オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2017年10月20日

伊佐山紫文95

 明日は『恋の名残 新説・曽根崎心中』の公演である。
 再演ではあるが、台詞も増えており、ラストも前回とは異なる。
 絶対に楽しめる一編なので、是非会場まで足をお運び下さい。
 今回使った楽曲はプッチーニ。
 なかでもアリア「私のお父さん」は三回、歌詞を替えて使っている。
 このアリアを知ったのは中学時代で、その頃、大分のテレビでは、天気予報のBGMとして、声なしに編曲されたものが流れていた。
 私が高2、16歳のころからバックの映像が日田の三隈川になった。
 いかにも清流といった趣の三隈川に架かる橋を、地元の男女高校生が楽しそうに亀山公園へと渡っていく。
 実はこの高校生たちは皆、当時の私の科学部の友人である。
 いかにも偶然に映り込んだようでいて、実際には何度も撮り直した、という。
 部室にしていた化学室に飛び込んで来るなり、映った連中は上気した声でそのことを話すのだった。
 ついさっき「君たち……」と声をかけられ、何度も何度も橋を渡った、と。
 そして、いついつから放送される、と。
 で、その日が来て、私もテレビにかぶりついた。
 天気予報が始まり、三隈川が映り、一瞬!
 本当に一瞬!
 誰が映っているのか分からないほど遠く、小さく、短い。
 それでも楽しそうな感じは伝わってくる。
 青空の下にさやぐ三隈川と楽しそうな男女高校生と「私のお父さん」。
 映像と音楽がマッチした、実に良い天気予報だった。
 そして、なぜかあの時ふと思った。
 この曲に歌詞を付けたい、と。
 まさかそれから40年も後に、本当に歌詞を付けて、芝居も作って上演しようとは!
 当時の将来設計はと言えば、まず愛媛大学に入って淡水の魚類学を学び、京都大学の大学院で博士号をとり、どこかの大学にポストを得て、のんびりと研究生活をしながらちょっと笑えるエッセイでも書いて暮らす、というもので、漠然とはしているがそれなりに筋は通っていた。
 ところが大学に入り、残って研究を続けることの経済的難しさや、ポストが無いという絶対的事情がわかってくるにつれ、こんな将来などあり得ないことをハッキリとクリアに悟った。
 悟ったとて、もう引き返すことなど出来るわけもない。
「二八(にはち、16歳)に帰るすべもなし」(北の都)と来ラァ!
 で、紆余曲折、と言うか、ほとんど何一つ思い通りに行かぬまま、こうやってエッセイだけは、一文にもならぬながら書いている。
 もう一つ、好きなように芝居も書いている。
 今回も、原作にはない「お鈴」という遊女のキャラを入れて、社会的歴史的背景をクッキリと語らせた。
 プッチーニだけに、『蝶々夫人』の「スズキ」から「鈴」を頂きました。
 そうそう、2幕の冒頭には地唄も入ります。
 これがもう、とにかく酔えます。
 ラストも前回とは異なるものにした。
 コテコテの人情モノ。
 ちょっと吉本っぽい?
 いえ、松竹です!(キリッ)
 松竹衣装さんから、歌舞伎の『曽根崎心中』で使う本物のお初と徳兵衛の衣装を借りてきましたからね。
 先日着付けに行って来ましたが、本物はすごい、の一言。
 本物の衣装を着けての、谷さん、森井さんの熱唱となります。
 これも見所・聞き所です。
 

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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