「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年12月28日

伊佐山紫文495

昨日、とある講演会に行ってきた。
 それがもう、ハッキリ言って、何か悪い薬をやってるんじゃないかと思われるような講師の、狂気じみた妄想のオンパレードで、抜けて帰ろうかと思っていた矢先、旧知の元国会議員が口火を切って批判を始めたものだから、その尻馬に乗って私もつい、マイクを取ってしまった。
 愚かなことをした。
 事実で狂気を糺すことは出来ない。
 これは分かりきったことで、そもそも、自身の信念を保持することと、事実を事実として認めることは、脳の機能として別物なのだ。
 受け持つ脳の部位が違う。
 例えば、キリスト教徒に「処女懐胎なんてあり得ない」と科学的事実を言ったところで、その信仰が揺らぐことはない。
「だから、何?」となるだけだ。
 信仰脳は科学脳とは別物で、役割が違う。
 信仰脳に対して科学的事実は無力なのである。
 実際、こんな狂人の講演でさえ、感動したという発言が相次いだ。
 その感動を科学的事実をもって打ち消すことは、絶対に出来ない。
 科学など、事実など、信念や狂気の前では全くの無力だというのが、啓蒙の教えではなかったか。
 ああ、無駄なことをした。
 と思っていたが、その後の懇親会で多くの方から話しかけていただき、名刺も交換し、過去作品のDVDもお渡しすることが出来たので、全くの無駄ではなかったかな、と。
 科学など、事実など、信念や狂気の前では全くの無力だが、それでも粘り強く説き続けなければならないというのも、また啓蒙の教えではなかったか。
 まあ、色んなことを考えさせられましたわ。
2019年12月27日

伊佐山紫文494

今年を振り返ると、なんとまあ、多産な一年だったこと。
 作詞はいくつやったか忘れたほどだし、新作の音楽劇『クララ・シューマン 天才のヨメはん』でもって「上方うた芝居」なる新ジャンルを立ち上げ、暮れも押し迫って、パラシアター・ムーブメントの第二作となる音楽劇『島ひきおにとケンムン』の歌詞と台本を書き上げた。
 また、FM大阪には三度も出していただいた。
 そのうちの一回は構成と選曲まで任せていただいた。
 収録では「ブッシュ」を「レーガン」と言い間違えた部分もあったけれど、聞いていただいた方々からはご好評の頼りもあり、まあまあだったのではないかと思う。。
 この準備をしていて飲みまくったコーヒー(デカフェと言いながら結構効く)の後遺症はまだ胃に残っている。
 で、思い出した。
 30年前、月刊誌の連載を3本持っていた頃、とにかく調べ、とにかく取材し、追い立てられるように書いて書いて書きまくっていた。
 コーヒーは朝昼晩、がぶ飲み。
 定期的に下痢しながら、胃痛、腰痛、肩こり、腱鞘炎と闘い、夜は街に繰り出して、記者仲間と痛飲。
 二日酔いを誤魔化すためにコーヒー、で、定期的に下痢。
 今でもコープこうべのレジのところに置いてある雑誌『ステーション』が、当時の私の媒体で、多いときには記事の三分の一が私のものだったこともある。
 イサヤマ書きすぎ、と問題になり、「山田一郎」「穴井六郎」など、いくつものペンネームと銀行口座を使い分けた。
 確定申告のときは面倒だが、当時は偽名でも銀行口座を開くことが出来たのだった。
 口座を通さない金もあった。
 来年創刊30年となる『東京ウォーカー』の準備段階での話である。
 今となっては驚きでしかないが、当時、KADOKAWAには法務部がなかった。
 だから、と言うわけでもなかろうが、何か問題があると、なぜか私のところに常務が相談に来るのだった。
 この常務が、突然、夜中に電話をかけてきた。
 言われるままタクシーを飛ばして新神戸オリエンタルホテルのバーに行くと、珍しくしらふでコーヒーなどすすっている。
「イサヤマ、まずいことになった。お前の言うとおりだった。『ジパング』は登録されてた」
「だから言ったでしょう!」
「それがお前の悪いところだ。だから言ったでしょう、じゃなく、どうしましょう、だろ」
 それから、色々と話し合って、絶対に登録されていない、登録できない、
「ウォーカー」
 にしようということになった。
「ジパング」
 で印刷してしまった分は仕方ない。
 どんな段階を踏んで『東京ウォーカー』に落とし込んだか、関西にいては知るよしもないし、こんなものに何の関心もなかったが、まあとにかく、私の名付けたこの子は、すぐに80万部を売り上げるバケモノ雑誌に育つことになる。
 このときの功績もあって、直木賞が映画化が云々の話も出てきたのだが、この常務が角川春樹のコカイン逮捕の余波で吹っ飛んでしまっては仕方がない。
 口座を通さない金もなくなった。
 当時、27歳、考えてみれば若くしてデカい舞台に立っていたもんだ。
 今年の仕事なんて、当時からすればひと月分にもなるまい。
 と言って、当時のような仕事の仕方をすれば半年で過労死するだろう。
 ほどほどがいちばんですわ。
2019年12月27日

