2019年10月03日
伊佐山紫文405
ショスタコーヴィチの第五交響曲を聴いてきた。
オーケストラ・アンサンブル・フォルツァの演奏で、八尾市文化会館プリズムホール。
この曲は別名「宇宙戦艦ポチョムキン」とも言われ、終楽章のブラスの大迫力で知られている。
実際、フォルツァの皆さんも、この楽章を演奏したくて選曲したんだろうな、と分かる熱演で、感動いたしました。
第一楽章展開部冒頭の不気味なピアノを、我が夙川座ゆかりの白藤望さんで聴けたのも良かった。
同じく白藤さんのチェレスタも印象的でした。
また、この曲はフルートが命なのですが、これも素晴らしかった。
と、簡単に言うが、この曲、単に「聴きました、感動しました」では済まない背景があって、それを言い出すともう、演奏も鑑賞も不可能になってしまう。
実は第五交響曲の前に、ショスタコーヴィチは第四交響曲を書いていたのだが、もしこの第四交響曲を発表していたら、確実に殺されていた。
時代はソ連、それもスターリン時代である。
多くの芸術家が「ブルジョア臭い」とのレッテルを貼られ、次々と投獄、殺戮されていた。
ショスタコーヴィチもオペラやバレーが共産党からの批判を受け、投獄寸前だった。
ここで、ブルジョア音楽として批判されていたマーラーの影響が明らかな第四交響曲を発表したら。
間違いなく、投獄され、飢え死にさせられていただろう。
「ブルジョア臭い」芸術家には最も苦しい死を与えるのがプロレタリア的正義である、とされていたのだ。
こんな世で生き残るためには、共産党の歓心を得なければならない。
そこで起死回生の一手として作曲したのがこの交響曲第五番なのである。
帝政ロシア時代の暗黒の苦悩から共産革命を経て歓喜にいたる(と解釈できる)この曲は、共産党を含む大衆に、大受けに受けた。
人気作曲家となったショスタコーヴィチを、共産党は生かしておくしかなかった。
未だに偽書かどうか確定しないヴォルコフ著『ショスタコーヴィチの証言』では、この終楽章は「強制された歓喜」(水野忠夫訳)とされ、手放しの快演、たとえばバーンスタインのものなどは薄っぺらいとさえ言われる。
いやいや、そもそもバーンスタインごときに何を求めるんだと言いたくもなるが、やはり、『証言』を踏まえたハイティンクら西側と、ムラヴィンスキー(初演者でもある)やロジェストヴェンスキーらソ連派では表現が微妙に異なることは否めない。
ショスタコーヴィチのその後の展開を考えれば、私は『証言』の側に立つ。
つまり、終楽章は「強制された歓喜」だろうと思う。
けれど、強制されていようがいまいが、「歓喜」は「歓喜」なのだとも思う。
試みに心の中で「梅干し、レモン、梅干し、レモン」と十数回唱えてみたまえ、自然と唾液が口を満たすだろう。
これは強制的に「梅干し、レモン」を聞かされても同じで、人間の生理反応である。
音楽も同じ、感動するように書かれていれば、安っぽいと思いつつも感動する。
これはもう、人間の生理反応なのであって、誰もそれを否定できない。
だから、堪能しましたよ。
フォルツァの皆さん、ご苦労様でした。
ちなみになんでこの曲がマニアの間で「宇宙戦艦ポチョムキン」と呼ばれるのかと言えば、エイゼンシュテインの名作映画『戦艦ポチョムキン』に使われているから。
戦前に作られたサイレント映画に、戦後になって第二楽章の音楽が後付けされたもので、私など、しばらくは、この映画のためにショスタコーヴィチが書いたのだと思っていた。
そのくらい、合ってる。
今回の演奏でも、あの、揚々とした戦艦シーンが頭に浮かびましたよ。
ちなみに、クラシック曲のアンソロジーで『交響戦艦ショスタコーヴィチ ~ ヒーロー風クラシック名曲集 』というCDが、なんとナクソスレーベルから出ていて、曲目を見ただけで笑えます。
『交響戦艦ショスタコーヴィチ ~ ヒーロー風クラシック名曲集 』で検索っ!
