2019年03月10日
伊佐山紫文299
昔、コピーライターというものに憧れた時期があった。
横文字も格好いいし、何より楽そうだった。
で、ひょんなことから広告の世界に飛び込んだのだが、聞くと見るでは、と言うか、イメージと実際では大違い。
30年以上前、コピーライターとして、ある大会社の社内報を作っていた。
これが結構大変で、と言うのも、チェックが一回で済まない。
課長がOKを出しても、その上の部長が訂正したりする。
その訂正をまた課長に持って行かねばならない。
そこで下っ端の三下も口を出したりする。
これがすべての記事で起きる。
どれだけ誠実に対応していても、限界ってものがある。
当時はまだパソコンもそれほど普及はしておらず、手書きの原稿を写植に出して、それからデザイナーがレイアウトを整えるという手順を踏む。
原稿の段階でチェックをして、これが決定稿となればそれで良いのだが、そうは問屋が卸さない。
スポンサーは汚い手書きの原稿など読まない。
きちんと写植しレイアウトされたものでなければ出せない。
ここで訂正が入ると地獄が待っている。
と言うか、必ず訂正が入る。
それも、まとめて入るならまだしも、課長が、部長が、三下が、とバラバラに入ってくる。
部長の訂正を三下がさらに訂正したりする。
それをまた部長に持って行き、最終確認。
そしてまた三下。
最終稿になるまで、私たちは原稿を持って右往左往しなければならない。
そんなこんなで、やっと決定稿になっても、スケジュールは押しに押している。
スポンサーは金曜の夜に、平気で、
「じゃ、上がりは週明けでね」
などと言うが、その意味するところは、私たちの週末を潰すと言うことなのだ。
もちろん、私たちは訂正箇所をデザイナーに伝えるだけなのだが、もう二度とミスは出来ないので、デザイナーに付き添ってチェックしながらの徹夜の週末を過ごすことになる。
こんなことにならないように、最初からスケジュールは厳密に管理しているのだが、それでも、スポンサーの意向(気まぐれや思いつき)は絶対である。
で、当時、写植の仕事にはペルーから来た日系人たちが多く携わっていた。
ペルー人たちはもちろん、日本語が母語ではないから、急がせば急がすほど、色々とおかしなことが起きてくる。
とくに鉛の写植は文字が逆さまになっているから、「さ」と「ち」は要注意で、ここを間違えるととんでもないことが起きてしまう。
で、起きてしまった。
何重にもチェックを繰り返していたはずなのに。
徹夜続きの日系人の脳には「さ」も「ち」も同じだったのだろう。
それは、その会社初の女性管理職のインタビュー記事だった。
見出しのミスほど気づきにくいと言うが、まさにその通りで、本来なら、
「朝晩、犬のさんぽを欠かしません」
となるところ、
「朝晩、犬のちんぽを欠かしません」
いったい、どんな女性管理職なんだよ?
これを数千部刷ってしまったのである!
さあ大変だ。
もう、関わったもの総出で、「ち」をカッターで削り取り、ワープロで印刷した「さ」の文字を貼っていく。
徹夜の徹夜の、そのまた徹夜。
もう大概、勘弁してくれよ。
ゲロ吐きながらの大仕事で、しかも抱えている仕事はこれだけではない。
そっちのスポンサーとも連絡とりながら、新商品のネーミングである。
携帯もメールもない時代である。
それで、徹夜の作業が終わってからは各部署にお詫びの挨拶をして回る。
「気をつけてくれよ」
とか、
「プロなんだから、しっかりしよろ」
などと叱られながら。
どこがクリエイティブなんだよ、コピーライターなんて、とつくづく思った。
浅川座長と作業中にテレビで糸井重里の顔を見たものだから、ちょっと思い出を書いてみた。
横文字も格好いいし、何より楽そうだった。
で、ひょんなことから広告の世界に飛び込んだのだが、聞くと見るでは、と言うか、イメージと実際では大違い。
30年以上前、コピーライターとして、ある大会社の社内報を作っていた。
これが結構大変で、と言うのも、チェックが一回で済まない。
課長がOKを出しても、その上の部長が訂正したりする。
その訂正をまた課長に持って行かねばならない。
そこで下っ端の三下も口を出したりする。
これがすべての記事で起きる。
どれだけ誠実に対応していても、限界ってものがある。
当時はまだパソコンもそれほど普及はしておらず、手書きの原稿を写植に出して、それからデザイナーがレイアウトを整えるという手順を踏む。
原稿の段階でチェックをして、これが決定稿となればそれで良いのだが、そうは問屋が卸さない。
スポンサーは汚い手書きの原稿など読まない。
きちんと写植しレイアウトされたものでなければ出せない。
ここで訂正が入ると地獄が待っている。
と言うか、必ず訂正が入る。
それも、まとめて入るならまだしも、課長が、部長が、三下が、とバラバラに入ってくる。
部長の訂正を三下がさらに訂正したりする。
それをまた部長に持って行き、最終確認。
そしてまた三下。
最終稿になるまで、私たちは原稿を持って右往左往しなければならない。
そんなこんなで、やっと決定稿になっても、スケジュールは押しに押している。
スポンサーは金曜の夜に、平気で、
「じゃ、上がりは週明けでね」
などと言うが、その意味するところは、私たちの週末を潰すと言うことなのだ。
もちろん、私たちは訂正箇所をデザイナーに伝えるだけなのだが、もう二度とミスは出来ないので、デザイナーに付き添ってチェックしながらの徹夜の週末を過ごすことになる。
こんなことにならないように、最初からスケジュールは厳密に管理しているのだが、それでも、スポンサーの意向(気まぐれや思いつき)は絶対である。
で、当時、写植の仕事にはペルーから来た日系人たちが多く携わっていた。
ペルー人たちはもちろん、日本語が母語ではないから、急がせば急がすほど、色々とおかしなことが起きてくる。
とくに鉛の写植は文字が逆さまになっているから、「さ」と「ち」は要注意で、ここを間違えるととんでもないことが起きてしまう。
で、起きてしまった。
何重にもチェックを繰り返していたはずなのに。
徹夜続きの日系人の脳には「さ」も「ち」も同じだったのだろう。
それは、その会社初の女性管理職のインタビュー記事だった。
見出しのミスほど気づきにくいと言うが、まさにその通りで、本来なら、
「朝晩、犬のさんぽを欠かしません」
となるところ、
「朝晩、犬のちんぽを欠かしません」
いったい、どんな女性管理職なんだよ?
これを数千部刷ってしまったのである!
さあ大変だ。
もう、関わったもの総出で、「ち」をカッターで削り取り、ワープロで印刷した「さ」の文字を貼っていく。
徹夜の徹夜の、そのまた徹夜。
もう大概、勘弁してくれよ。
ゲロ吐きながらの大仕事で、しかも抱えている仕事はこれだけではない。
そっちのスポンサーとも連絡とりながら、新商品のネーミングである。
携帯もメールもない時代である。
それで、徹夜の作業が終わってからは各部署にお詫びの挨拶をして回る。
「気をつけてくれよ」
とか、
「プロなんだから、しっかりしよろ」
などと叱られながら。
どこがクリエイティブなんだよ、コピーライターなんて、とつくづく思った。
浅川座長と作業中にテレビで糸井重里の顔を見たものだから、ちょっと思い出を書いてみた。
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