「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2018年11月02日

伊佐山紫文214

 前にも書いたかも知れないが、よく聞かれ、しかも最も答えにくいのが、
「アンタ、いったい何モン?」
 という問である。
 モロボシ・ダンなら、
「僕は、実は、ウルトラセブンなんだッ!」
 とでも言って変身してみせればいいのだろうが、いかんせん、こっちは生身の普通の何の変哲もない市井の凡人である。
 何モンと言われたって……
 で、色々と素性を明かして最も驚かれるのが、私が大学院まで魚類学を専攻していたバリバリの理系男子であるということだ。
 今回「島ひきおに」の上演を観に久しぶりに日田に帰り、水郷(すいきょう)日田を構成する三隈川、花月川、中城川のほとりを散策する中で、自分の理系男子のルーツを思い出した。
 私が小学校の5年だったか、6年だったか、その頃、日田市に淡水魚センターという施設がオープンした。
 淡水魚の研究施設としては東洋一の規模という触れ込みで、しかも、市内の小学生は入場無料だったので、私は夏休み、春休み、冬休み、ほとんど毎日通った。
 私が今でも鯖の背のあの青い縞模様を見て胸がキュンとなるのは、その幼い日、水槽の上から覗き込んだイワナの姿を思い出すからだ。
 最初、鯖の背になぜ胸が締め付けられるのか、私にはよく分からなかった。
 想い出を色々と探るうち、淡水魚センターのイワナに辿り着いた。
 無意識ってのは、フロイトのトンデモ性欲説とは無関係に実在するってことだ。
 で、なんでそのイワナの姿が私の心にそれほど焼き付いたかといえば、それが初めて見た「泳ぐイワナ」だったからだ。
 淡水魚センターにいたのは、おそらく、原産地以外で、原産地の水を使わず、飼育された初めてのイワナだった。
 当時、どんな表現を使っていたのかは憶えていないが、とにかく、世界初の画期的なことだといわれていた。 
 それがどれほど画期的なことかは、イワナという魚の生態をそれなりに知っていなければ理解不能だけれど、とにかくもう、淡水魚少年だった私が日参するほど素晴らしい画期的なことだったのである。
 で、高校に上がり、進路を決めなければならなくなったとき、私は何の迷いもなく、淡水魚が研究できる大学を選んだ。
 国内での選択肢は二つしかない。
 京都大学か、愛媛大学。
 京都はハードル高いなぁ、愛媛にするか。
 教授のレベルからいえば、愛媛の水野先生は世界のトップクラスだし。
 しかも、愛媛なら、そんなに頑張らずとも通るだろうし。
 そんな感じ。
 で、卒業したら淡水魚センターにでも就職するかぁ。
 そんな感じ。
 まあ、世の中、そんな甘くはないことはそれから色々と思い知ることになるが。
 ちなみに、淡水魚センターはとうになくなり、今は日田天領水が水源を引き継いでいる。
 イワナの飼育を成功させたのは、当時の淡水魚センターの技術というよりは、天領水の水源のおかげではなかったのかと、今では思う。
 日田天領水も、懐かしくてしばらくは定期購入していたが、金がなくてやめた。
 ま、その程度のモンですわ。
 
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2018年11月02日

伊佐山紫文213

 降る雪や明治は遠くなりにけり

 改めて紹介するまでもなく、中村草田男の名句であり、「明治は遠くなりにけり」の部分は、好き嫌いを越えた日本国民の言語的財産になっている。
 この句は『万葉集』の柿本人麻呂作

 近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

 の畏るべき政治的叙情と並ぶ、日本人の心の詩だと思う。
 もし私が「明治は遠くなりにけり」を特権的に味わう資格があるとするなら、それは、私の誕生日である10月23日こそ、明治改元の日、即ち、明治時代の誕生日でもあるからだ。
 昨日、まさに私の誕生日に政府主催で「明治150年記念式典」が行われた。
 だからどうということもないが、ついこんな戯れ句を口ずさんでみたくなる。
 
 行く秋や昭和は遠くなりにけり(紫文)

 先に紹介した人麻呂の歌は、自らが仕える天智朝が滅ぼした天武朝の近江の都を偲んで歌ったものである。
 荒れ果てたかつての都を人麻呂が何年後に訪ねて詠んだのかは分からないけれど、その鎮魂と故旧の哀切さは何度読んでも胸を打つ。
 翻って草田男の句は昭和6年の作、明治から20年を過ぎてのものである。
 明治という時代精神は自らが生みだした近代によって滅ぼされてしまった。
 壬申の乱のような内乱こそ起こらなかったものの、日清日露の大戦を戦い抜いた明治精神は、昭和に入り、何か得体の知れないものに化け始めていた。
 そんな時代、ふと降る雪に思う「明治は遠くなりにけり」なのである。
 そして、平成が終わろうとしている今、私は「昭和は遠くなりにけり」としみじみ思う。
 かつて福澤諭吉は自らの人生をかえりみて「一身にして二生を経るが如く」(『文明論之概略』と言ったが、私などは、高度成長、IT革命、そして下手をしたらAI革命の4世を生きてしまうかも知れぬ。
 次の時代が何と呼ばれるかは分からぬが「平成は遠くなりにけり」とは詠みたくないものだ。
 そもそも字余りだし。
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2018年11月02日

