2020年05月27日
伊佐山紫文569
日本では人災にしかならないから「緊急事態宣言」は止めてくれと代議士にまで訴えてきた。
そもそも何も起きていないところで出す「宣言」など全く無意味だし、むしろ有害である。
何も起きていない状況での「宣言」は「起きるかも知れない」の疑心暗鬼を生じさせ、「起こしてはならない」との強迫観念を産む。
そして、何も起きてはいないからこそ、何をどう収束させて良いのか誰にもわからない。
そもそも何も起きてはいないから。
何も起きていないから、起こしてはならないとの規制は無限に続く。
今回、何も起きなかったのは、コロナに対する日本政府の対応が良かったからとか、そんな話ではない。
そもそも、アジアでは何も起きてはいない。
季節性の風邪が通り過ぎただけで。
ただ、亜寒帯アジアの風土病であるコロナはアングロサクソン、ラテン、ヒスパニック、アフリカンには有毒だった。
大モンゴルの影響下になかったコーカソイド、アフリカンには耐性がなかった。
と、それだけの話なのではないか。
また感染経路不明がほとんどなのに、一部のクラスターをやり玉に挙げて「三密」を避けろだのなんだの、正気か?
これは暗がりで落とした財布を街灯の下で探すようなもの。
「だって、向こうは暗いでしょ。こっちは明るいから」
勝手にやってろ、と言えればそれで良いが、専門家とやらはこっちに強いてくるからやっかいだ。
暗がりをつくるな、などと。
暗がりをなくしたところで、財布を落とす人がいなくなるわけではない。
なのに、暗がりを作ったことや、財布を落とした人を責めたてる。
言うとおりにしていれば財布を落としてなくすはずはないのだから、と。
財布を落としていなくても、落とすような状況を作ったことを責めたてる。
かく、因果も、科学も、全て無視した暴論がまかり通っているのが現状である。
特効薬が出来るまで自粛、などという議論も馬鹿げている。
本体がRNAであるウイルスは変異が激しく、特効薬など作れない。
去年効いた薬が今年効かないこともざらにある。
新薬開発に10年近くかかることを考えれば、製薬会社が風邪の特効薬の開発に及び腰になるのも頷ける。
コロナを含む風邪の特効薬など現れないのだ。
とにかく、何も考えず、コロナ騒ぎの前の生活を取り戻すことだ。
「新しい生活様式」などガン無視でいい。
あんなもの、何の責任も負わない連中が無責任に言い出した思いつきだ。
「責任」と言えば、何かを「起こした責任」は確かにある。
だからといって、それは何かを「起こさない責任」とは違う。
「起こした責任」を負いたくないからと皆に自粛を強いるのは、「起こさない責任」ではなく、ただの「保身」である。
仮にコロナで1000人死んだとして、それは一億二千万人の何パーセントだ?
この確率で自粛を強いたら、風呂も入れないし、道も歩けないぞ。
すべてが保身、保身、保身。
何も起きてはいない故に、
「イヤイヤ、これから第二波第三波が……」
等という暴論がまかり通る。
本来なら、皆には普通に生活を送ってもらい、何かが起きたときには率先して対応し、責任を負うというのが、政治家や専門家というものではないか。
なのに、政治家と専門家が結託し自らの責任を回避すべく国民に自粛を強いる。
保身、保身、保身。
それが今の日本である。
もし連中が言うような危機的状況だったなら、政治家や専門家に感染者が出ても良さそうなものなのに、だれ一人感染していない。
人災の人災である何よりの証拠である。
そもそも何も起きていないところで出す「宣言」など全く無意味だし、むしろ有害である。
何も起きていない状況での「宣言」は「起きるかも知れない」の疑心暗鬼を生じさせ、「起こしてはならない」との強迫観念を産む。
そして、何も起きてはいないからこそ、何をどう収束させて良いのか誰にもわからない。
そもそも何も起きてはいないから。
何も起きていないから、起こしてはならないとの規制は無限に続く。
今回、何も起きなかったのは、コロナに対する日本政府の対応が良かったからとか、そんな話ではない。
そもそも、アジアでは何も起きてはいない。
季節性の風邪が通り過ぎただけで。
ただ、亜寒帯アジアの風土病であるコロナはアングロサクソン、ラテン、ヒスパニック、アフリカンには有毒だった。
大モンゴルの影響下になかったコーカソイド、アフリカンには耐性がなかった。
と、それだけの話なのではないか。
また感染経路不明がほとんどなのに、一部のクラスターをやり玉に挙げて「三密」を避けろだのなんだの、正気か?
