「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2020年03月28日

伊佐山紫文547

『行動経済学の逆襲 上下』
リチャード・セイラー著 遠藤真美訳 ハヤカワノンフィクション文庫
 人間には非合理的な「くせ」がある。
 この「くせ」は英語では「ビヘイビア(習慣その他)」であり、これを更に日本語にするとき、「行動」と訳されたりもする。
「動物行動学」の「行動」も「ビヘイビア」であり、本書の「行動経済学」の「行動」も同様である。
 それではなぜ「行動」が問題になるのか。
「行動」はある意味、正常からの逸脱であり、そうは言いながらも、経済学で「正常」とされている人間そのものは、現実にはいない徹底的な合理主義者であったりする。
 現実にはいない「正常」人っていったい何だ?
 現実には、10円安い肉を求めてスーパーをハシゴする人間が、パソコンを買うときには数千円の差を気にしなかったり、と、人は経済的不合理な選択を重ねて生きている。
 合理主義的な経済的理想人間「ホモエコノミカス」(本書ではエコンと呼ばれる)ではなく、時には非合理的な「行動」をとる「ヒューマン」の発見とその振る舞いの記述を行うのが行動経済学である。
 行動経済学の古典的名著『ファースト&スロー』の著者ダニエル・カーネマンは心理学者だったし、実験心理学的な手法を経済学に持ち込んだことでノーベル経済学賞を受賞した。
 本書はこの行動経済学が生まれ出る瞬間のドキュメントでもある。
 だけでなく、行動科学の知見が現実の政策に取り入れられていく、その現場のドキュメントでもある。
 最新の知見を政策が取り入れていくところ、イギリスやアメリカは凄いな、と思う。
 と言うより、そうしないとやっていけない面があるのも、一面の事実なんだろう。
 私見だが、経済学も社会学も、これら統治の技術体系は、牧羊にその起源があると思う。
 そもそもキリストからして自らを牧夫になぞらえたし。
 日本にはいかなる時代にも遊牧民はおらず、従って統治の技術が体系化されることもなかった。
 遊牧民と接していた古代チャイナとは大違いで、本居宣長が喝破したように、日本に孔子ら聖人は必要なかったのだ。
 本書に戻れば、行動経済学で言うところの、人をエラーから救い、目標へと促す、いわゆる「ナッジ」が生まれ出た背景も知ることが出来て、何重にもお得な本になっている。
 ちなみに「ナッジ」とは肘で小突いて行動を促すこと。
 あなたがこの本を読むように、強く「ナッジ」したい。
2020年03月28日

伊佐山紫文546

今月号の『日経サイエンス』の特集「新型コロナウイルス 病原体の実像に迫る」は良い記事だった。
 今回のコロナ騒ぎが過去のSARSやMARSと違うのは、早々にウイルスのゲノム(遺伝子、今回はRNA)が解析されたことにある。
 解析され、ゲノムが周知されたことにより、感染性や病原性の強さ、さらには感染部位まで予測できるようになった。
 そもそもゲノムとは、それがコードするタンパク質の暗号みたいなものである。
 新しい感染症で厄介なのは、それがウイルスによるものなのか、細菌によるものなのか、まず特定せねばならず、これがもう、まず危険極まりなく、根気の要る作業であることだ。
 SARSの時、その病原体がコロナウイルスの一種であることを特定することに数ヶ月を要したのも当然で、とにかく、まずウイルスを集めること、そのゲノムを解析して構造を明らかにすること、これら一つ一つの作業が、根気と時間のいる苦行なのだ。
 まず採取したウイルスの数を増やさなければならない。
 一定の数がなければゲノムを解析することがそもそも出来ない。
 一般の方は誤解されていると思うが、ゲノム解析とは、一個の遺伝子のDNAやRNAを読み取ることではない。
 大量のゲノムの切れ端を統計的に解析することで、確率的に最もあり得るゲノムの全体像を作り上げていく。
 母集団(ウイルス)は多いに越したことはない。
 だから、ウイルスを増やさなければならないのだが、そのためには、まず、培地となる細胞を用意しなければならない。
 例えば、インフルエンザの予防接種を受けるときに、鳥へのアレルギーを聞かれるのは、インフルエンザウイルスへのワクチンを作るための培地に鳥の細胞を用いているためだ。
 インフルエンザは元々鳥の病原体であり、だから鳥の細胞を培地に使っているのである。
 鳥に対してアレルギーを持つ人は、それで作ったワクチンにも当然反応する。
 それでは、今回のウイルスは、何の細胞を使って増やす?
 と、本来なら、そこからの話になるところである。
 それが、早々にゲノム情報が公開されたから、日本の優秀な研究者たちには、将来の経過も含めて全てが読めてしまった。
 ウイルスそのものの毒性はなく、むしろ免疫反応の方が問題であること、つまり、健康な人には中立に近いが、基礎疾患を持つ人には致命的になる、と。
 ウイルスに対し免疫が過剰反応してしまう結果、限られた免疫の力では基礎疾患への対応が出来なくなり、ウイルスそのものと言うより、基礎疾患の悪化によって重篤化に至るというわけだ。
 であれば、全数検査など愚の骨頂でしかない。
 高齢者や基礎疾患のある人を守るよう、感染者の管理をはかるべきだ。
 それだけで充分、とは言わないが、大騒ぎするほどのもんじゃない。
 それでは、なぜ、ヨーロッパではあんな惨状になったのか。
 ここからは私見だが、すべて、ドイツ第四帝国の緊縮財政主義による。
 エマニュエル・トッドに倣い、EUではなくあえてドイツ第四帝国と呼ばしてもらうが、ドイツ第四帝国が押しつけた緊縮財政主義により、イタリアに限らず、ヨーロッパでは医療制度がすでに崩壊していたのだ。
 ヨーロッパがパンデミックのセンターになったのは偶然ではない。
 アメリカも同様で、医療制度の崩壊した階層にウイルスは忍び込む。
 アッパーでヘルシーに生きていれば鼻風邪で済むところ、ハンバーガーで高脂血症になり高血圧になり糖尿病を併発しているような階層をウイルスは直撃する。
 もちろん、無保険だから医者にもかかれない。
 なぜ、アイダホやバーモントではなく、カリフォルニアやニューヨークなのか、鍵はウイルスではなく、社会の構造による。
 かく、流行病は社会の病を映し出す。
 日本でもまた違った病の形が映し出されたと思うが、それはまた別の機会に。
プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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