2017年08月05日
伊佐山紫文11
母親の大腸ガンが見つかったのが15年前、私が40になった年だった。
その前から両親揃って入退院を繰り返しており、私はおおむね35歳くらいから、母親が亡くなる45歳までは遠距離介護に追われていた。
なにしろどちらかが施設に入ったかと思えばどちらかが入院、そのたびに帰郷してハンコをつかねばならず、退院して施設に入るにはまたハンコ、週に何度も西宮と日田の往復である。
仕事も何もあったもんじゃない。
幸い、母親の年金があったので、経済的には破綻せずに済んだ。
もしこれが、母親が先に逝き、父親が残されていたら大変だった。
父親は将来必ず訪れるであろう明るい社会主義社会を信じていたから、現在の自民党政権に奉仕するような年金など払っておらず、無年金だった。
母親は将来にどんな展望を持っていたかは知らないが「アンタたちの世話にはならん」が口癖で、そのくせ日に数箱のタバコを吸い、かならずウイスキーのボトルを空にして、大腸ガンと肺ガンを併発した。
こんな二人に、どんな明るい老後が待っているのか。
というより、こんな二人が親としてまともな子育てが出来ようとは思えない。
それでも関西に住む息子は毎週のように帰って来てたし「あの二人は幸せな最期じゃったバイ」というのが周囲の見方だという。
ま、だったら良いか、と思う。
で、母が亡くなる直前、私は45歳(妻は45歳11ヵ月、超のつく高齢出産)で息子を授かって、この10年、子育てに追われてきた。
3歳になっても一言も喋らぬ息子をつれて病院を巡り、やれ手術だ、失敗だ、やり直しだと振り回され、仕事も何もあったもんじゃない。
世には、人生の意味を見失う「フォーティーズ・クライシス(中年の危機)」なんてものがあるらしいが、目の前の問題を片付けるのに精一杯で、人生も何もあったもんじゃないというのが、この20年だった。
さて、両親の介護も終わり、子育ても一段落した今、あらためて「人生」なんてものを考えなければならない時期なのかもしれない。
思えば、10数年前、それぞれ倒れて別々の病院に入院していた両親を、知人が引き会わせてくれたことがある。
両親共に認知症がひどく、主治医も「どんなケミストリーが起きるか、想像も出来ない」と難色を示していたけれど、これが最後になるかも知れないと、知人が押し切った。
母親の病室で、二人きりで一時間ほど過ごし、静かに別れたという。
まるでその日の夕食で会えるかのように。
そしてこれが二人で会う最後になった。
人生なんてそんなものかも知れないし、だからこそ「一期一会」なんて言葉があるのだろう。
だから、とりあえず今、出来る仕事をやり続けよう。
人生、目の前の仕事が出来るということ以上の幸福はそうないのだから。
その前から両親揃って入退院を繰り返しており、私はおおむね35歳くらいから、母親が亡くなる45歳までは遠距離介護に追われていた。
なにしろどちらかが施設に入ったかと思えばどちらかが入院、そのたびに帰郷してハンコをつかねばならず、退院して施設に入るにはまたハンコ、週に何度も西宮と日田の往復である。
仕事も何もあったもんじゃない。
幸い、母親の年金があったので、経済的には破綻せずに済んだ。
もしこれが、母親が先に逝き、父親が残されていたら大変だった。
父親は将来必ず訪れるであろう明るい社会主義社会を信じていたから、現在の自民党政権に奉仕するような年金など払っておらず、無年金だった。
母親は将来にどんな展望を持っていたかは知らないが「アンタたちの世話にはならん」が口癖で、そのくせ日に数箱のタバコを吸い、かならずウイスキーのボトルを空にして、大腸ガンと肺ガンを併発した。
こんな二人に、どんな明るい老後が待っているのか。
というより、こんな二人が親としてまともな子育てが出来ようとは思えない。
それでも関西に住む息子は毎週のように帰って来てたし「あの二人は幸せな最期じゃったバイ」というのが周囲の見方だという。
ま、だったら良いか、と思う。
で、母が亡くなる直前、私は45歳(妻は45歳11ヵ月、超のつく高齢出産)で息子を授かって、この10年、子育てに追われてきた。
3歳になっても一言も喋らぬ息子をつれて病院を巡り、やれ手術だ、失敗だ、やり直しだと振り回され、仕事も何もあったもんじゃない。
世には、人生の意味を見失う「フォーティーズ・クライシス(中年の危機)」なんてものがあるらしいが、目の前の問題を片付けるのに精一杯で、人生も何もあったもんじゃないというのが、この20年だった。
さて、両親の介護も終わり、子育ても一段落した今、あらためて「人生」なんてものを考えなければならない時期なのかもしれない。
思えば、10数年前、それぞれ倒れて別々の病院に入院していた両親を、知人が引き会わせてくれたことがある。
両親共に認知症がひどく、主治医も「どんなケミストリーが起きるか、想像も出来ない」と難色を示していたけれど、これが最後になるかも知れないと、知人が押し切った。
母親の病室で、二人きりで一時間ほど過ごし、静かに別れたという。
まるでその日の夕食で会えるかのように。
そしてこれが二人で会う最後になった。
人生なんてそんなものかも知れないし、だからこそ「一期一会」なんて言葉があるのだろう。
だから、とりあえず今、出来る仕事をやり続けよう。
人生、目の前の仕事が出来るということ以上の幸福はそうないのだから。
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