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2020年02月01日

伊佐山紫文514

教育講演会に行ってきた。
 まあ、時間の無駄。
 とにかく言うことが古い。
 ゲームやスマホを悪と決めつけ、とにかく時間制限。
 あのね、普通の子は制限しなくても一時間もやってれば飽きる。
 もし二時間以上やっていられるなら、それは一つの才能なんですよ。
 だとしたら必要なのは、時間制限ではなく、才能を適切に伸ばす方法論でしょう。
 たとえばダンスの好きな子がいて、一日中踊っていたとする。
 ここで必要なのは時間制限ですか?
 違うでしょう。
 必要なのは適切なコーチです。
 よほどの天才ならビデオを観るだけでダンサーになれるかも知れないが、まずは誰かに習わないと。
 こんなこと、少し考えれば分かりそうなものじゃないか。
 ただ、ゲームやスマホが他の才能と違うのは、適切なコーチなるものがいない。
 それは問題だとは思う。
 私の子供時代(昭和四〇年代)のことを考えると、まず、マンガがやり玉に挙げられていたし、テレビは絶対的な悪で、時間制限が必要だと言われていた。
 教育委員会やPTAは、読んでもいないマンガ、観てもいないテレビを血祭りに挙げるのに血道を上げていた。
 とにかくマンガやテレビは絶対悪だとされていた。
 もし連中が本当にマンガを読み、テレビを観ていれば、こんな物言いはしなかったろう。
 手塚治虫の珠玉のようなマンガが出て、向田邦子の傑作が放映されていた時代である。
 もしきちんと読み、観ていれば、十把一絡げには出来なかったはずだ。
 で、世代が代わり、教育委員会やPTAがマンガ・テレビで育った世代になると、言い方が変わってくる。
 マンガ・テレビと十把一絡げではなく、有害図書や低俗番組を子供から遠ざけよう、などと言うようになってくる。
 どんなジャンルでも、そのジャンルそのものが悪であることはまれで、大抵は玉石混淆を成す。
 だから、問題は、如何に石を除き、玉に触れさせるか、にある。
 ゲームやスマホも同じで、触れさせるものの質が問題なのであって、時間ではない。
 と思う。
 知らんけど。
 ただ、我が息子を観ていても、数年前とはやっているゲームが明らかに違う。
 一昨年など、遊園地を作るゲームのためにゲーミングパソコンを買ったのに、シミュレーションの中の従業員がストを起こしていつまでも建設にかかれず、放ってしまっていた。
 ところが先日、息子が眺める画面を見ると、ジェットコースターが走っている。
「実況」ものかと思ったら、息子が操作している。
「お前、それは?」
「作ったよ」
「使えるようになったの?」
「前からだよ」
「従業員のストは?」
「そんなのいつ頃の話だよ。確か、給料上げたら解決したんじゃなかったかな。それより、お父さん、Java教えてよ」
「Javaって、あのJavaか?」
「うん。そのJava」
「実況やりたいわけか」
「そう」
「その前に、英語をもう少し出来るようにならないと、絶対に無理」
 と言うことで、英語を猛勉強することになり、英文法、英単語、CNNの雑誌を本気で読むことになった。
 子供の吸収力はものすごいもので、ヘタしたら、3月の小学校卒業までに中学校三年分をやってしまいかねない勢いだ。
 そもそも塾では小四から中学用の教材をやっていたという素地はあったにしても。
 英語力が付いてくると、Javaそっちのけで、怪しげな日本語バージョンしかないアメリカのゲームでも遊ぶようになった。
 これはもう、英語がある程度出来ないと絶対に無理で、1年前であればまずやれなかった。
 それが今はサクサクとステージをクリアして、ほとんど英語の世界に入っている。
「オーマイガッ!」
 とか言いながら。
 このゲーム、何度聞いてもどんなものなのか理解できないのだが、やり始めれば数時間かかることはわかる。
 その時間、ものすごい集中力、思考力、判断力を働かせないと即死するようなゲームらしい。
 何時間も続けて出来ること自体、まさに才能なのだ。
 こんなことを二時間もやれば、ゲーミングパソコンのファンがこれまで聞いたことのないうなり声を上げ始める。
 これ、ヤバくね?
「お前、マジCPUヤベェんじゃね、加熱してファンが回りすぎやで」
 そう言うと、息子は少し考えて、パソコンを切り、
「そうだな。これから一日二時間までにするよ」
 チャンチャン……

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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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