「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2018年11月05日

伊佐山紫文218

 昨日、本当につまらないことで警察のお世話になった。
 こんな下らないことであっちやこっちの警察署の手を煩わせて、本当に申し訳ない。
 色々と叩かれることの多い皆さまではあるけれど、やっぱり頼りになるのは警察だとつくづく思う。
 本当にありがとうございました。
 こんなとき、日本人で本当に良かった、と思う。
 最近、例のジャーナリストの一件で自己責任論がまたぞろ噴出しているが、確かにジャーナリズムに国境はない、けれど個々のジャーナリストには国籍があることも忘れてはならない。
 国籍を超えたつもりで取材をしていても、最終的に頼りになるのは国家なのである。
 以前、日本兵として大東亜戦争(と本人は言う)を戦った、ある台湾人にインタビューしたことがある。
 悪名高きインパール作戦に随うはずだったのだが、チフスにかかり、病状は長引いて、結局、今のベトナムで終戦を迎えた。
「エツナンのカナイで、エツミンのコチメイに武装解除された」
 え?
 もしかして、エツナン(越南)、カナイ(河内)、エツミン(越民)、コチメイ(胡志明)!
「ベトナムのハノイでベトミン(ベトナム民主解放戦線)のホーチミンに武装解除された」
 そういうことか!
「ホーチミンに会ったんですか?」
「ああ」
 この後の話はこんなところで書くような話ではないからよすが、たとえば80年代になってから、統一ベトナムの叙勲受賞者の中にゾロゾロと日本名が出始めて、やっと人々は気付き始めた。
 なぜ、ベトコン(ベトナム解放戦線)があれほど強かったのか。
 なぜ、あれほどアメリカ軍の戦略を知り尽くしていたのか。
 ベトナム戦争を取材した記者が北や解放区にあれほど容易く潜入できた裏に、現地に残った日本人と、その日本人とつながる日本国内の日本人のネットワークがあったことは昔から指摘されていたことではあったが。
 実は『ふたりのヨシコ』の取材中、関係者の中に外務省で「人には言えない仕事」に従事している人がいることを知って愕然としたことがある。
 そういう「人には言えない仕事」が、物語の世界ではなくこの世界に、戦前から今まで連綿と続いているという現実に愕然とした。
 そんな影の人々が、今回のジャーナリスト騒ぎでは活躍、というか、暗躍、でもないな、とにかく働いたのだろう。
 国籍を背負う以上、自己責任という軽い言葉ではすまされない現実がある。
 下手すれば「人には言えない仕事」の人々に助けて貰うことになりかねないのだ。
 比べるのもアホらしいけれど、昨日のちょっとしたトラブルも、警察だけの力で解決したのでは、おそらくない。
 まあ、私たち普通の日本人が自分で思ってる以上に、日本人でよかったねって話。
 警察の皆さま、ありがとうございました。 
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2018年11月05日

伊佐山紫文217

 妻と正倉院展に行って来た。
 70回目と言うことで、結構見応えがあった。
 中でも、螺鈿やタイマイ(ベッコウガメと言った方が通りが良いか)の甲羅を貼った八角形の箱(長たらしい名前にはうんざり。ただの綺麗な箱だよ、箱!)は圧巻だった。
 お供え物を入れたとか。
 仏像館も見て、興福寺の境内に入り五重塔を眺め、再建された中金堂の偉容を仰ぐと、桓武天皇がこの地を嫌った理由が肌で分かる。
 仏教勢が力を持ちすぎ。
 奈良時代の護国仏教とは、仏教勢の力をそれだけ認めるってことで、当時の寺は武装していたことを思えば、そうそう気持ちの良い場所ではない。
 長岡京というステップはあったものの、その後の1000年を思うとき、平安京への遷都は正解だったのではないか。
 もちろん、比叡山というやっかいな存在もあるにはあったが。
 で、そんなことを話しながら商店街に戻ると、昼食時の店はどこも一杯。
 いや……
 ガラガラの店もあったが、そういうところは怖いから避ける。
 合計年齢112歳の夫婦です、妙なものでカロリーを取りたくない。
 で、天理スタミナラーメンの支店にした。
 このチェーンは昔京橋にも支店があったが、本店とは懸け離れた味(もちろん悪い意味)で、すぐに潰れた。
 賭けになるが、入ってみた。
 カウンター席が一杯で、待つかと思えば二階があり、すぐに座れた。
 出てきたスタミナラーメン、悪くない。
 と言うか、むしろ旨かった。
 ただ、豆板醤を入れすぎたのが小さな失敗。
 それでもスープまで全部飲んだよ。
 入館まで一時間近く並んだんで少し疲れ、二人とも帰りの近鉄の中では寝てしまいました。
 
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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