2017年08月24日
伊佐山紫文37
実家の母屋にはかまどがあり、正月はそこに火が入れられて餅米が蒸され、家伝の臼と杵で餅つきが始まるのだった。
戦前の車引きだったMさん夫婦やそのほかにも、私には繋がりの見えない人々が集って、笑いながら歌いながら餅をつくのである。
一点の曇りもない、晴朗な光に満ちた世界だった。
けれど、不思議なことに、そこに母がいた記憶がない。
と言うより、この餅つきに限らず、様々な家族のイベントで、母と祖母が共にいるのを見たことがない。
私の誕生会には祖母がおらず、お盆参りには母がいなかった。
見事なまでの記憶の欠如、いや、記憶ではなく、そのような事実そのものがなかったのだろうと思う。
嫁姑関係は、おそらく最悪だった。
そもそも父と母とでは「家」のバックボーンが違いすぎた。
父は落ちぶれたとはいえ地方の名家の御曹司である。
対する母は朝鮮半島の植民者二世である。
「君たちは内地の子供とは違う。内地では「家」が守ってくれるが、ここ植民地では君たちを守るのは君たち自身だ。君たちは自分で自分の運命を切り開いて行かなければならないのだ」
とまあ、そんな教育を受けてきた植民者二世である。
「家」などという、ジメッとした存在自体、体が受け付けない。
反面、自分にはない、歴史だの伝統だの、そういう重みに憧れる。
で、結婚してみたものの、そこには「家」を体現するかのごとき姑がいて、ことあるごとに「そこに座りなさい。うちの家では……」。
後に完全別居するようになり、それこそフォーティーズ・クライシス(中年の危機)のまっただ中、母は酒に溺れ、毎夕、泥酔しては姑、つまり私の祖母への悪口雑言を尽くし、私に同意を強いた。
私が少しでも同意を渋ると「お前もやっぱりイサヤマの人間カァ!」と怒声を飛ばした。
他人への悪口三昧は自分の現状への呪いへと横滑りし、教員を辞めて小料理屋を始めたけれども失敗したその恨みを酒で増幅させ、父に絡み、私に絡み、よく分からないが電話をかけてきた相手に絡み、怒声の中で問題をこじらせた。
何の解決にもつながらない酒を、一升瓶で買ってくればそれで酔いつぶれて終わりなのに、見栄があるものだから自販機でカップ酒を買い、結局足りずにまた酒屋の自販機へ……
酔っ払って足下も危うくヨロヨロと酒屋へ通うその姿は、さながら、自身が開き失敗して閉じた小料理屋の名前「山姥」そのものだった。
父はなすすべもなく、酒をあおり、左翼仲間のたむろする居酒屋へ入り浸った。
多感な高校生だった私は、ひたすら家を出ることばかりを考えるようになった。
日田には大学はなかったから、とにかく大学進学を決めて、日田を出て行こう、と。
それでも、今思えば、酔っ払った父母の絡み合う怒声が深夜まで続くような家で、まともな勉強が出来るわけがない。
私は一人荒れ、詩作に逃げ、音楽に逃げた。
母が酔いつぶれ、父が居酒屋に出て行った深夜、カラヤン指揮のフランツ(シューベルト)の「未完成」にレコード針を落とし、第一楽章の、あの不気味な動機が始まると、私の荒れ狂った心は静かに、静かに、鎮められていく。
そして誰にも読まれることのない詩を、一言ずつ、心の中に書き留めていく。
第二楽章が一条の光を残して終わり、まさに未完成、深い静寂が訪れて、私は頭の中のペンを置き、これでやっと、この世界で生きていく力を取り戻すのだった。
だから今、下らないユーチューブを見ながら無邪気に笑う息子の声を聞くとき、いつまでもそのままでいてほしい、と心から願う。
晴朗な光の作り出す影の、その深い闇など、一生知らずにいてほしい。
そう思いながら、今宵もやはり一人酒。
遺伝です。
仕方ない。
戦前の車引きだったMさん夫婦やそのほかにも、私には繋がりの見えない人々が集って、笑いながら歌いながら餅をつくのである。
一点の曇りもない、晴朗な光に満ちた世界だった。
けれど、不思議なことに、そこに母がいた記憶がない。
と言うより、この餅つきに限らず、様々な家族のイベントで、母と祖母が共にいるのを見たことがない。
私の誕生会には祖母がおらず、お盆参りには母がいなかった。
見事なまでの記憶の欠如、いや、記憶ではなく、そのような事実そのものがなかったのだろうと思う。
嫁姑関係は、おそらく最悪だった。
そもそも父と母とでは「家」のバックボーンが違いすぎた。
父は落ちぶれたとはいえ地方の名家の御曹司である。
対する母は朝鮮半島の植民者二世である。
「君たちは内地の子供とは違う。内地では「家」が守ってくれるが、ここ植民地では君たちを守るのは君たち自身だ。君たちは自分で自分の運命を切り開いて行かなければならないのだ」
とまあ、そんな教育を受けてきた植民者二世である。
「家」などという、ジメッとした存在自体、体が受け付けない。
反面、自分にはない、歴史だの伝統だの、そういう重みに憧れる。
で、結婚してみたものの、そこには「家」を体現するかのごとき姑がいて、ことあるごとに「そこに座りなさい。うちの家では……」。
後に完全別居するようになり、それこそフォーティーズ・クライシス(中年の危機)のまっただ中、母は酒に溺れ、毎夕、泥酔しては姑、つまり私の祖母への悪口雑言を尽くし、私に同意を強いた。
私が少しでも同意を渋ると「お前もやっぱりイサヤマの人間カァ!」と怒声を飛ばした。
他人への悪口三昧は自分の現状への呪いへと横滑りし、教員を辞めて小料理屋を始めたけれども失敗したその恨みを酒で増幅させ、父に絡み、私に絡み、よく分からないが電話をかけてきた相手に絡み、怒声の中で問題をこじらせた。
何の解決にもつながらない酒を、一升瓶で買ってくればそれで酔いつぶれて終わりなのに、見栄があるものだから自販機でカップ酒を買い、結局足りずにまた酒屋の自販機へ……
酔っ払って足下も危うくヨロヨロと酒屋へ通うその姿は、さながら、自身が開き失敗して閉じた小料理屋の名前「山姥」そのものだった。
父はなすすべもなく、酒をあおり、左翼仲間のたむろする居酒屋へ入り浸った。
多感な高校生だった私は、ひたすら家を出ることばかりを考えるようになった。
日田には大学はなかったから、とにかく大学進学を決めて、日田を出て行こう、と。
それでも、今思えば、酔っ払った父母の絡み合う怒声が深夜まで続くような家で、まともな勉強が出来るわけがない。
私は一人荒れ、詩作に逃げ、音楽に逃げた。
母が酔いつぶれ、父が居酒屋に出て行った深夜、カラヤン指揮のフランツ(シューベルト)の「未完成」にレコード針を落とし、第一楽章の、あの不気味な動機が始まると、私の荒れ狂った心は静かに、静かに、鎮められていく。
そして誰にも読まれることのない詩を、一言ずつ、心の中に書き留めていく。
第二楽章が一条の光を残して終わり、まさに未完成、深い静寂が訪れて、私は頭の中のペンを置き、これでやっと、この世界で生きていく力を取り戻すのだった。
だから今、下らないユーチューブを見ながら無邪気に笑う息子の声を聞くとき、いつまでもそのままでいてほしい、と心から願う。
晴朗な光の作り出す影の、その深い闇など、一生知らずにいてほしい。
そう思いながら、今宵もやはり一人酒。
遺伝です。
仕方ない。
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