2017年09月02日
伊佐山紫文46
もう秋の風が吹いている。
あれは大学の卒論発表会の前、スライドに使うポジを整理しているときだった。
ふと、奇妙な、懐かしいというか、慕わしいというか、妙な感情が涌いてきた。
なぜなのか、わからない。
その感情の源泉がわからない。
いったい何に対してのこの感情なのか。
何がこれほど懐かしく、慕わしいのか。
わからない。
だから探す。
この感情の源泉を。
いったい何なのか。
数分探り、わかった。
日田高校の科学部だった。
高二の秋、科学部の発表会のスライドを用意していた、その時の想い出へとたどり着いた。
水生昆虫の分布についての研究、と言うか、今思えば幼稚なもので、ああいうものに賞を与える教員達もどうしたものかと思う。
それでも一年間、それなりに取り組んだ課題で、その結果を発表するスライドを感慨深く確認していた、その感情へとたどり着いたのだった。
具体的な記憶よりも感情が先に涌く。
マルセル(プルースト)なら嗅覚だろうが、私の場合は視覚だった。
卒論のスライドを眺めながら、まだ大学の四年生だった私は、将来を考えて不安に襲われたのだった。
その不安と、想い出とが、一緒になって襲ってきたのだ。
高校から大学卒業まで、淡水の生態学をやってきた。
大学院への進学も決まっている。
その後は?
今はポストドクター、ポスドクと言うらしいが、当時も、博士課程を終えても就職が決まらず大学に残っている「オーバードクター」たちが大勢いた。
自分が進もうとしている生態学(エコロジー)、環境問題、この進路は正しいのか?
これで食って行けるのか?
大学院へは進学したものの、私は逡巡を繰り返し、結局、中退した。
その後、エコロジーや環境問題は一大ブームとなり、あちこちの大学で講座が出来、オーバードクターたちの就職先となった。
私ももう少し踏ん張っていれば、どこかの大学に職を得ていたかも知れない。
そういう逡巡を思い出すのが秋である。
もう一つ秋の想い出がある。
これも高二の秋、名前だけ貸していた演劇部の県大会で観た安部公房の「友達」である。
感動したわけでもないのになぜか気に掛かり、その後、一年かけて安部公房の全作品を読むことになる。
読むだけではなく、梗概をノートに書き付けた。
高校卒業時に処分したノートは数十冊に及んだ。
これが文章修行になり、今に至るというわけだ。
なんともはや、望んだものと得られたもの、色々思う季節ですわ。
秋は。
あれは大学の卒論発表会の前、スライドに使うポジを整理しているときだった。
ふと、奇妙な、懐かしいというか、慕わしいというか、妙な感情が涌いてきた。
なぜなのか、わからない。
その感情の源泉がわからない。
いったい何に対してのこの感情なのか。
何がこれほど懐かしく、慕わしいのか。
わからない。
だから探す。
この感情の源泉を。
いったい何なのか。
数分探り、わかった。
日田高校の科学部だった。
高二の秋、科学部の発表会のスライドを用意していた、その時の想い出へとたどり着いた。
水生昆虫の分布についての研究、と言うか、今思えば幼稚なもので、ああいうものに賞を与える教員達もどうしたものかと思う。
それでも一年間、それなりに取り組んだ課題で、その結果を発表するスライドを感慨深く確認していた、その感情へとたどり着いたのだった。
具体的な記憶よりも感情が先に涌く。
マルセル(プルースト)なら嗅覚だろうが、私の場合は視覚だった。
卒論のスライドを眺めながら、まだ大学の四年生だった私は、将来を考えて不安に襲われたのだった。
その不安と、想い出とが、一緒になって襲ってきたのだ。
高校から大学卒業まで、淡水の生態学をやってきた。
大学院への進学も決まっている。
その後は?
今はポストドクター、ポスドクと言うらしいが、当時も、博士課程を終えても就職が決まらず大学に残っている「オーバードクター」たちが大勢いた。
自分が進もうとしている生態学(エコロジー)、環境問題、この進路は正しいのか?
これで食って行けるのか?
