「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2020年04月28日

伊佐山紫文558

中学に入りたての頃、と言うか、小学校と中学校に挟まれた春休み、渓流のルアー釣りを覚えた。
 いわゆる雪代ヤマメというやつで、解禁明けの前津江村の大野川、今では大山ダムに沈んだ辺りである。
 元々餌でも釣っていたのだが、この日、たまたまルアーを投げていて、掛かった。
 こんなもんで釣れるのかと半信半疑だったのだが、釣れたものは仕方ない。
 とにかくルアーでも釣れるんだと、妙な自信を持ち、以後数年間、自他共に認める日田市でのルアー釣りの第一人者となった。
 思えばその前の春休み、後に一緒に愛媛大学を受験することになるケンと同じ場所に釣りに行き、私だけが釣れ、ケンは拗ねて一人帰ったことがあった。
 ケンはその日のうちに謝りに来て、近くの体育館でバドミントンに興じて仲直りをした。
 ケンには弟がいて、高校時代など、この二人はこっそり酒を汲み交わし、ケンは二日酔いで保健室に寝込んでいることもあった。
 愛媛大学受験で泊まった松山の宿でも、買ってきた牛丼とビールである。
 私はさすがに飲まなかったが、ケンは何缶も開けて、もちろん、落ちた。
 弟さんが若く(二十四だったか)してガンで亡くなったとき、遺影を前に、釣りの思い出など、飲みながら語り合ったものだ。
 ケンは自分の息子二人を転がしたり膝に載せたりしながら、私のことを、
「これが俺の釣りの師匠バイ」
 などと紹介してくれたものだった。
「俺はもういいつ。遺伝子を残したきね。弟はむげねえこつした」
 そのケンも数年前、逝った。
 死に際にも、葬儀にも行けなかったが、最期に会った友人によれば、
「これは寿命なき」
 と達観していたという。
 医療福祉を学び、水俣の施設に長く勤めていたケンには、自分の状態など良く分かっていたのだと思う。
 30年近く前、弟さんのお悔やみを言う私に、ケンは、
「これは寿命なき」
 と、嘆くでもなく、悔しがるでもなく、静かにつぶやいたものだった。
 さて、我が息子は、中学への入学式は済んだものの、宙ぶらりんの状態が続いている。
 先日など、掛かってきた電話に、何度も何度も、
「本人ですけど……本人ですけど……」
 を繰り返している。
 案の定、学校からの電話で、前の電話で懲りたのか、何度も何度も本人確認をしていたのだった。
 ああ、長い長い春休み。
 いったいいつ終わるのか。
 一足早く、長い休みに入ったケンよ、弟と飲んでるか、それとも釣りに興じているか。
 で、一首。 
 桜咲く 大山川の せせらぎの ヤマメの影を 憶えしや君
プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

< 2020年04>
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