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2018年11月02日

伊佐山紫文213

 降る雪や明治は遠くなりにけり

 改めて紹介するまでもなく、中村草田男の名句であり、「明治は遠くなりにけり」の部分は、好き嫌いを越えた日本国民の言語的財産になっている。
 この句は『万葉集』の柿本人麻呂作

 近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

 の畏るべき政治的叙情と並ぶ、日本人の心の詩だと思う。
 もし私が「明治は遠くなりにけり」を特権的に味わう資格があるとするなら、それは、私の誕生日である10月23日こそ、明治改元の日、即ち、明治時代の誕生日でもあるからだ。
 昨日、まさに私の誕生日に政府主催で「明治150年記念式典」が行われた。
 だからどうということもないが、ついこんな戯れ句を口ずさんでみたくなる。
 
 行く秋や昭和は遠くなりにけり(紫文)

 先に紹介した人麻呂の歌は、自らが仕える天智朝が滅ぼした天武朝の近江の都を偲んで歌ったものである。
 荒れ果てたかつての都を人麻呂が何年後に訪ねて詠んだのかは分からないけれど、その鎮魂と故旧の哀切さは何度読んでも胸を打つ。
 翻って草田男の句は昭和6年の作、明治から20年を過ぎてのものである。
 明治という時代精神は自らが生みだした近代によって滅ぼされてしまった。
 壬申の乱のような内乱こそ起こらなかったものの、日清日露の大戦を戦い抜いた明治精神は、昭和に入り、何か得体の知れないものに化け始めていた。
 そんな時代、ふと降る雪に思う「明治は遠くなりにけり」なのである。
 そして、平成が終わろうとしている今、私は「昭和は遠くなりにけり」としみじみ思う。
 かつて福澤諭吉は自らの人生をかえりみて「一身にして二生を経るが如く」(『文明論之概略』と言ったが、私などは、高度成長、IT革命、そして下手をしたらAI革命の4世を生きてしまうかも知れぬ。
 次の時代が何と呼ばれるかは分からぬが「平成は遠くなりにけり」とは詠みたくないものだ。
 そもそも字余りだし。

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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