「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年12月18日

伊佐山紫文476

「大阪のいちびりさん集まりまし展」の「オープニングフォーラム」に参加してきました。
 そこで懐かしい顔が!
 もう30年以上前、まだ昭和だった頃、私は、おそらく日本の男でただ一人、ある問題に取り組んでいた。
 それは戸籍のない子供に住民票と保険証を与え、そして就学児名簿に載せること、これらを自治体に認めさせるという運動である。
 一応「女たちの連絡会」を名乗ってはいるが、明確な運動体があるわけではなく、西に戸籍のない子供がいると聞けば集まって西に走り、東に無保険の子がいると聞けば集まって東にむかい、その自治体の窓口で交渉する。
 男は私だけだから、必然的に切り込み隊長となって窓口で怒鳴る、テーブルをたたく。
 警察呼ばれる寸前までやらないと話も聞いてもらえない。
 これはもう埒が明かないと言うことで、国会議員に話を聞いてもらうことにした。
 衆参両院、何百人いるのか分からん議員に窮状を訴えた手紙を、全て手書きでしたためた。
 上京の日にちも知らせ、会ってはもらえないだろうかと打診した。
 何人かの女性議員は秘書が対応してくれた。
 そんな中、ただ一人、議員本人が話を聞いてくれた。
 しかも男性である。
 それが旭堂小南陵さんだった。
 私ともう一人の女性で状況を訴えると、
「分かった。ワシの名前使え。その名刺出してええから」
「良いんですか? だったら、もう一枚もらえませんか」
 今思えばド厚かましい申し出にも、
「なんぼでも、束で持ってけ」
 国会議員の名刺だけで扱いが違うとは思えず、最初はおずおずと、
「国会でも取り組みが始まってるんです」
 と旭堂さんの名刺を見せた途端、
 こちらへ~、とばかりに応接室に通された。
 あっという間に、何ヶ月通ってもこじ開けられなかった扉が開いた。
 もう、トントントンと住民票が出来、保険に入ることができ、就学児名簿にも載ることが出来た。
 1カ所先例を作ってしまえば、それに国会議員の後ろ盾もある、これ以降、話はスムーズに運ぶようになった。
 やっぱ国会議員スゲエ、だったらアンタ出なさいよ、みたいなノリで吹き荒れたのが、いわゆる「マドンナ旋風」である。
 私の周りから何人も議員が出た。
 その後、私にもまあ色々あって運動からも政治からも離れ、旭堂さん自身も政治家ではなくなり、今では上方講談止め名の「旭堂南陵」をついで各方面で活躍されていることはご存知の通り。
 いつかお礼を言わねばとテレビで見るたびに(話を少し盛ってます)思っていた。
 そして、昨日、本当に30年ぶりに会えたのだった。
 会の性質上、深い話は出来なかったが、簡単なお礼が言えて良かった。
2019年12月18日

伊佐山紫文475

息子が学校で作った狂歌
「たのしみは 家に帰ると るすだから ゲームざんまい している時」
 他の子の作も見て回ったが、
「さんまい(三昧)」はもちろん、同等な仏教語を使ってる子は一人もいない。
 みんなもっと素朴な言葉使いだ。
 しかも多くの子が他者との交歓や食べ物の味を詠んでいるのに、一人ゲームに耽る様を嬉々として歌うとは恐れ入る。
 なにより「るすだから」って、おいおい、誰かいると「ゲームやめて宿題しろ」とかって言われるからってか。
 まあ、臆面もなく。
 日頃は「量子コンピューター」や「シンギュラリティ」など、ネットで聞きかじったらしいことを口にしてはいるが、「三昧」なんて仏教語もそれなり使うんだなと、我が子の成長を改めて確かめる。
 それでも言っとくが「三昧」とはヨガで言う「サマーディ」の音訳で、心静かに瞑想するってことだぞ。
「そこ撃て! 殺せ殺せ殺せ!」
 とかって、ネット上で戦争しながら「三昧」なんてありえんから。
2019年12月18日