大学院へは進学したものの、私は逡巡を繰り返し、結局、中退した。
その後、エコロジーや環境問題は一大ブームとなり、あちこちの大学で講座が出来、オーバードクターたちの就職先となった。
私ももう少し踏ん張っていれば、どこかの大学に職を得ていたかも知れない。
そういう逡巡を思い出すのが秋である。
もう一つ秋の想い出がある。
これも高二の秋、名前だけ貸していた演劇部の県大会で観た安部公房の「友達」である。
感動したわけでもないのになぜか気に掛かり、その後、一年かけて安部公房の全作品を読むことになる。
読むだけではなく、梗概をノートに書き付けた。
高校卒業時に処分したノートは数十冊に及んだ。
これが文章修行になり、今に至るというわけだ。
なんともはや、望んだものと得られたもの、色々思う季節ですわ。
秋は。
2017年09月02日
伊佐山紫文45
うちにはステーキが二種類ある。
ひとつは普通のステーキ、もうひとつは「おうちステーキ」と呼ぶ、我が家独特のステーキである。
普段は100グラム100円を超す肉は買わないと決めているので、「おうちステーキ」もコープさん安売りの時の細切れ豚肉を使って作る。
まずは、細切れとか、切り落としとか、まあ何でも良いが、それを適量、タレに漬け込む。
タレは、うちではスープストックと醤油が基本、そこに片栗粉を解き混む。
タレに漬け込んだ肉をかたまりのまま、牛脂や鶏油やバターで焼く。
片栗粉が効いて、かたまりのまま、そのままの形で焼き上がる。
ステーキそのもの、とは言わないが、ハンバーグステーキに近いものが出来る。
これをうちでは「おうちステーキ」と呼んでいる。
歯が抜け替わりの時期で、本当のステーキは食べづらい息子にもこれは大丈夫、キッチンハサミで切り分けながらガシュガシュ食べている。
その息子の最後の乳歯が先日抜け、歯並びも歯医者に褒められるほどしっかりしており、そろそろ歯ごたえのあるメニューも用意しようかなと思っている。
「歯ごたえ」と言えば、20年ほど前、私の書いた文章への、ある雑誌の編集者の感想の言葉が胸に浮かぶ。
それは、
「ジャンクフードを食べ慣れた顎にはたいそう堪える、歯ごたえのある文章でございました」
とまあ、そういうもので、ちゃんとした口語に訳せば、
「少しは空気読めよ! ここはそんな硬い文章載せる場所じゃねぇだろ! 二度とお前には依頼しねぇわ。勝手に死ね!」
みたいな感じ。
実際、これを最後に、一切の依頼が来なくなった。
物書きとしての死刑宣告である。
このエッセイ「死を巡る性の神話」は、後に単行本にも入れたけれど、今読み返しても素晴らしい出来だと思う。
最新の生物学の知見を取り入れながら世界各地の性の神話を読み説くもので、そうそう誰にでも書けるものではない。
と、思うけれど、雑誌に載せる文章じゃない。
あまりに密度が濃すぎ、「歯ごたえ」がありすぎる。
今では、なんでこんなのを書いたかな、と思う。
雑誌の仕事をやってた頃は、ちゃんと読者の方を見て、読者に分かるように書いていた。
それが、全くのフリーになり、単行本の仕事だけをやるようになって、不特定多数ならぬ、特定少数の読者しか見えなくなっていたんだろうな。
反省しますよ。
でもね……
あなたたちが思ってる、そのステーキは、実際には誰かが特別に配慮した「おうちステーキ」かも知れないんだよ。
安い肉を片栗粉で固めただけの、本物のステーキとは似ても似つかぬ、「歯ごたえ」の全くない「おうちステーキ」。
それをステーキとして出されて、ステーキとして食べてるだけかも知れないんだよ。
そんなものを食べ慣れた顎には、そりゃ本物のステーキは「歯ごたえ」がありすぎるだろうさ。
歯の抜け替わる時期には仕方ないが、大人になっても「おうちステーキ」しか食べられないなんて情けないだろ、そう思わないか?
あれ?
ちっとも反省してないな。
ひとつは普通のステーキ、もうひとつは「おうちステーキ」と呼ぶ、我が家独特のステーキである。
普段は100グラム100円を超す肉は買わないと決めているので、「おうちステーキ」もコープさん安売りの時の細切れ豚肉を使って作る。
まずは、細切れとか、切り落としとか、まあ何でも良いが、それを適量、タレに漬け込む。
タレは、うちではスープストックと醤油が基本、そこに片栗粉を解き混む。
タレに漬け込んだ肉をかたまりのまま、牛脂や鶏油やバターで焼く。
片栗粉が効いて、かたまりのまま、そのままの形で焼き上がる。
ステーキそのもの、とは言わないが、ハンバーグステーキに近いものが出来る。
これをうちでは「おうちステーキ」と呼んでいる。
歯が抜け替わりの時期で、本当のステーキは食べづらい息子にもこれは大丈夫、キッチンハサミで切り分けながらガシュガシュ食べている。
その息子の最後の乳歯が先日抜け、歯並びも歯医者に褒められるほどしっかりしており、そろそろ歯ごたえのあるメニューも用意しようかなと思っている。
「歯ごたえ」と言えば、20年ほど前、私の書いた文章への、ある雑誌の編集者の感想の言葉が胸に浮かぶ。
それは、
「ジャンクフードを食べ慣れた顎にはたいそう堪える、歯ごたえのある文章でございました」
とまあ、そういうもので、ちゃんとした口語に訳せば、
「少しは空気読めよ! ここはそんな硬い文章載せる場所じゃねぇだろ! 二度とお前には依頼しねぇわ。勝手に死ね!」
みたいな感じ。
実際、これを最後に、一切の依頼が来なくなった。
物書きとしての死刑宣告である。
このエッセイ「死を巡る性の神話」は、後に単行本にも入れたけれど、今読み返しても素晴らしい出来だと思う。
最新の生物学の知見を取り入れながら世界各地の性の神話を読み説くもので、そうそう誰にでも書けるものではない。
と、思うけれど、雑誌に載せる文章じゃない。
あまりに密度が濃すぎ、「歯ごたえ」がありすぎる。
今では、なんでこんなのを書いたかな、と思う。
雑誌の仕事をやってた頃は、ちゃんと読者の方を見て、読者に分かるように書いていた。
それが、全くのフリーになり、単行本の仕事だけをやるようになって、不特定多数ならぬ、特定少数の読者しか見えなくなっていたんだろうな。
反省しますよ。
でもね……
あなたたちが思ってる、そのステーキは、実際には誰かが特別に配慮した「おうちステーキ」かも知れないんだよ。
安い肉を片栗粉で固めただけの、本物のステーキとは似ても似つかぬ、「歯ごたえ」の全くない「おうちステーキ」。
それをステーキとして出されて、ステーキとして食べてるだけかも知れないんだよ。
そんなものを食べ慣れた顎には、そりゃ本物のステーキは「歯ごたえ」がありすぎるだろうさ。
歯の抜け替わる時期には仕方ないが、大人になっても「おうちステーキ」しか食べられないなんて情けないだろ、そう思わないか?
あれ?
ちっとも反省してないな。
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