オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年08月17日

伊佐山紫文28

 確か私が小学校3年生の頃まで、うちの家には人力車があった。
 人力車の車庫もあり、出戻って来た伯母がふざけて私を乗せて庭を走ったりした。
 揺れに揺れて、こんな乗り心地の悪い乗り物があるのかと思った。
 その人力車は家に4台あったうちの一つで、医者だった祖父が往診に使っていたものだった。
 戦後の困窮の中、これだけは想い出に残していた。
 それが、ある日、学校から帰ってくると、なくなっていた。
 久留米の博物館に売ったのだという。
 家ではもう、メンテナンスが出来なくなっていたのだった。
 何か一つ、過去から続く大事なものがなくなったような気がして、泣けた。
 祖父は父が3歳の頃に亡くなっていたから、もちろん会ったことはない。
 ないけれども、医院だった母屋にのこる試験管やビーカーや様々な医療機器、膨大な文献、そしてこの人力車にその面影を残していた。
 祖母は、祖父がどれほど偉大だったか、そして家がどれほど由緒ある家だったか、それが敗戦とGHQの非道で没落し今にいたったか、繰り返し、繰り返し語り、貴方だけがこの家の希望だと泣きつかんばかりで、私はついに話に倦んで寄りつかなくなっていた。
 戦前に車夫をしていたMさんはうちが没落した後も機会あるごとに訪ねて来ては、祖母の繰り言の相手をしてくれていた。
 奥さんは愉快な人で、正月の餅つきの時には一人はしゃいで、民謡のような歌を歌い、みんなはそれをはやして大笑いするのだった。
 それが山菜採りに山に入って遭難し、若くして亡くなった。
 それからMさんはたまにうちの縁側に腰掛けて、人力車の車庫のあたりを眺めて過ごすようになった。
 戦前にあったあと3台の人力車は、それぞれ、祖母と伯母二人が使っていた。
 女学校の同級生達と川辺に人力車を並べ、着飾って眺める桜は、それはそれは美しかったと伯母は遠い目をして言う。
「あの頃はなんもかんも美しかった。あの頃がいちばん良かった」
 私は混ぜっ返して言う。
「便所はどうやった」
「ああ、もう、それを考えたら、今の方が絶対に良かバイ。あの頃の汚ねえこつ。水道も無えつきね。雨が降ると、すぐに川はあふれて、便所と井戸がつながって、赤痢、疫痢。ああもう、今が良い、いちばん良い」
 だと思う。
 それでも、失われたものどもを思い、取り返せない時、有り得たかも知れないもう一つの今に思いを馳せる。
 私にとって夏は、そんな季節である。


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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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