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2018年12月07日

伊佐山紫文241

 息子が、
「沖縄の米軍基地の……」
 ゴニョゴニョと口ごもる。
 ああ、これは米兵による性犯罪のことが聞きたいんだなと察して、沖縄県全体と米兵による刑法犯認知率の差についてネットで公式な統計を見ながら話したが、納得がいかないみたいだ。
 確かに沖縄県全体の刑法犯認知率が米兵の数倍になると言っても、もしそこに米軍基地がなければ起きなかった犯罪というのはあるわけで、被害者にとっては犯罪の認知率よりも、現実に起き、自分に降りかかったその一件の原因の方が重要であることは間違いない。
 米軍がいなくなれば、米兵による犯罪はなくなる。
 これはもう、当然である。
 男がいなくなれば、ほとんど全ての性犯罪は消え去るのと同じ理窟である。
 私がまだ左翼だった頃、毎週のように通っていた沖縄料理屋があった。
 そこの女将は、沖縄学の父と言われた民俗学者伊波普猷の姪で、実に博識、歯に衣着せぬ舌鋒にはファンも多かった。
 あるとき、ものすごく機嫌の悪い女将は、伊波普猷を引き合いに出して、ヤマトの文化人たちを批判した。
「そんなに沖縄が好きなら、行って住んでみると良い。女にとっては地獄ぞ、あそこは」
 初めて聞く壮絶な人生で、とてもFBに書けるような話ではない。
 女将に依れば、伊波普猷が言うには、琉球人の特性は「忘恩」だそうで、清国が弱いと見たからヤマトについた、ヤマトが負けたらアメリカについた……
 本当に伊波普猷がそう言ったのかは確認のしようがないが、琉球人忘恩説は有名な話である。
 そのような認識から、伊波普猷は、柳田国男や折口信夫らのロマン主義的な沖縄観に異を唱えていた。
 ロマンチックな天国などではなく、迷信と暴力の地獄なんだと。
 伊波普猷が沖縄人に誇りを与えたというのは事実だろうが、それだけではない。
 柳田国男にとってもそうだが、民俗学は経世済民の学であり、民の生活向上をその目的とする。
 民俗学者たる伊波普猷は沖縄の現実を誰よりも憂い、経世済民のために何が出来るか考えていたのだ。
 そんな伊波普猷の薫陶を受けて育った女将が、沖縄の現状について批判的に捉えているのは当然だろうと、当時左翼だった私も思っていた。
 ただ、女将がそういう話をし始めると、店は妙な空気に包まれるのだった。
 沖縄社会が急速に左旋回していくなか、女将はおそらく、大阪の沖縄人コミュニティの中でも孤立していったのではないだろうか。
 次第に、いつ行っても不機嫌で、客はおらず、愚痴ばかり聞かされるようになり、私の足も遠のいた。
 数年前に久しぶりに行ってみると、もう女将の姿はなく、伊波普猷全集も取り払われ、こぎれいな沖縄居酒屋に琉球民謡が流れていた。
 女将の消息を聞くような雰囲気ではなかった。
 今でも、女将が吐き捨てるように言った一言は、私の胸に残っている。
「沖縄の男より、米兵の方がよっぽどマシなんだよ」
 これもまた、私が左翼だった頃、沖縄に文献の買い出しに行った時のことである。
 文献と言っても、いわゆるオキナワンコミック、沖縄土着のマンガである。
 30年近く前のことだから、ネットもなく、自分で買いに行くしかなかった。
 で、夜、国際通りの裏通りの店で飲んでいると、まあ、お約束の「イチャリバチョーデー」(行き会えば皆兄弟)で、大騒ぎになった。
 とにかく奢ってくれる。
 なんて素晴らしい人たちなんだと思った。
 で、そこの板さんが久留米の人だと分かって、なんとなく意気投合し、次のスナックまで奢って貰った。
 その席で、本当に半分泣きながら、
「ここを日本と思うな、日本語が通じるからと言って、勘違いするな」
 そう言って、自分が受けてきた仕打ちの数々を並べ立てる。
 私はもともと愚痴られ体質なのか、とにかくどこに行っても人の愚痴を聞かされる。
「アメリカ兵がいるから、この街はもっているんだ。アメリカが消えて見ろ、どうなるか。本土の人間には、それが見えてないんだよ。いや、見たとしても、見なかったことにしてるんだ」
 もともと反基地の活動家として沖縄に入ったその素性を隠し、沖縄の女性と結婚して数十年、初めて、沖縄への本当の思いをぶちまけたのだという。
 泡盛を全部で一升くらい飲まされたのに、私は全く酔えなかった。
 妻はもう、とっくにソファに寝転んで、私は一人、夜明け近くまで、ヤマトンチューのエンドレスな愚痴に付き合わされたのだった。
 最後に、
「今日聞いたことは全て忘れてくれ」
 と板さんは言って、私たちは別れた。
 何年か年賀状を出したけれど、今に至るまで梨の礫である。
 息子にはこういう複雑な話は出来ないし、すべきじゃないだろう。
 おそらく私のような愚痴られ体質ではない息子は、人の暗部を知ることもなく、人生の表層をヒラヒラと生きて行くのだろうと思う。
 それはそれで良いし、いや、むしろそうして欲しいと思っている。

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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