「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年04月22日

伊佐山紫文332

『アルカディア』平成29年2017年アメリカ
監督:ジャスティン・ベンソン 、 アーロン・ムーアヘッド
脚本:ジャスティン・ベンソン
 カルト教団からの脱出物語かと思いきや、そんな甘いもんじゃなかった。
 なんなんだろ、これは。
 主演二人が思いついて監督したってレベルじゃない完成度。
 とにかく不思議なモンとしか言い様がない。
 面白いけど。
★★★★☆
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2019年04月22日

伊佐山紫文331



『クララ・シューマン 天才のヨメはん』をクレオ大阪中央ホールでやることになり、浅川座長の(半ば強引な)営業力もあって「大阪市男女共同参画のまち創生協会」の協力も得ることが出来た。
 戦後の(と言っても若い人には遠い昔なんだろうなぁ)公民館・婦人会館運動の拠点の一つとして建てられたここで、「協会」の協力の下に『クララ・シューマン』をやることの意義はとてつもなく大きいと思う。
 もう25年以上昔になるけれど、ここに市民大学の講師として招かれ、近代日本文学の講座を持ったときの誇らしさは今でもありありと心に浮かぶ。
 大阪どころか、日本の婦人会館運動の拠点だったここで、近代日本の家族思想と文学を講じることが出来る、その誇らしさは、まだ20代だった私の胸をときめかせた。
 その講座は『家・愛・姓 近代日本の家族思想』(勁草書房)として実を結び、私の30代の仕事の方向を決定づけた。
 そして今、他人の作品を論じるのでもなく、学習会で講じるのでもなく、私自身の作品を「協会」の協力を得てホールで上演するのである。
 昨日、浅川座長とチケットを渡しにクレオ中央に出向き、そのまま難波に出てアジヨシで冷麺を食い、二人で梅田までそぞろ歩きながら、私は万感迫る思いがあった。
 若いころ何が出来たとか、偉そうなことは何も言えないけれど、当時の私のことを憶えている人がいて、この今でも全幅の信頼を寄せて協力してくれる。
 そもそも観てもいない私の作品を学習会の教材として何十人もを集めてくれる人がいる。
 有り難いとしか言い様がない。
 ただひたすら感謝です。
 残り少ない時間、作品の完成度を高めるべく、精進いたします。
 どうぞよろしくお願いいたします。
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2019年04月22日

伊佐山紫文330

『ロスト・イン・パリ』平成28年2016年フランス・ベルギー
監督・脚本:ドミニク・アベル、フィオナ・ゴードン
 エッフェル塔から眺めるパリの朝、サティのジムノペディがこれほど合うシーンは他にないと断言できる。
 とにかくすべてが可愛らしい。
 カナダにいる姪がパリの伯母に会いに行き、携帯も荷物も無くして迷うってだけの内容なのに、もうとにかく、すべてが可愛らしい。
 フランス人らしい意地悪なエスプリも可愛らしい。
 大笑いも無く、涙もない、けれど心が洗われる。
 人生を愛する人なら観ておくべき傑作中の傑作。
 同時収録の短編も面白い。
★★★★★
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2019年04月22日

伊佐山紫文329

『MEG ザ・モンスター』平成30年2018年アメリカ
監督:ジョン・タートルトーブ
脚本:ディーン・ジョーガリス、ジョン・ホーバー、エリック・ホーバー
 太古に存在した超巨大サメが現代に復活。
 で、サメ映画定番の大騒ぎ、かと思いきや、それなりに安定感のある筋運び。
 イロイロと無理があるのは承知で楽しみましょう。
 グロも血まみれもありません。
★★★☆☆
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2019年04月22日