伊佐山紫文212

 安田純平さんが解放されて本当に良かった。
 私も若い頃は国際ジャーナリストにあこがれ、あわよくばどこかの抵抗組織に捕まって内部情報をスクープ出来たら、などと下らぬ妄想に浸っていたことがある。
 ゲリラとか、反体制派とか、そういうのにロマン主義的な親近感を感じていたものだから、決してこちらを粗略には扱わないだろうと、勝手に思い込んでいたのである。
 そういう思い込みの犠牲になりかけた話。
 30年以上前、一緒に仕事をしていたイラストレーターの男。
 その男もまた、若い頃にはロマン主義的な理想を抱いて世界を放浪していた。
 で、軍事クーデターで軍が政権を握った、とある南米の国に潜入した。
 日本人は珍しいものだからすぐにワラワラと人が寄ってくる。
 市場でビールでも飲まないか、と。
 応じて、青空の下、片言の英語で談笑しながら気持ちよく飲んでいると、突然、大地を揺るがす轟音と共に、戦車がやってきた。
 マシンガンを肩にかけた兵士たちも小走りで。
 一緒に飲んでいた男たちは瞬時にして消え、そいつだけが残された。
 兵士たちはそいつを取り囲み、スペイン語で緊張したやりとりを続けている。
 そいつは死を覚悟した。
 それも、まともな死ではない。
 噂に聞く、軍部による拷問死……
 爪を全て剥がされ、歯を抜かれ、目玉をくりぬかれ、睾丸を喉に詰まらせての窒息死……
 ところが、連行された基地で待っていたのは暖かい抱擁だった。
「良かった、本当に良かった」と口々に言われる。
 一緒にビールを飲んでいた男たちは、現地では知らぬ者のないギャングで、外国人観光客を身ぐるみ剥いで殺すのをなりわいにしているのだという。
 しかもゲリラとしての顔もあるから、重武装していて警察では手に負えないのだという。
 日本人がギャングに捕まっている、という通報があったものの、警察は及び腰で、それなら、と、軍隊の出動となったわけだ。
 今度は兵士たちとビールを飲みながら、拷問死の話をすると、大笑いして、それはギャングの手口だという。
 裏切り者をそうやって殺すのだと。
 先進国のマスコミはゲリラの言うことを真に受けすぎる、自分らのやっていることを相手のせいにするのは左翼の常套手段だろ、と。
 そいつはワケがわからなくなって、早々にその国を引き揚げた。
 今、何をやってるかは知らない。
 日田の実家にはそいつの書いた色紙がある。
「色即是空」
 の文字が添えられている。
 一体何を悟ったのかは知らないが、作品としてはなかなか良い。
 とにかく、そうそう簡単に情報を信用してはならないということだ。
 今回、国際的な力学の中、サウジ記者の殺害など、色々な偶然も重なって、安田さんの解放に至ったのだろうが、本当に良かった。
 空即是色。
 
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2018年11月02日

伊佐山紫文211

 今朝話題にしたイラストレーター、三年前に車椅子で介護を受けている写真をFBに上げて、それを最後に更新なし。
 もう歳だったんだな。
 でも、子どもや孫に囲まれて幸せそうだった。
 放浪も止めて落ち着いて、アパートを借りて家族で住んでたらしい。
 同じアパートで幼少時代を過ごした女性が暖かい想い出をブログに載せてる。
 戦後、ロシア・アヴァンギャルの旗手からとったペンネームを使い、大阪の劇画革命にはせ参じた若い劇画家でもあった。
 この人にも様々なことを学んだ。
 追々書いていくよ。
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2018年11月02日

伊佐山紫文210

「クララ・シューマン 天才のヨメはん」の脚本にかかろうとしていたところ、急ぎの仕事が舞い込んできた。
 ここは座長(社長)の判断に任せるしかないので、いいですよ、やりますよ、としか言いようがない。
 やりましょう、とにかく、仕事があるうちが花なんだから。
 ハァ……
 やりましょう!
 はい……
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2018年11月02日

