「夙川座」やってます!

オリジナル脚本のオペレッタや、朗読とのコラボ、ポピュラーヴォーカルとのコラボなど、様々な場所、お客様に合わせたコンサート、舞台を企画しています!! 夙川、苦楽園がベースです。 どうぞよろしくおねがいいたします。
2019年09月11日

伊佐山紫文388

息子の人権授業とやらを参観してきた。
「LGBT」だの、「性的マイノリティ」だの、言葉は踊っているが、恐ろしいほど中身が無い。
 去年の人権授業もひどかったが、今年もまたパワーアップしてひどい。
 配られたプリントがまずひどい。
 男子児童三人が帰宅途中に好きな人の話をしていて、ある男の子が、そこにいない別の男の子の名前を挙げる。
 これに対して、どんな言葉をかけるべきか。
 授業の結論としては、
「それもありなんじゃね」
 みたいな。
「違いを認めあいましょうね」
 みたいな。
 そりゃまあ、結論としてはそうなるんだろうが、これはあくまでも傍観者の立場。
 もしそこで挙がった名前が「君」だったどうする?
「俺はお前が好きなんだ、性的に」
 と、告られたらどうする?
「それもありなんじゃね」
 と言えるか?
「性」、つまり、誰を好きになり、誰と性行為に至るかは、人倫の根本である。
 しかもそこには男女の厳然たる非対称がある。
 男は社会的に上り詰めれば、理論的には何千人もの子どもを持つことが出来る。
 ニートで終わればゼロである。。
 女性はいくら頑張ったところで子ども二十人が限度だろう。
 こちらももちろん、ゼロの可能性はある。
 だが、その差はたかが二十である。
 数千と二十。
 これは残せる遺伝子の数に正確に合致する。
 つまり次世代にできるだけ多くの遺伝子を残すという生命の根幹から観た場合、「性」の意味が(数学的に)男女ではまるで違ってくるのだ。
 大雑把に言えば「男は数、女は質」。
 男はドンドンやろうとし、女は慎重に選ぼうとする。
 これは生物学的に、そして数学的に仕方のないことである。
 だからこそ人倫が必要なのであり、そこに男女間の非対称が生じる。
「性」がなぜ人倫の根本を成すかと言えば、それは、それが男女それぞれの遺伝子を混ぜ合わす行為に他ならないからだ。
 もちろん、遺伝子の混交を伴わない「性」もある。
 そのような「性」は、キリスト教以前では純粋な「愛」と捉えられることもあった。
 レズボス島の女たちや戦士たちの愛など。
 が、今は違う。
 キリスト教ではアダムとイブを単位とした一夫一婦間での閉じられた「性」が人倫の根幹を成す。
 近代以降、日本でも「性」は人間「性」の問題として、一夫一婦間の閉じられた「性」が人倫の根本を成している。
「LGBT」が忌まれる背景としての、生物学的根拠とキリスト教的人倫の構造が、この世には厳然として、ある。
 そういうことを教えずに、いきなり「LGBT」もないだろうと思って帰ってきた。
2019年09月11日

伊佐山紫文386

ビデオ『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』平成30年2018年日本
監督:前田哲 脚本:橋本裕志
 筋ジストロフィーの主人公のワガママ放題。
 大泉洋の演技と北海道の景色が素晴らしい。
 それはそれとして、実はこの主人公と同じくらいワガママな障害者を一人知っている。
 Mさんとしておこう。
 もう35年くらい前、学生運動の中で知り合った脳性マヒの障害者だった。
 Mさん、とにかく弁が立つ。
「あなたの言う障害者解放って何なんですか?」
 と聞かれれば、
「ワシの24時間完全介護や!」
 と言い放つ。
 この人は一体どんな生活をしてんのか。
 で、どういういきさつかは忘れたが、おそらく何かの用事でMさんのアパートを訪ねることになった。
 集会とかデモとか、公的な場所以外で会うのは初めてである。
 で、Mさん、こたつで真っ昼間から酒と麻雀である。
 他のメンバーは公的な場では観たことのない顔である。
 いつも引き連れているボランティアたちではない。
 明らかに悪友然とした言葉遣い、下品な笑い。
 突然、
「おう、○○、小便介助して」
 座ったまま、隣に座った男に手伝ってもらいながら尿瓶にとる。
 公的な場では「こんなトイレで障害者の尊厳が守れるか!」
 とかって声高に叫んでいるのに、酒と麻雀で「めんどくせえ」とばかりに尿瓶である。
 これ以外にも、Mさん、とにかく人を使う、使う。
 使われる方も、当然とばかりに動く、動く。
 麻雀をやりながら、である。
 用事を済ませてさっさと帰ってきたが、その後、公的な場であったとき、ちょっと気まずそうにしていたのを憶えている。
 私が関西に出てきてすぐ、亡くなったことを風の噂で聞いた。
 で、数年後、縁あって(考えたら、この「縁」というのが、今のクレオ大阪中央、大阪市中央婦人会館での講演会だった)、ある障害者支援の団体主催の講演会に講師として呼ばれたとき、Mさんの話をした。
 講演の後の懇親会で、皆さん、
「あの話、Mさんのことでしょう?」
 と口々に言う。
「そうです、そうです。でも、なぜ?」
「あの方、もの凄く有名なんですよ。私たちが機関誌を出すとき、文章を書いてもらおうって言ってたところでした」
「そうだったんですか」
「イサヤマさん、Mさんと麻雀したでしょう?」
「いや、実は僕、ギャンブル断ちしてるんで。絶対に依存症になることがわかってますから」
「そうでしたか、それにしてもMさん、破天荒な方でしたよね……」
 確かに、Mさんを主人公にしてもかなり面白い映画が出来たろう。
★★★★☆
2019年09月11日