伊佐山紫文328

『ナチスの原爆 サイクロトロンを追え!』平成28年2016年カナダ
監督:オリヴィエ・アシュラン
 ちょっとこのオチには納得がいかん、というか、設定そのものが無茶。
 手のひらサイズの原爆なんてあるわけない。
 と言うか、手のひらサイズの加速器って……
 ヨーロッパには加速器にも反対する反原発グループがいて、この人たちによれば、加速器内で何度もブラックホールが出来かけたことがあるんだと。
 あほらしいにも程があるが、笑ってもいられないのは、日本でもほとんど同様な理由から岩手の国際リニアコライダー誘致計画に反対する人たちが日本学術会議の中に少なからずいることだ。
 一体どんな科学を勉強してきたんだよ。
 この3月7日が期限だったのに、結局日本政府は学術会議に負けて誘致表明できなかった。
 これ、日本が誘致を断ったら、中国に行くんだよ。
 冗談じゃない、それこそこの映画じゃないが、世界の終わりじゃないか。
 学者としての良心を示したつもりかも知れんが、地獄への道は良心で舗装されてるって言葉くらい知っておいて欲しい。
 道連れはまっぴらごめんだ、と心底思う。
 頑張れ、誘致派、まだまだやれることはある。
 で、この映画、ラストの『タンホイザー』には感動したけど、とても日本人としてお薦めできるものでない。
★★★☆☆
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2019年04月16日

伊佐山紫文327

『ザ・プレデター』平成30年2018年アメリカ
監督:シェーン・ブラック
脚本:シェーン・ブラック、フレッド・デッカー
 戦友がいて、エイリアンがいて、発達障害の息子と進化論が鍵になる。
 ハリウッドの作劇法(ドラマツルギー)のお手本のようなプロットとシナリオ。
 そしてそれを実現する驚嘆の映像技術。
 エイリアンも一枚板じゃないし、人間もそう。
 あまり複雑に考えず、ジェットコースターに乗るような気持ちで鑑賞するのが良いでしょう。
★★★★☆
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2019年04月07日

伊佐山紫文326

『ブッシュウィック 武装都市』平成29年2017年アメリカ
監督:ジョナサン・ミロ 、 カリー・マーニオン
 内戦勃発!
 それもアメリカで。
「銃の不法所持がこれほどとは」
 って、分かってたことでしょう。
 カメラワークが凄くて迫力なんてもんじゃない。
 とにかく死にます。
 味方の弾は当たるが相手の弾は外れる、という常識が最後の最後まで通用しない。
 結局、ラストまで何のことやら分からなかったが、妙なリアリティがある。
★★★☆☆
2019年04月07日

伊佐山紫文325

『クリミナル・タウン』平成28年2016年アメリカ
監督:サーシャ・ガヴァシ
脚本:スティーヴン・ナイト、サーシャ・ガヴァシ
 親友が射殺されたのに、警察はギャング同士のいざこざとしてまともに捜査しない。
 納得できず探偵のまねごと。
 たかが高校生が。
 で、予想通りヤバいことに。
 幼稚な話で、設定もよく分からんが、まあ納得は出来る。
 ガキってのはこういうもんです。
★★★☆☆
2019年04月06日

伊佐山紫文324

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』平成30年2018年アメリカ
監督:J・A・バヨナ
脚本:コリン・トレボロウ、デレク・コノリー
 よく作ったとしか言いようのない、最高の娯楽映画。
 深みもなく、意外性もなく、タダひたすら恐竜との追いかけっこが続く、という訳でもなく、人間ドラマも少しはある。
 ただね、恐竜のDNAは残ってないし、DNAだけで復活させるのは不可能です。
 原生種のクローンとは意味が違う。
 という部分で気になってしまうと、最後の悲しさが消えてしまう。
 それで★一つ減。
★★★★☆
2019年04月06日

伊佐山紫文323

終業式を終えて帰ってきた息子に、
「この一年、どうやった?」
 と聞いてみた。
 一言、
「ん? 楽しかったよ」
 なんか、涙出そうになった。
 学校が楽しいなんて、お父さんは一度も感じたことなかったぞ。
 まあ、いまさら何を言っても仕方ないが、時代も悪かった。
 あの時代、教師も、親も、どちらも無責任だったし、何より社会全体が未熟だった。
 左翼はやたらとデモやストをやらかすし、右翼は街宣車でがなり立てるし、行き着く先は殺し合いで、一体この世はどうなってしまうんだと子供心に思ったものだ。
「大丈夫、世の中を信じなさい」
 そう言ってくれる大人など一人もいなかった。
 詩人だった父の周りには妙な連中が集まってきていたし、私がまさに、今の息子と同じ小学校5年の時に開いた画廊喫茶『ムンク』は、その梁山泊ぶりが今でもちょっとした語り草になっているほどだ。
 子供心には、梁山泊に集う英雄豪傑たちの幼稚な革命話は恐怖でしかなかった。
 確かに楽しい思い出もたくさんあったけれど、全体として、あの時、
「この一年、どうだった?」
 と聞かれて「楽しかった」とは絶対に言えなかったと思う。
 ま、とりあえず良かった。
2019年04月06日

