2018年08月05日
伊佐山紫文191
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』
ダン・アリエリー著 熊谷淳子訳 ハヤカワ・ノンフィクション文庫
従来の経済学が前提とする「経済的人間」はどこまでも合理的に行動する。
全体的に見ればその考え方も妥当なのだろうが、個々の場面ではそうではない。
本書はその実例をこれでもか、と示し、極めて説得力に富む議論を展開する。
私の見るところ、進化心理学が「ダーウィン→ウィルソン、ドーキンス→進化心理学」の流れで表せるなら、行動経済学は「マルサス→ダーウィン→ローレンツ→行動経済学」。
どちらもダーゥインの進化論がベースにある。
ダン・アリエリー著 熊谷淳子訳 ハヤカワ・ノンフィクション文庫
従来の経済学が前提とする「経済的人間」はどこまでも合理的に行動する。
全体的に見ればその考え方も妥当なのだろうが、個々の場面ではそうではない。
本書はその実例をこれでもか、と示し、極めて説得力に富む議論を展開する。
私の見るところ、進化心理学が「ダーウィン→ウィルソン、ドーキンス→進化心理学」の流れで表せるなら、行動経済学は「マルサス→ダーウィン→ローレンツ→行動経済学」。
どちらもダーゥインの進化論がベースにある。
2018年08月05日
伊佐山紫文190
兵庫県加東市にある「パナソニックエコテクノロジーセンター」の工場見学に行って来た。
10になった息子は磁力・電気、あるいは比重によって資源を分別する仕組みを食い入るように眺め、最前で説明を聞いていた。
で、見学の後、
「ここ、学校で来たらいいんじゃない」
などと言う。
確かに、酒米である山田錦の水田に囲まれたリサイクル工場というのも立地的に面白いし、総合的な環境学習の教材として素晴らしいと思う。
思えば28年ほど前、各地のリサイクル工場を取材して回り、その不潔さ・危険さに憤り、存在自体が環境問題であり、労働問題であり、人権問題ではないかと疑問を抱いた。
経済的社会的弱者(障碍者や被差別者)の犠牲の上に成り立つリサイクルなどやってはならない。
大阪式の、全て焼いて発電し、副産物としての湯を使って入浴場や温水プールを運営するのがもっともマシだと思った。
その後「環境、福祉、人権、このどれか一つでも欠けた政策は嘘っぱちだ」とあちこちで講演して回った。
で、あるとき、シンポジウムで同席したある党の代議士から、
「そのスローガン、貰っていいですか?」
と申し出を受けた。
「もちろんです。ドンドン使って下さい」
次の選挙で、その代議士のポスターにはデカデカと、赤字で、
「環境 福祉 人権」
の文字が躍っていた。
まあ、それはいいとして、環境問題の難しさは、今では行動経済学の用語でかなり記述が可能になってきた。
要するに、環境問題は、社会規範と市場規範の両方に片脚ずつを突っ込んで股裂き状態になっているのだ。
たとえばアナタが恋人からプレゼントを貰ったとする。
もし「嬉しいわ、ありがとう」に続けて、財布を広げ、
「いくら?」
と聞き返したら、その瞬間に全てがぶち壊しになること、請け合いである。
つまり、社会(社交)規範で応じるべきところに、市場(マーケット)規範を持ち込んでしまったということだ。
私たちはこの二つの規範の重なった世界に生きており、それぞれの規範に応じた対応が求められる。
社交場(社会)に金(市場)を持ち込むこと以上の無粋なことはないのだ。
それでは身近な環境問題はどちらの規範によって処理されるべきなのか。
ゴミの分別という社会規範によるのか、リサイクル費用の負担という市場規範によるのか。
昨日の見学の後の質疑応答で、二つの規範が接触した瞬間があった。
単純労働で辛くはないのか、という質問に対し、
「地球環境を守っているという使命感もある」
という答えがなされた。
未だ環境問題は、市場規範(労働条件など)と社会規範(ボランティア精神など)に股裂かれている。
どれだけ技術が進歩しようが、その事実に変わりはない。
それが如実に示された瞬間だった。
10になった息子は磁力・電気、あるいは比重によって資源を分別する仕組みを食い入るように眺め、最前で説明を聞いていた。
で、見学の後、
「ここ、学校で来たらいいんじゃない」
などと言う。
確かに、酒米である山田錦の水田に囲まれたリサイクル工場というのも立地的に面白いし、総合的な環境学習の教材として素晴らしいと思う。
思えば28年ほど前、各地のリサイクル工場を取材して回り、その不潔さ・危険さに憤り、存在自体が環境問題であり、労働問題であり、人権問題ではないかと疑問を抱いた。
経済的社会的弱者(障碍者や被差別者)の犠牲の上に成り立つリサイクルなどやってはならない。
大阪式の、全て焼いて発電し、副産物としての湯を使って入浴場や温水プールを運営するのがもっともマシだと思った。
その後「環境、福祉、人権、このどれか一つでも欠けた政策は嘘っぱちだ」とあちこちで講演して回った。
で、あるとき、シンポジウムで同席したある党の代議士から、
「そのスローガン、貰っていいですか?」
と申し出を受けた。
「もちろんです。ドンドン使って下さい」
次の選挙で、その代議士のポスターにはデカデカと、赤字で、
「環境 福祉 人権」
の文字が躍っていた。
まあ、それはいいとして、環境問題の難しさは、今では行動経済学の用語でかなり記述が可能になってきた。
要するに、環境問題は、社会規範と市場規範の両方に片脚ずつを突っ込んで股裂き状態になっているのだ。
たとえばアナタが恋人からプレゼントを貰ったとする。
もし「嬉しいわ、ありがとう」に続けて、財布を広げ、
「いくら?」
と聞き返したら、その瞬間に全てがぶち壊しになること、請け合いである。
つまり、社会(社交)規範で応じるべきところに、市場(マーケット)規範を持ち込んでしまったということだ。
私たちはこの二つの規範の重なった世界に生きており、それぞれの規範に応じた対応が求められる。
社交場(社会)に金(市場)を持ち込むこと以上の無粋なことはないのだ。
それでは身近な環境問題はどちらの規範によって処理されるべきなのか。
ゴミの分別という社会規範によるのか、リサイクル費用の負担という市場規範によるのか。
昨日の見学の後の質疑応答で、二つの規範が接触した瞬間があった。
単純労働で辛くはないのか、という質問に対し、
「地球環境を守っているという使命感もある」
という答えがなされた。
未だ環境問題は、市場規範(労働条件など)と社会規範(ボランティア精神など)に股裂かれている。
どれだけ技術が進歩しようが、その事実に変わりはない。
それが如実に示された瞬間だった。
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