ。
 自分で様々な情報を集めてきては、
「▲△が○●らしくてね、だから確かめてみたいなぁって思うんだ」
 と、意味不明の専門用語を並べ立てて売り込んでくる。
「だったら、今日からいち日10分、ちゃんとピアノ弾けよ」
 さっそく、バイエルを弾き始めたはずが、あれ? なんだこりゃ?
「なにやってんの?」
「思いついたからね」
 バイエル弾きながら思いついたもんに変奏してちゃ練習にならんでしょ。
 まあいいよ、87までピアノ弾いて下さい。
 ボケ防止になるわ。

 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
2017年09月18日

伊佐山紫文61

 秋

 桜の葉が色づき初め
 透かし観た空に
 少年が目を細めれば
 もうそれは確固とした
 秋

 風の中をひとり
 自らの生をもてあましつつ
 ほんの少し前の想い出を
 舐めるように慈しんだ
 秋

 心の出会いがあり
 体の別れがあり
 淡い恋と
 極彩色の愛とが混ざり合った
 秋

 それは
 夏の終わりでも
 冬の始まりでもない
 少年が小さな大人ではないように
 それはもう確固とした
 秋
 
Posted by notebook │Comments(0)
このBlogのトップへ
プロフィール
notebook
notebook
学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2017年09>
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人