伊佐山紫文322

タレントの薬物汚染云々でワイドショーがやかましい。
 だったらテレビ消せ、という話だが、夙川座の次回公演『クララ・シューマン 天才のヨメはん』は一部薬物中毒のシーンを含む。
 だから、このテーマが日本社会でどれほどの重みを持っているのか、肌で感じておきたい。
 そこで議論されている論点のうち、今の私たちにとって最も重要なのは、薬物使用はもちろん犯罪だとして、一方で、その犯罪を犯したクリエーターの作品まで市場から消す必要があるのかという問題である。
 作品に罪はない、というのは簡単だが、問題はそう単純ではない。
 自主規制の理由として、こんな議論まであるからだ。
 例えばその作品に感動したクリエーターが、自分も薬物さえやれば同様の作品が作れるのではないかと思い込んだとする。
 これは薬物へ向かう動機としては十分ではないか。
 だから将来の薬物依存を防ぐために、薬物によって作られた作品を野放しにすべきではない、と。
 実際、私も、そういう動機で薬物に手を出そうとしたクリエーターを知っている。
 この人の場合、金がなくて、もっと安手の薬物に手を出したのだったが。
 その結果、アル中で、若くしてほとんど廃人である。
 もし予防を理由で規制をかけるなら、モーツァルトは完全にアウトだし、シューベルトもヤバい。
 我らがロベルト・シューマンはもちろん、場合によってはビートルズも駄目かも。
 音楽だけじゃない。
 第一次戦後派の仲でも、太宰治や坂口安吾らいわゆる無頼派は全部アウト。
 画家でも……
 とやっていったら、この世から芸術という芸術が消えてしまいかねない。
 酒さえ、禁止の対象になるかも知れない。
 あるいはカフェインも。
 結局のところ、問題は、向精神薬と人類との付き合いの歴史が短かすぎることにある。
 私たちは今、向精神薬にハマる遺伝子を持った人間が次々と淘汰されつつある、まさにその現場にいるのだと思う。
 ワイドショーは、あるいは文化淘汰とでも言うような形で、向精神薬の誘惑に負けるような生存価の低い遺伝子が排除されつつある、そのドキュメンタリーなのかも知れない。
 この議論があまり上品に感じられないのも、論点が「犯罪」ではなく、薬物に依存する人の「人間性」が問われているからだ。
「人間性」という呼び名で、実際問われているのは、薬物に依存する性向を持った「遺伝子」である。
 その人にとってはどうしようもない性向(遺伝子)を、その性向を持たない人たちがよってたかって排除する。
 薬物汚染を排除するのは当然として、ただ、その様子が、たまらなく下品に感じられるのには、ここにも私は、進化上の理由がある、と思う。
2019年04月06日

伊佐山紫文321

息子が暗号を作ってきて、解読できるかという。
 超簡単すぎてお話にもならないのだが、目の付け所は素晴らしい。
 なので、現代数学の基礎の基礎の話をした。
「偶数と奇数、どちらが多い?」
「同じでしょ」
「確かにね。じゃ、自然数とでは?」
「半分」
「偶数と奇数を足したら、自然数ってことか?」
「そう」
「10までの有限の数ならそれも当てはまるだろうけど、無限ってことを考えたら、答えは違ってくる。たとえば奇数13579……には自然数で12345って番号がつけられるよね」
「うん」
「偶数2468……も同じように1234って番号がつけられる。ってことは、奇数も偶数も自然数で番号がつけられるわけで、この三つは、大きさとしては同じってことだ」
「なるほど」
「だから、何番目の奇数、何番目の偶数って予測がつく。お前の作った暗号も、その予測に基づいてるから、瞬間的に読み解くことが出来るんだ」
「じゃあ、予測できない数ってあるの?」
「ある。それが素数で、1と自分以外では割り切れない自然数のことをいう。1357……みたいな。この素数がいつ、何番目に出現するかは今のところ誰にも予測できてない。リーマン予想というのもあるけれど、まだ証明されてない。今のインターネット上の暗号も素数の出現予想不可能という原則に基づいているから、素数の出現の法則が証明されたら、この世界が崩壊することになる」
 この後、第二次世界大戦中、ドイツの暗号「エニグマ」をイギリスのアラン・チューリングが解読した話にまで及んだのだが、
「もう寝る」
 と、息子は真っ昼間から寝てしまった。
 やれやれ。
2019年04月06日