伊佐山紫文474

昨日の打ち合わせは京都の大宮だったのだが、ここには嵐電の四条大宮駅もあり、実は個人的な思い出の地でもある。
 20年くらい前、京都によく通った時期があった。
 映画の原作を書こうとて、取材していたのである。
 タイトルだけは決まっていた。
『三都物語』
 神戸で貿易業を営む中年男性、これがえらくモテる。
 京都、奈良、大阪にそれぞれ恋人がいて、いったい誰と結婚するのやら、なんて話。
 その昔、大阪の鶴橋に映画関係者のたむろする飲み屋があって、私も通い、将来撮られるべき、大ヒットするべき、歴史に残るべき超大作の皮算用を、みんな焼酎で軽くなった舌を回しながら吹きまくったものだった。
 敏腕で知られた左翼の映画プロデューサーにそそのかされ、原作を書き、シナリオも書いた。
 まあ、どれも資金不足から形にはならなかったが。
 周りからは、
「あの人にもうそんな力はない。騙されてんだよ」
 などと言われながら。
 で、今度こそは、と言うことで『三都物語』の取材、ロケハンに入ったという次第。
 太秦の映画村のシーンも入れたいと、嵐電にも乗った。
 四条大宮から、撮影所前まで。
 きちんと仕上げて渡そうと、プロデューサーとは1年近く会っていなかった。
 そろそろ書き始めようかなと思っていた矢先、この人の訃報が届いた。
 お別れの会の会場は人であふれかえっていた。
 知った顔もあったが、私は避けるようにして帰ってきた。
 こうしてくだんの飲み屋にも行かなくなり、左翼から足を洗い、映画の世界からも完全に離れてしまった。
 ところが、先日、お別れの会で受付をしていた女性の家でその飲み屋のことが話題になり、今でも移転してやっているのだと。
 ネットでググってみると、出るわ出るわ、懐かしい顔が、名前が。
 まだ韓国映画がマイナーだった頃、一緒に見本市に行った映画館館主。
 怪しげなバイヤー。
 在日の映画監督。
 その他、その他、みんな左翼の映画連中。
 まだまだ、将来撮られるべき、大ヒットするべき、歴史に残るべき超大作の皮算用を、今でもやってる。
 いや~もしこの連中と映画作って借金抱えてたら、俺もここにいるのか?
 そう思うとゾッとしたものだった。
 それでも大宮の辺りを歩くと、まだ夢を見ていたあの頃を思い出す。
 大宮は、撮られずにしまった幻の映画のロケ地なのである。
2019年12月18日

伊佐山紫文473

夙川座次回公演
『レイチェル・カーソン やめなはれDDT!』
 の音楽は、一部、現役の作曲家にお願いすることになり、その打ち合わせを京都でやってきた。
 今は組織が複雑になってしまって正式名称は分からないが、次回公演は基本、昔の「大阪市中央婦人会館」とのコラボ企画である。
 だから作曲家も女性の方が良いだろうと言うことで、いつもの山田さんにお願いした。
 こうやって女性の作曲家を使っていけば、次々回もその次も「婦人会館」とのコラボを続けていけるのではないかという、まあ、皮算用である。
 私とこの「婦人会館」とは30年近い付き合いである。
 男女雇用機会均等法も施行されたばかり。
「セクハラ」は横行していたがそれを指す言葉もなかった時代である。
 当時の女性問題を扱った私の小さな本がそれなりに話題になり、あちこちで単発の講演会や学習会の講師、あるいはシンポジウムのパネリストとして呼ばれるようになっていた。
 同時期「婦人会館」は「クレオ」と名称を変えつつあり、その最初の「クレオ」である「クレオ大阪北」が出来たときのシンポジウムに呼んでいただいたのが最初のご縁である。
 とにかく、こういうときシンポジストを男女同数にしなければならないという内規があったらしく、男性を探すのが大変だったと後から聞いた。
 今でこそ女性差別的な言辞は絶対駄目になったが、当時はもう、そんな常識もないから、男たちがやらかすやらかす。
 男女平等をうたうシンポジウムで差別発言やセクハラまがいのことを言う、痴漢を擁護する、自分の性癖を披露する……
 やらかさへん男はおらんのか!
 私はマスコミの現場にいたから、何が暗黙のコードに触れるかも知悉していた。
 だからキワキワではあるがセーフなキレを見せることが出来た。
 で、このシンポジウムもキワキワセーフを連発して、結果、参加者からの質問は私に集中した。
「イサヤマさんのおかげで大成功です!」
 と担当者の顔も上気していた。
 この後、長期の講座を持たないかと「婦人会館」から打診があった。
 やります、と二つ返事で、出した講座のタイトルが、
「家の呪い 愛と血の近代文学史」
 除霊の受け付けと間違えて問い合わせた方も何人かいたらしいが、講座そのものは概ね好評で、これが前回公演での「協力」に繋がった。
 三十年前の仕事が今に生きたわけだ。
 まあ、若い頃にはきちんと仕事をしておくべきだって話ですわ。
 で、この三十年間何をしてきたかって?
 それは聞かんといて。
2019年12月18日