伊佐山紫文493

ジャレド・ダイアモンドの新著がゴミだったので途中でやめてメルカリで売り払い、ピンカーの邦訳『21世紀の啓蒙』を読み始めた。
 どうせ邦訳は数年先になるだろうと思って原書を読んでいたのだが、こんなに早く出るとは思わなかった。
 やっぱ、邦訳は楽だわ。
 訳者様々です。
 それはともかく、この歳になって、インプットとアウトプットのバランスを考えている。
 とにかく、読まなければならない本、観なければならない映画がありすぎる。
 読んで観て、観て読んで。
 こうして部屋は散らかるし、子供が冬休みになれば「学校の宿題は!」などと声も上げなければならない。
 百人一首は覚えさせ、英語も教え、昼ご飯も作って。
 限られた時間の中で、本を読むのか、映画を観るのか、こうやって誰が読んでいるのか分からん文章を綴るのか。
 全て自分の差配である。
 気まぐれに付き合ってくれている皆様、良いお年を。
 それはそうと、今日は、数年ぶりの忘年会。
 毎年、各所での不義理を重ねてきましたが、今年のお誘いは浅川座長の命もあり参加することに。
 これでも30年前はいくつもの忘年会新年会を主催する立場にありました。
 あれはなんだったんだろうね。
 ああいうバカ騒ぎが嫌で静かな文筆生活に入ったはずが、あまりに静かすぎて、何にもなくて、つれづれにネットでブログを始めたら日々炎上、アクセスが万を超える日が続き、これだったら本にしたら売れるかと話を進めるうちに、遠距離介護は始まるわ、それで故郷でも食ってける仕事として弁護士になろうかと司法試験を目指すわ、子供は出来るわ、両親は死ぬわ、お遊びで始めた歌詞作りは上方うた芝居に発展するわ、まあいい歳してめまぐるしいもんですわ。
 あ、宿題終わった?
 どれどれ……
2019年12月25日

伊佐山紫文492

『さよならくちびる』令和元年日本
監督・脚本:塩田明彦
 女性デュオの解散ツアー。
 に付きそう男、運転手であり、マネージャーでもあり。
 三人の微妙な関係性が日本を縦断しつつ淡々と描かれる。
 景色と歌と、三人の演技がそれぞれ素晴らしい。
★★★★★
2019年12月25日

伊佐山紫文491

『パピヨン』平成29年2017年アメリカ・セルビア・モンテネグロ・マルタ
監督:マイケル・ノアー
オリジナル脚本:ダルトン・トランボ 脚本:アーロン・グジコウスキ
 子供の頃にテレビで見た『パピヨン』のリメイク。
 改めて、脚本がダルトン・トランボだったんだと思い出した。
 リメイクとしてよく作ってはいるんだろうけれど、何か心に響かない。
 ドガがフレディ・マーキュリーに見える瞬間があるし。
 やっぱり、S・マックイーンとD・ホフマンの共演にかなうものはない。
 この二人がトランボのホンでやるんだから面白くないわけがない。
 やっぱり何かが抜け落ちるんだよな、リメイクって。
 トランボの狂気か、抜け落ちたのは。
 ちなみに私が思う史上最高のシナリオ作家は、疑いなく、トランボです。
★★★★☆
2019年12月25日

伊佐山紫文490

『半世界』平成30年2018年日本
監督・脚本:阪本順治
 幼なじみの中年男三人がそれぞれに抱える問題を解決するんだかしないんだか。
 まあ、人生なんてそんなもん。
 体の病気なら快癒ってこともあるだろうが、人間の関係性や心の問題がきれいに解決するなんてことはあり得ない。
 だから対症療法的に欺しだましやっていくしかない。
 死ぬまで。
 死んでからも残されたものはまた欺しだましやっていくしかない。
 おそらくこの監督の最高傑作。
 ザ・邦画、という感じ。
★★★★★
2019年12月25日

