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2019年11月10日

伊佐山紫文421

「織田作まつり」に行ってきた。
 織田作之助の生涯を背景にした現代劇、というか映画を作ろうと、原作を書いたのが十数年前、結構面白い小説が出来たと思ったのだが、結局は、いつも通りの諸事情でものにならなかった。
 とにかく(閑話休題)、織田作之助の時代の作家は若くして死にすぎ。
 中村光夫の暴言「文学は老年の事業である」は、ある意味、真実をついていて、よほどの天才でない限り、文学を成すには時間がかかる。
 ただし、ブンガクであれば話は別である。
 なんで「ブンガク」とカタカナで書くかと言えば、「ブンガク」は決して学問ではないからだ。
 これは、知識も知恵も人生経験も必要ない、純粋に才能だけで成り立つ、純然たる「ブンガク」である。
 トルストイもスタンダールも読まず、ドストエフスキーに震撼することもなく、それでも、自身の書くもので人を感動させ、熱狂させる。
 そういうブンガク者は確かにいる。
 もちろん、織田作之助はその類いではなかった。
 ヨーロッパの、特にフランス小説に学び、近松に通じていたことは知られているし、それは作品にも現れている。
 確か戦中の文学報国会の会場で、近松のことを擁護する織田作之助の姿を桑原武夫が書き留めていて、それを『日本の文学』の解説で花田清輝が引用していたのを思い出す。
 ちなみに享年を記せば、織田作之助は33歳(昭和22年1947年)、花田清輝は65歳(昭和49年1974年)、桑原武夫は83歳(昭和63年1988年)である。
 長生きはするもんだ、とつくづく思う。
 で、織田作之助は決してブンガク者ではなかった。
 本来ならば、研鑽を積んで本物の文学者になるべき人物だったと思う。
 なのに、ブンガク者ではないものが流行作家になり、消費され、蕩尽された。
 残されたのは青春の若書きのみ。
 それはそれで、もちろん価値がある。
 面白いから。
 それでも、考えてみて欲しい。
 たとえば開高健が33歳で死んでいたら。
 ベトナム戦記はもちろん、「闇」三部作も、『珠玉』も書かれていなかった。
「パニック」だの「裸の王様」だのと言った、若書きだけのキワモノ作家で終わっていただろう。
 享年58歳(平成元年1989年)は若いとは思うが、それなりの仕事はしたとおもう。
 長生きはするもんですよ。
 あ、そういえば数日後に私も57歳になる。
 そろそろ「老年の事業」にかかるかね。

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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