伊佐山紫文472

「放射線」と「突然変異」について息子が聞いてきた。
 どこで聞きかじってくるのやら。
 どうせ学校でなんか吹き込まれたんだろう。
「おととし、アメリカ産のミックスベジタブルに虫が入ってたことあったやろ」
「あったっけ?」
「まあ、とにかく、あの虫はコロラドハムシって言って、おそらく、最初に人為的な突然変異の実験に使われた虫なんだ」
「へえ」
「けれど、まだ染色体と遺伝の関係とか良く分かってない時代だったんで、誰もその価値に気づかなかった」
「価値って?」
「まあ、価値というか、何というか、で、今度は、キイロショウジョウバエを使ってやったんだ」
「同じ人が?」
「違う。マラーって人で、X線を使った」
「X線も放射線なの?」
「普通はα線、β線、γ線の三つを言うけど、X線も電磁波の一種だからね。それにX線は放射した量と変異の量が規則的になる」
「多く当てれば、多く変異するってこと?」
「そう。この実験以来、キイロショウジョウバエは遺伝の実験に使われるようになった。この分野での草分けのドブジャンスキーは、お父さんの大学時代の先生の先生だった。お父さんの先生も一日中、ショウジョウバエを数えてた」
「へえ。でも、なんで放射線と突然変異がこれだけ騒がれるんだろ」
「ウルトラマンって番組があるやろ」
「うん」
「あれに出てくる怪獣で、一番多い種類って、突然変異で生じたものなんだ。例えば、子供の落書きが宇宙からの放射線で突然変異してガヴァドンなんて怪獣になったり」
「なんだそりゃ」
「みんな無知だったんだよ。放射線で突然変異して何かトンデモナイものが出来るってバカ話でも説得力があったってことだ」
 なんだかおどろおどろしい話を期待していたのに肩透かしって顔。
 とにかく、気象変動だの放射線だの、終末論に飲み込まれんことだ。
 若いうちは仕方ない面もあるけどね。
2019年12月17日

伊佐山紫文471

息子にゲームを買ってやっても、すぐに裏口を見つけて「コンプリート」、放ってしまう。
 これじゃ甲斐がないので、
「ちゃんとゲームしろよ」
 と言うと、
「それって、大人の言うことじゃないだろ。普通の大人なら、ゲームするな、だろ」
 まあ確かに。
 大人の役割ってのは、自分の価値観の押しつけにあるからね。
 かと言って、こっちにしっかりとした価値観があるわけじゃない。
 仕方ないから、古典に帰る。
 百人一首、唐詩選。
 とりあえず口に出して読ませてますわ。
2019年12月17日

伊佐山紫文470

『いま世界の哲学者が考えていること』
岡本裕一朗著 ダイヤモンド社
 夙川座次回公演、
『レイチェル・カーソン やめなはれDDT!』
 の台本を書くにあたり、今の環境思想が現代思想の中にどのように位置づけられているのか、手軽に知ろうと思って手に取った。
 いや、手軽すぎた。
 第6章「人類は地球を守らなくてはいけないのか」
 には、レイチェル・カーソンの「レ」の字も出てこない。
 そりゃ、哲学の中だけで考えてりゃそうなんでしょうよ。
 この著者は恐らく隠れマルクス主義で、おそらく元ポストモダニストなんだろうから、玉野井芳郎さんの労作、
『エコロジーとエコノミー』(講談社学術文庫)
 くらいには言及すべきじゃないか。
 ただ「地球温暖化」をフェイクと一蹴したロンボルグの「コペンハーゲン・コンセンサス」を取り上げているのは評価しよう。
 その他の論点も基本的には知ってる範囲を出なかったが、考えを整理するのには大いに役に立った。
 良くもまあ、これだけ分かりやすく書けるものだ。
2019年12月17日

