「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
https://youtu.be/0TGk2O23Z3M

「役所の扉を開かせるまで 無戸籍児3」

無戸籍とは役所にとってはいないのと同じ。]

 無戸籍 就学通知

「逃げて逃げてその果てに 無戸籍児2」

https://youtu.be/iDn6HW3fRxo


どんな状態でも、いやだからこその男と女。

戸籍 無戸籍 離婚
「戸籍のない子供たち 無戸籍児1」

https://youtu.be/GYYuHsOoWMs

なぜ、戸籍がないなんてことが起きるのか。DV問題の先駆け。

戸籍 無戸籍 DV 離婚
https://youtu.be/HgDd_1kzoIc

病気を倫理にしてはならない。

イリイチ 公害 原田正純 水俣病
https://youtu.be/-Pm6UYewL-c

原田正純先生との個人的思い出とイリイチ。

イリイチ 原田正純 水俣病
https://youtu.be/EmzTz2yQgeE

医療とは、病気とは何かについての個人的思い出。

イヴァン・イリイチ 医療ネメシス
2020年08月14日

伊佐山紫文627

姫路に避暑に行き、テレビばかり観ていた。
 まあ、酷いね。
 感染者数が減ってきたら、今度は重症者数、今朝は80代以上の感染者数……
 とにかく数字をいじり回して煽ろうとする。
 操ろうとする。
 で、煽られる、操られる。
 人為でウイルス感染を防げると本気で思い込んでいるものだから、狂信者そのものの物言いで陽性者を攻撃する。
 口ぶりは穏やかでも、言ってることは一つで、
「自業自得!」
 コロナ重症者数の数倍のお年寄りが熱中症で病院送りになっていても、そっちはもう別に毎年のことで視聴率が取れるわけじゃなし、知事が会見を開けるわけじゃなし。
 コロナだよ、とにかくコロナ!
 マスコミや自治体の会議室での様子が目に見える。
 もちろん、真実を伝えるのがマスコミの目的じゃないし、住民を守るのが役所の役目でもない。
 マスコミの目的は視聴率だし、役所の役目は次の選挙で現職を勝たすこと。
 これが負のスパイラルを起こして、誰にも止めようがなくなっているのが現状だ。
 嗚呼民主主義!
 暗澹たる夏休みになった。

https://youtu.be/QRLbXEdUNZY

いわゆる第1波は小池都知事の再選戦略だった。今回は?

コロナ 選挙 人災
https://youtu.be/4ic-FJ_slmw


結局、どれも駄目でした。

タグ:家族論 夫婦別姓 マスコミ
https://youtu.be/uOsKo9vg1a4

再び本を書いては見たけれど。

タグ:家族論 文学史 法律
https://youtu.be/ViWa5olQAcs

本を書いては見たけれど。

タグ:夫婦別姓 書籍 創元社
2020年08月10日

伊佐山紫文626

コロナにかかった人の手記など読んでると、本当にこの国はどうなってしまったんだと嘆息せざるを得ない。
 コロナに感染することより、感染したことによる社会的制裁の方が遙かにきつい。
 これは、そもそも、ウイルスによる感染を「新しい生活様式」なるものによって防げるという思い込みによる。
 つまり感染したのは「新しい生活様式」を取らなかったからで、意識が低い、自業自得、バカ、阿呆、間抜け、死ね、死ね、死ね、と。
 尊大というか、思い上がりも甚だしいが、本物の馬鹿につける薬はないから仕方ない。
 マスコミはその本質において煽りだし、コロナ祭りに沸く専門家はいい加減なことをまき散らすし、大衆の愚かさは今に始まったことではない。
 まあ、仕方ない。
 人為的な最悪の事態にしっかりと備えるだけだ。
2020年08月10日

伊佐山紫文625

旭堂南陵さんといい、李登輝さんといい、やっぱり亡くなるなぁ。
 私自身も高齢化してるし、気をつけないと。
 それにしても旭堂南陵さん、昨年の暮れに再会して(口には出さないけど、全てを水に流して)また一緒に面白いことをやろうと、語り合ったのになぁ。
 連休の深酒は色々思い出す。
 本当に色々あったよ。
2020年08月10日

