2020年05月07日
YouTube 夙川座チャンネル、です。13回目
2020年05月07日
伊佐山紫文560
連休が明け、特になんと言うこともない朝が訪れた。
人が休みと決めようが、出勤と決めようが、夜は明け、朝は来る。
もし人間に永遠の生命が与えられていたなら、全ての期日は平等で、連休どころか、年末年始の行事など、何もなかったことだろう。
ただ、実際には、人間の生命は限られており、だからこそ、そのことを思い起こすために、盆暮れ正月などの行事がある。
たとえば一休さんの歌とされる、
門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
は、そのことを端的に詠んでいる。
キリスト教で言えば、
「メメント・モリ(死を思え)」
である。
「死」を思いつつ、そのことで今の自らの「生」を生き生きと生きる。
様々な民族の神話を読む限り、「死」によって「生」を活性化するのは人類共通の性質と言えるだろう。
人間の「死」は、人間の「生」の喜びを際立たせるのだ。
その「死」は絶対的なものであり、そもそも「数」ではない。
「死」がそこにあることが問題なのだ。
したがって「死」を前提にした疫学や統計学など不吉極まりない邪宗である。
数えてはならない、絶対的なものとして「死」はあるのだ。
そして「死」によって隠蔽されつつ、際立つのは「性」である。
人は、濃厚接触、という言葉に何を思い浮かべるだろうか。
そのような言葉がなぜ好まれるのか。
政府がどれだけ定義しようが、50代男性と20代女性という突出した数字は「性」の一文字を際立たせる。
人間が生き物である限り「生」と「死」を巡る「性」の神話は続く。
人が休みと決めようが、出勤と決めようが、夜は明け、朝は来る。
もし人間に永遠の生命が与えられていたなら、全ての期日は平等で、連休どころか、年末年始の行事など、何もなかったことだろう。
ただ、実際には、人間の生命は限られており、だからこそ、そのことを思い起こすために、盆暮れ正月などの行事がある。
たとえば一休さんの歌とされる、
門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
は、そのことを端的に詠んでいる。
キリスト教で言えば、
「メメント・モリ(死を思え)」
である。
「死」を思いつつ、そのことで今の自らの「生」を生き生きと生きる。
様々な民族の神話を読む限り、「死」によって「生」を活性化するのは人類共通の性質と言えるだろう。
人間の「死」は、人間の「生」の喜びを際立たせるのだ。
その「死」は絶対的なものであり、そもそも「数」ではない。
「死」がそこにあることが問題なのだ。
したがって「死」を前提にした疫学や統計学など不吉極まりない邪宗である。
数えてはならない、絶対的なものとして「死」はあるのだ。
そして「死」によって隠蔽されつつ、際立つのは「性」である。
人は、濃厚接触、という言葉に何を思い浮かべるだろうか。
そのような言葉がなぜ好まれるのか。
政府がどれだけ定義しようが、50代男性と20代女性という突出した数字は「性」の一文字を際立たせる。
人間が生き物である限り「生」と「死」を巡る「性」の神話は続く。
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