オーケストラ・アンサンブル・フォルツァの演奏で、八尾市文化会館プリズムホール。
この曲は別名「宇宙戦艦ポチョムキン」とも言われ、終楽章のブラスの大迫力で知られている。
実際、フォルツァの皆さんも、この楽章を演奏したくて選曲したんだろうな、と分かる熱演で、感動いたしました。
第一楽章展開部冒頭の不気味なピアノを、我が夙川座ゆかりの白藤望さんで聴けたのも良かった。
同じく白藤さんのチェレスタも印象的でした。
また、この曲はフルートが命なのですが、これも素晴らしかった。
と、簡単に言うが、この曲、単に「聴きました、感動しました」では済まない背景があって、それを言い出すともう、演奏も鑑賞も不可能になってしまう。
実は第五交響曲の前に、ショスタコーヴィチは第四交響曲を書いていたのだが、もしこの第四交響曲を発表していたら、確実に殺されていた。
時代はソ連、それもスターリン時代である。
多くの芸術家が「ブルジョア臭い」とのレッテルを貼られ、次々と投獄、殺戮されていた。
ショスタコーヴィチもオペラやバレーが共産党からの批判を受け、投獄寸前だった。
ここで、ブルジョア音楽として批判されていたマーラーの影響が明らかな第四交響曲を発表したら。
間違いなく、投獄され、飢え死にさせられていただろう。
「ブルジョア臭い」芸術家には最も苦しい死を与えるのがプロレタリア的正義である、とされていたのだ。
こんな世で生き残るためには、共産党の歓心を得なければならない。
そこで起死回生の一手として作曲したのがこの交響曲第五番なのである。
帝政ロシア時代の暗黒の苦悩から共産革命を経て歓喜にいたる(と解釈できる)この曲は、共産党を含む大衆に、大受けに受けた。
人気作曲家となったショスタコーヴィチを、共産党は生かしておくしかなかった。
未だに偽書かどうか確定しないヴォルコフ著『ショスタコーヴィチの証言』では、この終楽章は「強制された歓喜」(水野忠夫訳)とされ、手放しの快演、たとえばバーンスタインのものなどは薄っぺらいとさえ言われる。
いやいや、そもそもバーンスタインごときに何を求めるんだと言いたくもなるが、やはり、『証言』を踏まえたハイティンクら西側と、ムラヴィンスキー(初演者でもある)やロジェストヴェンスキーらソ連派では表現が微妙に異なることは否めない。
ショスタコーヴィチのその後の展開を考えれば、私は『証言』の側に立つ。
つまり、終楽章は「強制された歓喜」だろうと思う。
けれど、強制されていようがいまいが、「歓喜」は「歓喜」なのだとも思う。
試みに心の中で「梅干し、レモン、梅干し、レモン」と十数回唱えてみたまえ、自然と唾液が口を満たすだろう。
これは強制的に「梅干し、レモン」を聞かされても同じで、人間の生理反応である。
音楽も同じ、感動するように書かれていれば、安っぽいと思いつつも感動する。
これはもう、人間の生理反応なのであって、誰もそれを否定できない。
だから、堪能しましたよ。
フォルツァの皆さん、ご苦労様でした。
ちなみになんでこの曲がマニアの間で「宇宙戦艦ポチョムキン」と呼ばれるのかと言えば、エイゼンシュテインの名作映画『戦艦ポチョムキン』に使われているから。
戦前に作られたサイレント映画に、戦後になって第二楽章の音楽が後付けされたもので、私など、しばらくは、この映画のためにショスタコーヴィチが書いたのだと思っていた。
そのくらい、合ってる。
今回の演奏でも、あの、揚々とした戦艦シーンが頭に浮かびましたよ。
ちなみに、クラシック曲のアンソロジーで『交響戦艦ショスタコーヴィチ ~ ヒーロー風クラシック名曲集 』というCDが、なんとナクソスレーベルから出ていて、曲目を見ただけで笑えます。
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