「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2018年10月31日

伊佐山紫文206

 プリンターの調子がおかしいので、今のうちと思い、過去のボツ原を打ち出して読んでみた。
 恥ずかしながら、感動のあまり落涙。
 どうしてこれが上演されなかったのか。
 まあ、いろいろ大人の事情ってのがありますわ。
 戯曲ってのは、小説とは違って、多くの人々の力が要るわけで。
 だからこそ、上演にまで至った作品は尊い。
 今回も「島ひきおに」のキャストの皆さま、スタッフの皆さま、ありがとうございました。
 ボツ原の山は、まあ、将来の夢として置いとくよ。
 口に出すのもおこがましいが、シェイクスピアの36の戯曲がもし生前に上演されていなかったとしても、その価値は少しも減ずるものではなかろう。
 それにしても安い紙は良くない。
 ローラーに貼り付いてプリンターの寿命を縮める。
 もう少しマシな紙を使えるように、仕事を頑張るよ。
 
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2018年10月31日

伊佐山紫文206

 9月公演からもうすぐ二ヶ月になり、そろそろ来るかも、と思っている。
 JASRACである。
 大丸心斎橋劇場で公演をやると、必ず電話がかかってくる。
 どんな楽曲を使ったか、根掘り葉掘り聞いてくる。
「ウチはクラシックですから、関係ないと思いますよ」
「クラシックだからって関係ないとは限りません。使った楽曲を教えて貰ってかまいませんか?」
「今ここで全部の楽曲を言えと言われても無理でしょう、いきなりかけてきて」
「でしたら、ファックスでも結構ですので」
「いや、オタク、シューベルトやシューマンの著作権も管理してるの?」
「いえ、そこまでは」
「だったら、ウチは無関係だし」
「それでも、演奏家の権利はありますから」
「ウチはナマですから、大丈夫です」
 それでもしつこく、しつこく、食い下がってくる。
 いったいお前ら、誰の、どんな権利を守ろうとしてるの?
 と言うのも、実は、私、恥ずかしながらJASRACに登録しようとしたことがある。
 一緒に仕事をしていた作曲家がJASRACに登録していたので、私の歌詞も自動的に登録しなければならなくなった。
 けれど、ここがくせ者で、JASRACはクリエイターが個人や団体として登録するものであって、作品単位ではないのである。
 つまり私がその作品を登録してしまうと、これまでの、そしてこれから作る作品全てがJASRAC管理の下に置かれてしまうというわけだ。
 それでも作曲家の薦めもあって、登録しようかと、書類を取り寄せてもらった。
 ところがもう、話にならない。
 JASRACとは、ヒットをガンガン飛ばしているメジャーの権利を守るためのものであって、私みたいなマイナーな、一度もブレイクしていない作詞家など、最初から門前払いなのである。
 じゃあ、今回の作品の権利関係はどうなるのか問い合わせてみると、まあ丁寧な言葉ではあるが、要は「売れてない奴のことなど知ったことか」。
 別にこれはどんな世界でも同じで、フリーライター時代からずっと同じような扱いを受けてきた。
 だから、もはや怒りとかは湧かなかったが、JASRACに対して冷たい気持ちになったのは事実である。
 もちろんクリエイターの権利は守るべきだし、個人で弱ければ団結する必要もあるだろう。
 だからJASRACの存在意義は否定しない。
 ただ、団結して守るべきは弱者の権利であって、強者の利権じゃないと思うのだが。
 音楽教室だの、スマホだのと、新しい利権探しに血眼になってると、当のクリエイターからそっぽをむかれるよ。
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2018年10月31日

伊佐山紫文205

 昨日、浅川座長(社長)とスケジュールの擦り合わせをしていて、
「その日はタカラヅカでレッスンがあるからぁ……」
「タカラヅカ?」
「そうタカラヅカ」
「タカラヅカに通ってるの?」
「やっぱり楽しいのよ」
 最近、タカラヅカにハマっていることは知っていたが、まさかレッスンまで受けているとは……
「ピアノ弾くのが」
 ピアノ?
 タカラヅカでピアノ?
 ああ、さては!
 音大時代のピアノの先生が宝塚の小林(おばやし)にいることは前に聞いていた。
 だったら、どっちかって言うと「小林でピアノのレッスン」でしょう。
 宝塚でレッスン……
 誤解されます。
 そう言えば西宮出身の作家・小林恭二がどっかで書いていた。
 この人は県立宝塚高校に通っていたのだが、経歴を見た人は異口同音に、
「タカラヅカって男子も入れるんですか?」
 と驚くのだと。
 仕方なく、
「大道具とか、男子の仕事もありますから」
 と返していたのだという。
 甲子園といい、花園といい、関西には地名が純粋な地名ではなくなった場所が多い。
 宝塚もそのひとつ。
 歌劇の聖地であり、こう言うのはおこがましいが、夙川座にとって、大先輩であり、吉本新喜劇と並ぶ、大いなるお手本でもあります。
 それでは座長、タカラヅカでレッスン、行ってらっしゃい。
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2018年10月24日