伊佐山紫文469

『運命は踊る』平成29年2017年イスラエル、ドイツ、フランス、スイス
監督・脚本:サミュエル・マオズ
 息子の戦死の報が届き、卒倒する母親、平静を装う父親。
 ところがこれが誤報と判明、猛抗議する父親に、軍も仕方なく一時帰還を許す。
 これが本物の悲劇に繋がっていく。
 編集も面白くなくはないが、もう少し工夫のしようがあったんじゃないか。
 脚本の段階でも。
★★★★☆
2019年12月17日

伊佐山紫文468

『倫理としてのナショナリズム グローバリズムの虚無を超えて』
佐伯啓思著 中公文庫
 リベラリズムは「自立した個人」を称揚するが、その「個人」が個人として自立するにあたって、必ずどこかの社会に属していなければならない。
「個人」は社会の中で人になる。
 だから健全な個人が育つためには、社会が健全でなければならず、その健全さを担保するのは、逆に個々人の内面に内在する「倫理」、すなわち健全なナショナリズムだと著者は言う。
 全く同感、と言うしかない。
 ただ、その健全なナショナリズムがいかに生じ、次世代へと受け継がれて行くのか、著者はほとんど語らない。
 私がかつて唱えた「物語的倫理」は、恐らく、著者の言う「倫理としてのナショナリズム」の論理構造を抉ったものだと思う。
 古本でしか買えなくなったけれど。
2019年12月17日

伊佐山紫文467

『ヒトラーと戦った22日間』平成30年2018年ロシア、ドイツ、リトアニア、ポーランド
監督:コンスタンチン・ハベンスキー
脚本:コンスタンチン・ハベンスキー、アレクサンドル・アダバシャン、アンナ・チェルナコワ、アンドレイ・ナザロフ
 実話を元にしたよくある収容所ものかと思ったら、まあ、その通りなんだけど、脱出に成功するところが凄い。
 ロシア人のリーダーが収容所内の組織を統率するんだけど、それが出来た理由も凄い。
「皆、スターリンの心を持っている」
 そりゃそうだ。
 この時代のソ連ですから。
 ドイツ兵の描き方はお約束。
 ただし、逃亡したユダヤ人たちの多くが付近の住民に殺害されたと言うのも、史実なんだろうが、悲しすぎる。
★★★★★
2019年12月17日

伊佐山紫文466

『永遠の門 ゴッホの見た未来』平成30年2018年アメリカ、イギリス、フランス
監督:ジュリアン・シュナーベル 脚本:ジュリアン・シュナーベル、ジャン=クロード・カリエール
 上映中。
 何が新解釈なんだか。
 無意味なアップや思わしげな光景、すべて下らない。
 とにかく、この監督は天才ってものを理解していない。
 天才的な才能はその持ち主の人格を破壊する。
 ゴッホが嫌われたのはその才能の故ではない。
 才能が破壊した人格そのものが常識人に嫌われたのだ。
 たとえば泥酔し大小漏らした男が毎晩自分の家の前に寝ていたら。
 しかもその男の目的が我が子だったら。
 石もて追うだろ、普通。
 才能があったから追われたのではない。
 才能が破壊した人格が追われたのだ。
 それにもし、この映画でデフォーが演じるような、きちんと自分の作品の精神性をプレゼンできるような作家なら、もっと売れていた。
 評価する批評家もいたわけだし。
 まあ、この映画の全てがぬるい。
 天才的な才能なんて、そんなきれいなもんじゃない。
 この私が言うんだから、間違いない(笑)。
 ただし、こういう殉教者話は女子には受ける。
 一緒に観た浅川座長はずっと泣き通しだった。
★★★☆☆
2019年12月17日