伊佐山紫文386

ビデオ『フレーム 危険動画サイト』平成29年2017年スペイン
監督・脚本:マーク・マルチネス・ジョーダン
 アプリなのかサイトなのか、動画同時配信の「フレーム」が大流行。
 何も規制がないものだから、ついに殺人までもが配信される。
 で、若者たちのパーティに狂人たちが乱入。
 拷問殺人の様子が同時配信され、視聴者数は伸びに伸び……
 まあ、それ以上でも以下でもない。
 ただ、話の進め方というか、プロットの配置が素晴らしく、実に勉強になる。
 それからベートーヴェンの『第九』の使い方も絶妙。
 一体、こんな映画に、どこが音源を提供したんだろうかと、エンドロールを目を皿のようにして眺めたが、どこにもなかった。
 パブリックドメインを使ったんだろうか。
★★★☆☆
2019年09月11日

伊佐山紫文385

ビデオ『ある女流作家の罪と罰』平成30年2018年アメリカ
監督:マリエル・ヘラー 脚本:ニコール・ホロフセナー、ジェフ・ウィッティ
 食い詰めた女流作家が手を染めたのは文書偽造。
 有名作家の手紙を偽造して高値で売る。
 次第に自分自身が有名作家になった気がしてきて、これはこれで悪いもんじゃない。
 けれど、現実はFBIの捜査が進んでいて……
 やってることはゲスの極みなんだけど、知的で、痛快でさえある。
 音楽がまた、オシャレ。
 この女流作家、一連の事件を自分で描いてベストセラーになり、こんな傑作映画にもなったわけで、全く、物書きにとって何がチャンスか分からない。
 個人的には80年代の小物が楽しい。
 MacintoshⅡとかね。
 これからはライターがデザインもやるんだと、百万以上を投じて買ったもんだった。
 結局はあんまり使わなかったけどね。
★★★★★
プロフィール
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学生の頃から、ホールや福祉施設、商業施設などに呼ばれる形で歌ってきましたが、やはり自分たちの企画で自分たちの音楽をやりたいという思いが強くなり、劇作家・作詞家の伊佐山紫文氏を座付作家として私(浅川)が座長となり、「夙川座」を立ち上げました。

私たちの音楽の特徴は、クラシックの名曲を私たちオリジナルの日本語歌詞で歌うという点にあります。

イタリア語やドイツ語、フランス語などの原語の詩の美しさを楽しみ、原語だからこそ味わえる発声の素晴らしさを聴くことも良いのですが、その一方で、歌で最も大切なのは、歌詞が理解できる、共感できる、心に届くということもあります。

クラシック歌曲の美しい旋律に今のわたしたち、日本人に合った歌詞をつけて歌う、聴くことも素敵ではないかと思います。

オリジナル歌詞の歌は50曲を超え、自主制作のCDも十数枚になりました。

2014年暮れには、梅田グランフロント大阪にある「URGE」さんで、なかまとオリジナル歌詞による夢幻オペラ「幻 二人の光源氏」を公演いたしました。

これらの活動から、冗談のように「夙川座」立ち上げへと向かいました。

夙川は私(浅川)が関西に来て以来、10年住み続けている愛着のある土地だからです。
地元の方々に愛され、また、夙川から日本全国に向けて、オリジナル歌詞によるクラシック歌謡の楽しい世界を広げていきたいという思いを込めています。

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