伊佐山紫文624

李登輝さんの葬儀の記帳に行ってきた。
 中之島の朝日ビルというのが、なんとも言えぬ胡散臭さではあるのだが。
 まあ、色々あったよ、若い頃。
 ひたすら合掌。
2020年08月10日

伊佐山紫文624

暑い。
 扇風機しかない我が家、しかもその一台の扇風機を息子が独占しているから、循環する熱風の中、パンツ一丁で汗をかくしかない。
 もともとアフリカ起源のホモ・サピエンスである。
 暑い方が調子が良いはずなのだ。
 熱帯に暮らすほどんどの哺乳類は口で体温を調節しており、長距離走には向いていない。
 その点、全身の汗腺で体温調節をするホモ・サピエンスは生まれながらのマラソンランナーである。
 どこまでも追い詰め、疲れ果てた獲物を仕留める。
 熱帯の暑さの中でこその戦略である。
 と言いつつも、我々はその熱帯を逃れ、ヨーロッパからアジアに広がったホモ・サピエンスの一派である。
 暑いのは暑い。
 息子が部活に出掛けた後、扇風機を独占し、至極の時をしばし味わい、やっぱり止める。
 自然がいちばん、などと言う気はないが、人工的な風は何かを奪う気がする。
 思い出せば、オヤジも50を過ぎた頃から冷暖房を嫌うようになっていた。
 ホモ・サピエンスの血は争えんか。
2020年08月10日

伊佐山紫文623

息子に方程式を教えながら、人類の英知って凄いなと、改めて思う。
 で、さらに改めて思うのは、我々人類の脳は、こういう英知を学ぶようには出来ていないってこと。
 幸い、我が息子はほとんど難なく方程式を理解できているが、塾や家庭教師を経験した私には、これがどれほどの奇跡であるか、身にしみて良く分かる。
 我々ホモ・サピエンスは新石器時代に生まれたのであって、当時の環境の中で生き延びるように適応している。
 方程式などない時代に、マンモスを狩るように生まれついている。
 その頃から比べれば、我々はホモ・サピエンスとしては退化しているだろう。
 マンモスを狩ることも出来ないし、石器一つ作れない。
 脳の容量が減っているというデータもある。
 もう我々は誕生したばかりのホモ・サピエンスではない。
 退化したのか、進化したのか、とにかく新しい何者かである。
 その何者かが生きて行くには方程式も必要なんだよ。
2020年08月10日

伊佐山紫文622

悲しい場面で悲しい歌を歌わすのは常道なんだろうが、過ぎるとベタになる。
 ところがヴェルディやプッチーニらのイタオペはまさにベタの極みだし、どれだけ深みを演出しようがワーグナーのいかがわしさはベタと紙一重である。
 芝居における音楽が感情表現である以上、それは常道として仕方ない面もある。
 だが、今回『レイチェル・カーソン やめなはれDDT!』を書くにあたり、その常道をあえて踏み外した。
 末期ガンを宣告され、余命まで告げられたレイチェルは、それでもDDTの危険性を訴える本を書こうと決意する。
 もちろん、そこで歌う歌には「DDT」の文句は入らない。
『沈黙の春』も、もちろん、入らない。
 純粋な献身が明るく透明に歌われるだけである。
「私は一人じゃない」
 と歌うレイチェルに、
「君は一人じゃない」
 と和するポール。
 二人とも、人々との、生命との繋がりを歌い上げながら、個人にとっての状況が絶望でしかないことは分かっている。
 自分はもうすぐ死ぬ運命にある、と。
 そして愛する人が死ぬ運命にあるのに、その運命に対し自分には何も出来ない、と。
 その絶望的状況の中での献身を明るく、透明に、歌い上げるのである。
「One for all,All for one」と。
 作曲の山田さんには、ここには一片の暗さも入れてくれるな、と依頼した。
 本当にその通りの仕上がりになり、歌手も応えてくれている。
 練習で聞きながら、我が作品ながら、落涙しそうになった。
『レイチェル・カーソン やめなはれDDT!』
 良い感じに仕上がってきています。
2020年08月10日

