「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年04月06日

伊佐山紫文312

息子のピアノの発表会に行ってきた。
 まあ、その、何というか……
 とにかく音楽は才能です。
 練習させたからと言ってどうこうなるもんじゃない。
 とにかく素晴らしく上手い子供たちは、もう、素晴らしく上手いとしか言い様がない。
 ごく普通のピアニストのコンサートと比べても遜色ない。
 ショパンやモーツァルトやラフマニノフや聞いたことのない現代曲まで、サラ~ッと弾きこなす同世代の子供たち。
 それが一人や二人じゃなく、次々と。
 コメントを聞いていると、技術がどうこうじゃなく、いかにお客様に楽しんでいただけるか、そこに集中してる。
 小学校を卒業してるかしてないかって歳の子供たちが、だよ。
 逃げるように会場を後にした。
 で、帰ってきてテレビを観ていたら、時節柄、東北で被災してアル中になった男性のことをやっていた。
 男性が言うには、家族もみんな死んでしまい、
「生きがいもない。はやく死にたい」と。
 息子が、焼酎を飲んでる私のことを心配そうな目で見るので、
「お父さんの生きがいはお前だよ」
 と言うと、
「もう一つ、予備の生きがいを見つけてください」
 確かにね。
 そうします。
 何にしよう。
2019年04月02日

伊佐山紫文311

『日本人の起源 人類誕生から縄文・弥生へ』
中橋孝博著 講談社学術文庫
 タイトルのままの内容。
 ただ、縄文と弥生の間の身体的・文化的断絶について結構詳しく書かれているので、「縄文・弥生」と、この二つの時代を「・」で繋ぐのはどうかなと思う。
 それで、一読して思うのは、生物学の圧倒的な力。
 それも遺伝子を用いた手法の力。
 かつてE・O・ウィルソンは大著『社会生物学』(日本語訳は最初5分冊だった。その後、浩瀚な一冊本になった)のラストのラストで人間を扱い、人文系諸科学はすべて生物学の軍門に降ると示唆して猛烈な批判を浴びたものだった。
 それが今では……
 ドーキンスの『利己的な遺伝子』(これも最初は『生物=生存機械論―利己主義と利他主義の生物学』という得体の知れないタイトルがついていた。この訳本が出た翌年(昭和56年1981年)に大学で生物学を学び始めた私も、すぐに読んで圧倒された)以来、人類学や心理学、社会学や経済学、その他の人文系諸科学のほとんどが進化学や遺伝学の成果や方法を取り入れるようになっている。
 ウィルソンの予言は的中したと言わざるを得ない。
 生物学を続けてりゃ良かったかな、と、こういう名著に出会うと少し思う。
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2019年04月02日

伊佐山紫文310

昨日は浅川座長(社長)と午前中大阪、午後神戸に営業に行ってきた。
 新聞の文化部の担当が代わっていることなど、そこに行かなければ得られない情報もあって、有意義な一日になったと思う。
 それにしても……
 昔は担当が代わったら必ずお知らせのハガキが来たものだったが。
 最近ではメール一つよこさずに異動している。
 これが常態だから、礼儀とか、最近の若い人がとか、そんな問題ではないのだろう。
 マスコミの役割や地位が相対的に低くなって来ているから、責任もそれにつれて軽くなったと考えるべきなのかも知れない。
 私自身、昔ほどマスコミの付き合いを重視してはいないし。
 けれど、かく、人間関係の希薄化が進んでいるからこそ、直接会いに行くことの重要さは増していると思う。
 行ってみれば、引き継ぎが不十分だと言いつつ、新しい担当者はちゃんと会って話を聞いてくれるし、名刺ももらえる。
 人間は万物の霊長と言いながら、所詮は相手を視覚や聴覚で確認して安心する、サルの一種に過ぎない。
 イヌなら嗅覚を使って尿の匂いだけで信頼のやりとりが出来るだろうが、我々は視覚と聴覚のサルである。
 会わないことには、文字通り話にならない。
 ここを外して、すべてメールで済ませようとすると、色々とおかしなことが起きてくる。
 とにかく会わないと。
 昨日は何万歩歩いたか分からんが、とにかく会いに行くこと。
 確定申告の職業欄に「劇作家」と書いたとしても、現実には作家気取りではいられんのですわ。
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2019年04月02日

伊佐山紫文309

しかし、新元号にはたまげた。
「令和」
 語頭に「ラ行」を持つ元号は、これまで「霊亀(れいき)」と「暦応(りゃくおう)」だけしかなかった。
 日本語はもともと語頭にラ行の音が来ない。
 これは日本語が属するウラルアルタイ語族の特徴で、韓国語、モンゴル語、満州語なども同様である(例えば『論語』も韓国語の発音では「ノノ」となるように)。
 元号の語頭に「ラ行」は異例中の異例なのである。
 また、「令和」は漢文学の古典ではなく『万葉集』から採ったとされ、これにも驚いた。
 元号はギリギリ、日本が漢文学の古典の世界にいる証であったのだが。
 脱亜入欧ではなく脱亜帰和という主旨なんだろうが、「ラ行」語頭というところが残念なのかモダンなのか。
プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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