これは暗がりで落とした財布を街灯の下で探すようなもの。
「だって、向こうは暗いでしょ。こっちは明るいから」
勝手にやってろ、と言えればそれで良いが、専門家とやらはこっちに強いてくるからやっかいだ。
暗がりをつくるな、などと。
暗がりをなくしたところで、財布を落とす人がいなくなるわけではない。
なのに、暗がりを作ったことや、財布を落とした人を責めたてる。
言うとおりにしていれば財布を落としてなくすはずはないのだから、と。
財布を落としていなくても、落とすような状況を作ったことを責めたてる。
かく、因果も、科学も、全て無視した暴論がまかり通っているのが現状である。
特効薬が出来るまで自粛、などという議論も馬鹿げている。
本体がRNAであるウイルスは変異が激しく、特効薬など作れない。
去年効いた薬が今年効かないこともざらにある。
新薬開発に10年近くかかることを考えれば、製薬会社が風邪の特効薬の開発に及び腰になるのも頷ける。
コロナを含む風邪の特効薬など現れないのだ。
とにかく、何も考えず、コロナ騒ぎの前の生活を取り戻すことだ。
「新しい生活様式」などガン無視でいい。
あんなもの、何の責任も負わない連中が無責任に言い出した思いつきだ。
「責任」と言えば、何かを「起こした責任」は確かにある。
だからといって、それは何かを「起こさない責任」とは違う。
「起こした責任」を負いたくないからと皆に自粛を強いるのは、「起こさない責任」ではなく、ただの「保身」である。
仮にコロナで1000人死んだとして、それは一億二千万人の何パーセントだ?
この確率で自粛を強いたら、風呂も入れないし、道も歩けないぞ。
すべてが保身、保身、保身。
何も起きてはいない故に、
「イヤイヤ、これから第二波第三波が……」
等という暴論がまかり通る。
本来なら、皆には普通に生活を送ってもらい、何かが起きたときには率先して対応し、責任を負うというのが、政治家や専門家というものではないか。
なのに、政治家と専門家が結託し自らの責任を回避すべく国民に自粛を強いる。
保身、保身、保身。
それが今の日本である。
もし連中が言うような危機的状況だったなら、政治家や専門家に感染者が出ても良さそうなものなのに、だれ一人感染していない。
人災の人災である何よりの証拠である。
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
最近の記事
11月21日日曜日大阪で上方ミュージカル! (7/24)
リモート稽古 (7/22)
11月21日(日)大阪にて、舞台「火の鳥 晶子と鉄幹」 (7/22)
茂木山スワン×伊佐山紫文 写真展 (5/5)
ヘアサロン「ボザール」の奇跡 (2/28)
ヘアサロン「ボザール」の奇跡 (2/26)
ヘアサロン「ボザール」の奇跡 (2/25)
yutube配信前、数日の会話です。 (2/25)
初の、zoom芝居配信しました! (2/24)
過去記事
最近のコメント
notebook / 9月16土曜日 コープ神戸公演
岡山新選組の新八参上 / 9月16土曜日 コープ神戸公演
notebook / ムラマツリサイタルホール新・・・
山岸 / 九州水害について
岡山新選組の新八参上 / 港都KOBE芸術祭プレイベント
お気に入り
ブログ内検索
QRコード

アクセスカウンタ
読者登録