伊佐山紫文465

『テイクバック』平成30年2018年アメリカ
監督:デビッド・ハックル 脚本:デビッド・ハックル、ニカ・アジアシュビリ
 誘拐犯にさらわれた我が子を取り戻す。
 元兵士の母親が。
 って、まず警察に行こうよ。
 犯人も最初から分かってるみたいなんだし。
 撃ち合い、殺し合いに、秋田犬にしか見えない(コロコロ太ってる)オオカミまでが絡んできて、何が何やら。
 B級も良いところなんだけど、これは開き直ってやってるから仕方ない。
★★★☆☆
2019年12月17日

伊佐山紫文464

『バハールの涙』平成30年2018年フランス、ベルギー、ジョージア、スイス
監督:エバ・ユッソン 脚本:エバ・ユッソン、ジャック・アコティ
 一緒に戦っていたクルド人をアメリカが見捨てたとか、イスラミックステイト(IS)絡みのニュースは良く分からんかったりするんだが、こういう映画を観ていれば納得できる。
 平和な街に突然ISがやってきて、男は殺す、子供はさらう、女は売られる。
 で、売られた主人公は逃げだし、元売られた女たちを組織してゲリラになる。
 時系列は単調じゃなく、行ったり来たりなんだが、分かりにくくはない。
 実話ベースというのが恐ろしい。
★★★★☆
2019年12月17日

伊佐山紫文463

ラジオ放送は既に終了しております。


「マガジンくらこれ!」の収録が終わりました。
 自分からプレゼンしておきながら「アンタがやれ」と言われてみると、これは大変な仕事でした。
 実質的には、生まれて初めての、トピック性のないラジオ出演で、しかも、選曲・構成もほとんどお任せでやらせていただきました。
 上手くいったとすれば、すべてMCの吉川智明さんのご配慮のおかげです。
 収録に立ち会った浅川座長が言うには「最高の出来」だったそうで、皆様に楽しいひとときを届けられればと願っております。
 テーマは「冷戦」。
 今年がベルリンの壁崩壊と冷戦終了30周年と言うことで、気軽に提案したテーマだったのですが、自分がやるとなれば話は別、どう明るく終わらせるか、見当もつかずに収録に入りました。
 慣れぬこととて、お聞き苦しい部分もあるかも知れませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
 
2019年12月17日

伊佐山紫文462

『ダブル・フェイス』平成29年2017年フランス、ドイツ、イスラエル
監督・脚本:エラン・リクリス
 ヒズボラの中に潜入させていた女情報提供者の正体がばれ、追われる身に。
 整形した女を守るのはモサドの女スパイ。
 どんでん返しには驚くが、中身は薄い。
★★★☆☆
2019年12月17日

伊佐山紫文461

『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』
亀山郁夫著 岩波書店
 スターリン時代を生きた、ソヴィエトを代表する作曲家、ショスタコーヴィチ。
 その生涯を、楽曲紹介を交えながら丹念に描く。
 ショスタコーヴィチの人生と言えば、ソロモン・ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』が有名で、同僚やソヴィエト体制への悪態には、若い私も笑い転げたものだった。
 その後、これは偽書ではないかという疑義が出され、それにヴォルコフがまともに答えなかったものだから、『証言』の「事実」としての価値は、事実上打ち消された。
 本書でも『証言』からの引用はない。
 ところが『ショスタコーヴィチとスターリン』(ヴォルコフ)が出て、ヴォルコフは劇的に復権した。
 本書は、この『ショスタコーヴィチとスターリン』の訳者によるショスタコーヴィチの評伝である。
『ショスタコーヴィチとスターリン』からの引用も随所に見られる。
 気になったのは、著者がショスタコーヴィチを最初に論じたとされる「テロルと二枚舌」では、『ムチェンスク郡のマクベス夫人』のスキャンダルの背景にコロンタイズムの禁圧があったと指摘していたのに、その後の『大審問官スターリン』や本書ではコロンタイズムへの言及が全くないことだ。
「テロルと二枚舌」では、1929年にソヴィエトを訪れたヴィルヘルム・ライヒの感想にまで言及していたのに。
 ライヒと言えば性的自由と労働者解放を結びつけようと、端的に言えばマルクスとフロイトを繋げようとした特異な思想家で、当然、共産党からは除名され、ナチスを逃れてノルウェーで研究生活を送るも、その研究内容のあまりの異様さに周囲の視線は厳しく、結局はアメリカへ。
 細胞内に普遍的に存在するという「オルゴン」なるエネルギー発見し、それを利用した「オルゴン・ボックス」という怪しげなガン治療器を発明・販売、当局から訴えられて、紆余曲折の末、獄死した。
 70年代フリーセックス運動のアイコンの一人である。
 私も遅れ馳せながらライヒの『性の革命』を手にし、あまりの荒唐無稽さに投げ捨てた。
 マルクスとフロイトを繋ぐと言えばフランクフルト学派で、その流れで古本を手にしてみたのだったが、全く無関係、これはコミンテルンが言うように「ゴミ」でしかなかった。
 ゴミに言及したのを恥じたのか、それとも他に理由があったのか、コロンタイまで消してしまうことはなかろうに。
2019年12月06日

