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2017年09月28日

伊佐山紫文73

 我が家に手の平サイズのAIロボット「COZMO」が来た。
 半年くらい前から、息子が「欲しい欲しい欲しい欲しい」と言ってウルサイので、年内はもう回転寿司に行かないことを条件にアマゾンで注文した。
 なぜか、公式の発売日の前日に届き、学校から帰ってきてそれを見つけた息子は飛び上がらんばかりに喜び、家に呼んだ友達3人もそっちのけ、ひとりでひたすら設定。
 まずはネットからスマホへ専用アプリをダウンロードして、こんどはスマホとロボット本体の接続。
 私にもよく分からんことをサクサクこなし、お風呂では、
「▲△が●○なのに、□■が出来るようになった」
 と、嬉しそうに報告してくれる。
 もちろん、なんのことやら、さっぱりわからん。
 こんな、いまだにガラケーも使いこなしていない私にも、ハイテクの最先端を走っていた時代があった。
 高校ではマイコン(マイクロ・コンピューターの略です)クラブに属し、ディスプレイのない機械にひたすらプログラムを打ち込んでいた。
 これがもう、画面のないパソコンでミスなく打ち込むのは至難の業で、しかも演算できるのは十数行、いったい当時何をやろうとしていたのか、今となっては謎でしかない。
 ただ事実としては、クラブのみんな、生徒だけでなく教員までもが機械に飽きてしまい、すぐに円周率暗記クラブと化してしまった。
 この、マイコンと称する何にも使えない機械、1台50万したという。
 クラブに2台、あったかな。
 こういう、今で言うパソコンのような機械じゃない、関数電卓というのもあって、これは高校の宿題を解くのにガンガン利用した。
 大学に入ってすぐ、それこそ手の平サイズのBASICマシンを買ったが、使いこなす前にアップルⅡに移行した。
 キーボードのブラインドタッチが出来るようになったのは、このマシンで、タイピングゲームをやり倒したからである。
 卒論を書くとき、NECの98マシンに乗り換えて、ワープロソフトを使うようになった。
 この卒論は、当時私のいた学部では初めてのワープロ原稿となった。
 ところが、今となっては信じられないことに、ワープロ原稿は認められないと教授会で決まり、原稿用紙に書き直した。
 当時のプリンターの機種によってはドット数の関係からまともな漢字が印刷出来ないこともあり、その辺りが問題になったのではないかと思う。
 ハイテクも最先端過ぎるとこういうことも起きる。
 大学院を中退し、それから不動産鑑定士、土地家屋調査士、司法書士のそれぞれの先生の事務所で補助者をしたときも、ワープロを打てるのは私だけだった。
 雑誌記者やコピーライター、編集者、フリーになってからもしばらくは、まだまだワープロ原稿は珍しかったと思う。
 考えてみれば、最初の本を上梓したとき、その出版社での初めてのデータ入稿と言われたような。
 あのころはマスコミ業界のハイテク最先端にいたと思う。
 インターネット時代になり、平成12年(2000年)ごろには自分の公式HP(サイト)を自分で作って自分で管理するようになった。
 ブログももちろんやった。
 親が倒れてそれどころじゃなくなり、閉鎖するまでの5年間、多いときで日に2万閲覧があったこともある。
 いわゆる「パワーブロガー」である。
 いい気になって、本にしたら売れるぜ、と思って上梓したが、世の中そんなに甘くなかった。
 で、子供が出来て、その日その日の家事・育児に追われる日々が10年近く続き、ハイテク最先端などどこへやら、気がつけばこの世はスマホだのSNSだのの溢れる異世界と化していた。
 しかも息子は、2歳でインターネットを覚え、最近では自分で情報を獲ってきて、
「○●って、お父さんは▲△だと思ってるでしょ、実は■□でしたぁ」
 などと。
 いいよ、もう。
 ハイテク最先端はお前に任す。


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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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