伊佐山紫文320

昨年の地震で本棚が崩れ、それを整理していたら面白いものが出てきた。
『PARTNER パートナー 〔女と男の生き方読本〕』
 という小冊子で「編集・発行 大阪市市民局生活文化部女性施策推進課」とある。
 今は「ダイバーシティー云々」と名前を変えているが、まあ、基本、女性問題を扱う大阪市の部署である。
 なんでこれが面白いかと言えば、この冊子の目玉企画、
『パネルディスカッション 21世紀の新しい男女関係を考える。 新男女論』
 に26年前の私がパネリストとして参加しているのである。
 当時、30歳になったばかり。
 写真を見ればもう、カワイイとしか言い様がない。
 これより何年か前、ラジオに出たとき、MCの女性が、
「私の目の前に、本当にカワイイ男の子がいるんです。もう、食べちゃいたいくらい」
 などと紹介され、正直、憤慨した。
 それより前、角川書店(今のKADOKAWA)の編集者として灘神戸生協(いまのコープこうべ)に送り込まれたときも、当時の編集長から、
「容姿端麗、頭脳明晰のうちのエースです」と紹介され、このときも、容姿端麗はいらんだろ、と憤慨した。
 今思えば、なんと傲慢なことよ。
 今なら分かる。
 当時、テレビやラジオや講演会やシンポジウムなど、あちこちで話す機会をもらえてたのは、話す内容より、この容姿があったからでしょ。
 容姿で呼ばれてるのに、内容だと勘違いしてた。
 当時のおばちゃんたちは、こういう男の子(と言っても30前後だが)を見たかったんだよ。
 アイドルですな。
 で、アイドルでしかないアイドルが、
「僕はアイドルじゃない、アーティストだ」
 とかって、勘違いして道を外すように、私もまた、同じようにドロップアウトしたってわけ。
 バカとしか言い様がない。
 イケメンとは違う、この時期だけのカワイさなんだから、それが消えないうちにしっかり利用しろよ。
 まあ、それが出来たらここにはいないわけで。
 それにしても懐かしい。
2019年04月06日

伊佐山紫文318

DVD『ちはやふる -結び-』平成30年2018年日本
監督・脚本:小泉徳宏
 何というのか、青春って良いですね。
 実は私も高校時代、百人一首にはまってました。
 クラブを作るほどじゃないけど。
 色々(まさにイロイロですわ)あっても、礼に始まり礼に終わる、素晴らしいです。
★★★★☆
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2019年04月06日

伊佐山紫文318

『ウインド・リバー』平成29年2017年アメリカ
監督・脚本:テイラー・シェリダン
 ネイティブ・アメリカンの少女が極寒の中遺体で見つかる。
 室内でレイプされた後、外に飛び出して10キロ近く走り、マイナス30度の冷気で凍った肺からの出血で窒息死したのだという。
 検屍結果は、強姦殺人ではなく、事故死。
 納得のいかない女性FBI捜査官は地元のハンターの協力を得ながら捜査を進めるのだったが……
 捜査、というか物語の進展につれてアメリカ社会の闇が姿を現す。
 どうしようもない地方の状況、そこに押し込められたネイティブ・アメリカン。
 都会での生活を夢見る少女と、都会に傷ついた元兵士の恋。
 なんともやるせない。
 陰惨な復讐だけがカタルシスなのか。
 そうではないところがこの映画の味噌。
「それアリゲーターよ」
 この一言でどんだけ救われたか。
 陰惨なので必見とは言わないが、重い名作。
★★★★★
2019年04月06日

伊佐山紫文317

『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』平成30年2018年アメリカ
監督・脚本:オル・パーカー
 三人の父親候補を結婚式に呼んで大騒ぎ、の続編。
 父親候補三人と母親との出会いが明かされる。
 若いって良いし、年をとるのも悪くない。
 今回もアバの音楽が良い。
 歌詞を字幕付きで聞くと、非常にシンプルで力強い英語に改めて感心する。
 前作ほど大ヒットメドレーとなっていないところも、逆に新鮮。
 内容が歌に引きずられることなく、自立している。
 こういう芝居を作れたら、舞台人としては最高にハッピーでしょうね。
 羨ましい限りです。
★★★★★
2019年04月06日