伊佐山紫文488

『キングダム』令和元年2019年日本
監督:佐藤信介 脚本:黒岩勉、佐藤信介、原泰久
 始皇帝の少年時代。
 スケールはやたらとデカいんだけど、人間関係がチマチマしすぎ。
 結局は兄弟げんかって話でしょうか?
 権謀術数渦巻く戦国時代なんだから、もう少し深みが欲しい。
★★★☆☆
2019年12月25日

伊佐山紫文487

週末に一本、音楽劇を書き上げた。
 原作付きなので、10曲の作詞と脚本を2時間ほどで一気に仕上げた。
 こういうものはもう、何かが降りてくるとか、そういう「霊感商法」じみたやり方ではなく、と言うか、そもそも「霊感」なんぞ持ち合わせていないから、サクサクと、右のものを左に置き直すようなやり方で作っていく。
 作曲も演出も信頼できる面々だから、細かい指示など要らないし、最小限の柱とト書きだけで済む。
 台詞は原作から持ってくるし、足りない部分はチャチャッと作る。
 この手の作品の台本作家に求められるのは、とにかく早さ。
 台本や作詞が出来上がらないと一歩も進まない。
 その点じゃ、かなりいけてるとは思うのだが。
 ああ、仕事さえあれば毎週でも書くのに、などと言いつつテレビを見ていると、手相で将来を占うなんてことをやっていて、我が手のひらと見比べていたら、息子が、
「お父さんに将来ってあるん?」
 なんてことを!
 ありますよ!
 百まで生きるとすれば、あと四十年以上!
 そう思えばまあ、ボチボチと仕事していきますわ。
2019年12月25日

伊佐山紫文486

『ダンスウィズミー』令和元年2019年日本
監督・脚本:矢口史靖
 音楽が聞こえると歌い踊り出さずにはいられない魔法(催眠術)をかけられた女の子が正気を取り戻すまでのロードムービー。
 名前は忘れたが、北欧の映画で似たようなものがあって、主人公は最後、絞首刑になった。
 こっちの主人公はもちろんハッピーエンド、なんだかどうだか、魔法も消えたんだか、消えてないんだか。
 音楽を入れればなんとでもなる。
 の見本。
★★★★☆
2019年12月25日

伊佐山紫文485

30年前の年の暮れ、私はソウルにいた。
 私にとって韓国はただの外国ではない。
 母が12歳までを過ごした、母の生まれ故郷である。
 母の昔話はほとんどが戦前の朝鮮の話であり、食べられる松の実や、死んだ妹をタクシーに乗せた光州の街は、私の深い部分にしっかりと根を張っていた。
 その朝鮮、韓国・ソウルに足をつけたとき、私は身震いするような、形容しがたい感覚を覚えた。
 ここには日本がある、と思った。
 私が恋い焦がれ、それでも、決してたどり着くことの出来ない、幻影の日本、そう、打倒すべき、愛すべき、母の国、
「大日本帝國」
 イルチェ(日帝)がそこにあった。
 見上げれば抜けるようなコリアンブルーの冬空。
 目を戻せばマシンガンを肩にした兵士たち。
 バスを降りれば素晴らしい歌声を聞かせる路上の身障者。
 ここは私の心の故郷である。
 と、思った。
 すべては幻影だと思い知る30年ではあった。
2019年12月25日

伊佐山紫文484

『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 上下』
ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社
 前著『サピエンス全史』で生命史から先端技術までを雄渾に描ききった著者が、今度はサピエンスの未来を予測する。
 結論から言えば、フーコーとは違った意味で「人間」は消え去る。
 裕福な一部分はテクノロジーを駆使して肉体を改造し「ホモ・デウス(神)」へと進化し、その他有象無象の「サピエンス」にどのような未来が待っているのかは分からない。
 産業革命の後、何百万人を対象とした教育・医療が施されたのは、国家にとって何百万の兵隊や労働者が必要だったからで、もし戦争がなくなり、労働がAIに取って代わるなら、有象無象の何百万のことを考える必要もない。
 また、著者の言う現代の「人間至上主義」に代わるであろう「データ至上主義」がこの地球を覆い尽くせば、そもそも人間の自己決定そのものが消え、つまり、決定する自己が消え失せる。
 なんとも異様な未来だが、充分に説得力がある。
 著者のような若い(昭和51年1976年生)世代の思想家には「リチャード・ドーキンスやスティーブン・ピンカーら、新しい科学的世界観の擁護者たちでさえ、自由主義を放棄することを拒んでいる」と見えるのか。
 新しい技術には新しい思想、と言うのがマルクス主義の根幹にあるテーゼなのだが、この著者はそれを忠実になぞっているように見える。
 テレビの亜流・俗流に騙されないために、本書は『サピエンス全史』と共に読んでいた方が良いだろう。
2019年12月25日

