「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2018年01月03日

伊佐山紫文123

 前に子役二人が歌う「マルマルモリモリ」なんてのが流行って、ちょっとラテン語をかじった耳には正気の沙汰とは思えなかった。
「マル」は「悪」で、「モリ」は「死」。
「悪悪死死」
 なんでこんな歌になったのか、誰か教えてやらなかったのかと訝しむが、深読みすれば、これは「メメント・モリ」の一種なのではないか。
「メメント」は英語で言えばリメンバー、「思え」。
「モリ」は「死」。
 メメント・モリ、死を思え。
 つまり生に限りがあること、言い換えれば自らも死すべき存在であることを常に思い、一瞬一瞬を誠実に精一杯生きよ、ということ。
 メメント・モリ。
 こんな元気で可愛い子供たちであっても、いつかは死の時を迎えなければならない。
 マルマルモリモリ。
 ああ、なんて切ない歌なんだ。
 こういうメメント・モリの伝統は、実は日本に古来から有って、たとえば、一休禅師の歌とされている、
「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
 正月になって皆さん浮かれているけれど、それでも死出の旅の途中であることに変わりはないんだぞ、と。
 杖にしゃれこうべを付けて、一休さんはこの歌を唄いながら正月の京都を闊歩したという。
 これが本当に一休さんの歌なのか、疑問は残っているようだが、それでも江戸時代にはそう信じられ、ある種の「メメント・モリ」として人口に膾炙していたのは事実である。
 で、懐かしく思い出すのは、息子の8歳の誕生日、
「お前も8歳になったんだね」と言うと、すかさず、
「また一歩、死に近づいたって話?」
 まあ、そういうことではあるけれど……
 いや8歳から「メメント・モリ」しなくても……
 と言うわけで、「死に太郎」は一休禅師に倣った私なりの「メメント・モリ」でした。
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2018年01月03日

伊佐山紫文122

 この話をし始めると、息子は「止めろ!」と叫んで襲いかかってくる。
 
 あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。
 ある日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯へ行きました。
 お婆さんが川で洗濯をしていると、上流から、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと、腐りかけた死体が流れてきました。
 お婆さんはその死体を家に持って帰りました。
「これは立派な死体ではないか」
 とお爺さんも大喜びです。
 さっそく料理しようと、お婆さんが包丁で皮をむくと、中から、顔色の悪い、気色の悪い男の子が出てきました。
 二人はその子を、死体から生まれた「死に太郎」と名付けて、大切に育てました。
 と言っても、もともと死んでいる死に太郎ですから、一日ぐったりと寝てばかり、しかも、得も言われぬ臭い臭いが漂っています。
 そんなある日、死に太郎が言いました。
「鬼ヶ島の鬼たちが人々を苦しめているそうです。私が行って、奪われた宝を取り戻してきます」
 お爺さんとお婆さんは、実は死に太郎をもてあましていたので、良い厄介払いになると、この申し出を歓迎しました。
 門出に、死体から作った「死に団子」を持たせました。
 死に太郎が鬼ヶ島に向かっていくと、道に犬が死んでいました。
 その死体を肩にかけて歩いて行くと、次にはサルが死んでいました。
 その死体を肩にかけて歩いてくと、次にはキジが死んでいました。
 それもまた肩にかけ、船に乗り、鬼ヶ島へと漕ぎ出しました。
 異臭に気づいた鬼たちはざわめき始めました。
「こ、これは、いったい何の臭いじゃ」
「あれを観ろ、犬と、サルと、キジの死体を抱えた死体がこっちに向かってくるぞ!」
 死に太郎は叫びました。
「鬼ども! 人々から奪った宝を返せ!」
 鬼たちはあまりの気色の悪さに動顛しました。
「あんなのに上陸されちゃ、かなわん。宝どころの騒ぎじゃない」
 鬼たちは死に太郎に言いました。
「返す! 返す! だから、今すぐ帰ってくれ!」
 鬼たちは宝を死に太郎の船に投げ入れました。
 死に太郎は宝を村に持ち帰りましたが、死臭のついた宝など、だれも持ち帰りません。
 死に太郎は最初から死んでいるので死ぬこともなく、お爺さんお婆さんが死んだ後も、宝に囲まれて、いつまでもいつまでも、きっと今でも、たった一人で寝ているのでした。
 めでたし、めでたし。
 
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プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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