伊佐山紫文316

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』平成30年2018年アメリカ
監督・脚本:クリストファー・マッカリー
 無政府主義者だかなんなんだか、まあ、敵は悪いって決まってるわけで、そいつらにプルトニウムなんかを渡しちゃだめなわけで、だから超人的に頑張るわけで。
 超人にもほどがあるが、非常に良く練られた脚本が小さな矛盾を吹き飛ばすし、二時間半を飽きさせない。
 次から次へと展開される映画的イマジネーションにも舌を巻く。
 凄い、としか言い様がない。
 ただ、核の知識が中途半端だから物語の核心が説得力に欠ける。
 プルトニウムを手で持つくせに、原爆で水源を汚染って。
 ウチの伯母二人は長崎(プルトニウム型原爆)の被爆者だが、黒い雨の入った井戸の水を平気で飲んでたと言うぞ。
 それでも結構長生きしてる。
 まあ「原子力怖い」人の前ではどんな「事実」も無意味だから、これは仕方ない。
 無知につけ込んでるという意味で★一つマイナス。
★★★★☆
2019年04月06日

伊佐山紫文315

『レディ・バード』平成29年2017年アメリカ
監督・脚本:グレタ・ガーウィグ
 高校三年生の女の子。
 母親とは上手くいってない。
 兄(養子)はニートだし、父親は失業。
 カソリックの校風が合わなかったり、恋人がゲイだと発覚したり、なんだか踏んだり蹴ったりで、大学進学をきっかけに街を出て行こうと考えている。
 ごく普通の日常がごく普通に描かれていて、それでいて感動の質は高い。
 これはもう、男性には書けない本だし、女性にしか撮れない絵だと思う。
 よく似たような映画がカンヌあたりで賞を取ってるけれど、あんなクズ映画どもとはまるで違う、本当の名作。
 何か根本的に新しい事件がアメリカ映画界に起きているのではないか。
 そんなことも思わせる。
★★★★★
2019年04月06日

伊佐山紫文314

映画『マルクス・エンゲルス』平成29年2017年フランス=ドイツ=ベルギー
監督・脚本:ラウル・ペック
 言わずと知れた「科学的」社会主義を作った若造二人の出会い。
 マルクス26歳、エンゲルス24歳。
 若い。
 本当に若い。
 こんな連中の言うとおりにしてたら、そりゃ地獄が待ってるわな。
 そこらへんの苦い歴史もきちんと匂わせている。
 ただ、マルクスもエンゲルスも、こんなフェミニストじゃないぞ。
 もっとマッチョでDVで、救いようのないイカレポンチだった。
 ただ、それを描いたら今時の映画にはならんか。
 まあ、懐かしさで★一つプラス。
 ★★★★☆
2019年04月06日

伊佐山紫文313

『πの歴史』
ペートル・ベックマン著 田尾陽一/清水韶光訳 ちくま学芸文庫
 コンパスと定規だけを使って、ある円を同面積の正方形に変形することが出来るか?
 これが不可能であることを証明するために、何千年もの年月が必要だった。
 もの凄い天才たちが少しずつ、少しずつ、様々な角度から取り組んできた、その歴史。
 日本人も要所要所で紹介されている。
 もちろん和算の時代の話だから、西洋の数学とは独立しての話として。
 簡単に概要だけ紹介すれば、
 円の面積=半径×半径×π
 これに等しい正方形の一辺の長さは円の面積の平方根となるはずだ。
 ところがπは代数的数(簡単に言えば普通の方程式の解となる複素数)ではないから、この長さを作図で引くことは不可能だ。
 これは工夫すれば作図で表現できる平方根とは訳が違う。
 故にπは「超越数」と呼ばれる。
 圧巻というか、笑えるのは、それでも「出来る」「出来た」という報告が絶えないことで、本書を貫くユーモアの根源にある、ある種の科学的ニヒリズムの淵源の一つを成す。
 本文中の数式は飛ばして読んでも理解には全く影響ない。
 そういう風に書かれている。
 数学史書中の、名著中の名著。
 理系の子なら中学生からでも読める。
プロフィール
notebook
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2019年04>
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