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2018年12月14日

伊佐山紫文247

『暗い時代の人々』ハンナ・アレント著 阿部齊訳 ちくま学芸文庫
「訳者後記」に依れば書評集のようなもの。
 ただ、それにしては「ヘルマン・ブロッホ」「ヴァルター・ベンヤミン」、それに「ベルトルト・ブレヒト」は量と質において書評を遙かに超え出ている。
 ブロッホとベンヤミンとは、どちらも個人的に親交があり、アレントの筆致は暖かい。
 ナチに追われて自死するしかなかったベンヤミンについては、同じ中欧ユダヤ人としての共感に満ちつつ、客観性も失わない。
 故郷喪失者としてのベンヤミンは終生、パレスチナを夢み続けた。
 ベンヤミンがマルクス主義に近づいた理由は経済的な事情であり、そもそもがアドルノらフランクフルト学派と相容れるはずがなかった。
 このあたり、あまりに哀れで、読んでいて思わず噴き出しそうになった。
 問題はブレヒトで、アレントは、政治的判断の間違い、すなわち東ドイツで要職についたことが作品創作の上でも致命的な失敗だったと結論づける。
 確かに東独ではスターリン礼賛のバカ芝居を書かされたり、詩でも名作が一つもないのは事実だろうが、それは自由を奪われたことのみが原因だろうか。
 ドイツ詩を丹念に味わう力がないのでなんとも言えないが、もっと違うところに原因があるような気がしてならない。
 そもそもブレヒトは、戦後、嬉々として東独共産党に入り、嬉々としてその文化政策を広め、増幅し、世界に発信していたのではなかったか?
 共産主義の詩人だった我が父も、そのようなものとしてブレヒトの詩を舐めるように味わい、自らの手本としていた。
 名作が書けなかったのは、自由が奪われたからではなく、単に、権力の中枢に入り込みすぎ、結果として表現による抵抗が不要になったからではないのか。
 体制であれ、反体制であれ、ご主人付きの飼い犬にはろくなモノは書けない、と。
 党に対してであれ、大衆に対してであれ、媚びちゃアカンって事じゃないのか。
 ブレヒト論に限らず、どの文章も、決して鋭い洞察に満ちているとか、新しい見解を示しているとかいうわけではないけれど、ここには確かにアレントという人がいる、と思わせる、独特の論理の進め方があって、それを味わうための一冊だろう。
 

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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