伊佐山紫文483

『共産主義の系譜』
猪木正道 角川ソフィア文庫
 単なる反共の書ではない。
 マルクスへの愛が半端ない。
 スターリンも単なる独裁者としては描かれない。
 お前があの時代、あの立場に生まれたらどうしたかって話。
 とにかく、人は、生まれた時代や故郷から自由ではない。
 共産主義者も同様で、だからこそ本書のような仕事もなされる。
 それにしても、なんともはや、人の命の軽いこと。
2019年12月18日

伊佐山紫文482

もう何十年も前、知人が結婚するにあたり送った歌、

「正しさ」は心をえぐる刃なれば ほどほどにこそ使うべかめれ

 が、この界隈でそれなりに話題になっていたことを、これもまた別の知人の葬儀の場で知った。
 もう故人となった知人は、
「イサヤマさんは良いよな、好きなように生きて」
 と常に言っていたという。
 嫌らしい意味ではなく、本当にそう思って言っていたのだと。
 かなり誤解があるとは思うが、そう思われても仕方がない生き方だったとは思う。
 あれからさらにもう20年、若くして逝った友を思い、また一首。

 暮れなずむ月日を思う窓辺には 冬の陽あかり輝いてあり
2019年12月18日

伊佐山紫文481

もう何十年も前、知人が結婚するにあたり送った歌、

「正しさ」は心をえぐる刃なれば ほどほどにこそ使うべかめれ

 が、この界隈でそれなりに話題になっていたことを、これもまた別の知人の葬儀の場で知った。
 もう故人となった知人は、
「イサヤマさんは良いよな、好きなように生きて」
 と常に言っていたという。
 嫌らしい意味ではなく、本当にそう思って言っていたのだと。
 かなり誤解があるとは思うが、そう思われても仕方がない生き方だったとは思う。
 あれからさらにもう20年、若くして逝った友を思い、また一首。

 暮れなずむ月日を思う窓辺には 冬の陽あかり輝いてあり
2019年12月18日

伊佐山紫文480

『ちいさな独裁者』平成29年2017年ドイツ、フランス、ポーランド
監督・脚本:ロベルト・シュヴェンケ
 終戦間際のドイツ。
 軍紀が乱れ脱走が相次ぐなか、一人の脱走兵が将校の制服を拾い、身にまとう。
 これで大尉が一丁上がり。
 誰も疑わない。
 ニセ大尉は軍記を糺すべく犯罪者収容所では一夜で100人近くを虐殺し、即席裁判所を作って街に乗り込み裏切り者として市長を銃殺する。
 これが全て実話、しかも当人21歳。
 なんともやりきれんが、ラストシーンは余計だと思う。
 それで★一つ減。
★★★★☆
2019年12月18日

