2018年11月07日
伊佐山紫文219
次回公演予定の『クララ・シューマン 天才のヨメはん』(仮)のテーマは「愛」である。
「愛」と言っても、根底にあるのはキリスト教的な「愛」と仏教的な「愛」の対立である。
仏教で言う「愛」は捨て去るべき、乗り越えるべき煩悩の一つに過ぎない。
仏教では「愛」から様々な苦悩が生じる。
夫が相手してくれないと悩んだり、我が子のボンクラぶりを嘆いたり、ものを捨てられずゴミ屋敷になったり、全ては「愛」、「愛欲」「愛着」「愛執」に原因がある。
だから苦悩を立ち切り、ニルヴァーナ(涅槃)の平安に至るためには、まずは「愛」を捨てなければならないのだ。
たとえば佐藤義清という武将が西行になるためには、まさに我が子を庭に蹴り落とさねばならなかったように。
キリスト教の「愛」は、これとはまるでちがう。
と言うか、今の私たちが感じている「愛」こそが、まさにキリスト教的な「愛」である。
『クララ・シューマン 天才のヨメはん』では、クララがまさにキリスト教的な「愛」を体現するのに対し、謎のロマ(いわゆるジプシー)女は仏教的な「愛」を対置し、煩悩としての「愛」の愚かさを説く。
クララはもちろん、仏教的な「愛」を否定してキリスト教的な「愛」を生き、そして死ぬのだが、そこに至る聖なる愚かさと強さを表現出来ればと思っている。
実は個人的にも、最近、「愛」の愚かさを思い知った。
断ち切れと理性は言っても、どうしても断ち切れぬ「愛」がある。
それを愚かと責めるのはたやすいが、人間とはそもそも哺乳類であり、触れあうことで分泌される愛のホルモン(オキシトシン)によって幸せになるケダモノなのだ。
たとえブン殴られても、そのあとの「ヨシヨシ」でオキシトシン全開、反動で幸せ一杯になったりする、「愛」に生きるただのケダモノである。
ハタから見ればただのアホだが、人間がケダモノ(哺乳類)である以上、どうしようもない面がそこにはある。
ケダモノであること(煩悩)を否定して得られる涅槃と、ケダモノのまま愚かに愛し合い、この世界で滅んで行くこと。
仏教から見れば、無償の愛ほどろくなモンはない。
けれどキリスト教から見れば、仏教はあまりに冷たい。
もちろん、仏教もその後の大乗の展開もあり、キリスト教にかなり近いものになって、新井白石などは、キリスト教を大乗仏教の一派だとみなしたほどだ。
実は大乗仏教の生成そのものにキリスト教の影響があると言われているから、白石の慧眼はあながち外れてはいない。。
まあとにかく、アル中であり、ヤク中でもある夫・シューマンをどこまで愛せるかって話ですわ。
いつもの夙川座の舞台、バカバカしく愚かで切ない、それでいて魂が少しは浄化される、心洗われる救済劇にできたらいいなと思っています。
乞うご期待。
「愛」と言っても、根底にあるのはキリスト教的な「愛」と仏教的な「愛」の対立である。
仏教で言う「愛」は捨て去るべき、乗り越えるべき煩悩の一つに過ぎない。
仏教では「愛」から様々な苦悩が生じる。
夫が相手してくれないと悩んだり、我が子のボンクラぶりを嘆いたり、ものを捨てられずゴミ屋敷になったり、全ては「愛」、「愛欲」「愛着」「愛執」に原因がある。
だから苦悩を立ち切り、ニルヴァーナ(涅槃)の平安に至るためには、まずは「愛」を捨てなければならないのだ。
たとえば佐藤義清という武将が西行になるためには、まさに我が子を庭に蹴り落とさねばならなかったように。
キリスト教の「愛」は、これとはまるでちがう。
と言うか、今の私たちが感じている「愛」こそが、まさにキリスト教的な「愛」である。
『クララ・シューマン 天才のヨメはん』では、クララがまさにキリスト教的な「愛」を体現するのに対し、謎のロマ(いわゆるジプシー)女は仏教的な「愛」を対置し、煩悩としての「愛」の愚かさを説く。
クララはもちろん、仏教的な「愛」を否定してキリスト教的な「愛」を生き、そして死ぬのだが、そこに至る聖なる愚かさと強さを表現出来ればと思っている。
実は個人的にも、最近、「愛」の愚かさを思い知った。
断ち切れと理性は言っても、どうしても断ち切れぬ「愛」がある。
それを愚かと責めるのはたやすいが、人間とはそもそも哺乳類であり、触れあうことで分泌される愛のホルモン(オキシトシン)によって幸せになるケダモノなのだ。
たとえブン殴られても、そのあとの「ヨシヨシ」でオキシトシン全開、反動で幸せ一杯になったりする、「愛」に生きるただのケダモノである。
ハタから見ればただのアホだが、人間がケダモノ(哺乳類)である以上、どうしようもない面がそこにはある。
ケダモノであること(煩悩)を否定して得られる涅槃と、ケダモノのまま愚かに愛し合い、この世界で滅んで行くこと。
仏教から見れば、無償の愛ほどろくなモンはない。
けれどキリスト教から見れば、仏教はあまりに冷たい。
もちろん、仏教もその後の大乗の展開もあり、キリスト教にかなり近いものになって、新井白石などは、キリスト教を大乗仏教の一派だとみなしたほどだ。
実は大乗仏教の生成そのものにキリスト教の影響があると言われているから、白石の慧眼はあながち外れてはいない。。
まあとにかく、アル中であり、ヤク中でもある夫・シューマンをどこまで愛せるかって話ですわ。
いつもの夙川座の舞台、バカバカしく愚かで切ない、それでいて魂が少しは浄化される、心洗われる救済劇にできたらいいなと思っています。
乞うご期待。
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