2017年07月31日
伊佐山紫文8
『ドイツ幻想文学傑作選 ロマン派の森から』今泉文子編訳 ちくま文庫
「金髪のエックベルト」(ルートヴィヒ・ティーク)
「アーデルベルトの寓話」(アーデルベルト・フォン・シャミッソー)
「アラビアの女預言者 メリュック・マリア・ブランヴィル」(アーヒム・フォン・アルニム」
「大理石像」(ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)
「ファールンの鉱山」(E.T.A.ホフマン)
リート、いわゆるドイツ歌曲をやる歌手は、この一冊を是非読んでおくべきだ。
シューマンやヴォルフ、あるいはR.シュトラウスやマーラーらが、どのような文学的雰囲気の中で創作を行ったか、手に取るように分かるだろう。
音楽との関係をメモしておく。
アルニムはブレンターノ(学者でなく詩人の方)とともに民謡を集め、詩的に再構成し『子供の不思議な角笛』として出版した。
これにはマーラーが曲をつけている。
アイヒェンドルフはロマン派作曲家とは切っても切り離せない詩人。
シューマンの「リーダークライス」が最も有名。
個人的に好きなのはR.シュトラウスの『四つの最後の歌』の中の「夕映えの中で」。
ジョージ・セル指揮でのシュワルツコップフの最高の演奏が残されている。
ホフマンは言うまでもなく、幻想文学の巨匠であり、音楽への影響も計り知れない。
ジャック・オッフェンバックの『ホフマン物語』はホフマンの物語が原作であり、また、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』もホフマンの奇想による。
「金髪のエックベルト」(ルートヴィヒ・ティーク)
「アーデルベルトの寓話」(アーデルベルト・フォン・シャミッソー)
「アラビアの女預言者 メリュック・マリア・ブランヴィル」(アーヒム・フォン・アルニム」
「大理石像」(ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)
「ファールンの鉱山」(E.T.A.ホフマン)
リート、いわゆるドイツ歌曲をやる歌手は、この一冊を是非読んでおくべきだ。
シューマンやヴォルフ、あるいはR.シュトラウスやマーラーらが、どのような文学的雰囲気の中で創作を行ったか、手に取るように分かるだろう。
音楽との関係をメモしておく。
アルニムはブレンターノ(学者でなく詩人の方)とともに民謡を集め、詩的に再構成し『子供の不思議な角笛』として出版した。
これにはマーラーが曲をつけている。
アイヒェンドルフはロマン派作曲家とは切っても切り離せない詩人。
シューマンの「リーダークライス」が最も有名。
個人的に好きなのはR.シュトラウスの『四つの最後の歌』の中の「夕映えの中で」。
ジョージ・セル指揮でのシュワルツコップフの最高の演奏が残されている。
ホフマンは言うまでもなく、幻想文学の巨匠であり、音楽への影響も計り知れない。
ジャック・オッフェンバックの『ホフマン物語』はホフマンの物語が原作であり、また、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』もホフマンの奇想による。
2017年07月31日
伊佐山紫文7
漬けていた紅ショウガにカビが発生したので急遽サルベージ。
まさに土用干しとなった。
日田の家で梅を干していたのを思い出しつつ、赤くなった生姜を洗い、ザルに干す。
思えば、日田では、こういうことを繰り返していた。
敗戦後、GHQによる土地改革で自宅以外無一文となった祖母は、庭の梅で梅干しを作り、庭の柿で干し柿を作り、猫の額ほどの田んぼで米を作り、現金に換えて、三人の子供を大学にまで上げた。
その繰り言は中野重治とともにうちを訪れた武田泰淳のエッセイにまで書かれるほどで、私には耳にタコを通り越してなんともはや、それでも四季の移ろいの中、梅を干し、桜を愛で、出戻って来た娘の琴を聞きながら柿を干す暮らしはそれほど悪いものとは思えなかった。
梅だの柿だのと言った果物を植えることは、軍人だった祖父は嫌っていたらしく、その理由は、果物、すなわち下り物を植えると家が「成り下がる」というもので、まあ、まさにその通りになった。
けれども、その下り物が、祖父の死後、家を支えたのだから、これもまた因果というものか。
ユスラウメ、アンズ、イチジク、ユズ、そしてカボス。
さまざまな果実が庭を彩り、食卓を支えた。
極めつけはシホウチク(四方竹で)で、これは秋にタケノコが出る。
だからこの時期の味噌汁はいつもこのタケノコになる。
今思えば絶品だったのだろうが、さすがに毎日では飽きる。
取っても取っても出てくるものだから、あちこちにおすそ分けし、それでも根を伸ばした竹は茶室の床を破り、天井にまで伸びた。
仕方なく、シホウチクは抜いた。
また秋になると、庭でいちばん大きな樹木であり、日田市の文化財にも指定されているギンモクセイが花を咲かせる。
キンモクセイのような、祖母に言わせれば「下品な匂い」ではない、ギンモクセイの香りがふんわりと街を包む。
今はもう、街は様々な香りに満ちてしまい、その中に埋もれてしまったが、昔は、日田の豆田町に秋を告げる風物詩のひとつだった。
まさに土用干しとなった。
日田の家で梅を干していたのを思い出しつつ、赤くなった生姜を洗い、ザルに干す。
思えば、日田では、こういうことを繰り返していた。
敗戦後、GHQによる土地改革で自宅以外無一文となった祖母は、庭の梅で梅干しを作り、庭の柿で干し柿を作り、猫の額ほどの田んぼで米を作り、現金に換えて、三人の子供を大学にまで上げた。
その繰り言は中野重治とともにうちを訪れた武田泰淳のエッセイにまで書かれるほどで、私には耳にタコを通り越してなんともはや、それでも四季の移ろいの中、梅を干し、桜を愛で、出戻って来た娘の琴を聞きながら柿を干す暮らしはそれほど悪いものとは思えなかった。
梅だの柿だのと言った果物を植えることは、軍人だった祖父は嫌っていたらしく、その理由は、果物、すなわち下り物を植えると家が「成り下がる」というもので、まあ、まさにその通りになった。
けれども、その下り物が、祖父の死後、家を支えたのだから、これもまた因果というものか。
ユスラウメ、アンズ、イチジク、ユズ、そしてカボス。
さまざまな果実が庭を彩り、食卓を支えた。
極めつけはシホウチク(四方竹で)で、これは秋にタケノコが出る。
だからこの時期の味噌汁はいつもこのタケノコになる。
今思えば絶品だったのだろうが、さすがに毎日では飽きる。
取っても取っても出てくるものだから、あちこちにおすそ分けし、それでも根を伸ばした竹は茶室の床を破り、天井にまで伸びた。
仕方なく、シホウチクは抜いた。
また秋になると、庭でいちばん大きな樹木であり、日田市の文化財にも指定されているギンモクセイが花を咲かせる。
キンモクセイのような、祖母に言わせれば「下品な匂い」ではない、ギンモクセイの香りがふんわりと街を包む。
今はもう、街は様々な香りに満ちてしまい、その中に埋もれてしまったが、昔は、日田の豆田町に秋を告げる風物詩のひとつだった。
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