伊佐山紫文479

妙に不安になったり、物事の選択に異様に時間がかかったり、果ては酔次郎になったりと、ここ数週間、奇妙なことが続いたんで、ハタと思い至り、コーヒーを止めてみた。
 コーヒーとは言ってもカフェインレスである。
 カフェインを97パーセントくらいカットしているので、大丈夫かなと思って飲み続けていた。
 昔からコーヒーが駄目だった訳じゃなく、40歳になるくらいまで、毎日数杯、朝も昼も夜も、機会があれば飲んでいた。
 実家が喫茶店だったこともあり、ちゃんと豆を挽き、ペーパーで淹れていた。
 それが40を過ぎた頃から、カフェインの入ったもの全てを受け付けなくなった。
 コーヒーも、紅茶も、緑茶も、コーラも、各種の薬も。
 もちろんコーヒーを飲むことは出来る。
 おいしく飲める。
 ただ、その後が酷い。
 まずはラリってしまう。
 続けて飲むと胃をやられる。
 で、妙に不安になったり、物事の選択に……と冒頭のような状態になってしまう。
 カフェインの害が少しは社会的に認識され、カフェインレスのおいしい豆も出てきたので、これを朝だけ、しかしタップリと淹れて、半年近く飲んでいた。
 ところが最近になって、妙に不安になったり……(以下略)
 なので、残ったコーヒー豆をトイレの脱臭剤にして、この四日間、カフェインを抜いてみた。
 やってきたのは離脱ですわ。
 何にもする気がしない。
 たった3%でも残っていればカフェインの効果と害はあるわけで、これが積もり積もれば色々とおかしなことになってくる。
 そこから抜け出そうとすれば、いわゆる禁断症状、正確には離脱症状が現れる。
 そういえば、喫茶店のマスターだった父がコーヒーを飲んでいるのを見たことがない。
 喫茶店を始める時には博多の有名な喫茶店をハシゴしていたと言うから、若い頃には飲めたに違いない。
 それが私と同じで、だんだん飲めなくなって来たのだろう。
 薬物への反応は遺伝するらしいから、父親側の遺伝子のなせる技ですな。
 母親は老健施設で亡くなる寸前までコーヒーを飲んでいた。
 実家で淹れたコーヒーをポットに入れて施設に持って行き、母やスタッフに振る舞うと、
「口の中が、何というか、スーッとしますね」
 などと、絶賛されたものだ。
 父親がアル中病院に入れられる前、吟味に吟味した豆を、吟味したミルで挽き、吟味したドリッパーで淹れた一杯である。
 旨くないわけがない。
 試しに飲んでみたらメチャクチャ旨く、半日ラリって仕事にならなかったが。
2019年12月18日

伊佐山紫文479

『止められるか、俺たちを』平成30年2018年日本
監督:白石和彌 脚本:井上淳一
 伝説の映像プロダクション、若松プロの創生期を女性助監督の目を通して描く。
 自分は絶対にそこにいたはずはない時代と場所なのに、強烈な懐かしさを覚えてしまう。
 昭和45年(1970年)ごろの東京というのは、私がマンガを読み始めた時期であり、自分も二十歳くらいになったらこうやって新宿の街を歩くのだろうと漠然と思いながら、マンガに描かれた世界を眺めていた。
 後に若松監督のことは左翼の世界から知り、憧れていた時期もある。
 そういう目で観ると、もう完璧と言っていい左翼映画である。
 懐かしい、本当に懐かしいが、あの時代、あの場所にいなくて本当に良かったと、今ではつくづく思う。
★★★★☆
2019年12月18日

伊佐山紫文478

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上下』
ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社
 アフリカの片隅で暮らしていたホモ・サピエンス(現生人類)は如何にして地球の覇者となり得たのか。
 それは人々の間で「虚構」を共有出来たからだ、と言うのが著者の、と言うより、現在の人類学の常識であろう。
 言語能力がサピエンスほどではなかったネアンデルタール人には「虚構」の共有は無理だったろう。
 サピエンスには作り得た「国家」など、ネアンデルタール人には無理だった。
 サピエンスでは、「群れの一員」という「事実」が、「国民」という「虚構」へとすり替えられ、同時に「国家」という虚構を生み出した。
 今では全てのサピエンスが「国民」であり、程度の差こそあれ、「虚構」としての「国家」に守られている。
 生物学とマクロ歴史学を繋ぐ手法は見事で、雄渾でさえあるが、心理学の分野ではやはりピンカーの『暴力の世界史』にはかなわない。
2019年12月18日

伊佐山紫文478

『ハンターキラー 潜航せよ』平成30年2018年アメリカ
監督:ドノバン・マーシュ 脚本:アーン・シュミット、ジェイミー・モス
 潜水艦ものは狭苦しくて嫌だ、と言う人にも大丈夫。
 丘でも戦ってます。
 展開はちょっと強引に過ぎるが、とにかく次から次へと事件が起きて飽きさせない。
 政治的には「?」が20個くらいつくが、男臭さもここまで来れば爽やか。
★★★★☆
2019年12月18日

伊佐山紫文477

『アナイアレイション -全滅領域-』平成30年2018年アメリカ、イギリス
監督・脚本:アレックス・ガーランド
 地上に出現した妙な領域。
 入った誰も帰ってこない。
 ところが夫だけは帰ってきた。
 で、妻も入る。
 なんともはや、全く面白くないのに惹かれてしまう。
 結局最後まで見てしまった。
 こういう実験的な映画を絶賛するのが批評家の役目なんだろうが、どうなんだろう。
 素晴らしい映画だとは思うがお薦めはしない。
★★★★☆
プロフィール
notebook
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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