伊佐山紫文621

私の社会生活はほぼ30年前で終わっているから、これもまた30年ほど前の話になるが、「美食倶楽部」が魯山人直系との鳴り物入りで神戸に店開きしたことがあった。
 早速行った。
 もちろん、KADOKAWAの経費で。
 ところが、これが不味い。
 一万円以上する弁当なのに、
 とにかく、異常に甘い。
 一緒に行った編集者も顔をしかめ、一言もない。
「うまいは甘い」
 その後、それなりに調べても、魯山人の言葉とされるこの「名言(迷言)」の出典を明らかにすることは出来なかったが、過ぎたるは及ばざるがごとし、神戸の美食倶楽部もすぐに店を閉じた。
 で、息子が言うには、給食の肉が甘いんだと。
 煮物か何か知らんが、とにかく甘くて、我慢して食ってるが、あれはいったいなんだ、と。
 推察するに、普通にレシピ通りに味付けているだけだと思う。
 普通のレシピではとにかく砂糖が多い。
 これは砂糖を使えば簡単にメイラード反応が起こせて味も香りも良くなるからで、手軽っちゃ手軽だが、安易な甘さは絶対に舌に残る。
 砂糖を使わずにいかにメイラード反応を起こして香りとコクを引き出すか。
 和食の妙味はそこにあるんだけどなぁ。
 だから、ウチでは料理に砂糖は一切使わない。
 本当に、一切。
 息子が給食の肉料理を甘く感じるのも、実際にはそこに原因がある。
 私が料理を始めた頃、バイブルにしたのが『魯山人味道』で、そこでは砂糖が罵倒されつくしていた。
「うまいは甘い」
 は砂糖を使えば良いという意味では断じてない。
 もっと深い、抽象的な言葉なのだと思う。
 神戸の美食倶楽部はいったい何を勘違いしていたんだか、今となっては確認するすべもない。
2020年08月10日

伊佐山紫文620

感染者の濃厚接触者をたどれば感染者は見つかる。
 こうして感染者を増やしているのが現状だが、自然には逆らえない。
 気温も上がり、紫外線も増えてくるなか、ウイルスは死滅し続ける。
 おそらく今日明日あたりから感染者は減ってくる。
 これをどう増やすのか、メンヘラたちの知恵の絞りどころと言ったところだろう。
 この事態を笑ってばかりもいられないのは、これを本物の危機だと思い込んだ人々が現実にいることだ。
 マスクをしていない客がいたと店舗にクレームを入れ、店舗はマジに受け止めて客にマスクを強要する。
 この時期にマスクをすることの危険性など論外の外、とにかくコロナでマスク、マスク、マスク、と。
 このまま秋になり、冬になれば、マスクで甘やかされた気管支はインフルエンザにひとたまりもなく感染するだろう。
 おそらく、コロナ死の数十倍の死者が出る。
 自業自得と言うにはあまりにも残酷すぎる事態だが、いったい誰が責任をとるのか。
 誰もとらない。
 言いっぱなし、煽りっぱなし、メンヘラ政治家に利用されっぱなし。
 先日、とある国会議員の秘書さんに会って、こういう話を普通にしていたら、浅川座長が驚愕し、
「なんで? なんで? 先方も驚かないで普通に聞いてるの?」
「政治に関わってる人間なら、コロナ禍が人為的なものだってことは百も承知なんだよ」
「それをなんで言わないの」
「言っても、マスコミに載るわけがないでしょ」
 この世が狂ってる?
 いや、これが普通でしょ。
https://youtu.be/gYC3a7LpX0w

結局は部数・視聴率の問題。

タグ:環境問題 酸性雨 テレビ

プロフィール
notebook
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2020年08>
S M T W T F S
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