2019年11月18日
伊佐山紫文452
人が楽観よりも悲観を好むのは、マスコミに現れる論調を観れば明らかだろう。
この50年、あくまでも相対的にだが、国は戦争をしなくなったし、人は人を殺さなくなったし、レイプしなくなったし、殴らなくなった。
これは数字から分かる。
けれど、そんな根拠のある楽観論を一言でも口にすれば、マスコミからは追放される。
食いっぱぐれる。
それが嫌なら、世界は第二次世界大戦前に似てきたし、温暖化で滅びる寸前にあるし、人類は凶暴化してきたし、子供はボンクラでイジメ地獄にいるし……などと根拠のない悲観論を吐き続けるしかない。
とにかく人は根拠のない悲観論が大好きなのだ。
もう、死んでもかまわないほど。
と言うより、根拠があろうがなかろうが、悲観論を信じる人々が生き残ってきたのだ。
我々ホモ・サピエンス・サピエンスは、決して情報化社会に適応しているわけではない。
我々が我々になった時代、新石器時代は、男の死因の(計算の仕方にも拠るが)2割から4割が他殺というような、今から考えれば殺伐とした社会である。
女の他殺の死因が低いのは単に戦利品として生かされただけであって、決して男に比べて幸福だったわけではない。
それに、特に古代ギリシャの好戦的なポリスで明らかなように、女児は生まれるとすぐに殺された。
戦士にならないから、育てても無駄だからだ。
女は他のポリスからぶんどってくるものであって、自分たちが育てるものではなかったのだ。
原始時代がユートピアだったというのは幻想であり、我々は、小集団が殺し合う中で、もちろん文字もない時代を何万年も生き延びてきたのである。
文字情報、いわんや数字など、その時代の誰が信じよう。
いや、信じるものはいただろう。
そして信じるものから順に死んでいった。
なぜなら、その時代の文字情報や数字など、大まかな事実は伝え得ても、正確に将来を見通すことは出来なかったから。
で、私が常々疑問に思っているのは、イソップ寓話にある「オオカミ少年」の教訓である。
大抵は「嘘つきは信用されなくなる」との教訓で終わっているのだが、これっておかしくはないか?
ギリシャ語の原典は失われてしまったから、今に伝わるもので議論するしかないが、この結論は明らかにおかしい。
この寓話には異なる系統があって、
1「羊飼いがオオカミに食われる」
2「羊がオオカミに食われる」
の2種類の結論があるだが、オオカミが羊飼いだけを食って帰ることがあるだろうか。
実際には、羊飼いも羊も両方食われてしまったのではないか。
よしんば生き残った羊飼いも、というより、羊を共有していた集落は冬を越せずに全滅していたのではないか。
羊は遊牧民の重要な食物であり、特に冬を越すためにはその干し肉が欠かせない。
オオカミはその羊を狙うから恐れられたのだ。
オオカミに羊を食われた集落は全滅する。
その大事な羊を守るのに、嘘つきの少年を使った。
何度も嘘をついているのにもかかわらず、使い続けた。
あげく、少年の言を信用せず、全滅した。
ここから得られる教訓は、まず、
「人を選べ」
であり、そうでなくば、
「どんなに根拠がなかろうと、警報(悲観論」には備えよ」
と言うことではなかったか。
その血脈は今にも累々と続いている。
楽観論を唱えることの危うさも、その反射として、もちろんある。
それでも、私は、根拠のある楽観論を、細々とではあるが説いていきたい。
などと、厚かましくも思っている。
この50年、あくまでも相対的にだが、国は戦争をしなくなったし、人は人を殺さなくなったし、レイプしなくなったし、殴らなくなった。
これは数字から分かる。
けれど、そんな根拠のある楽観論を一言でも口にすれば、マスコミからは追放される。
食いっぱぐれる。
それが嫌なら、世界は第二次世界大戦前に似てきたし、温暖化で滅びる寸前にあるし、人類は凶暴化してきたし、子供はボンクラでイジメ地獄にいるし……などと根拠のない悲観論を吐き続けるしかない。
とにかく人は根拠のない悲観論が大好きなのだ。
もう、死んでもかまわないほど。
と言うより、根拠があろうがなかろうが、悲観論を信じる人々が生き残ってきたのだ。
我々ホモ・サピエンス・サピエンスは、決して情報化社会に適応しているわけではない。
我々が我々になった時代、新石器時代は、男の死因の(計算の仕方にも拠るが)2割から4割が他殺というような、今から考えれば殺伐とした社会である。
女の他殺の死因が低いのは単に戦利品として生かされただけであって、決して男に比べて幸福だったわけではない。
それに、特に古代ギリシャの好戦的なポリスで明らかなように、女児は生まれるとすぐに殺された。
戦士にならないから、育てても無駄だからだ。
女は他のポリスからぶんどってくるものであって、自分たちが育てるものではなかったのだ。
原始時代がユートピアだったというのは幻想であり、我々は、小集団が殺し合う中で、もちろん文字もない時代を何万年も生き延びてきたのである。
文字情報、いわんや数字など、その時代の誰が信じよう。
いや、信じるものはいただろう。
そして信じるものから順に死んでいった。
なぜなら、その時代の文字情報や数字など、大まかな事実は伝え得ても、正確に将来を見通すことは出来なかったから。
で、私が常々疑問に思っているのは、イソップ寓話にある「オオカミ少年」の教訓である。
大抵は「嘘つきは信用されなくなる」との教訓で終わっているのだが、これっておかしくはないか?
ギリシャ語の原典は失われてしまったから、今に伝わるもので議論するしかないが、この結論は明らかにおかしい。
この寓話には異なる系統があって、
1「羊飼いがオオカミに食われる」
2「羊がオオカミに食われる」
の2種類の結論があるだが、オオカミが羊飼いだけを食って帰ることがあるだろうか。
実際には、羊飼いも羊も両方食われてしまったのではないか。
よしんば生き残った羊飼いも、というより、羊を共有していた集落は冬を越せずに全滅していたのではないか。
羊は遊牧民の重要な食物であり、特に冬を越すためにはその干し肉が欠かせない。
オオカミはその羊を狙うから恐れられたのだ。
オオカミに羊を食われた集落は全滅する。
その大事な羊を守るのに、嘘つきの少年を使った。
何度も嘘をついているのにもかかわらず、使い続けた。
あげく、少年の言を信用せず、全滅した。
ここから得られる教訓は、まず、
「人を選べ」
であり、そうでなくば、
「どんなに根拠がなかろうと、警報(悲観論」には備えよ」
と言うことではなかったか。
その血脈は今にも累々と続いている。
楽観論を唱えることの危うさも、その反射として、もちろんある。
それでも、私は、根拠のある楽観論を、細々とではあるが説いていきたい。
などと、厚かましくも思っている。
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