2017年08月13日
伊佐山紫文20
フランツ(シューベルト)とは中学以来の大親友で、あいつの曲20曲を選んで『源氏物語』の舞台を作ったこともある。
これをグランフロント大阪のオシャレなレストランでやったのだから、今思えば暴虎馮河、フランツもさぞかし呆れていることだろう。
なにせフランツの曲は素晴らしいから、演奏している間に飲食の注文が出来ない。
当日の終演後はお店スタッフも感激してくれて「またお願いします」と手まで握って別れたのに、後日、数回分の企画書を出すと「料理の注文が全く出なかった。オペラはうちでは無理」と断られた。
客が皆、聞き入ってしまい、飲食を忘れたのだろうという。
当日の店の売り上げを計算した店長から、きつくおしかりを受けたのだと。
半年先の企画まで立てて持ち込んだのに、出鼻をくじかれるとはこのことだ。
確かにフランツの曲は素晴らしい。
そこに日本語歌詞がきちんと乗れば、皆、飲食を忘れて聞き入ってしまう。
というより、お客様のほとんどは、あれがフランツの曲だと気付かぬまま、私の歌詞に誰か現代の作曲家が曲をつけたものとして聴いていたらしい。
ドイツ歌曲、あるいはリートなどと、高級なものとして扱われることの多いフランツの曲だけれど、実際には昭和歌謡の源流みたいなもので、きちんとした歌詞を付ければ歌謡曲と同等にまっすぐ心に響いてくる。
もっとも、心に響きすぎて飲食を忘れ、注文が出なかったのが問題なのだが、それはそれ、演奏する場所を選べって話。
さて、フランツは七百曲以上の歌曲を残してくれているし、ロベルト(シューマン)やフェリックス(メンデルスゾーン・バルトルディ)もいる。
ガブリエル(フォーレ)も忘れてはいけない。
私のような、有りものの音楽を使う劇作家にとって、自由に使える歌曲が数千曲もあるというのは、全くのパラダイスである。
と、この間まで思っていたのだが、先日、女性作曲家たちと飲む機会があり「私たちの存在をどう思ってるのよ」とばかりに詰め寄られ、考えてみれば、フランツは大親友だけれど、フランツを使い続けるってことは、現代の作曲家の作曲の機会を奪っていることなのだと、ハタと気付いた。
作曲家からみれば、現代の音楽劇にフランツやロベルトを使い続けるなど、ある意味、失礼な話なんだと。
たとえば、シェークスピアやモリエールなどの古典しかやらない小屋があったとして、そこの支配人が、現代の劇作家に「シェークスピアとモリエールさえあれば、お前らなんか要らねぇんだよ」と言ってるようなもん。
作曲家の皆さん、失礼しました。
けれど、と言い訳をさせて貰えば、全くの新曲というのは、歌手の負担が大きいんです。
今の夙川座では、歌手それぞれに自分の歌い慣れた曲を持ち寄ってもらい、それに新しい歌詞を付けている。
何しろ歌詞は初演になるから、音楽が体に入っている曲でないと、少ない練習時間のなか、なかなか歌える状態にならない。
そもそも音楽劇とは、絶対に諳譜で、その上、台詞も憶えなければならない。
普通のコンサートとは歌手の負担が格段に違う。
歌い慣れたフランツやガブリエルを使わざるを得ないという事情も、一方ではある。
けれども、現代の作曲家たちとの関係も徐々に出来てきており、夙川座として100%オリジナルの音楽劇を上演する日も、そう遠くはないだろうという予感もしている。
これをグランフロント大阪のオシャレなレストランでやったのだから、今思えば暴虎馮河、フランツもさぞかし呆れていることだろう。
なにせフランツの曲は素晴らしいから、演奏している間に飲食の注文が出来ない。
当日の終演後はお店スタッフも感激してくれて「またお願いします」と手まで握って別れたのに、後日、数回分の企画書を出すと「料理の注文が全く出なかった。オペラはうちでは無理」と断られた。
客が皆、聞き入ってしまい、飲食を忘れたのだろうという。
当日の店の売り上げを計算した店長から、きつくおしかりを受けたのだと。
半年先の企画まで立てて持ち込んだのに、出鼻をくじかれるとはこのことだ。
確かにフランツの曲は素晴らしい。
そこに日本語歌詞がきちんと乗れば、皆、飲食を忘れて聞き入ってしまう。
というより、お客様のほとんどは、あれがフランツの曲だと気付かぬまま、私の歌詞に誰か現代の作曲家が曲をつけたものとして聴いていたらしい。
ドイツ歌曲、あるいはリートなどと、高級なものとして扱われることの多いフランツの曲だけれど、実際には昭和歌謡の源流みたいなもので、きちんとした歌詞を付ければ歌謡曲と同等にまっすぐ心に響いてくる。
もっとも、心に響きすぎて飲食を忘れ、注文が出なかったのが問題なのだが、それはそれ、演奏する場所を選べって話。
さて、フランツは七百曲以上の歌曲を残してくれているし、ロベルト(シューマン)やフェリックス(メンデルスゾーン・バルトルディ)もいる。
ガブリエル(フォーレ)も忘れてはいけない。
私のような、有りものの音楽を使う劇作家にとって、自由に使える歌曲が数千曲もあるというのは、全くのパラダイスである。
と、この間まで思っていたのだが、先日、女性作曲家たちと飲む機会があり「私たちの存在をどう思ってるのよ」とばかりに詰め寄られ、考えてみれば、フランツは大親友だけれど、フランツを使い続けるってことは、現代の作曲家の作曲の機会を奪っていることなのだと、ハタと気付いた。
作曲家からみれば、現代の音楽劇にフランツやロベルトを使い続けるなど、ある意味、失礼な話なんだと。
たとえば、シェークスピアやモリエールなどの古典しかやらない小屋があったとして、そこの支配人が、現代の劇作家に「シェークスピアとモリエールさえあれば、お前らなんか要らねぇんだよ」と言ってるようなもん。
作曲家の皆さん、失礼しました。
けれど、と言い訳をさせて貰えば、全くの新曲というのは、歌手の負担が大きいんです。
今の夙川座では、歌手それぞれに自分の歌い慣れた曲を持ち寄ってもらい、それに新しい歌詞を付けている。
何しろ歌詞は初演になるから、音楽が体に入っている曲でないと、少ない練習時間のなか、なかなか歌える状態にならない。
そもそも音楽劇とは、絶対に諳譜で、その上、台詞も憶えなければならない。
普通のコンサートとは歌手の負担が格段に違う。
歌い慣れたフランツやガブリエルを使わざるを得ないという事情も、一方ではある。
けれども、現代の作曲家たちとの関係も徐々に出来てきており、夙川座として100%オリジナルの音楽劇を上演する日も、そう遠くはないだろうという予感もしている。
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