「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年09月10日

伊佐山紫文53

 息子に持たせた夏休みの課題が帰って来た。
 ほとんど私が作ったものだが。
 まあ、子供の宿題なんてのは親に出されたものだと考えなきゃいけないからね。
 とはいえ、夏休みの課題には苦い想い出がある。
 読書感想画というヤツで、なんでこんなのをみんなに描かせるのか意味が分からない。
 小学生ならば、こんなのは親が描くに決まってるのに。
 あれは小学校4年生の夏だったか、母親が妙に、と言うか、普通に入れ込んで、ほとんど彼女一人で書き上げた。
『ファーブル昆虫記』のスカラベ(フンコロガシ)の章。
 私の母親と言えば、日田の誇る抽象画家・宇治山哲平氏が「貴女に匹敵するのはミケランジェロくらいだ」と絶賛したデッサン力の持ち主である。
 おそらく映像サヴァンに近いギフテッド(天才児)だと思う。
 それが本気で描いたのである。
 恐ろしいくらいのスカラベの絵が出来上がった。
 で、あるとき、私の美術の時間に、教室にゾロゾロと先生方が入って来た。
 そして私の絵を覗き込み、口々に何やら話し込むのである。
 たしか、運動会の絵を描いていた。
「イサヤマ君は、人間の絵は得意じゃないのかな?」
「は、はあ」
 みたいな感じ。
 あとで聞けば、その日、読書感想画の審査会が私の通う小学校で行われていたらしく、私の絵を観た審査員たちが、天才少年現る! みたいな感じになり、しかもその少年が今、絵を描いている、見に行こう、みたいな盛り上がりでやってきたらしい。
 で、凡庸な、というか下手くそな絵を見て、一同ガッカリしたってわけ。
 それでも市の金賞か何か、とったと思う。
 母は大喜びだったが、なんともはや。
 これ以後、しばらく、私には、絵の天才少年というレッテルが貼られた。
 あれは何年生だったのだろう、父兄会で自分の描いた絵を説明することがあり、私は全くふざけて、
「形而上学的焦燥感の限界的表現です」
 と、その当時ハマっていたマンガの台詞を言ったのだが、全くウケず、教室は静まりかえり、おずおずと手を挙げた誰かのお母さんが、
「それはクジラですか?」
 と聞いてきた。
 天才の見解を求めてきたのだ。
 それに答えて、幼い私が、
「いえ、ナマズです」
「ナマズですかぁ」
「はい、これがヒゲです」
 もう、意味が分からない。
 まあ、なんとも意味不明な少年時代を過ごしてきたものだと思う。
 
 
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2017年09月10日

伊佐山紫文52

 この間出演したラジオの録音CDを聞いて、なんてひどい声だと少し落ち込んだ。
 夏の間、昼食後、氷を入れたトマトジュースを飲み、その氷をかじった、そのせいで声帯が痛んでいたのだろう。
 ガラガラ声で、聞くに堪えん。
 一緒に聞いた妻はそんなことはないと言うが。
 なんにせよ、これから人前で喋ることも増えるかもしれないし、節制せんとあかんな。
 25年くらい前、まだバリバリの若手で、やり手で、フリーのライターとして売り出し中の頃は、週に何度も講演をやり、対談をやり、インタビューもやり、なんだかんだと声を使っていた。
 それでよく喉を痛めた。
 全く声が出なくなったこともあった。
 今思えば、あれはストレスが原因かもしれない。
 とにかく仕事を断ったら終わりだと、来る仕事は全部うけた。
 その一方で、日銭稼ぎではない、本当の仕事もやりたいと思っていた。
 日々焦れて、結局、すべての仕事を断り、やりたい仕事に専念した。
 バカバカしい話だが、ずっと構想していた、女性解放思想史、文学史、法制度史を総合した日本近代思想史にマジで取り組んだ。
 2年間、本の虫になり、その後、ひと月足らずで書き上げた。
 これは勁草書房から上梓され、実はこれをひっさげて論壇に殴り込みをかけるはずだった。
 ところがそこで起きたのが阪神淡路大震災である。
 大学の非常勤講師の話も吹っ飛び、数年間のブランクの後、仕事がむこうからやってくるはずもない。
 営業しようにも妙な箔がついてしまっていて、いまさら使いっ走りに使ってくれるところもない。
 途方に暮れていたとき、知人を通じてやってきたのが舞台の仕事。
 声楽グループとリュート、それに一人芝居を組み合わせたもので、今思えば夙川座の原点のような仕事である。
 会場も夙川の教会だった。
 舞台の仕事はその5年くらい前に脚本と演出をやったことがあるくらいで、自信があるわけではなかったけれど、とりあえず本気で取り組んだ。
 けれど、これが、出足で失敗した。
 テーマが、今流行りの「不倫」。
 女声の猛反発で上演不可能となった。
 代わりに与謝野晶子の歌と物語を組み合わせた「祇園一夜」という作品を作り、これは新聞にも取り上げられ、大盛況で幕を下ろした。
 新聞に出たくらいで会場が大入り満員になる、良い時代と言えば良い時代だった。
 今、もはやマスコミの力も消え失せ、さりとてネットもSNSもまだまだ力無く、いったい人を集めるのにどのような手段が有効かと、模索の日々が続いている。
 結局、声をからして呼びかけ続けるしかないのかな、と。
 節制しなきゃ。

 
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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