伊佐山紫文204

『哀愁のトロイメライ~クララ・シューマン物語~』昭和56年1981年東西ドイツ
監督:ペーター・シャモニ 脚本:ペーター・シャモニ、ハンス・A・ノインツィッヒ
 シューマン夫妻についてある程度の知識がなければ、なんだこりゃ、で始まり、なんじゃこら、で終わる。
 ただし、パガニーニ役のギドン・クレーメルをはじめ、演奏は超一流。
 おそらく交響曲「春」は定評のあるサヴァリッシュとドレスデン・シュターツカペレ。
 歌声はディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ。
 背景や衣装も、おそらくあの時代を忠実に再現しているのだろう。
 先日紹介した『クララ・シューマン 愛の協奏曲』はこれの続編として観るのが正解。
 精神を病む前のシューマンが共感を持って描かれている。

ここからは浅川文恵です。
来年6/02日曜日、大阪にてクラシック音楽劇「クララ シューマン 天才の嫁はん」を予定しています。
どうぞお楽しみに!
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2018年10月24日

伊佐山紫文203

『ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化』
ダニエル・C. デネット 著
山口 泰司監訳 大崎 博+斎藤 孝+石川 幹人+久保田 俊彦訳
青土社
 いわゆる「反ダーウィニズム」の本ではない。
 その真逆。
 自然選択というアルゴリズムによって進化が起きるというダーウィンの理論を徹底し、また、あらゆる現象に敷衍しつつ、グールドやチョムスキーの理論的不徹底を糾弾する。
 いわゆる「心の哲学」への入門書としても最適。
 上下二段組750ページも苦にならない面白さ。
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2018年10月24日

伊佐山紫文202

 夙川座次回公演『クララ・シューマン 天才のヨメはん』(仮)のキャストが決まりました。
 アルコールから薬物に溺れ、それでも創造し続けた、ある意味狂気の天才・シューマンと、それを金銭面でも支えるクララ。
 クララを心から応援する母親。
 クララを思いつつ踏みとどまるブラームス。
 ブラームスを愛しながらも身を引くアガーテ。
 謎のジプシー女。
 そしてクララ・ファンの騒がしい女たち。
 等々。
 まだ何も書けてもいないのに、日田では畏友・樋口舞監と浅川座長と『島ひきおに』の極私的打ち上げの場で「クララ」のシーン作りの話で盛り上がり、ついには天才的なモデル製作者でもある樋口舞監に「大ピアニスト養成ギブス」を発注することに。
「大ピアニスト養成ギブス」、これが一体どんなのものなのか、どんな風に使われるか、楽しみでしょ。 
 今回は舞台で表現出来るギリギリの狂気を描きたいと思っています。
 もちろんお笑い満載で。
 そのための布陣は揃いました。
 今晩は前祝いに、とりあえず飲みます!
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2018年10月20日

伊佐山紫文201

 大分県日田市での舞台演劇『島ひきおに』(原作:山下明生 絵:梶山俊夫)が17日に上演され、大成功のうちに終わった。
 私は脚本と劇中歌の歌詞を担当したのだが、正直、これが感動を呼ぶ舞台になるとはちっとも思えなかった。
 そもそもの原作が感動的なものではなく、どちらかと言えばもの悲しい、冷たい世間への恨み節に溢れた怪作なのである。
 心優しい鬼は結局人々に受け入れてもらえることなく、今も海を漂い続けているというラストには、何の救いもない。
 いいのかよ、こんなの子どもに読ませて。
 しかも、こう言っては失礼になることを百も承知で書くのだが、主要キャストを全て知的障害者が務めるとあっては、日頃、演技というものの難しさを痛感しているものとして、一抹どころか、かなりの不安を覚えて日田入りした。
 ところが、である。
 前日の練習をみせてもらい、演出を担当した畏友・樋口友治の手腕によって障害が個性となり、個性が役柄の中に落とし込まれているのを目の当たりにして、不安は全て消し飛び、きっと感動の舞台になるだろうことを確信した。
 高橋聡と山本ヤマによる音楽(作曲と演奏)も素晴らしかった。
 シンコペーションを多用したジャズ風の主題歌はさぞ教えにくく、歌いづらかったと思われるが、さすがNHK「のど自慢」チャンピオン加藤将平君(拙作『二人の鬼』では「日田どん」を演じて頂いた)のリードヴォーカルで、見事なフィナーレとなって会場の本物の感動の拍手を呼んでいた。
 この素晴らしい舞台に関われたことを、私は一生の誇りにするだろうし、これがゴールではなく、新たなスタート地点となることを心から願っている。
 一つ残念なのは、当日の午後、チラシを持って商店街を回ったのだが、イベントそのものがほとんど認識されていなかったことだ。
 このような実験的で素晴らしい催しが市民にほとんど知られていないのは、広瀬淡窓という詩人にして大教育者を生んだこの街にとって、とても大きな文化的損失だと思う。
 もし次があるなら、一週間前から日田に入り、ガンガン集客していきたいと思う。
 それでは、出演者の皆さま、素晴らしいお芝居と歌声を有り難うございました。
 関係者の皆さま、本当にご苦労様でした。
      平成30年10月19日 諌山陽太郎(伊佐山紫文) 
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2018年10>
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