オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年09月24日

伊佐山紫文69

 息子が2歳の頃、言葉も出ていないのに反抗期になり、保育園から連れ帰るのに苦労したことがある。
 とにかく逃げる。
 捕まらない。
「いい加減にしなさい!」
 それで、近づいてくるかと思えば、また逃げ、
「いい加減にしなさい!」
 いつまで続くかと思われた魔の2歳だったが、意外と軽く、短期間で終了した。
 と言うより、その頃、パソコンで動画を観ることを覚え、早く家に帰りたくなったのだろう、と思う。
 思い起こせば、この頃の息子は、やっぱり異常だった。
 パズルは年長さんが解くような難しいヤツをスイスイ解き、側では、もう言葉の出た親友が「わからへん」と泣いていた。
 汽車の走る木製の線路も、息子の作るものはきちんと最後が繋がり、閉じる。
 親友のはどうしても閉じない。
 先生は簡単な丸い線路を作って説明するのだが、それでも親友は出来ない。
「出来へん」と泣く。
 今思えば、出来ないのがあたりまえ。
 教えたって、出来ないものは出来ない。
 発達には段階があり、それで言えば息子のほうが異常だったのだ。
 伊丹に越してきてから幼稚園に入り、3歳児健診の時に、言葉が出ていないことを問題視された。
 54センチの頭囲も異常で、CTを撮れ、と。
 保育士さんに至っては、もう、最初から自閉症児だと決めつけてかかる。
 それはないと思ったから私は一人で色々調べ、おそらく理系のギフテッド(天才児)だろうと当たりを付け、そのようなものとして育ててきた。
 このタイプの子の常として、きっと次の反抗期で親の言うことなど聞かなくなるだろうから、それまでに基礎学力とピアノくらいはモノにさせてあげようと思っていた。
 なのに、おそらく、もう来た。
 反抗期。
「お父さんとは、広島に一緒に行った頃から、仲悪くなったよね」
 などと言う。
 仲悪くなったのではなく、お前が一方的にお父さんを疎むようになったの。
 母親の言うことは、しばらく前から、すでに聞かないし。
 これが反抗期ってやつですか。
 反抗期についいて、心理学者は「自我」だの「性」だのを持ち出して説明しようとするのだろうが、私はもっとシンプルな生物現象だと思っている。
 ライオンの雄が成長するとプライド(群)を離れ、一頭で放浪の旅に出るように、原始の人間もまた、性的に成熟すると群れを出ていたのだろう。
 そして自分の群れを作るなり、他の群れに参加するなりしていたのだろう。
 でなければ、遺伝子プールがシャッフルされず、悪い因子が蓄積してしまう。
 反抗期とは、遺伝子の命令なのだ。
 早くこの群れを出て行け、と。
 居心地悪いだろ、と。
 それでも、人間はすぐ出て行くわけにはいかない。
 人間はライオンとは違い、かなりの大人になるまで親の庇護のもとにいなければならない。
 まだしばらくはこの群れ(家族)の中にいなければならない。
 この居心地の悪い群れの中で。
 で、とりあえず反抗する。
 こんなもんじゃないかな。
 でも、息子の場合、早すぎる気がする。
 まあ、これまでもずっと規格外でやってきたし、仕方なく付き合っていくしかない。
 それにしてもこんなに早いとは。
 ピアノも基礎学力もまだまだなのに。 

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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