オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年08月09日

伊佐山紫文16

 迷ったが、今日を逃すと、もうそうそう機会もないだろうから、書き留めておく。
 昭和20年の8月9日、長崎の高校(今の活水女子大学)に通っていた伯母は、受験に来た妹を連れて市内を歩んでいた。
 突然の光と轟音と暴風。
 伯母は(と言っても二人とも伯母なのだが)妹を無事だった知人宅に預け、友達の消息を求めて爆心地へ入って行った。
「だから早く死んだんでしょうかね」と、伯母の葬儀で、同様に原爆に遭った仲間たちと話し合ったという。
 それが、伯母が亡くなったのは9年前、もう80をとうに過ぎて、それでも死んだのが早いほうだというのだから(当時伯母の妹、つまりもう一人の伯母も、90を目前に今も日田で一人元気に暮らしている)、生き残った被爆者が強いのか、放射線など寿命には関係ないのか。
 この伯母二人は、もちろん原爆に遭ったのだが、厳密には被爆者ではない。
 いわゆる「被爆者手帳」を持っていない。
 被爆者は子供が産めないという流言飛語を怖れて、当時、ほとんどの若い女性は「手帳」を申請しなかったという。
 9年前になくなった伯母は「芥川賞取りたい」が80過ぎても口癖で、新聞にも「永遠の文学少女」として記事が載ったことがある。
 けれど、その記事にも被爆の事実はなかった。
「原爆のことを書けば芥川賞くらい取れるんじゃない?」
 と聞いたことがある。
 けれど、ついぞ、長崎の原爆のことは語りも書きもしなかった。
 そこは伯母の被爆者としての節操というものだったのだろう。

  

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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