2020年07月15日
伊佐山紫文600
「ワーグナーの毒」
という言葉があるほどに、ワーグナーの音楽には中毒性がある。
現に、ここ数年、ワーグナーばっかり聞いている。
EMIとグラモフォンのボックスやショルティの「リング」を繰り返し、繰り返し、耳にタコが出来るほど、一日中、聞いている。
もちろん、家事をしながら、本を読みながら、文を書きながら、ではあるが、たとえば、カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」には思わず手を止めて聞き入ってしまうし、あるいはクレンペラーの「さまよえるオランダ人」には序曲からワクワクする。
で、たまに、何が歌われてるのか調べてがっかりする。
下らね~
どうしてこう、どれもこれも芝居として、歌詞としてつまらないのか。
と言うか、いかがわしいのか。
神はなぜ、こんな三流の劇作家に超一流の楽才を与えたのか。
そもそも女性の献身と自己犠牲ばっかし。
女をなんだと思ってるのか。
そして男たちの身勝手。
どす黒すぎてどうしようもない。
それがもう、音楽として聞けば、この上なく素晴らしいのはなんでだ。
楽才と精神性は無関係なのか。
そういえば、フィッシャー=ディースカウ の『ワーグナーとニーチェ』って美しい本もあった。
アドルノも色々書いてる。
暇を作って読み返してみるかね。
これからの仕事のために。
という言葉があるほどに、ワーグナーの音楽には中毒性がある。
現に、ここ数年、ワーグナーばっかり聞いている。
EMIとグラモフォンのボックスやショルティの「リング」を繰り返し、繰り返し、耳にタコが出来るほど、一日中、聞いている。
もちろん、家事をしながら、本を読みながら、文を書きながら、ではあるが、たとえば、カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」には思わず手を止めて聞き入ってしまうし、あるいはクレンペラーの「さまよえるオランダ人」には序曲からワクワクする。
で、たまに、何が歌われてるのか調べてがっかりする。
下らね~
どうしてこう、どれもこれも芝居として、歌詞としてつまらないのか。
と言うか、いかがわしいのか。
神はなぜ、こんな三流の劇作家に超一流の楽才を与えたのか。
そもそも女性の献身と自己犠牲ばっかし。
女をなんだと思ってるのか。
そして男たちの身勝手。
どす黒すぎてどうしようもない。
それがもう、音楽として聞けば、この上なく素晴らしいのはなんでだ。
楽才と精神性は無関係なのか。
そういえば、フィッシャー=ディースカウ の『ワーグナーとニーチェ』って美しい本もあった。
アドルノも色々書いてる。
暇を作って読み返してみるかね。
これからの仕事のために。
2020年07月15日
伊佐山紫文599
コロナで味を占めた、というか、危機は飯の種になると気付いた連中にとっては、コロナ収束なんて事態は絶対に避けなければならないわけで、再選を控えた首長たち、あるいはこの騒ぎで注目された学者らはなんだかんだと屁理屈を並べ立てて、危機を長引かせようとする。
こうして飯の種にしている連中がいる以上、この騒ぎは簡単には収まるまい。
私が当初考えていた以上に事態は深刻だ。
人々の恐怖に付け入り、それを飯の種にする連中の浅ましさがここまでとは。
浅ましい。
本当に浅ましい。
その浅ましさに煽られて自粛ポリスと化すマスコミ。
ウイルスってのは、対策を取らなかったから、軽率な行動を取ったから感染するわけじゃない。
個人であれ、集団であれ、感染するときは感染する。
誰の責任でもなく、経路不明のまま、感染するときは感染する。
それを何かの努力によって防げると思い上がることから、全ての間違いが始まる。
ウイルスは天罰ではない。
何か間違った行いの結果感染するわけでも、蔓延するわけでもない。
感染するときは感染するし、蔓延するときは蔓延する。
地震や他の天災と同じ、これは運命である。
運命の前に、もう少し謙虚になったらどうだ、と思う。
ただ、公演を控えている身としては、この馬鹿騒ぎを高みの見物という訳にはいかない。
「感染症対策を進めつつ、徐々に……」
などと、現場に責任を丸投げされても、そりゃ主催者としては政府や自治体や業界団体の示した「指針」とやらに従うほかはない。
意味の無い「ソーシャル何チャラ」だとか、手を荒らすだけの消毒とか、自殺行為かもしれない真夏のマスクだとか、アホの極みと分かっていても他人に強要しなければならない事態も起きてくる。
それで、たとえば、マスクで集団熱中症とか起きたら、いったい誰が責任を取るんですか?
責任など知ったことか、ってことでしょう。
「私はオオカミ少年と呼ばれることを恐れません。これからも発言し続けます」
などと、殉教者気取りで無責任な言論をまき散らし、飯の種にする連中のことだ、誰も責任など取ろうとはすまい。
言いっぱなし、やらせっぱなし、人が死んだら現場のせい。
本当に、世も末だと思う。
こうして飯の種にしている連中がいる以上、この騒ぎは簡単には収まるまい。
私が当初考えていた以上に事態は深刻だ。
人々の恐怖に付け入り、それを飯の種にする連中の浅ましさがここまでとは。
浅ましい。
本当に浅ましい。
その浅ましさに煽られて自粛ポリスと化すマスコミ。
ウイルスってのは、対策を取らなかったから、軽率な行動を取ったから感染するわけじゃない。
個人であれ、集団であれ、感染するときは感染する。
誰の責任でもなく、経路不明のまま、感染するときは感染する。
それを何かの努力によって防げると思い上がることから、全ての間違いが始まる。
ウイルスは天罰ではない。
何か間違った行いの結果感染するわけでも、蔓延するわけでもない。
感染するときは感染するし、蔓延するときは蔓延する。
地震や他の天災と同じ、これは運命である。
運命の前に、もう少し謙虚になったらどうだ、と思う。
ただ、公演を控えている身としては、この馬鹿騒ぎを高みの見物という訳にはいかない。
「感染症対策を進めつつ、徐々に……」
などと、現場に責任を丸投げされても、そりゃ主催者としては政府や自治体や業界団体の示した「指針」とやらに従うほかはない。
意味の無い「ソーシャル何チャラ」だとか、手を荒らすだけの消毒とか、自殺行為かもしれない真夏のマスクだとか、アホの極みと分かっていても他人に強要しなければならない事態も起きてくる。
それで、たとえば、マスクで集団熱中症とか起きたら、いったい誰が責任を取るんですか?
責任など知ったことか、ってことでしょう。
「私はオオカミ少年と呼ばれることを恐れません。これからも発言し続けます」
などと、殉教者気取りで無責任な言論をまき散らし、飯の種にする連中のことだ、誰も責任など取ろうとはすまい。
言いっぱなし、やらせっぱなし、人が死んだら現場のせい。
本当に、世も末だと思う。
2020年07月15日
YouTube 夙川座チャンネル、です。78回目
https://youtu.be/e0Y0Yj0-g60
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