伊佐山紫文459

『磔のロシア スターリンと芸術家たち』
亀山郁夫著 岩波現代文庫
 農業集団化で何百万もの人々を死に追いやり、また、反対派の知識人を容赦なく殺しまくったスターリンを、本書は芸術家たちとの関わりの中で、芸術家たちの側から描き出す。
 そこに浮かび上がるのは、冷酷な独裁者ではなく、まして凡庸なロシア男でもない、ファシズムに怯えるロシア人が自ら作り上げた恐怖のシステムの頂点にいて、芸術についての判断を迫られる怪しげな素人である。
 とにかく芸術家はスターリンに評価して欲しい。
 周りの意見に左右されずに。
 そうすればきっと理解してくれる……。
 私たちの目からは阿呆としか言い様がないし、実際、そんなことをしても殺されるときは殺される。
 そんな世の中が嫌なら、自らその世を去るしかない。
 亡命か、自殺か……
 スターリン時代を生きた人々は、と言うか、スターリン時代を作った人々は、自分たちが、自分たちにとって、どれほど恐ろしいシステムを作り上げているのか気づいていなかった。
 とにかく、イタリアやドイツ、そのほかの国に蔓延しつつあるファシズムが恐ろしかったのだ。
 特にドイツのナチズムは東方の大地の無民族化と、自分たちの入植に伴うスラブ人(ロシア人)の奴隷化を公言している。
 これはもう、ドイツにヒトラーがいるように、ソ連にも偉大な指導者が現れなければならない。
 確かにスターリンは政争によって独裁者となった。
 しかし一方では、独裁者を求める民衆がいたのである。
 事実、ナチス・ドイツはロシア人を奴隷化すべく、絶滅戦争を仕掛けてきた。
 泥沼の殺し合いとはこのことだ。
 人の命の軽いこと、軽いこと。
 スターリン曰く、
「一人の死は悲劇だが、万単位の死はただの統計である」
2019年12月06日

伊佐山紫文458

『ノー・マンズ・ランド 西部戦線』平成26年2014年オランダ
監督・脚本:クラース・ヴァン・アイケレン
 お勉強のためと思って見始めたが、お勉強にもならなかった。
2019年12月06日

伊佐山紫文457

『スノー・ロワイヤル』令和元年2019年アメリカ
監督:ハンス・ペテル・モランド 脚本:フランク・ボールドウィン
 息子を殺された除雪作業員が除雪車を駆って復讐に走る。
 そこに先住民の麻薬密売マフィヤもからみ、少々トチ狂った警察官は見当違いの捜査を始め、結局は大騒ぎの結末へ。
 これで良いのか?
 良いんでしょうよ、悪の組織が二つ壊滅したんだから。
 なんだかなぁ……
★★★☆☆
2019年12月06日

伊佐山紫文457

『泣くな赤鬼』令和元年2019年日本
監督:兼重淳 脚本:上平満、兼重淳
 かつての教え子と病院で再会。
 その教え子は末期のガンで助からない。
 野球部で言うことを聞かず、結局はグレて学校も辞めてしまった。
 まあ、普通の教師の対応としては、こんなもんなんだろう。
 それが苦い後悔となって蘇る。
 恐らく原作に由来する人間造形に甘いところがあるが、泣ける。
★★★★☆
プロフィール
notebook
notebook
学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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