伊佐山紫文209

 10歳になる息子が色々と食べ物に難癖を付け始めた。
 今朝も、毎朝飲ませているサツマイモで作った自家製甘酒ヨーグルトが不味いという。
 旬のサツマイモを蒸かして米麹で糖化発酵させた甘酒をヨーグルトにしたんだよ。
 不味いわけがない。
 ほぼ完全栄養食だし。
 ま、少々癖はあるかもしれんが。
「男が食べ物のことでゴチャゴチャ言うな!」
「女は?」
「女はバカだからどうしようもねえんだよ、で許してもらえるけど……」
 と言おうとしたところ、「どうしようもねえんだよ」の後で間髪入れず、
「クラスの女子は頭良いよ」
 などと、現代っ子らしい半畳を入れられ、二の句が継げず、
「女はバカだからどうしようもねえんだよ」などと、どうしようもないバカ男の台詞になってしまった。
 妻からの冷たーい視線で、朝食の食卓が凍り付いたことは言うまでもない。
 だ・か・ら、お父さんの言わんとするところは、食事はただのエサの時間じゃないってこと。
 特に男にとっては。
 戦争が終わったら、まずは一緒に飯を食う。
 たいていは勝った側がふるまう。
 ここでマズイとか何とかゴチャゴチャ言って見、ぶち壊しになるから。
 現代でも、上司に誘われた店で、
「これ、化学調味料、どっさりぶち込んでますね」
 とかって、本当のことを言って見、翌日からの仕事が辛ーくなるから。
 男女関係でも、デートに食事が伴わない文化はない。
 そこで男がゴチャゴチャ言うて見、やれることもやれなくなるから。
 とにかく食事は人間関係の核なんだよ。
 だから、よほどの覚悟がない限り、男は好き嫌いや味の評価をすべきではない。
 女は少々愚かなことを言ってしまったところで、いわれた男も心の底では「女はバカだからどうしようもねえんだよ」と自分を棚に上げて思っているから、
「テヘッ、ペロッ」
 で許してもらえる。
 男はそうはいかない。
 執念深い男に食事のことで恨まれると、一生の禍根となる。
 だから、日頃から、味については沈黙を守る訓練をしておくこと。
 そうでないと、お父さんみたいになっちゃうぞ。 
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2018年11月02日

伊佐山紫文208

 ふと思い立って進化心理学を読み始め、そこから行動経済学や認知心理学、コンピューター科学へと読書の範囲が広がっている。
 これらの根っこにあるのは進化論だからと、その大本のダーウィンも再読し、改めてその偉大さを思い知ることになった。
 で、バカなことをしたな、と思う。
 生物学を続けていれば、この沃野を共に耕していただろうに、と。
 いや、と一方で思う。
 そもそも、私の大学院時代には大学にポストが無かった。
 今でこそ環境科学(エコロジー)と言えば花形だが、当時は「ハァ?」という感じだった。
 大学院を出たけれど就職先のない、いわゆるオーバードクター、今で言うポスドクが全国に何百人と溢れていて、とても研究者としての将来に希望が持てるような状況ではなかった。
 それでも、と、アカデミズムの世界に飛び込む経済力など、欠片もない。
 アカデミズムの中に居場所がなければ、それではマスコミで、と、雑誌の記者になって環境問題の記事を書きまくった。
 で、何年かして虚しくなった。
 書いても書いても、流れて消えて行くだけ。
 で、残るものをと、本を書こうと思った。
 これもまた、何冊か書いてみて、売れなければ在庫を抱えるだけだとわかった。
 人生のキャリア戦略を根本的に間違ったなと気づいたのが40前後、もう親の認知症が出始め、遠距離介護の生活に入る。
 介護が終わると、遅れてきた子育て。
 人生そのものは豊かになったが、在野の研究者としての立ち位置というか、そもそも何を研究してたんだっけ?
 研究どころか、今となっては他人の研究のエッセンスを舐めるように味わっているだけ。
 けれど、これが実に味わい深い。
 私は自分を芸術家だとか、アーティストだとか、そういう大層なものだとは一度も思ったことはないけれど、それでも言語を使って何かを表現はしてきた。
 その表現が人を揺さぶる原理、なぜ人は感動するのか、その心の動きについて、進化心理学や行動経済学、認知心理学は、重大なヒントをパラパラと断片的にではあるが、教えてくれる。
 それらをとりまとめて、論文ではなく、舞台作品として提供する。
 こんなことが出来るのは、学問を尊重する土地の医者の家系に産まれ、詩人の父に育てられ、大学院まで進化生態学を専攻した私だけだろう。
 とまあ、ここが今の自分の立ち位置かな、と、思っている。
 天才が直観でやっていることを、最先端の研究結果を踏まえ、科学的に、客観的に、論理的に組み立てて表現する。
 平凡な表現者が人を感動させようと思ったら、マジそれしかないでしょう。
 そんなこんなで、そろそろ次回公演の脚本、本格的に構想し始めますわ。
   
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プロフィール
notebook
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2018年11>
S M T W T F S
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