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2018年12月07日

伊佐山紫文240

 十歳になる息子が、
「キログラムの定義が変わったんだよね」
 と聞いてきたんで、
「そう。プランク定数をもとにした……」
「プランク定数って何?」
 それでネットで検索した式を示したのだけれど、そこはまだ十歳、ワケがわからんとぬかす。
 とにかく、もう、学力だけは中学並になってるんだから、と、吉田武先生の
『虚数の情緒 中学生からの全方位学習法』
 を読め、話はそれからだ。
 いやいや、と食い下がってくる。
 じゃ、話すけど、寝るなよ。
 そもそもなんでキログラムの改定が日本でこれほどの大騒ぎになるのか、メートル法の定義から説明しなきゃならない。
 聞いてるか?
 そもそも学校で教えてるデシリットルってわかるな?
 世の中にそんな単位で売られてるものってないぞ。
 そのオカシサは、三次元で考えるとすぐ分かる。
 たとえば1デシリットルの立方体を作って見ろ、その一辺は何センチなんだ?
 100の三乗根は有理数じゃないぞ。
 まあ、一応の値として4.64を使って立方体の積み木を作ったとする。
 で、これを使って1リットルの立方体が作れるか?
 絶対に無理である。
 かく、きちんと三次元で物事を考える子供にとって、デシリットルは百害あって一利なし、デタラメな概念である。
 ではなんでこんなものが幅をきかすかと言えば、一言で言えば、凡人の教員が教えやすいからだ。
 凡人だからと言ってバカにしているのではない。
 これはもう、仕方がない、という話だ。
 三次元の幾何はそうそう常人が理解できるものではない。
 理解できないから、教えることも出来ない。
 だから二次元に還元する。
 たとえば1リットルのメスシリンダーを十に区切り、その一つをデシリットルとすれば、三次元が二次元になって、視覚的に理解できる。
 そのために、そのためだけに導入されたのがデシリットルという単位なのである。
 ではリットルという概念はどこから来たのか。
 フランスから来た。
 それもフランス革命直後の、世界を「理性」で塗りつぶそうという狂気のるつぼから生じた狂気の産物として。
 まず、この地球を完全な球体だと仮定して(これ自体狂ってるが)、その母線を4万キロメートルと決める(その根拠はなんだよ)。
 で、その40000000分の1が1メートルとする。
 当時の観測技術からすればムチャクチャな話だが、反対するものは反革命として即座に殺せた時代だから許されたのだろう。
 その1メートルを千で割ったものをミリメートル(千分の一メートルってこと)とする。
 で、一辺が10ミリメートル(1センチメートル)で作った立方体の、4度の水の重さを1グラムとする。
 で、一辺が10センチメートルの立方体を作れば、その体積は1000立方センチ、水の重さは1000グラム、すなわち1キログラムとなる。
 こうして、メートル法で、全ての単位が統一的に表現出来るようになった。
 広さは長さの二乗、大きさは三乗で表せるし、重さまで長さで表せるとなれば、メートル法とはまさに理性(ratioとはもともと割合の意味)の勝利に他ならぬ。
 これを使えよ、ウチとの取引はメートル法以外は認めんぞ、とフランス革命政府は各国に強要し始めたのである。
 確かに便利だから、多くの国は随ったのだが、アメリカは今でもヤード・ポンドにこだわっている。
 日本でも、戦後の一時期までは尺貫法が生きていた。
 メートル法は純粋な科学の産物と言うより、理性信仰という狂気から生じた鬼子なのである。
 それを本当に、純粋な科学の産物にしようと、メートル法の単位を物理定数を用いた定義、たとえば長さは光速を使うとか、そういう作り替えの作業がずっと続いていて、今回、やっと、最後に残っていた重さの単位が改定されたという話なのである。
 メートル原器やキログラム原器も、もう要らない。
 正確な測定の出来る機械さえあれば、誰でも正確な長さや重さを再現できる。
 単位はモノから解放され、純粋な情報となったのである。
 そこには日本の測定技術が重要な役割を果たしていた。
 だから日本では大騒ぎしているわけで、おいおい、寝るなよ。
 そういう日本の技術をそっくり盗もうとしたのが、メートル法の本家本元のフランスで、反撃したのが今回のゴーン逮捕……
 寝ちまったよ。

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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