「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年12月27日

伊佐山紫文494

今年を振り返ると、なんとまあ、多産な一年だったこと。
 作詞はいくつやったか忘れたほどだし、新作の音楽劇『クララ・シューマン 天才のヨメはん』でもって「上方うた芝居」なる新ジャンルを立ち上げ、暮れも押し迫って、パラシアター・ムーブメントの第二作となる音楽劇『島ひきおにとケンムン』の歌詞と台本を書き上げた。
 また、FM大阪には三度も出していただいた。
 そのうちの一回は構成と選曲まで任せていただいた。
 収録では「ブッシュ」を「レーガン」と言い間違えた部分もあったけれど、聞いていただいた方々からはご好評の頼りもあり、まあまあだったのではないかと思う。。
 この準備をしていて飲みまくったコーヒー(デカフェと言いながら結構効く)の後遺症はまだ胃に残っている。
 で、思い出した。
 30年前、月刊誌の連載を3本持っていた頃、とにかく調べ、とにかく取材し、追い立てられるように書いて書いて書きまくっていた。
 コーヒーは朝昼晩、がぶ飲み。
 定期的に下痢しながら、胃痛、腰痛、肩こり、腱鞘炎と闘い、夜は街に繰り出して、記者仲間と痛飲。
 二日酔いを誤魔化すためにコーヒー、で、定期的に下痢。
 今でもコープこうべのレジのところに置いてある雑誌『ステーション』が、当時の私の媒体で、多いときには記事の三分の一が私のものだったこともある。
 イサヤマ書きすぎ、と問題になり、「山田一郎」「穴井六郎」など、いくつものペンネームと銀行口座を使い分けた。
 確定申告のときは面倒だが、当時は偽名でも銀行口座を開くことが出来たのだった。
 口座を通さない金もあった。
 来年創刊30年となる『東京ウォーカー』の準備段階での話である。
 今となっては驚きでしかないが、当時、KADOKAWAには法務部がなかった。
 だから、と言うわけでもなかろうが、何か問題があると、なぜか私のところに常務が相談に来るのだった。
 この常務が、突然、夜中に電話をかけてきた。
 言われるままタクシーを飛ばして新神戸オリエンタルホテルのバーに行くと、珍しくしらふでコーヒーなどすすっている。
「イサヤマ、まずいことになった。お前の言うとおりだった。『ジパング』は登録されてた」
「だから言ったでしょう!」
「それがお前の悪いところだ。だから言ったでしょう、じゃなく、どうしましょう、だろ」
 それから、色々と話し合って、絶対に登録されていない、登録できない、
「ウォーカー」
 にしようということになった。
「ジパング」
 で印刷してしまった分は仕方ない。
 どんな段階を踏んで『東京ウォーカー』に落とし込んだか、関西にいては知るよしもないし、こんなものに何の関心もなかったが、まあとにかく、私の名付けたこの子は、すぐに80万部を売り上げるバケモノ雑誌に育つことになる。
 このときの功績もあって、直木賞が映画化が云々の話も出てきたのだが、この常務が角川春樹のコカイン逮捕の余波で吹っ飛んでしまっては仕方がない。
 口座を通さない金もなくなった。
 当時、27歳、考えてみれば若くしてデカい舞台に立っていたもんだ。
 今年の仕事なんて、当時からすればひと月分にもなるまい。
 と言って、当時のような仕事の仕方をすれば半年で過労死するだろう。
 ほどほどがいちばんですわ。
2019年12月27日

伊佐山紫文493

ジャレド・ダイアモンドの新著がゴミだったので途中でやめてメルカリで売り払い、ピンカーの邦訳『21世紀の啓蒙』を読み始めた。
 どうせ邦訳は数年先になるだろうと思って原書を読んでいたのだが、こんなに早く出るとは思わなかった。
 やっぱ、邦訳は楽だわ。
 訳者様々です。
 それはともかく、この歳になって、インプットとアウトプットのバランスを考えている。
 とにかく、読まなければならない本、観なければならない映画がありすぎる。
 読んで観て、観て読んで。
 こうして部屋は散らかるし、子供が冬休みになれば「学校の宿題は!」などと声も上げなければならない。
 百人一首は覚えさせ、英語も教え、昼ご飯も作って。
 限られた時間の中で、本を読むのか、映画を観るのか、こうやって誰が読んでいるのか分からん文章を綴るのか。
 全て自分の差配である。
 気まぐれに付き合ってくれている皆様、良いお年を。
 それはそうと、今日は、数年ぶりの忘年会。
 毎年、各所での不義理を重ねてきましたが、今年のお誘いは浅川座長の命もあり参加することに。
 これでも30年前はいくつもの忘年会新年会を主催する立場にありました。
 あれはなんだったんだろうね。
 ああいうバカ騒ぎが嫌で静かな文筆生活に入ったはずが、あまりに静かすぎて、何にもなくて、つれづれにネットでブログを始めたら日々炎上、アクセスが万を超える日が続き、これだったら本にしたら売れるかと話を進めるうちに、遠距離介護は始まるわ、それで故郷でも食ってける仕事として弁護士になろうかと司法試験を目指すわ、子供は出来るわ、両親は死ぬわ、お遊びで始めた歌詞作りは上方うた芝居に発展するわ、まあいい歳してめまぐるしいもんですわ。
 あ、宿題終わった?
 どれどれ……
プロフィール
notebook
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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